85話_意外な糸口
俺はリュウの問いかけに何も答えず、稼働している体内の全機能の電源を落とすかのように、ゆっくりと目を閉じた。
この後の展開に備えるための、一瞬の休息だ。
恐らく、脳内で疑問符が荒ぶっているであろうリュウが戸惑ったように俺の名を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、それを掻き消すほどの大声でアンドレアスがリュウの名を呼んだ。
「も、もしや、リュウ殿……貴殿は、鬼人と親しい間柄にあるのか?」
感情を抑え込むように声を震わせたアンドレアスが、リュウに問いかけた。
「え、あー……親しい、とオレは思ってますけど、相手はどうか……で、でも、彼らと接点があるのは事実ですよ?!」
誰かが勢いよく立ち上がる音が聞こえた。
ツカツカと余裕のない足音が近づいてくると、何となく嫌な予感がした俺は、両手の人差し指を耳の穴に突っ込んだ。
「リュウ殿ぉぉぉぉおお!!! 我は……我は、今、神という存在を改めて認識した! 貴殿が、この世に生まれ落ちたという奇跡、そして貴殿が今日まで、事故や事件に巻き込まれること無く生きているという奇跡!! 貴殿に纏う全ての奇跡に感謝しよう!!」
両耳を塞いでいるというのに、彼が何を言ったのか、はっきりと聞き取れた。
どれほど大きな声量で話していたかなんて想像もしたくない。
耳を塞いでコレなのだ、何の遮りもなく彼の声を拾ってしまった彼等の耳は今頃、想像もつかないダメージに痛み、苦しんでいるに違いない。
指を離し、目を開けると隣とヒューマが両耳を塞いだまま机に突っ伏していた。
どうやら、あの王子の声量は想像を超える威力を持っていたようだ。
(……耳を塞いでなかったら、死んでたな)
突っ伏しているヒューマに、心の中で合掌した。
彼の声の被害に遭わなかったのは、リュウとアランとローウェ……
いつの間に仕込んでいたのか、ローウェンの手には耳栓が握られていた。
流石は、この城に仕える執事。
この程度の展開は、初めから想定内だったという事か。
ちなみに、アンドレアスに両手をガッチリと握られ、突然、崇拝する信者のような言葉を向けられたリュウは、戸惑いながらも笑みだけは何とか浮かべていた。
アランとヒューマが彼らに視線を向ける中、ローウェンだけは俺を見つめていた。
「リュウ様は先ほど、貴方に同意を求めているようでしたが……貴方も、鬼人と何か繋がりが?」
ローウェンの問いかけに、皆の視線が俺へと集中した。
「……繋がりと言っても、ギルドのクエストを通じて知り合った程度の仲です。アンドレアス王子やローウェンさんの力になれるかと問われると……正直、はっきりと断定は出来ません」
「なんだよ、それ……」
弱々しくも異議を申し立てるように、俺の言葉に食いついたのはリュウだった。
その瞳からは、分かり易いほどに失望感に溢れている。
「確かに、初めは依頼だけで繋がってた関係だったかも知れない。でも、最後は違っただろ?! 依頼だけの繋がりで、村に遊びに行く〝約束〟なんてするかよ。それとも、何だ? お前にとっては、そんな機械的な繋がりしか持てない相手だったのかよ。レイメイさんがお前に託した物も、クエストの契約上で渡された単なる御礼にしか見えなかったのかよ?!」
ギリッと歯軋りをしたリュウは、乱暴に椅子から立ち上がると俺の元まで来て、突然、胸倉を掴んだ。
俺の胸倉を掴むリュウの手は、純粋な怒りで震えていた。
いつもの俺なら反論の1つや2つはしていただろう。
しかし、今は下手に反論出来ない。反論してしまえば面倒な口論に発展し、互いにヒートアップした末に、余計な事まで口走る羽目になりかねない。
何より、ヒメカ達の協力を得るという事は、場合によっては彼ら自身に村を襲われた時のことを思い出し、話してもらわなければならない事だって、あるかも知れない。
この馬鹿は、その可能性にすら気付いていないが、だからといって指摘する気も無い。
つまり俺には、無言という選択肢しか無い。
せめて、リュウの感情に同調しないように無心で見つめながら口を閉ざし続けるしか、無い。
アランとヒューマが気まずい視線を俺達に向けているのが分かる。
アンドレアスは、俺達を暫し見つめ、小さく息を吐くと何事も無かったかのように席へと戻った。
「他の策を考えよう、ローウェン」
「……よろしいのですか?」
「あぁ」
俺達の間に割って入るわけでも、話に介入するわけでも無い。
アンドレアスは性格上、リュウを止めに入るかと思ったが、こういう場面での彼は意外と冷静なようだ。
〝触らぬ神に祟りなし〟というか……変に相手を刺激しないように気を遣っているというか……まるで、今まで、そうやって争い事を避けてきたかのような判断の速さだ。
彼の判断を意外だと思ったのは俺だけでは無かったようで、胸倉を掴んでいたリュウも思わず手の力を緩めてしまうほどに動揺していた。
「え、でも……さっき時間が無いって……」
「確かに、時間は惜しい。だが、それが結果的に貴殿等の絆に綻びを生じさせてしまう事になるならば、例え、それが最も効率の良い策だったとしても我は別の策を考える。目的を達成させる為には、皆の力が必要不可欠なのだ。だから協力すべき仲間と衝突沙汰になるなど、あってはならない!」
俺はアンドレアスという人間を、少し誤解していたようだ。
てっきり彼は、妄言に浸るだけ浸って麻痺した目出度い奴かと思っていたが……それだけに飽き足らず、致命的に人が良すぎる救いようの無い大馬鹿野郎だった。
こんなにも、王族として相応しくない人間に会ったのは初めてだ。
だが……
(不思議と、そこらの王族や貴族より好感が持ててしまうんだよな……)
恐らく、前世の彼も同じ性格の持ち主だったのだろう。
そうでなければ、王子自らが敵の本拠地に乗り込むなど、あり得ない。
王子の対応に完全に毒気が抜かれたのか、リュウは手を離し、何とも言えない表情で席についた。
「さぁ、仕切り直しだ! 元々、そう簡単に達成出来るものとは思っていなかったのでな。これくらい、予想の範囲内だ」
ニッと歯を見せて笑った王子に釣られ、自然と場の空気に初期の穏やかさが戻ってくるのが伝わった。
アンドレアスの宣言通り、仕切り直しとなったわけだが……案の定、話が進まない。
各々が声を唸らせながら、思考を巡らせてはいるものの、これといった案は、まだ出ていない。
時間が経つにつれて、アンドレアスの表情に僅かながら焦りが見え始めている。
せめて、他に一族の鬼人の知り合いがいれば……ソウリュウ族以外の……鬼人の……
(……ん? ソウリュウ族以外の鬼人?)
この時、目に見えない何かが舞い降りたかのようにピンと閃いた。
会っていたじゃないか、ヒメカやレイメイ達以外の鬼人に。
クエストで様々な場所へと赴く際に、毎回、転送装置の機動スイッチから俺達を見送っている職員。
ソウメイから貰った〝鬼笛〟について、教えてくれた、あの職員だ。
──実は私、鬼人なんですよ。
あの時、彼女はそう言って、帽子に隠れたツノを見せてくれた。
彼女も、紛うことなき鬼人だ。しかもギルドの職員でもある彼女なら、色々と知っているかも知れない。
「あの……」
小さく挙手をすると、全員が一斉に俺を見た。
「確か、ギルドの職員に鬼人がいますよね。彼女なら、俺達の力になってくれるかも……知れません」
改めて思えば、彼女とは親しいと呼べるかも微妙な関係ではあったが、僅かな希望を賭けて提案した。




