108話_また、おいで
※最後の方だけ、視点が変わります。
※残酷な描写があります。
アザミは、手に持っていた宝玉──竜の腰掛けを、アンドレアスに差し出した。
「持ってみるかい?」
「よ、良いのか……?」
躊躇うように問いかけたアンドレアスに、彼女は勿論だと言わんばかりに力強く頷いた。
恐る恐る手を伸ばし、彼女から宝玉を受け取った彼は、宝玉を覗き込むように見つめた。
てっきり、もっと、こう……〝うぉぉぉお!!!〟みたいな熱気が溢れ出たような感想が飛び出すかと思ったが、予想外にも彼が暴走する事は無かった。
それどころか、宝玉に映る彼の表情は心なしか悲しげなものに見える。
「……王子?」
そんな表情の彼に、ローウェンが心配そうに声をかけた。
だが、ローウェンの呼びかけには応えず、彼は宝玉を俺の方へと差し出した。
反射的に受け取った瞬間、俺は思わず息を詰まらせた。
見かけは、なんてことない。それなりには美しいと評価出来る普通の玉……の筈なのだが……
────ドクン、ドクン。
その玉から、確かに伝わってくる。生きていると訴えているかのように波打つ、生命の鼓動が。
まるで〝心臓〟だ。……これまで1度も経験したことは無いが、誰かの心臓を鷲掴みにしているかのような感覚。
(……あまり、良い気分はしないな)
早く手放したくて、俺は、宝玉をアザミへ返した。
「……よく憶えておくんだよ。今、アンタ達が感じたのは、アタシ達がこうやって平和に暮らしている間、ずっと誰かの〝中〟で眠っている竜の生命の鼓動さ。この鼓動が安定している限り、アタシ達の平和は守られてるって事なんだよ」
忘れるな。今ある平和は〝誰かの平穏〟が犠牲になっている事で成り立っているのだ、と……そう言われているような気がした。
「ところでアンドレアス王子、1つ聞きたい。……アンタの父親は一体、何を企んでいる?」
ギョロリと睨む彼女の瞳は、明らかな警戒心が映し出されていた。
「企む? よく分からないが、我が、その宝玉に興味を示したのは、父上が強く欲していたからだ。それに鬼人と仲良くしたいとも言っていたし……我も、これまで鬼人と関わった事が無かったから、これは良い機会だと思ってな!」
彼女の視線が、アンドレアスからローウェンへと映る。
「王子は、嘘を吐いておりません。彼は純粋に父の力になりたいから動いているだけの事……彼らが何をしようとしているかまでは知りません」
「……だろうねぇ。今更、彼を疑うつもりは無いさ。だけど……アンタは、何か知ってそうだねぇ」
やけに棘の刺さる言い方に、ローウェンは軽く下唇を噛んだ。
それが図星からの行為なのか否かは分からないが、何かを知っていることは確かだ。
無言の対峙が続く中、そんな中に割って入った勇者……いや、鬼蜘蛛がいた。
「もう用事は済んだんでしょぉ? 早く移動しなくて良いのかしら? これ以上、村に留まっていたら、あっという間に時間切れになっちゃうわよぉ」
すっかり忘れていたが、俺達に与えられ期限は、たったの3日。
しかも、既に1日が終わり、2日目の今日も、既に昼頃にまでさしかかっていた。
「そ、そうであった……っ! 我とした事が、この村が居心地良すぎて、すっかり忘れていたっ!! ローウェン! ち、父上は、まだ……?!」
血の気が一気に引いて青く染め上がった顔のアンドレがローウェンに迫る。
ローウェンは、そんな彼の頭に容赦のない手刀を加えた。
……段々、容赦が無くなってるな、この執事。
「落ち着いて下さい、王子。まだ1日しか経っていませんから……王様は、まだ城へは戻られてはいませんよ」
「そ、そうか……っ!」
「ですが……そうですね。そろそろ戻った方が良いかもかも知れません。リン様にも急遽、仕事を休んで頂いて、私達に付き合って頂いておりますし……」
それらしい理由を述べているが、明らかに、これ以上は踏み込ませないという彼の意図が見えた。
それに気付かないほど、アザミは鈍くは無い。
しかし意外にも、彼女は、それ以上の追求はしてこなかった。
「……そうかい。そういう事なら、仕方ないね。だが、ここから歩いて王都まで戻るのは……」
「それなら問題ありません。拙者達が送って行くので」
アザミの言葉を、すかさずレイメイが遮った。
何故か、やけに気合の入った割り込みだったように感じた。
表情や声色は変わらないが、何となく雰囲気的なものが……
彼の隣では、メラニーが愉快なものを見たとばかりにクスクスと笑っている。
「なるほど。ソウリュウ族であるアンタなら、一瞬で彼らを王都まで送り届けられるねぇ。だが、万が一という事もある。この子達を、しっかり守っておくれよ」
「はい」
あれよあれよという間に話が進んでいく。
お蔭で俺は、黙って見守ることしか出来ない。
アザミは、俺達の視点に合わせるように前屈みになると、宝玉を持っていない左手を、アンドレアスの頭の上に軽く乗せた。
「アンドレアス、ライ、リュウ、ヒューマ。また、セイリュウの村に、遊びにおいで。アンタ達なら、いつでも歓迎するよ!」
ニカッと清々しい笑顔を浮かべたアザミに、俺達も各々、笑顔で応えた。
「お世話になりました」
ローウェンの言葉に、俺を含めた全員が頭を下げる。
その動作に合わせて、首にかけていた鬼笛が振り子のように揺れた。
群青色と茜色、全く違う2つの色が寄り添うように混じり合う。
また、新たな繋がりが出来たのだと……今更になって、ようやく自覚を持てた瞬間だった。
(……ロットにも、ちゃんと別れを言いたかったな)
僅かに残った後悔は、意識と共に胸の奥深くまで沈んでいった。
◇
瞬きすら許されない一瞬の別れに、1人になったアザミは小さく息を吐いた。
「なんとも味気ない別れだねぇ……」
瞬間移動に酷似したレイメイの術により、ライ達は一瞬で、彼女の前から姿を消した。
流石は〝空気〟を司る精霊に愛された一族。
彼らが同族にも一目置かれていた理由……それは、空気という生きる上で絶対に必要な存在からの恩恵を受けているからだ。
その一目置かれていた一族が、まさか……
(たった1人に、ほとんど殺られちまうとはねぇ……)
ソウリュウ族を襲ったのは、そんなにも強い者なのか?
控えめな方とはいえ、彼女もまた、戦闘種族。純粋に、相手の強さに興味を持った。
「アタシの前に現れた時には是非とも、手合わせ願い、た……」
ヒュンと、耳元で風を切る音がした。
その時、アザミは自分の身に何が起こったのか分からなかった。
そんな彼女の瞳に映ったのは、振り上げられた刀。そして、千切れたような雲があてもなく漂っている空へと舞い上がった……自分の右腕だった。




