105話_静穏な朝
…………息苦しい。
大蛇に締め付けられているかのような圧迫感に、決して目覚めが良いとは言えない朝を迎えた。
目が覚めても解放されることの無い圧迫感に、降参の意を込めて深く息を吐いた。
この……主に腹部にかかる圧迫感の正体は、既に分かっている。分かっているからこそ、俺は手も足も出せない。
穏やかな寝息。腹部から伝わる子ども特有の温もりと重み。
少しずつ鮮明に現状を把握していくと同時に、昨日の記憶が蘇ってきた。
(そういえば、あれから……流れで、ロットの部屋で寝ることになったんだったな)
そんなに仲良くなったならと、アザミの提案とロットの承諾で、俺は客室ではなく、彼の部屋で寝ることになった。
それに便乗するように自分も一緒に寝ると言い出したメラニーと、そんな彼女の妨害をするロットとレイメイによる攻防戦が勃発したが、アザミの見事な怒声で強制的に終戦を迎えた。
騒がしかったのは、彼らだけではなかった。ギャンギャンと躾のなっていない犬の如く吠え続けるリュウ達からの質問攻め。
適当な理由を作ることさえ、面倒だった。まぁ、最終的には〝素晴らしい〟だの〝流石〟だの、こちらが恥ずかしくなるほどに褒め称えるアンドレアスの暴走のお蔭で、有耶無耶にはなったが……
「んん……」
身動いだロットに思わず息を止めたが、すぐに穏やかな寝息を立てたのを確認し、ホッと安堵の息を漏らした。
「起こさないのか?」
静かな声で、そう提案したのは扉の前で腰を下ろしているレイメイ。
彼もまた、メラニー撲滅隊としてロットと気が合ったらしく、見張り役として、共にロットの部屋で一夜を過ごしていた。
「はい。もう少しだけ、このままでいようかと……」
俺の返答に、レイメイは呆れたように肩を竦める。
「拙者達には見向きもしなかったが、ライ殿にはベッタリだな。何か、特別な魔法でも使ったのか?」
そう言って、茶化すように笑ったレイメイに、俺も笑みを浮かべた。〝笑み〟と一言で言っても俺の場合は、喜びの笑み。
出会ったばかりの頃と比べて、彼は本当に変わったと思う。勿論、良い意味で。
もしかしたら、レイメイ・ソウリュウという鬼人は元々は、こんな風に笑う男なのかも知れない。
ロットに気を遣ってか、声を抑え、肩を揺らして笑うレイメイを見て、ふと、ヒメカ達のことを思い出した。村に行くと約束したものの、まだ一度も行けていないが……彼女達は今、どうしているのだろう?
「ヒメカさん達は、元気ですか?」
「あぁ。毎日、握り飯作る程度には」
……何故に、握り飯? 表情で問いかければ〝知らん〟と返された。
その時、一瞬だけレイメイが不機嫌そうに目を細めたが、すぐに穏やかな表情へと戻った。
「……アザミ殿は、父から聞いていた通りの鬼人だった」
朝の静けさに溶け込むようにポツリと呟かれた言葉に、思わず息を飲んだ。
彼は、決して俺の方は見ず、窓から漏れる光を眩しそうに見つめて、小さく口を動かした。
「滅多に笑わなかった父が、アザミ殿の話をする時には必ずと言って良いほど笑っていた。今、思えば……父にとってアザミ殿は、それだけ大切な存在だったのだろうな」
大切な存在。この世界に来て、俺にも〝大切な存在〟が出来た。
前の世界から繋がりのある者。この世界で出会った者達も含めて。
こんな感情……全てを破壊しようとした自分が持つべきものでは無いのかも知れない。
それでも、もし……もし、許されるならば。
(今度は……この世界を愛して、生きたい)
俺とレイメイは何かが通じ合ったように、互いに口を閉ざした。そこに気まずさは無く、寧ろ、母からの抱擁のような心地良さがあった。
ロットが目を覚まし、俺達が既に起きているとも知らずにアザミが部屋まで起こしに来たのは、それから数分後の事だった。




