102.5話_閑話:その男、〝無限なる銃弾〟なり
それはライが魔王だった……所謂、〝前世〟まで遡るほど昔の話。
全てはメラニーが一人の青年を城へ連れ帰った事から始まった。
「ねぇ、魔王様。ワタシ、この人間を育てたいの。許可を頂けないかしらぁ?」
その日、人間を主食としている彼女が珍しく、生きている人間を持ち帰ってきた。
魔王と鬼蜘蛛に挟まれた青年は、いつ殺されるのかと、冷や汗を流してガタガタと身体を震わせていた。
「……何を企んでいる?」
「企むだなんて人聞きが悪いわ、魔王様。彼はね、御馳走なの。しかも、飛び切りの」
ライはメラニーの言葉が信じられなかった。
自分よりも遥かに多い、その目は、全て節穴なのかと問い詰めたいほどに。
彼が、そんな辛辣な感想を抱いた最大の原因は、青年の形姿だ。
明らかに清潔感の無い無造作な髪。頬は痩け、袖から見える腕は簡単に折れてしまいそうだ。
最早、着ている意味も無いほどに破れた服から見える皮膚は、少しでも爪を立てようものなら、簡単に剥ぎ取れそうなほどに張りが無い。しかも、その皮膚からは彼を支えている骨が、くっきりと浮かび上がっている。
一体、どこで、どのような生活を送っていたら、このような身体になってしまうのか。
見るからに哀れな青年の姿に、ライは机に置かれた、まだ手を付けていない朝食を青年の前に置いた。目の前の食事を、青年は死人のような虚ろな瞳で見つめている。
「食え」
魔王という立場を手放した今の彼からは考えられない、温かみを一切感じない突き放すような声。
しかし、青年は臆することも無く、ライを見つめた後、再度、食事へと視線を落とした。
一枚の大きな皿にはベーコンに目玉焼き、そしてサラダとパンが盛られていた。これが、ライにとって日常的な朝食メニューだった。
この朝食は運ばれて間もないため、まだ温かい。それに何より、この朝食が、どれほど美味であるかをライは知っている。
本来は、自分の胃の中へと収まるはずだったもの。彼の前に食事を差し出す時、名残惜しむように態と、ゆっくりと皿を置いたのは、ここだけの話。
軽く開かれた青年の唇は微かに唾液で潤み、腹の虫が宿主の代わりに空腹を主張した。
恐る恐るパンを手に取った彼は僅かに震わせた唇でパンを軽く挟み、並びの良い歯で噛み千切る。
大事そうに、ゆっくりとパンの味を噛み締めると、彼は新しい発見をした子どものように目を見開いたかと思うと貪るようにパンの塊を口へと突っ込んだ。
ベーコン、目玉焼き、サラダ……彼は次々に食事へと手を伸ばし、あっという間に皿を空にしてしまった。
「……美味かったか?」
ライが尋ねると、彼は迷いなく頷いた。
彼が、魔王城に来て、早くも数日が経った。その数日で、彼の名前と年齢だけは分かった。
彼の名は、ロット・ナイバァ。齢十八。
森で散歩をしていたメラニーによって偶然発見され、連れて来られた謎多き青年。
無数の傷は残るものの、ここ数日間で彼は見違えるほどに綺麗になった。
それも当然。魔王城の中にある大浴場で丹念に洗われたのだから。
しかしメラニーがお気に召すまでには、まだまだ至らない。〝御馳走〟と言ったからには彼女は、いつかは彼を食べてしまう。
彼も自分の運命を把握はしているが、今のところ逃げる素振りは無い。
部下の餌に情を湧かせるなど、言語道断。
そう、分かっていたのだが……
「……気になるか?」
興味深そうに廊下の壁に掛けられた魔力銃を見る彼に思わず声をかけてしまった。
今、思えば、これが彼の運命を変える分岐地点だったのかも知れない。
ライは魔力銃使いである部下に、彼への銃の指導を依頼した。魔力銃なのだから魔力の無い者には使えない。
それでも暇潰し程度にはなるだろう。最初は、そんな軽い気持ちでの提案だった。
その提案が後に、とんでもない化け物を生むことになるとも知らずに。
◇
ロットに銃を教えていた部下が報告に来た。部下からの報告にライは驚愕の表情を浮かばずにはいられなかった。
「それは事実か?」
「はい、間違いありません。あの人間は〝魔力貯蔵体質〟です」
最近、改良された魔力銃をロットに与えたところ難なく発砲させたのだと言う。
その銃は使用者の意思に関係なく魔力を吸収し、発砲させる物。元々は魔力の扱いを苦手とする者達の為に開発された物であったが、それが結果的にロットが魔力貯蔵体質であることを証明する切っ掛けとなったのだ。
魔力貯蔵。
簡単に説明すると内に秘める魔力に上限も限界も無いという事だ。
基本的に人が持つ魔力には上限があり、同時に使える魔力にも限界がある。だが、この性質を持った者には、それが無い。
ロットは魔力の無い者には使えない魔力銃をいとも簡単に発砲した上に、ここ数日で少なくとも8時間以上はこなしている部下からの指導に対し、体力の消耗も魔力の消耗も一切感じられなかったという。
「あらあら、もうバレちゃったのねぇ」
ライでも部下でもない声が魔王の間にて響いた。
長い足を忙しなく動かしながら彼女はライの前へと来た。
「その様子だと初めからロットが魔力貯蔵体質だと気付いていたな」
「えぇ、勿論。だから言ったでしょ? 彼は、御馳走だって」
フフフッと見た目とのギャップが激しい妖艶な笑みに、ただでさえ見た目が恐ろしい彼女が更に恐ろしく見えた。
彼女の笑い声が響く空間に、新たにギィッと扉が開く音が加えられる。
入り口へと皆が目を向けると、様子を伺うように、扉からロットが顔をのぞかせていた。
彼の顔は何の感情も映していないが、少なくとも今の話は聞いていたに違いない。それでもライは、あえて何も触れなかった。これで、ロットも何も触れなければ、この話は自然消滅する。
扉を閉めて一礼した彼は、出会った当初から想像もつかない兵隊のような機敏な速度で、ライの前まで来た。
「どうした?」
その問いかけに答えるように、彼は、その場で跪いた。
「僕は貴方が望んで下さるならば救ってもらったこの命を貴方の為に使いたい」
初めて聞いた彼の声は、痩せた身体に似合わない、低くて芯のある声だった。
彼の言葉に俺はメラニーを見た。「……と、彼は言っているが?」と問いかけるように。
彼女は数秒ほどの無言を貫いた後、大袈裟に息を吐いた。
「はぁ……興醒めね。いいわぁ、彼は魔王様にあげる。好きにして頂戴」
「〝御馳走〟は良いのか?」
「ここまで暑苦しい忠誠を言葉にされたら、食べる気も失せちゃうわよ。それにね、素直に食べられる餌より逃げて逃げて逃げ惑って絶望の中で喰われていく餌の方が美味しいのよぉ」
ケラケラと笑う彼女に、今度はライの口から溜め息が漏れた。
「悪趣味だな」
「あら、貴方には負けるわ」
そう言って、彼女は部屋を後にした。
状況を飲み込めていないのか、ロットはライとメラニーを交互に見ている。珍しく、動揺しているようだ。
「ロット・ナイバァ。今日から、お前には魔力銃部隊に所属してもらう」
有無を言わさない圧力をかけて放たれたライの言葉にロットは即座に頷く。
こうしてロットは魔王軍の魔力銃部隊へ加入することとなった。
後に彼は一寸の狂いも無い命中と長期戦でも衰えない火力から〝無限なる銃弾〟という異名で恐れられる事となる。
魔王が命を落とす、その日まで彼は主に後衛として戦いに身を投じたわけだが……詳細は、また別の機会に話すとしよう。
[新たな登場人物]
◎ロット・ナイバァ
・赤茶けた猫っ毛の髪。瞳は、光の加減によっては金色に輝くアンバー(琥珀色)。
・滅多に口を開かないが、話せないわけでは無い。
・〝魔力貯蔵体質〟で、内に秘める魔力に上限も限界も無い。
・相当の魔力を保持しているにも関わらず、魔法は使えないという矛盾。しかも、魔力感知能力に、それなりに長けている者でなければ、彼の無限な魔力を感知する事は出来ない。
・前世では青年の姿だったが、今は、マヤやマナと同い年くらいの幼い少年。
・果たして、彼に『前世の記憶』はあるのか……?




