89話_縄張り花〈テリトリーフラワー〉
※8/9:今後の展開の都合により、本編の後半部分を大きく変更しました。
少なくとも、5メートル以上はある背丈。
薔薇の茎に生えた棘よりも、見るからに鋭利な葉。
戦闘本能をくすぐるような真っ赤な色に染められた、自分の背丈ほどの大きな花弁。
そして何より、全ての獲物を一気に丸飲みしてしまいそうな程に大きな口。
おまけに、その口から肉食獣の如く鋭い牙が見え隠れしている上に、垂れた唾液が真下にあった岩に落ちると、ジュッと何かが反応したような音を立ててジワジワと溶け始めた。
どれだけ植物らしい要素を残したところで、アレを花として愛でる気にはなれない。
寧ろ、愛でようと近付けば、あの大きな口で丸飲みされ、栄養分にされてしまうに違いない。
「……っ、不可侵領域!!」
リュウの詠唱と共に、俺達を取り囲むようにドーム状の結界が出現した。
先ほどから何が起こっているのか現場把握すら儘ならない状態に困惑する俺達に追い打ちをかけるような衝撃音と結界領域の揺れに、成す術も無く倒れた。
「ぐ、ぅ……っ!」
ただ1人だけ、リュウだけは、よろめいた身体を何とか踏ん張りで持ち堪え、結界を張り続けていた。
しかし、揺れや衝撃音は止むどころか、寧ろ、次第に大きく凄まじいものへと変化していく。
このままでは、この結界が壊れるのも時間の問題かも知れない。
──ガンッ! ガンッ! ガギギギギッ!!
ここまで不利な状況に追い込んでおきながら、未だに結界を揺らしている張本人……いや、張本花は、結界を壊すことだけを命令されたロボットのように攻撃を繰り出し続けていた。
刺々しい葉を鞭のようにしならせ、力一杯、結界に叩きつけている。
やけに刺々しいというだけで、それ以外は、先ほどまで長閑な風景を作り上げていた花々に付いている葉とほとんど変わりはない普通の葉のように見えるが、少なくとも結界の中にいる者にまで衝撃を伝えるだけの強度を持っているらしい。
「ち、ちょ、ちょっと! 何よ、これ?! こんな化物みたいな花、私が村にいた頃は無かったのにぃ!!」
リンは華奢な身体で蹲り、頭を両手で覆いながら叫ぶ。
先ほどから様子が変だとは思っていたが、彼女の言葉で確信した。
あの花畑といい、この花の怪物といい、元々、この場には存在していなかったものなのだ、と。
「リンさん、他に村に続く道は?!」
「あるにはあります、けど……! この調子だと、他の道にも、こんな化物がいるかも……それに、もう、村は目前なんです! あの化物が遮っている道さえ通れれば、すぐに着くんです……っ!」
遠回りしたとしても、また、こんな化物に出会してしまうかも知れない。そうなると、依頼を達成出来ないままタイムリミットを迎えかねない。
(何にせよ……このまま防御に徹していたら、キリが無いな)
恐らく、相手は俺達を1人残さず排除するまでは攻撃態勢を解くことは無いだろう。
ならば、どうする?
……なんて、わざわざ疑問を提示せずとも、既に答えは決まっている。
(あの化物が、俺達に攻撃出来ない状態にしてしまえば良い……っ!)
やるべき事が決まった俺は、スイッチが入ったように立ち上がり、走り出した。
「リュウ! 少しでも隙を見つけたら、全員を連れて結界ごと走れ!」
「は? え、いきなり何を……って、おい!!」
リュウの声に振り返ることも無く、俺は結界領域を抜け出した。
結界の外に出た瞬間、待ってましたとばかりに結界を叩きつけていた葉が、俺目掛けて振り下ろされた。
「っ、ライ!!」
悲痛な声で俺の名を呼ぶアランの声に、心配するなという意を込めて右手を高く上げた。
「防御型装甲」
レオンの前では何の効果も示せなかった防御型装甲を再び発動した。
高く上げた無防備な右手が籠手に覆われると、振り下ろされた巨大な葉を難なく受け止めた。
────ガァィィィィイン!!
植物の葉から奏でられたとは到底思えない金属音に酷似した音が響き渡った。
だが、音の割には、あの時のように弾き飛ばされる事も無ければ、身体にかかる負担も無い。
これが防御型装甲が本来持っている力、〝衝撃吸収〟だ。
とりあえず、自分の魔法に何か異常があったわけでは無かった事が証明されたが、それは同時に、この力を無効にしてしまうほどの力(物理)を持つレオンの異常さも証明されてしまった事になる。
……改めて、彼が今後、敵として自分の前に立ちはだかる事が無いことを願う。
よし、とりあえず最後の仕上げだ。
「土竜の束縛」
詠唱に応えるように、花の周囲の土が一斉に盛り上がり、十数本の柱状となって、囚人を拘禁する牢屋のように取り囲んだ。
なんとなく頼りないが、水分をあまり含まない土では、このような形の拘束が限界のようだ。心なしか柱自体、脆い印象がある。
結界越しでも、あれだけの衝撃が来るのだ。もしかしたら、一撃でも喰らえば跡形もなく崩れ落ちてしまうかも知れない。
だが、それは特段、困ったことでは無い。
今、俺が為すべきことは、あの化物を倒すことでは無い。
要は、リュウ達が、あの花の先にある道まで辿り着ければ良いのだ。
幸いにも、あの花は土で出来た牢獄の中で何か策を練ろうとしているのか、今のところ何か攻撃を仕掛けてくる様子は無い。
……行くなら、今しかない。
いざとなったら、俺が身を挺してでも彼らを守れば良い。
「今だ! 全員、全速力で走れっ!!」
俺の言葉に、結界の中にいた全員が戸惑うこと無く、一斉に走り出した。
全員が即座に反応したという事は、リュウが前もって彼らに伝えてくれていたのだろう。
「この戦場独特の緊迫した空気……そして何より、この先、何が起こるか分からない緊張感……っ! これは良い鍛錬になりそうだな、ローウェン!!」
「馬鹿なこと言ってないで、速く走りなさい!」
……若干一名、場違いな気持ちを抱いて走っている者もいるようだが……うん、まぁ、目的さえ達成してもらえれば、それで良い。
────グギャァァァァァア!!!
最早、花ではあり得ない雄叫びを上げた化物……いや、確か、リュウは〝縄張り花〟と呼んでいたか。
縄張り花は、雄叫びを上げた後、自暴自棄にでもなったかのように葉を伸縮させ、振り回した。
その唸りは、生きた蛇そのものだ。
土で出来た牢獄の柱は、案の定、いとも簡単に崩れ落ちた。
せめて一撃くらいは持ち堪えて欲しかったが、やはり無理だったか……
それでも、全員が完全に縄張り花の死角を潜り抜け、村へと続く道へと足を踏み入れることが出来た。
とりあえず、目的は達成された。
後ろを振り返ると、土で出来た柱を一気に何本も崩したせいか、縄張り花は完全に砂埃に包まれていた。
あの状態では、ろくに周囲が見えない筈だ。
「……今のうちに行きましょう」
ローウェンの言葉に各々が頷くと、村目指して一直線に駆け出そうとした……のだが、足に何かが這いずり回るような感覚に、ゾワリと悪寒が走り、ゆっくりと足元へ視線を落とした。
「……え?」
いつの間にか、両足に植物の蔓のような物が巻き付いていた。
まさか……と、足に巻き付く蔓を急いで解こうとした時には既に遅く、俺の身体は宙に浮いた。
「なっ?! ライ殿!!」
上へ上へと上昇していく俺に最初に気付いたアンドレアスが切羽詰まった声で俺の名を叫んだ。
そんな彼の声で、皆が空を見上げ、宙吊りになったまま上昇していく俺を唖然とした表情で見つめていた。
油断した。
あれだけの砂埃なら見えないだろうと思えば、まさか聴覚だけで俺達の居場所を探り出すとは……なんて、感心している場合では無い。
結局、宙吊りのまま持ち上げられた俺は、縄張り花すら見下ろせるほどの高さにいた。
ゆっくりと重そうな花頭を上げると、縄張り花は、グパッと大きな口を開けた。
これは、アレだ。
所謂、〝お食事タイム〟という奴だ。
構図的にも完全に、〝縄張り花に俺が食べられる直前〟だ。
このままでは、幼馴染や友人や女性を前に、血生臭い映像をお届けする羽目になる。
……冗談じゃないっ!!
「全てを焼き尽くせ、獄炎乱舞!!」
縄張り花がいる位置を中心に炎のように真っ赤な光を発した、大きな魔法陣が地面に浮かび上がると、空へと駆け昇る竜の如き火柱が、縄張り花を包み込んだ。
どんなに身体が大きかろうが、所詮は植物だ。昔から、植物系のモンスターは炎に弱いと相場が決まっている。
初めからこうしておけば良かったのだと既に勝利を確信していた俺は、苦手な炎に包まれているにも関わらず、縄張り花が叫び声1つ上げていない事に違和感すら抱かなかった。
そして、ようやく俺が異変に気付いたのは、人を小馬鹿にしたようにケラケラと笑う縄張り花の姿を見た時だった。
魔法を解除すると、そこには俺が今まで見ていた縄張り花の姿は無かった。
花弁は獅子の鬣の如く毛羽立ち、緑一色だった茎や葉にはメラメラと炎を纏っている。
予想外の事態に、何が起こっているのか全く把握出来ない。
「ライ!」
混乱で呆然とする俺を我に返らせたのは、リュウだった。
「そいつに炎は効かない!! 寧ろ、そいつは植物の中で唯一、炎を好む性質を持ってるんだ!」
「は……?」
炎を好む植物だと?
(……そんなのアリかよ)
リュウの言葉が本当ならば、俺はコイツを燃やし尽くすどころか、力を与えてしまったという事か?
確かに言われてみれば、先ほどまで見下ろしていた筈の花頭を、いつの間にか見上げている。
先ほどの魔法で、更に成長したというのか?!
……と、いうか。
「リュウ! お前、そういう事は先に言えっ!!」
「だ、だって、まさかライが、ここで炎系の魔法使うとは思わなかったし……」
そう言われてしまえば黙るしか無いが、だからって……なんて、リュウと言い合いをしている間に、俺の身体を影が覆った。
顔を上げると、目の前には洞窟の入り口のように大きく開けられた口。
そして、触れただけでも切れそうな鋭い歯。
(あ、喰われる)
先ほどまで勝利を確信していたはずが、今は、この植物に喰われる未来を確信してしまっていた。
本当に成す術は無いのかと頭を働かせるが、変に焦るばかりで何も思いつかない。
もう駄目だと、覚悟を決めて目を瞑った、その瞬間。
────ズドォォォオン!!
何かが破裂したような銃声音が、響き渡った。




