97話_家族
更に時間は流れ、話し声よりもカチャカチャと皿や食器が触れ合う音が目立ち始めた頃。
誰よりも速く、全ての食事を食べ終えたアザミが仕上げとばかりにゴクゴクとコップの水を飲み干した直後の事だった。
「……さっきは、済まなかったね」
一瞬、誰に向けられた言葉なのか分からなかった。
だが、後悔に染められた彼女の瞳に映る自分を見つけた瞬間、今の言葉は、俺に向けられたものなのだと分かった。
「トキワは……アタシが、この村の長になるずっと前、一緒に暮らしていた、謂わば、家族なのさ」
今度は、アザミの瞳に映る俺の顔が、後悔の色に染められた。
つまり彼女にとって俺は、〝家族が死んだ〟という残酷な事実を伝えた死神のようなものではないか。
「アザミ……」
ドモンが心配そうに、彼女を見つめる。
彼女もまた、ドモンを安心させるように微笑むが、その微笑みからは風化する事のない悲しみが滲み出ていた。
「さっきの詫び……と呼べるほどのものじゃないが、良かったらオバさんの話、聞いてくれないかい?」
彼女の問いかけに、首を横に振った者はいなかった。
それは、50年以上も前のこと。
アザミの住んでいたセイリュウ族の村は、謎の流行り病に襲われた。
侵された者は〝死〟の運命からは逃れられない、恐ろしい病だったらしい。
彼女の両親は、母親が彼女を身籠もったと分かったと同時にセイリュウ族の村を抜け、ソウリュウ族の村へと移住した。
そして母親は彼女を出産したが、その後すぐに亡くなった。
彼女の母親もまた、既に病に侵されていた身だったのだ。
もしかしたら彼女の母親は、自分の死期を悟っていたのかも知れない。
その数年後、母親の後を追うように、父親も天に召された。
そうして、一人ぼっちとなってしまった彼女を引き取ったのが当時のソウリュウ族の長、つまり、トキワの父親だった。
幸いにも、病に侵されていなかった彼女は、トキワを中心としたソウリュウ族の者達に愛され、すくすくと成長した。
「ま、結果……こんなガタイの良い身体になっちまったけどねぇ」
クツクツと笑うアザミに、俺達も少しだけ頬を緩ませた。
「大人も子どもも……みんな、本当に優しかった。ただ、トキワとだけは、いつも喧嘩ばかりしてたねぇ。アタシが素直じゃなかったってのもあるだろうが、それ以上にアイツは捻くれてた。蛇みたいな鋭い目つきで睨むばかりでニコリともしやしない。喧嘩は強いし、変に賢いから、周囲からはガキ大将みたいな扱いを受けていたよ」
当時を懐かしむように目を閉じた彼女が、一瞬だけ厳つい鬼ではなく、愛らしい少女に見えた……ような気がした。
「あの頃は楽しかった。でもね、時間ってのは永遠じゃない。どんなに楽しいと思っていても、いつかは終わりが来るのさ」
そんな不穏な気配を匂わせて彼女が語り始めたのは、物語の続きだった。
ソウリュウ族の村に来て、20年という長い月日が流れ……ソウリュウ族の長が亡くなった。
病気でも事故でも無い、老衰死だった。
食事の量が減り、歩く時間が減り……終いには、点滴による栄養摂取と寝たきりの生活を余儀なくされた。
日に日に弱っていく長を、みんな、ただ見つめることしか出来なかった。
初めは皆、心配して長の様子を見に来ていたが、最後には誰も来なくなった。
〝もう、これ以上、弱っていく長を見ていられない〟、そう言って彼らは見舞いの品だけを置いて、長とは顔を合わせずに去って行った。
母親は既に亡くなり、実の兄弟もいないトキワにとって彼は唯一、血の繋がりを持った存在だった。
しかし、その彼が、いつ死ぬかも分からない状況で、トキワは彼にほとんど付き添う事も無く、何故か村を頻繁に出ていた。
鋭い目つきは更に鋭さを増し、その目の下には痣のようなクマ。
明らかに村の外で何かをしている事は目に見えて分かったが、どんな理由があるにせよ、アザミは彼の行動が信じられなかった。
何故、こんな時に父親に寄り添ってやらないのか。そもそも、どこに行っているのか。
何度、尋ねてもはぐらかされ、付いて行こうと尾行しても途中で気付かれて逃げられる。
そんな日々が続き、何も聞き出せないまま、とうとう長は亡くなった。
結局、彼の最期を看取ったのはアザミだけだった。
長が亡くなった日、トキワは彼の跡を継いで、ソウリュウ族の長となった。
長の死を悼んでいた涙を目に溜めたまま、皆が彼を祝福したが、トキワが笑顔を見せることは無かった。
アザミもまた、彼とは違う理由で笑顔を見せる事が出来なかった。
トキワが長となった次の日、彼はアザミに、こう言い放った。
〝お前は、セイリュウ族の村へ帰れ〟と。
当然、彼女がその言葉に頷くはずも無く、どういう事かと彼に尋ねた。
そこで、漸く……彼女は、彼が父親に付き添わなかった理由を知る。
「彼はね、父親に頼まれてセイリュウ族の村へ通っていたらしいんだ。元々はアタシと両親が、あの村に来てからずっと、長がセイリュウ族の村の様子を頻繁に見に行っていたらしいんだが……立つことすら困難にな身体では、それは出来ないだろう。だからトキワに頼んで、自分の代わりに村の様子を見に行かせていたらしい」
「……何のために?」
食い気味で問いかけたリュウに、アザミは試すような表情で〝何のためだと思う?〟と、質問を質問で返した。
リュウは少しだけ考えるような仕草を見せた後、降参だとばかりに首を横に振った。
「セイリュウ族の村が、謎の病が流行ってたって話をしたろ? 長とトキワは、その謎の病の原因を調べに行ってくれていたのさ。だけど結局、原因は分からなかったようだ。何しろ、アタシの両親がソウリュウ族の村に来た辺りから既に病気の勢力は衰えていて、アタシが村に帰る頃には誰一人、その病に苦しめられている者はいなかったんだから」
「……それは不思議な話ですね。村の場所を変えたわけでは無いのですよね?」
「あぁ、村の場所は今も昔も変わらず、ここさ。過去に場所を移そうって話は出てたらしいけど……病にかかる者がいなくなっちまえば、わざわざ移す必要も無いからねぇ。ただ当時、村に住んでた人数は、かなり少なかった。両手でギリギリ数えられる程度しかいなかったよ。長とトキワは、本来なら共に過ごせる筈だった時間を犠牲にしてまで、セイリュウ族の未来のために尽力してくれた。アタシに村に帰れって言ったのも、もう村に戻っても大丈夫だから復興に力を尽くしてやれって意味だったのさ」
それで彼女は今、セイリュウ族の長に……
なんと言葉を添えれば良いのか分からずにいると、アザミは少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「まぁ、あれだ……アンタらにも家族がいるだろう? 人生って、いつどうなるか分からない奴だからさ、大事にしな。アタシにはもう両親も、長もトキワもいないが、大事にしたい家族は、今も、ちゃんといるからさ」
そう言って彼女が見つめた先にいたのは、リンとドモン、そしてロットだった。
彼女に視線を向けられたリンは、少し恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに頬を緩ませた。
ドモンも、少しだけ頬を赤く染めてニコニコと目を細めて笑っている。
ロットは……何かに耐えるように口を固く閉ざしている。
「さて、ご飯も食べ終わったし、オバさんの長話にも付き合ってもらった。……ここからは、少し大人の話をしようじゃないか」
「お、大人の話……ですか?」
唐突に、悪巧みを思い付いた悪ガキのようにニヤリと口角を上げたアザミが放った言葉に、次は何が始まるのかと俺達は互いに戸惑いの表情を浮かべた。
「なぁに、単純な話だよ。ここから先は、ただのオバさんとしてではなく……〝セイリュウ族の長〟として話をしようってだけさ」
「それは……我々の都合の良いように解釈しても?」
やけに遠回しな彼女の言葉に、ローウェンが真っ先に斬りかかった。
彼女が切り出した言葉の真意が俺には何となく分かったが、アンドレアスやリュウは頭上に浮かび上がった無数のハテナが円舞曲を踊り出す始末。
彼女には申し訳ないが、彼らにも分かるように話してもらわなければ、恐らく話は先に進めない。
「あぁ、良いとも。ただし条件がある。……アタシは彼と盟約を結びたい」
彼女はそう言って、一般的な女性のひと回りもふた回りも太い彼女の人差し指で〝彼〟を指差した。
「わ、我か……?」
指を差された張本人は、耳元で銃声でも鳴らされたような表情で、彼女を見つめていた。




