87話_暇つぶし
リンを待つ間、これといった会話も無い俺達の周囲には、どことなく気まずい雰囲気を漂わせていた。
口を開こうにも、場所が場所なために依頼に関する話は出来ない。
あのアランやリュウでさえ口を閉ざしているのだ。況してや、彼らよりも話し上手とは言えない俺が、何か適当な話題を振れるはずも無かった。
しかも、こんな時に限って、誰かを待つという時間は異様に長い。
もう俺には、息を吐くことすら躊躇してしまう、この空間が出来るだけ早く崩壊することを祈ることしか出来ない。
1人静かに祈っていると、ふと、不思議そうに俺を見つめているデルタと目が合った。
既に自分の持ち場へ戻ったのだとばかり思っていたが、彼女は、この場から立ち去る様子も無く、だからといって何か話すわけでも無く、唯々俺を見つめていた。
「……仕事に戻らなくていいのか、デルタ?」
彼女の真っ直ぐな視線に耐えきれず、とうとう自ら問いかけた。
「今、私に課せられている仕事は、貴方方を席まで誘導する事とリンさんが来るまでの間、貴方方の話し合いになる事ですので」
……話し相手?
はて、〝話し相手になる〟というのは、無言で誰かを見つめる行為のことを指す言葉だっただろうか?
言葉と行動が矛盾している彼女に違和感を覚えながらも、このまま、また無言になるよりはマシだと、俺は続けて彼女に問いかけた。
「そういえば……ハヤトさんは、ギルドの職員になったんだな」
あんな剣を授けたくらいだから、てっきりアランやヒューマと同様、勇者としてクエストをこなしているのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「彼には、まだ役目が無いので、今は、ここの職員として、この世界に少しずつ馴染んでもらっているんです」
「……役目?」
ハヤト・クレバヤシという人間は、この世界とは違う世界、所謂、〝異世界〟と呼ばれる場所から来たイレギュラーな存在。
更に付け加えるならば、前世という記憶と能力を持ったまま、この世界にいる俺やグレイも充分、イレギュラーな存在に含まれるだろう。
本来ならハヤトは、この世界に来ることは無かった。
しかし、彼は半ば強制的に、この世界に招かれた。
別の世界にいた彼を、態々、この世界に連れて来たという事は恐らく、それ相応の理由があるのだろう。
だが、この論法でいくと、俺が前世の記憶と能力を持ったまま、この世界に存在しているのもまた、何か、それ相応の理由が……?
(あるのか……? そんなものが……?)
今のところ、心当たりは無い。
それを言ったら、俺と同じ立場であるグレイやメラニーだって……そう考えると、余計に分からない。
何故、俺達には前世の記憶がある?
何故、俺には魔王だった時の力を持っている?
分からない。
分からないが、一度考えてしまうと、答えが見つからないと分かっていても、考える事をを止められない。
俺は、俺達は、一体……?
「……ィさん……ライさん!」
突如、響いたデルタの声に思考の海へと沈んでいた意識が一気に浮上した。
目の前では、デルタの小さな手が、海の中で揺らめく海藻のようにユラユラと揺れている。
「なんだかボーッとしていたようでしたが……大丈夫ですか?」
心配そうに見つめる彼女に、慌てて頷いた。
ただの考え事が、思った以上に迷宮化してしまって意識丸ごと彷徨い続けていました、なんて言えない。
「私の声が聞こえなくなるほどに何を考えていたかは知りませんが……その様子だと、私が最後にした質問も聞こえていませんね」
質問も何も、彼女の声どころか、今となっては意識していなくても入ってくる周囲の声ですら遮断していた俺にとっては、それ以前の問題だった。
少しだけ不服そうに口をへの字にしたデルタが、俺を睨んでいる。
正直、怖くも何とも無いが、これ以上、彼女の機嫌を損ねるのは、俺としても好ましい展開では無い。
彼女に謝罪をしようと口を開いた時、明らかに俺のものでもデルタのものでも無い声が、これまでの流れを切り裂くような勢いで駆け抜けた。
「〝ライさんは、いつから王子の護衛になったのですか?〟……確か、そう問いかけていたな」
俺達の会話に入ってきたのは、意外にもアンドレアスだった。
まさか、一国の王子が自分達の会話に介入してくるとは思いもしなかったのだろう。
一瞬で緊張に支配されたデルタは身体を強張らせた。
そんな彼女を見たアンドレアスは、どこか困ったように笑うとソファから立ち上がり、デルタに視線を合わせるように片膝立ちになった。
「デルタ殿といったな。そう身構える必要は無い。王子とはいえ、我も貴殿等と同じ物を食べ、同じ時を過ごす普通の人間だ」
……そういう問題では無い気もするが……いや、それよりも彼の〝王族としての自覚〟の方が問題のようにも思える。
心なしか、ローウェンの溜め息が聞こえたような気がした。
「それとも……王族の人間が、怖いか?」
表情は硬いものの、その問いかけにデルタは首を左右に振って答えを示した。
「そうか……ならば、良かった」
その反応を見た彼は、安心したように息を吐いた。
「あぁ、それから……突然、話に割り込んでしまって申し訳なかった。2人の仲睦まじい姿を見ていたら、なんだか羨ましくなって、つい口を挟んでしまった」
先ほどまでの俺達の会話を、どのように聞いたら〝仲睦まじい〟という感想が生まれるのだろう?
この王子の目には、どんなに荒んだ世界でも理想郷に映る呪いでもかけられているのだろうか?
最早、ここまでくると、そこらの床に転げ回りながら腹抱えて爆笑してやりたい。
……勿論、そんな事をすれば未来の自分が、死にたくなるほど後悔することになるため、絶対にしないが……
「コホン……それで実際のところ、どうなんです?」
デルタの言葉の意味が分からず、何の事だと首を傾げると、彼女は呆れたように肩を竦めた。
「……先ほど、アンドレアス王子が復唱して下さった質問のことですよ」
その一言で、少し前にアンドレアスが放った言葉、正しくは、復唱したという質問の内容を思い出した。
──ライさんは、いつから王子の護衛になったのですか?
そんな事を聞かれても、そもそも俺はアンドレアスの護衛になったつもりは無いし、今回の依頼の内容とも、これっぽっちも被っていない。
大方、俺のような一般人が王子と一緒にいるから、護衛役が何かに任命されたのだと……いや、その理由も無理がある。
アンドレアスの周りには、レオンのような聖騎士がいる。
彼のような者がアンドレアスの護衛として同伴させれば済む話だ。
彼女は、何を思って、このような質問を……?
「護衛……護衛か……うむ! 我ながら、良い考えだ!」
何故か、アンドレアスが嬉々とした表情で大きな独り言を零しているが……嫌な予感しかしない。
「お待たせして、申し訳ありません! 用事が終わりましたので早速……って、どういう状況?」
少女(自分と同じギルド職員)の前で片膝立ちをした男(王子)が、何やら感心したように頷きながら何かに酔いしれる光景を前に、彼女は思わず素で本音を漏らした。
俺を含めたアンドレアス以外の男衆は彼が王子であると承知の上で、せめて彼と同類だと思われないように誰一人として彼を見ようとしなかった。




