104.5話_閑話:例え、全てが変わっても《下》
※残酷な描写と死ネタを含んでいます。
硬直した足を引きずるように、一歩ずつ踏みしめながら、魔王様の元まで辿り着いた。
ガクンと膝を力なく折ると、魔王様の身体に、ゆっくりと触れた。
置き物では無い、況してや、人形でも無い。
無機物からは感じられない、だが、生者からも感じられない感触に僕は、この亡骸が本物であると認識せざるを得なかった。
では、この亡骸が魔王様のものであるという証拠は?
なんて……今更、そんな子ども染みた足掻きを見せるつもりも無かった。
何にも言い表せない悲しみに打ちひしがれると同時に、僕の心に宿るのは、明らかな殺意と憎悪。
心臓部を貫いて殺した上に、首を持ち去るなんて……
(これが、正義を謳っていた奴等のやる事か?! これじゃ、魔王様を化け物と罵っていた彼らの方が化け物じゃないか……っ!!)
これでは、魔王様が最期、どのような表情をしていたのかすら分からない。
悔しくて、悲しくて、辛くて……様々な感情がごちゃ混ぜとなって、僕の目から溢れ出した。
「畜生……ちくしょ、っがは、ぁ!!」
突如、内側から迫り上がってきたものを吐き出した。
一色だった石の床に、鮮やかな〝赤〟が混じる。
……血だ。
この時、僕は、ようやく自分の身体に起こっている異変に気付いた。
それまで無視し続けていた身体の痺れも、視界の歪みも、単なる疲れや怪我では無かった。
開いた口からポタポタと滴り落ちる血を受け止める手の一部が毒々しい紫に変色している。
「こ、れは……」
突然の吐血、変色した皮膚。
これだけの情報で、僕は自分の身に起こっている最悪な事態を知ってしまった。
〝毒〟だ。
今、僕の身体は、毒に侵されてしまっている。
何故? いつの間に……?
これまでの自分を振り返るが、毒に侵される状態となるような出来事に、心当たりは無い。
ヒュ、と浅く息を吸えば、ピリッと肺を刺激するような痛みが走った。
まさか……
(この空間そのものが、毒に侵されている……?!)
そういえば、いつだったか聞いた事がある。
この辺りは元々、毒の霧と呼ばれる場所で、人はおろか毒耐性を持たない生物がとても住める場所では無かった、と。
そんな地獄のような場所にも関わらず、僕達が普通に過ごせていたのは、魔王様のお蔭なのだ、と。
恐らく、なんらかの魔法で、毒の霧を無効化していたのだろう。
その魔王様が死んだ今、その魔法が解け、再び、この場所は毒に包まれた〝死の場所〟となったのだ。
つまり、この部屋に来るまで僕はずっと、毒を取り込み続けていたという事だ。
だが、それが分かったところで、この場所から離れるつもりは無かった。
外へ出たところで、もう僕の身体は長くは持たない。
それに……此処には、魔王様もいる。
今更、死への恐怖は無い。
寧ろ、魔王様の隣で逝けるなら本望だ。
僕は、魔王様の亡骸の横に、力尽きたように寝転がった。
息が苦しい。
血の味がする。
喉元からゴポゴポと血が、せり上がってくる。
何故、こんな事になってしまったのだろう?
僕はただ、魔王様と……みんなと過ごせれば、それで良かったのに。
その時、僕の脳裏に浮かんだのは、あの少女だった。
彼女さえ……彼女さえ、現れなければ……
(魔王様が、こんな未来を歩むことは無かったのに……)
誰かを恨んだところで、何かを後悔したところで、もう何もかも遅い。
もし……もしも、魔王様に来世が与えられる時は、その時は、どうか……
内なる願いすら言わせないとばかりのタイミングで、上から降ってきた大きな瓦礫の下敷きになった僕は、呆気なく死んだ。
◇
そして、時は流れ……僕は、魔王様との再会を果たした。
昔よりも低い背丈。筋肉のない弱々しい身体。
魔王様の傍にいて、彼を守るには、まだまだ頼りない。
だが、この身体になった事で生まれた利点もある。
それは、こうして何の口実もなく魔王様にくっ付ける事。
昔は、城の中にも外にも敵が多くて、言葉を交わす事すら叶わない事の方が多かったが、今は違う。
正直、羞恥はあるが、それに耐える事さえ出来れば、圧倒的に僕の有利だ。
「……この、クソ餓鬼」
負け犬の遠吠えにすらならないメラニーの呟きに、僕は〝ざまぁみろ〟と、思いきり舌を出した。
魔王様が彼女を宥めるように、声をかけている。
懐かしい光景に思わず目が潤み、隠すように僕は魔王様の服に顔を埋めた。
あの時は、感じられなかった体温。
昔と変わらない匂い。
再び手に入れた、この日常は……もう手放したくない。
(魔王様……どうか、この世界では幸せになって下さい)
長い時を経て僕は漸く、切なる願いを解き放った。
次回からは、通常通り本編へ戻ります。




