98話_小さな同盟
「そ、れは……どういう意味だ?」
それが、アンドレアスから、ようやく吐き出された言葉。
爽やかな青空と視界を癒す自然な緑が、高いコントラスト上で輝く窓越しの風景とは似ても似つかない空気が、室内では流れ始めていた。
「どういうって……そのままの意味だよ。王様との正式な同盟を望むアンタには申し訳ないが、アタシは正直、王様よりもアンタに預けられる信頼の方が多くてねぇ。あぁ、勘違いしないでおくれよ。アンタの父親が悪いってわけじゃない。要は……〝好み〟の問題さ」
「好み……?」
アンドレアスが首を傾げると、アザミはニッと牙を見せて笑った。
「簡単に言うと……アンタの顔の方が、アタシの好みだったって事さ!」
不幸にも、丁度、水を飲んでいたドモンが大きく咳き込んだ。
こうして、1枚の書類も無い口約束の……だが、絶対的な信頼の下で、小さい規模ながらも屈強な同盟が結ばれた。
その結果、アンドレアスはアザミの同伴時に限り、竜の腰掛けの管理権を手に入れた。
一方、アザミは……
「いくら同盟とはいえ、アンタ達のような子ども相手に、大人が頭を抱えるような酷な注文はしないさ。アタシがアンタ達に望むこと2つ。1つは、ソウリュウ族の現状を詳しく教えておくれ。それから、もう1つは……あー、まぁ、これは、あくまで要望であって、強制じゃないんだが……」
珍しく言葉を濁した彼女は、徐ろにロットの肩に手を置いた。
「良かったら、この子の友達になってくれないかい?」
〝この子〟とは、言わずもがな、ロットの事だろう。
「本当は、こういうのを頼むこと自体、間違っているんだろうけど……この村には、この子と同年代の子どもがいなくてね。口には出さないが、大人達に囲まれて窮屈な想いをさせちまってる筈だ。それに、この子はお世辞にも陽気な性格とは言えないほどにシャイな子だ。アタシ達の前でさえ、中々、口を開こうとしない程のね」
彼女が話している間も、ロットは顔を俯かせたまま、待 吐息すら漏らさないとばかりに口を閉ざしている。
「このままじゃ、色々と勿体ない気がしてねぇ。ま、要は、単なるアタシのお節介って奴さ。さっきも言ったが、この件に関しては強制はしない。人の付き合いには〝相性〟ってもんもあるからね」
アザミの言葉を聞いて、俺は視線だけをロットに向けた。
地につかない足をユラユラと揺らし、どこか居心地が悪そうに肩を窄めた。
彼の座る椅子には、彼の身体に対して中々に大きい狙撃銃が立て掛けられている。
この世界でも何度か銃を見る機会はあったが、それとは違った既視感に、思わず目を細めた。
そんな俺の目線に気付いたのか、アザミは俺を見て何か思い出したような声を漏らした。
「この子、こう見えて大人顔負けの狙撃手なんだよ。しかも、使うのは普通の狙撃銃じゃなくて……えーと、何て言ったかな? 確か……」
「……魔力補充式狙撃銃」
一般の人よりも遥かに多い記憶の引き出しから取り出した言葉を放つと、彼女は正解だとばかりに手を合わせた。
「そう、それだよ! なんだい、アンタ? もしかして、銃に詳しいのかい?」
「いえ、詳しいという程では……偶々、魔力銃に関して教えてもらった事があっただけで……」
嘘は言ってない、嘘は。
そう言い聞かせながら、それらしい言葉を繋ぎ合わせると、アザミはロットの肩を軽く叩いた。
「だってさ、ロット! 後で、お兄さんと銃の話でもしてみたらどうだい?」
この時、初めてロットの目が俺を捉えた。
幼い少年の目とは思えない凛々しい鷹のような目に、思わずフッと笑みを浮かべると、目を逸らされた。
「あ、それと……ライ。少しの間、鬼笛を貸してくれるかい?」
「……はい」
何故、このタイミングで鬼笛を?
そんな心の声が表情にも表れてしまっていたのだろう。
彼女が、少し困ったように笑った。
「安心しな。何も変なことはしないよ。ただ、アンタには今日、怖い思いをさせちまったからねぇ。これは、そのお詫び……ってだけの理由じゃないが、アンタとも1つ、結んでおこうと思ってね」
「え、それって……」
俺の口から結論が出る前に、彼女は胸元から鬼笛を取り出した。
俺が持っている鬼笛と全く同じ装飾。
ただ、彼女の笛は群青色ではなく、空を真っ赤に染める夕日の如き立派な茜色だった。
「この笛は昔、ある魔法使いが作ったらしいんだ。だから、普通な笛には無い面白い仕掛けが沢山あるんだよ。例えば……」
そこまでで言葉を切った彼女は、2つの笛が寄り添うようにカチッと接触させた。
すると、接触した部分から互いの笛の色が漏れ出した。
漏れ出た色は次第に小さな竜へと姿を変え、群青色の竜はアザミの笛に、茜色の竜は俺の笛に巻き付いた。
巻き付いた2匹の竜は溶けるように消え、一色だった笛に螺旋状に描かれた新たな色が追加された。
その光景に俺達は誰一人、声すら漏らすこと無く、見つめていた。
「元々、綺麗な笛だが……もっと綺麗になったろう?」
夜の海のような群青色一色だった鬼笛は、茜色と組み合わさったことで、夕暮れ時の海のような神秘的な色へと生まれ変わっていた。
言葉に表せない美しさに心を奪われていると、アザミが〝そうだ〟と何か思いついたような声を漏らした。
「ライ。折角だから1度、笛を鳴らしてみてくれないかい?」
「……はい?」
何が〝折角だから〟なのか分からない。
そもそも、この笛は、そんな軽い気持ちで鳴らして良い代物では無い筈だ。
「お母さん、それは流石に……」
「大丈夫だよ! 出来るだけ小さく、そして一瞬だけ鳴らしゃ問題無いさ。実はアタシ、この笛の音を1度も聞いた事が無くてねぇ。前から聞きたい聞きたいとは思っていたが、いざ試そうとなると上手く鳴らせなくて……な、頼むよ、ライ!」
リンの控えめな抵抗が彼女に通じるはずも無く、根拠の無い言葉で押し通されてしまった。
ここは吹くべき、なのか……?
リンの方を見たが、彼女は既に諦めた表情で頭を抱えていた。
彼女がこうなってしまっては、もう抗う術が無い。
結局、俺は、アザミの要望に応える事になった。
それにしても、(彼女達の耳に届く前提で)小さな音で且つ一瞬とは、中々に難しい注文をしたもんだ。
周囲の緊張が移ったかのように、笛を持つ手が僅かに震えた。
震える笛を軽く口に咥え、〝今から吹くぞ〟と目で合図を送った。
皆が頷いたのを確認すると、俺は、息を吹き込んだ。
目の前にある小さな紙切れが、微動だにしない息の量をイメージしながら。
……。
………………。
…………………………?
笛は、確かに吹いた。だが、肝心の音が全く聞こえない。
アンドレアスにローウェン、アランにヒューマにリュウに、ロットも訝しげな表情で俺を見ていた。
まさか、息の量が少な過ぎたのか? と、不安が過ったが、この時、俺は重要なことを思い出した。
それは、ヒメカからの依頼を受け、レイメイから鬼笛を受け取って帰って来た直後のリンの話だ。
──その笛は、鬼人族にしか聞こえない特殊な音が出るように細工が施されているんです。
鬼人族以外の者は、この笛の音は聞こえない。
つまり、ちゃんと、この笛を鳴らせたかどうかを、俺自身で確認することは出来ないという事だ。
(……アザミ達の反応を見て判断するしか無いな)
変な緊張感に支配されながらも、アザミ達の方へと視線を向けると……彼女達の反応は、俺達とは全く違ったものだった。
「なるほど。コイツは、身が引き締まるねぇ」
「あぁ、僕も思わず背筋を伸ばしちゃったよ」
「私も……まだ、ドキドキしてる」
一体、彼らの耳には、どんな音が届いたのだろう?
何も聞こえなかった俺からすれば、彼らの反応が心底、不思議でならない。
とりあえずは、笛の音はしっかりと鳴っていたと確認できたので良しとしよう。
あの程度の息量だし、何よりセイリュウ族の村とレイメイ達のいる場所は、かなり離れている。
いくら、音に細工がされているとはいえ、レイメイ達の耳にまで入るわけが、
「ライ殿」
無い……と、思っていた、んだが?
この場では、絶対に聞くことが出来ない筈の声が聞こえた瞬間、俺は石像と化したかのように硬直した。




