104話_不変の忠誠
懐かしさに思わず視界が歪んだが、側から見れば幼い子どもを跪かせている最悪な年上の餓鬼にしか見えない。
誰かに、こんな場面を見られたら何を言われるか……
「あらあらまぁまぁ。ライ様ったら、こんなに幼い子を跪かせるなんて、悪い人……でも、そんな悪い貴方も、ワタシ大好きよ♡」
聞き覚えのあり過ぎる女の声に、意図もせず息を漏らした。
「……何故、お前が、この部屋にいる?」
扉が開けられた形跡は無い。それどころか、扉が開いた音も、足音も聞こえなかった。
……では、彼女は、どうやって中に入った?
「この身体になってから、色々と便利なのよぉ。この姿なら、ライ様と並んで歩いても目立たないし。あぁ、それから、彼らの一族は昔から〝空気〟を司る精霊と親密な関係だったみたい。その精霊の力を引き継いだ彼らは、空気を操ることは愚か、空気の存在する場所なら、どこへだって行ける。だから、こうやって誰にも気付かれずに侵入する事だって出来る。……唯一、あの朴念仁と同じという事だけは癪だけど」
ペラペラと、聞いてもいない情報を喋り続ける彼女に、俺もロットも口を挟む隙すら無い。
頼むから、先ほどまでの感動を返してくれ。
「それにしても……まさか貴方まで記憶を持っていたとは思わなかったわ」
メラニーが見下ろすようにロットに視線を向けると、彼は何事も無かったかのように立ち上がった。
先ほどまで開いていた口が、今は、しっかりと閉じられている。
そんな彼の態度が気に入らなかったのか、彼女は目を細めた。
「あら、ライ様の前では喋ってたのに、ワタシには一言も無いのぉ? 言っておくけど、貴方がライ様と出会えたのはワタシのお蔭なのよ? あの時、ワタシが貴方を拾わなければ、貴方は可愛くもないモンスターに食べられる運命だったんだから」
「………………」
もう、それ以上は止めてくれ。大の大人が子どもを虐めてるようにしか見えなくて辛い。
「……何故、自分を食料としか見ていなかった相手に、感謝しなければならない」
幼い子どもとは思えないほどに、低く重々しい声。先ほど、俺に向けられた声とは、全く違う。
「まぁ、生意気。ねぇ、ライ様。あの時は食べ損ねちゃったけど、今回は食べても良いわよね? 今のライ様は魔王じゃないから、戦力云々とか考える必要も無いし」
メラニーの言葉に、ロットは驚いたように見開いた目で俺を見た。
この世界でも、俺が魔王を名乗っていると思っていたらしい。
「…………そう、なのですか?」
ロットの問いに頷いて答えると、彼は少し落胆したように肩を落とした。
「また……貴方の傍に、いられると思ったのに……」
今の言葉に、俺が返せる言葉は無い。
「……初めて意見が合ったわね」
そんな彼を見て、メラニーが寂しそうに呟いた。
それから俺は彼らに、自分がこれまで歩んできた過去を話した。勿論、自分を殺した勇者との再会、そして、今は彼と友好関係である事は、伏せて。
彼らは納得したように、しかし、どこか寂しそうに俺の話に耳を傾けていた。
「……貴方の気持ちは分かったわ、ライ様。でもね、これだけは覚えておいて」
俺の目線に合わせるように前屈みになった彼女は、両手を伸ばし、そっと俺の両頬を包んだ。
「ワタシは、貴方が前世とは違う存在であろうと関係ない。……何があろうと、貴方の味方よ」
そう言って微笑んだ彼女は、コツンと額を、俺の額に重ねた。
「だから……何かあった時は、絶対に頼って頂戴。約束……っ、きゃ!」
突然、額越しに感じていた温もりが離れたかと思うと、今度はロットが距離を詰めてきた。
「僕も……僕も、です。また、貴方の力に、なりたい……!」
幼い子どもが、少しだけ背伸びをしたかのように力強く、だけど、どこか頼りになりそうな表情に、思わず彼の頭を撫でた。
頭を撫でられた彼は、少し驚いた様子だったが、すぐに、懐いた動物のように目を細めた。
「……貴方、昔よりも反抗的になったんじゃなぁい? それに、よく喋る。まぁ、ライ様を前にしているからだろうけど……やっぱり、あの時、食べておけば良かったわ」
不自然な深い笑みを浮かべたメラニーの背後で、何かが蠢いている。
蜘蛛だ。小さな蜘蛛が、ワラワラと彼女の背中から這い出ている。
ロットも、いつの間に手にしていたのか狙撃銃を構えている。
とりあえず、俺を挟んだ状態で一触即発になるのは止めてくれ。
────コン、コン。
「ロット? 部屋に、いるのかい?」
ここで、予想外の救世主。
扉越しに聞こえたアザミの声に、両者は臨戦態勢を解いた。
(た、助かった……)
扉を開けに言ったロットの背中を見ながら、彼らに気付かれないように、小さく息を吐いた。
開けた扉の向こう側には、心配そうに見つめるアザミの姿。
だが、俺達の姿を捉えると、今度は嬉しさが泉のように沸き立ったような表情で彼を見つめた。
「おやおや、まぁまぁ!! ロット! アンタ、自分の部屋に招いてやるくらい2人と仲良くなったのかい?! いやぁ、こんな事は初めてだよぉ! 今日……は、もう遅いから、明日は、お祝いだねぇ!」
まるで自分のことのように喜びを表すアザミに、改めて、彼女のロットに対する愛を感じた。
前世では、家族に恵まれなかった彼。
そんな彼が、この世界では、こんなにも彼自身を想ってくれる存在を見つけた。
それだけで、胸が熱くなった。
言葉にしようのない感動で満たされた瞬間、俺の身体に小さく衝撃が走った。
腰辺りに回された小さな手。真下に見えるのは、フワフワと触り心地の良さそうな髪。
どうやら、ロットに抱きつかれたらしい。そんな彼を見て、アザミは更に顔を、ほころばせた。
「まぁまぁ! そんなにもライに懐いちゃって……まるで本当の兄弟みたいだねぇ」
周囲に花が咲いている幻覚まで見えるほどに上機嫌な彼女とは裏腹に、メラニーがロットに向ける視線は、絶対零度の如く冷たかった。
「……この、クソ餓鬼」
そんな言葉を捨て吐いたメラニーは、今にも、はち切れそうな青筋を立てていた。




