92.5話_閑話:垣間見える不安
※今回は、ビィザァーナとビィザァーヌ(名前が酷似した双子)視点でお送りします。
お昼時を過ぎ、ほとんどの者が昼食を済ませた中、魔法学校の職員室では叩きつけるようにキーボードで文字を打ち込む音が響いていた。
少し前まで腹の虫が空腹を訴え、早く何か食べろと脳が指令を出していたのに、今となっては最早、諦めの域に達した両者は沈黙を保っている。
だから何か食べたいという衝動に駆られる事は無くなったものの、それでも彼女──ビィザァーナの顔から険しい表情は消えない。
普段の彼女からは考えられないほどに荒々しいオーラを垂れ流し、時折、チッと苛立つような舌打ちを鳴らした。
「至福のひと時である〝スイーツタイム〟を削ってまで働かないといけないなんて……アルステッド先生には、いつか店で1番高額なスイーツを奢らせてやる! 絶対、絶対よっ!!」
誰も居ないことを良い事に、彼女は不満を口から漏らしながら作業を行っていた。
実際、そうでもしないとやってられない。
同僚や上司、後輩までもが既に午前中の仕事を終えて昼食へと繰り出す中、自分は彼らを見送りながらパソコンに向かって本日の報告やアルステッドに託された仕事の山を片付けなければならない。
何故、こんな事に……それもこれも全て、アルステッドのせいだ。
しかも彼、今日は一日学校に来る予定は無いらしい。
つまり、ビィザァーナは今日一日中、自分の仕事と彼の仕事を同時に全てこなさなければならなかった。
「よし……とりあえずは、これで終わり、っと!」
勢いよくエンターキーを押した彼女は、脱力したように椅子の背もたれに寄りかかった。
チラリと時計を見れば、既に午後の2時を超えていた。
時間的にも微妙だし、何より今は外に出ることすら億劫だ。
「はぁ……」
仕事も魔法で一気に片付けられたら良いのにと、もう何度目になるかも分からない事を考える。
だが、アルステッドは〝自分達の身体で出来る範囲は魔法に頼らず、自分の力で〟という、魔法使いとは思えない持論を保持している。
そんな彼の持論は、この学校の校則は勿論のこと、自分達の仕事においても、その領域を満たしており、お蔭様で、魔法でなら一瞬で終わらせられる作業を前に、この有様だ。
もう三十回以降からは数えていない溜め息を吐きながら、彼女は現実から目を逸らすように机にうつ伏せた。
「あぁー、帰りたい」
「あら。それは、困るわ。折角、頑張ってるであろう、お姉様に差し入れを持ってきてあげたのに」
日常的に聞き慣れた声に思わず顔を上げると、大きな紙袋を持ったビィザァーヌがフフッと控えめに笑いながら、彼女を見つめていた。
「すっかりお疲れモードね、ビィザァーナ。仕事がひと段落ついたなら、暫しの休息はいかが? 貴女が愛して愛して止まない〝一口食べれば中身飛び出す、チョコ塗れのシュークリーム〟を買ってきたんだけど……」
「ビィザァーヌ。貴女、最高! やっぱり持つべきものは、言葉にしなくても通じ合う可愛い可愛い妹よね!」
そう言って、ホラホラと紙袋を揺らすビィザァーヌの手から一瞬で紙袋を奪うと、袋の中にある大きなシュークリームを取り出して、パクリと一口。
「んんぅ〜〜!! 美味しいっ! やっぱり、労働の後のスイーツは格別ね。ビィザァーヌも、どう?」
もう一つのシュークリームを差し出したビィザァーナだったが、ビィザァーヌは受け取らず、緩く首を左右に振った。
「遠慮しておくわ。私、どちらかというとスイーツより、お酒派だから」
「あぁ、そうだったわね……大人しそうな顔して、アンタってば意外と強いのよねぇ」
飛び出るクリームを器用に舐め取りながら、ビィザァーナは一つのシュークリームを平らげた。
「でも、ヴォルフさんには負けるわ」
「……あの人を比較に出す時点で、常人の域を超えてるわ」
もう一つのシュークリームを貪りながら、ビィザァーナは呆れたように言葉を返す。
「ふぅ、ご馳走様。お蔭で、生き返ったわ」
「そう? それなら良かった」
五分も経たない内に、サッカーボール並みのシュークリームをビィザァーナは、二つも平らげてしまった。
いくらお腹が空いていたとはいえ、本来ならば即座に突っ込まれる事態なのだろうが……残念ながら、この場所には2人しかいない。
両者にとっては日常的な光景だったため、誰も違和感すら芽生えなかったのだ。
「今日は、もう授業は無かったんじゃないの? てっきり、もう家に帰ってるとばかり思ってたわ」
「えぇ、私もね。本当は、真っ直ぐ家に帰るつもりだったんだけど……少し気になる事があって、アルステッド理事長に仕事の報告も兼ねて伝えようと戻ってきたの」
ビィザァーヌの話を聞き流しそうになったが、アルステッドの名前が出て思わず、首を傾げた。
「え、アルステッド先生なら、今日は学校には来ないわよ。朝礼の時、言ったじゃない」
そう言うと、ビィザァーヌは驚いたように目を開いてパチパチと数回、瞬きをした。
「そうなの? それは初耳だわ。私、朝礼の時、まだ学校に居なかったから……」
彼女の言葉に、ビィザァーナは頭を抱えた。
「あぁ、そうだった。今、思い出したわ……例の鬼人の件の尻拭いでしょ? 貴女も大変ね」
「まぁ、間違ってはいないけど……あまり、そういうこと言わない方が良いわよ。いつ、どこで、誰が聞いてるか分からないんだから」
ビィザァーヌは、この魔法学校で最も優秀な生徒を扱う竜クラスの担任をしているだけあって、そこらの魔法使いよりも知識も能力も格段に上だ。
彼女の姉であるビィザァーナでさえ、魔法の事となれば彼女には敵わない。
そんな彼女だからこそ、噂を聞きつけた〝お偉いさん方〟に目を付けられ、所謂、汚れ仕事を任せられる事が多い。
それなりの仕事をさせたからには、それなりの報酬を寄越せば良いものを、彼女は、それらの仕事を報酬無しで行っている。
しかも用済みになった途端に邪険に扱われ、かと思えば、次に解決してほしい事が出来ればヘコヘコと頭を下げられる。
ここまであからさまだと怒りを通り越して逆に笑えてくると、心では笑いながらも表情には出さない。
正直、彼女自身、愚痴を言いたい気分になる事もあるが、姉……というより、他人の前では絶対に愚痴らない。
何に対しても愚痴を向ける相手は、酒と肴だと、彼女は昔から決めているのだ。
「ところで、さっき言ってた〝気になる事〟って何? 今回の件?」
「いいえ、それとは別の件よ。……ねぇ、ビィザァーナ。最近、カグヤ様に会った?」
突然の新たな人物の登場に、思わず訝しげな表情でビィザァーヌを見つめたが、彼女の真剣な表情を見て、ビィザァーナも真面目に最近の記憶を掘り起こした。
「最近……そういえば、会ってないわね。最後に会ったのは、可愛い占い師二人組に王都の襲撃を予知されて、それを報告した時かしら? でも、どうして、そんな事を……もしかして、気になる事ってカグヤ様の事?」
流れで察したビィザァーナが問いかけると、ビィザァーヌは即座に頷いた。
「えぇ。正確には、カグヤ様じゃなくて、カグヤさんが王都に張っている結界の事だけど」
「え、結界?」
意外だとばかりに、ビィザァーナは首を傾げた。
「……最近、王都を覆っている結界の様子がおかしいの」
「おかしい? そう、かしら……? 私は特に、結界に違和感を抱いた事は無いけど……」
ビィザァーヌの言葉を少しでも受け入れようと、再び記憶を掘り返すが、めぼしい記憶は出てこない。
「時々しか起こらない変化な上に、一瞬だから気付いてない人がほとんどかも。私も、異変に気付いたのは、最近だし……」
「えー、っと……貴女を疑うわけじゃ無いんだけど……話の内容が、いまいちピンと来ないの。結界の様子がおかしいって具体的に、どういう風に、おかしいの?」
これでも、ビィザァーナなりに精一杯、優秀な妹に付いて行こうと必死だった。
しかし、ビィザァーヌは、どこか躊躇しているかのように、中々、口を開こうとしない。
そんな彼女を急かすような事はせず、ビィザァーナは唯、彼女が口を開くまで、彼女を見つめていた。
ビィザァーナが彼女を見つめて数十秒ほど経過した時、ようやく決意が固まったのか、意を決した表情で、ビィザァーヌは口を開いた。
「……時々、ほんの一瞬だけ、結界が消えるの」
ビィザァーナは、妹が言っている言葉の意味が分からなかった。
王都を覆うカグヤの結界は、腕の立つ魔法使いが100人ほど束になっても支えきれないほどの強大な力を、たった1人で支えている……この世に類を見ない結界魔法の慈愛を一身に受けた唯一の方なのだ。
そんな彼女が作った結界が消えるなど、今まで聞いた事も無いし、考えすら浮かばない。
「……何かの間違い、では無いのよね?」
念のために再度確認したが、ビィザァーヌの答えは変わらなかった。
「もしかしたら、カグヤ様の身に何かがあった……もしくは、これから何かあるのかも知れない。そんな気がするの」
不安そうに眉をひそめるビィザァーヌにかけられる言葉も無く、口を閉ざしたビィザァーナがふと思い出したのは、今朝のアルステッドの様子だ。
そもそも、彼が自分に仕事を押し付ける事自体、今まで無かった。
仕事を押し付けられた当時は、仕事が圧倒的に増えた事への落胆と、容赦なく託して自分はさっさと何処かへ行ってしまったアルステッドへの怒りで違和感すら抱かなかった。
だが、冷静になって思い返してみれば、あの時のアルステッドは、やけに慌てていたような気が……いや、〝余裕が無かった〟と言った方が正しいかも知れない。
何か、彼が予想だにしていなかった事が起こったかのような、そんな表情にも見えた気がする。
彼が、ビィザァーナに自分の仕事を託してまで優先したかった事……そこまで考えた瞬間、ある結論に至ったビィザァーナはパソコンを閉じ、椅子にかけてあった上着を取ると、慌てて立ち上がった。
「ひっ?! び、ビックリした……突然、立ち上がったりして、どうしたの……?」
目を丸くしたビィザァーヌが彼女に問いかけるが、彼女は何も答えず、ビィザァーヌの腕を掴み、駆け足で職員室の出入り口へと向かった。
「は、え? ちょ、ちょっと、何?!」
そう問いかける間も、ビィザァーナの足は止まらない。
職員室を出て、長い廊下を足早に進んでいく。
ビィザァーヌは、転ばないように彼女の速度について行くのが、やっとだ。
「ちょっと、ビィザァーナ! どこに行こうとしてるの?! せめて行く場所くらい教えなさい!」
「どこって……そんなの決まってるじゃない」
ようやく口を開いた彼女には、もう進む先しか見えていなかった。
「カグヤ様がいる所よ。きっと、そこにアルステッド先生もいる……っ!」
この時、ビィザァーナは自分でも驚くほどに、妙に確信めいたものを感じていた。




