83.5話_閑話:聖騎士と魔法使い
※今回は、ビィザァーナとレオン視点です。
応接の間を出たビィザァーナが奏でる足音は、決して軽快なものでは無かった。
自分の存在を知らしめるようにカツンと靴音を響かせ、真っ白な大理石で作られた階段を降りると、彼女の嫌いな薔薇の香りが鼻を刺激し、思わず眉を顰めた。
この城を出るためには、この薔薇の香りに満たされた空間を抜けなければならない。
細く高いヒールの靴を履いているにも関わらず、彼女は器用に走り抜けた。
玄関へと辿り着いた時、視界に入ってきた人物に、彼女は思わず声を漏らした。
「あら、レオン先輩じゃない。久しぶりね。王都が襲撃された日以来かしら?」
偶然にも、玄関で居合わせたのは城内を巡回中のレオンだった。
「……もう俺は、君の先輩ではないと何度も言っているだろ」
何度見ても昔と変わらない彼に、ビィザァーナはクスリと笑った。
「ええ、何度も聞いたわ。でも、私も何度も言っている筈よ。〝何年経とうが、立場が変わろうが、私にとって貴方は唯一、頼りにしている先輩だ〟って」
ウインクを決めたビィザァーナに、レオンは小さく息を漏らした。
今となっては聖騎士の称号を手にし、騎士団長にまで登りつめたレオンだが、かつては魔法学校に所属していた。
魔法学校でも優秀な生徒だった彼は将来、歴史に名を残すような大魔法使いになるだろうと誰もが期待していた。
だが……そんな周囲の期待を砕き、レオンを絶望の淵に追いやる出来事が起こった。
〝魔力の消滅〟だ。
極稀に、魔力を保持していた者の魔力が突然、跡形も無く消滅するという不可解な現象が起こる。
原因は、未だに分かっていない。
どのような条件で、そのような現象が起こるのかすらも。
何の前触れも無く魔力を失い、魔法を使えなくなったレオンは、今の彼の姿からは想像もつかない程に、絶望に打ちひしがれていた。
そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、アルステッドとヴォルフだった。
この2人がいなかったら、彼が聖騎士になる事は無かっただろう。
ビィザァーナは、その過程を全て見てきた。彼にあからさまな期待を寄せていた周囲が彼と距離を置く中、彼女と彼女の妹であるビィザァーヌだけは変わらずに接してきた。
寧ろ、元々彼に嫉妬の感情を向けていた連中が嫌がらせをしてくる度に、彼に代わって撃退していた。
それ程までに彼女達は彼を慕い、彼もまた彼女達を大事な存在として認識していた。
「……ライ・サナタスに会った」
「え、そうなの?! もうライ君たら、一言でも話してくれたら良かったのに……」
不満そうに頬を膨らませるビィザァーナに、レオンは肩を竦めた。
「……用事は済んだんだろ。ライ・サナタスは、どうした?」
「え、どうしたって、そりゃあ……」
今回は、自分はあくまで付き添いでメインは彼だからと正直に告げようとした口を慌てて閉じた。
王様にも内緒にしているということは勿論、彼だって、その対象に入るはずだ。
危ない危ないと、ビィザァーナは後に続く言葉を飲み込んだ。
「あ、あー……ライ君って、ああ見えて好奇心旺盛な子なの! だから、お城の中の構造とかに凄く興味を持っちゃったみたいで! 私が、なんとか頼み込んで特別に許可を貰って城の中、案内してもらってるところなの! あー、彼、今頃どこにいるのかしらぁ?」
相手が親しい者であればあるほど、途端に嘘を吐くのが下手になる。
彼女自身も自覚している事だが、これだけは昔から、どうしても治らない。
親しい者に嘘を吐くことへの罪悪感に打ち勝てない、彼女の優しさが生み出した弱点だった。
レオンはジッとビィザァーナを見つめたものの彼女を問い詰めることはせず、〝そうか〟と納得したような一言を返しただけだった。
「あ、そうだ! 私、来週の試験の準備もしなくちゃ! こう見えて、意外と忙しいのよ、私。それじゃ……」
「待て、ビィザァーナ」
長居するのは得策では無いと、足早に去ろうとしたビィザァーナだったが、そう上手くはいかなかった。
レオンに呼び止められたら、立ち止まらないわけにはいかない。
扉が目と鼻の先にあるにも関わらず、彼女は立ち止まり、ギギギッと年季の入ったブリキの玩具ような音を立てて振り向いた。
「な……何かしら?」
「聞きたいことがある。ライ・サナタスの事だ」
レオンの言葉に、ビィザァーナから先ほどまでの気まずさが消え、意外だとばかりに目を丸くした。
「彼に魔法を教えているのは、君か?」
「まぁ、私が教える時もあるけど……彼は竜クラスだから、基本的にはビィザァーヌが教えているわ。どうして?」
何故、今、そんな事を聞くのかとビィザァーナが聞き返すと、レオンは一瞬だけ何か考えような表情を見せたが、すぐに隠すように首を振った。
「…………少し、気になっただけだ」
今、彼は嘘を吐いたと、ビィザァーナは、すぐに分かった。
問い詰めてやろうと思ったが、今日に限って片付けるべき仕事が沢山ある事を思い出した。
この後、アルステッドから今朝、突然託された書類の山と対面しなければならないという未来を思い浮かべるだけで頭が痛い。
それに加え、来週の試験についての打ち合わせの段取りもしなければ……
全て、本来ならばアルステッドが中心になって取りかかっている筈の仕事だ。
(んもぉ! 先生の馬鹿!)
これまで、アルステッドが彼女に自分の仕事を託したことは1度も無かった。
それなのに今日に限って、どうして……と、静かな怒りに支配されていたビィザァーナは、気付かなかった。
仕事を他人に託してまで優先すべき事情が、彼にはあったという事に。
外へと続く大きな扉を足早に潜ったビィザァーナを見送ったレオンは、剣帯にかけられた剣を引き抜いた。
レオンが聖騎士を目指す頃から使っていた、謂わば、相棒ならぬ相剣だ。
日頃から、丁寧に手入れをされているのだろう。
剣の放つ輝きや、僅かな刃毀れも無い美しい直線を描く、その姿が、それを証明していた。
しかし、その剣越しに映る彼の表情は、険しい。
剣先を挟むように掴み、軽く力を入れた、その瞬間。
────パキ。
小さな音を立てて、剣先が容易く折れた。
決して、彼の力が強かったわけでは無い。寧ろ、彼としては小動物と戯れる時と同等の力しか出していない。
つまり、この剣が、その程度の力にも耐えられないほどに脆くなっていたのだ。
心当たりはあった、先ほどのライとの交戦だ。
元々は脅しのためだった仮の一撃を防ぐだけでは飽き足らず、その後の自分の攻撃も全て結界や装甲で防ぎ切った。しかも、庭園の薔薇を気にかけながら。
しかし、それ以上に、聖騎士であるレオンを一瞬でも戦慄させた瞬間があった。
アレクシスに止められる直前、彼は笑った。
瞬き1つでもすれば見落としてしまいそうなほどに一瞬だったが、確かに、笑ったのだ。
何故、あの時、彼が笑ったのかは分からないが、その笑みにゾクリと背筋を震わせた自分がいた。
総合的に見て、ライ・サナタスという人間は、自分の息子と同い年とは、とても思えなかった。
まるで、今までずっと戦場に身を置いていたかのような冷静な判断力と身のこなし……そこまで思考を巡らせた後、レオンは否定するように首を振った。
あれは偶然だ。
現に彼は、防ぐことに精一杯で、自分に1度も反撃出来なかった。
だから……あれは、単なる偶然だ。
そんな無理のある言葉で自分の中に渦巻く違和感を中和させた。
剣先を失った剣と欠けた剣先の破片を交互に見つめ、レオンは無駄に広い玄関で溜め息を響かせた。




