1話_英雄との再会
僕は、風だ。
時に励ますように誰かの背中を押し、時に嘲笑うように誰かの妨害をする風。
お花畑で生まれたばかりの無知な妖精でさえも思い付かないような詩染みた言葉に我ながら鳥肌が立った。
らしくもない言葉を誕生させてしまったせいか、正気に戻れとばかりに先程から髪が顔に張り付いてきて非常に鬱陶しい。
払い除けるのも煩わしくなり、ついに我慢の限界を迎えた僕は、いつの間にか手にしていた剣で切り捨てる。
ゆっくりと目を開けると、切り捨てた髪が操り人形のように踊らされながら雲に覆われた空へと旅立っていた。
(ここは……)
目蓋で隠されていた世界は、天井や壁のほとんどが崩れ落ちて大きな風の通り道が出来ている、元は立派だったであろう石造りの建物だった。
しかも、自分のいる位置は建物の最上階のようで、崩壊した壁の奥からは、この建物を取り囲むように広がっている森が一望できる。
そうやって周囲を見渡したことで、こちらに剣の刃を向けている男の存在に気付き、自分に命の危機が迫っていることを知った。
「これで……終わりだっ!!」
鋭利な剣先が向けられ、こちらに迫っているというのに僕は慌てる事もなく、ただ剣先を見つめていた。
初めて、この光景を目の前にした時、僕は、あの鋭い刃から逃れようと必死に足を動かそうとした。
しかし、足どころか身体全体が金縛りにあったかのように微動だにしない。まるで、あの剣に貫かれることを自ら望んでいるみたいだ。
今となっては、すっかり見慣れてしまった展開に、僕は静かに息を吐いた。
そう、これは夢。現実逃避ではなく、この目の前に広がるのは夢の世界だ。
抵抗の意思すら見せない僕の身体は、深々と剣の刃に貫かれた。痛みは無い。
だって、これは夢なのだから。
世界の時間が遅くなったかのように僕の身体は重力に従って、ゆっくりと倒れていく。
やがて身体が地面へと辿り着いた瞬間、時間は本来の速度に取り戻した。
仰向けに倒れた身体を起こすことはせず、胸部へと突き刺さっている剣へと目を向けた。
間違いなく刃の半分近くが僕の胸に埋まっているが、全く痛みは無い。これまで何度も刺されてきたが、1度も痛みを感じたことは無い。
夢とは、実に不思議なものだ。
そんな場違いな感想を抱いていると、頬にじんわりと温かい何かが……〝何か〟なんて無駄に勿体ぶった表現を用いる必要は無い。
それは、久しく流していない〝涙〟だった。
涙は、僕の胸部を貫いた剣を手にした男の頬を下り、やがてポタリと僕の頬へ落ちてくる。
涙の道を辿るように視線を徐々に上へと向けると、剣を突き刺した張本人と目が合った。
震えた手で剣を握りしめた彼の表情は、悲しみや憎しみ……様々な感情が互いの存在を主張するようにぶつかり合っているのが分かる。
恐らく、彼自身も自分の感情を把握出来ていないのだろう。
僕を見つめる彼の目からは未だに、絶えずポロポロと涙が零れ落ちている。
意味が分からない。自分から刺しておいて何故、涙を流す?
何も言わず彼を見つめていると、手だけでなく軽く開かれた口も震えている事に気付いた。
この先の展開を知っている僕は、自然と彼の口元へ視線を向けた。
「……っ、どうして……」
まるで、何かを悔いるように発せられた彼の声は、いつ聞いても胸を締め付けられる。
彼が何を思って、そう呟いているのか……知りもしないのに。
「僕……本当は、君と……っ!」
僕は、この先に続く言葉を知らない。
理由は単純。いつも、ここで目が覚めるからだ。
起承転結が全く成立していない。
でも、それは仕方がないと思う。だって、これは夢なのだから。
剣を持った自分と同い年くらいの男に刺され、泣かれるというシンプルで意味不明な内容だが、今よりも幼かった頃は見事にトラウマとなり、寝不足の原因となっていたのは今では懐かしい思い出だ。
そんな幼い頃から何度も見ているとはいえ、それでも良い気分はしない。
最早、呪いと言っても過言では無い。
この夢のように、僕は心臓を刺されて死ぬのだろうか?
それとも、前世の僕が、心臓で刺されて殺されたのだろうか?
最近は、そんな現実離れした発想にまで発展してしまった。
どことなく重い空気が、僕が布団から出るのを拒むように、重りとなって、のしかかる。
いっそ、このまま二度寝でもしてしまおうか。
そんな考えが芽生え始めた時、部屋の扉が開かれ、隙間からヒョコリと母が顔を出した。
「あら、ライ。起きてたのね。おはよう」
「……おはようございます」
どうやら、二度寝をする事は叶わないようだ。
母の登場が起爆剤となったのか、全く起こせなかった僕の身体は嘘のように、すんなりと起き上がった。
「ライ、起きたばかりで悪いんだけど、顔洗って服を着替えてくれないかしら? 貴方に紹介したい人達がいるの」
両手を合わせながら嬉しそうに話す母に首を傾げたが、詳細は何も明かされないまま母の急かす声を受けながら顔を洗い、服を着替えた。
ちなみに、最も時間がかかったのは寝癖直しだ。
まだ眠たそうに細められた自分の根岸色の瞳と鏡越しに見つめ合いながら乱れた漆黒の髪を櫛と水で、無理やり整える。
(……何とか、人前に出られる髪型にはなった)
言われたことを全てやり終えた後、僕はリビングへと向かった。
リビングに着いた瞬間、僕を見た母は嬉々とした表情で、言葉を紡ぎ始めた。
「あ、来たわね。朝から急かせて、ごめんなさいね。でも、どうしてもライに紹介しまくて……彼女、私の友達でね。仕事で王都の方に行ってたんだけど、昨日、帰ってきたんですって! 私も、それを今日、初めて知って驚いていたところなの」
母と、その友達は本当に仲が良いのだろう。
彼女の話す言葉の1つ1つが、心の底から嬉しいとばかりに柔らかで明るい。
「貴方と同い年の子どももいるのよ。名前は、確か……」
────ピンポーン!
部屋中に来客を知らせるチャイムの音が鳴り響く。
その音を聞いた瞬間、母は分かり易いほどに表情を綻ばせた。
「噂をしていたら、来たみたいね」
嬉々とした表情で玄関へと向かった母を追いかけ、彼女が開けた扉を見つめる。
そこには真新しい煉瓦のような髪色の女性と、藍色を黒に近付けたような深藍色の髪をした少年が立っていた。
「いらっしゃい! 待ってたわ」
「手紙でのやり取りでも思ってたけど、やっぱり変わってないわね、サラ!」
「そう言う貴女もよ、マリア……あら?」
僕の存在に気付いたサラと呼ばれた女性が、ジッと僕を見つめた後、パァッと表情を明るくさせた。
「貴方がライ君ね。マリアから聞いてるわ。私はサラ、それから……って、こら! 隠れちゃ駄目よ!」
そう言って、彼女は後ろ隠れている子供を僕の前へと無理やり誘導した。
「ほら、新しいお友達よ。ちゃんと挨拶しなさい」
そう言って背中をポンと軽く叩かれた子供は、恥ずかしそうに顔を俯かせながら両手を遊ばせるだけで、何も言わない。
「もう……さっきまで新しい友達が出来るって喜んでたのに……ごめんなさいね、ライ君」
「……いえ」
申し訳なさそうに眉を下げたサラさんに首を左右に振ると、母は何かを思い付いたように声を漏らした。
「それじゃあ、ライ。貴方から、自己紹介をしましょう?」
母の言葉に、まだ自分も自己紹介をしていなかった事を思い出し、少年を見た。
「僕は、ライといいます。よろしくおねが、」
そう言って手を差し伸ばすと、子供はおずおずと顔を上げ、僕を見る。
その瞬間……
「っ!?」
頭を鈍器で殴られたような……いや、そんな生易しいもんじゃない。
プレス機に頭を挟まれ、頭を潰さんとばかりに容赦なく圧力をかけられたような感覚。
少しでも気を緩めれば、その圧力に負けて頭が破裂しそうだ。
兎に角、言葉にならない衝撃が頭全体に響き渡った。
(痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイッ!!!!)
痛さのあまり、自分でも今まで聞いたことがない金切り声が口から漏れ、床に倒れ、のたうち回った。
正常な意識を保つのも限界を迎え、世界が少しずつ闇に染まっていった。
世界の全てが闇に染まる直前に見えたのは、今にも泣きそうな表情で顔を歪めた少年の顔だった。
◇
目が覚めた時、俺は、普通の子どものライではなくなっていた。
俺は魔王だった。世界を欲望のままに破壊し続け、破滅の一歩手前まで来ていたところで、勇者に討ち取られ死んだ。
そう、死んだはずだった。
死んで一度は閉じた目蓋を再び開けた時、目の前に見たこともない景色が広がっていた。
理由は分からない、経緯も分からない。ただ一つ、自分が転生したということは分かった。
普通に転生したのなら、何の問題も無かったのだが、厄介だったのは前世の記憶がしっかりと残っていた事だ。
何故、前世の記憶を持ったまま転生してしまったのかは知らないが、少なくとも今の俺の頭は既に冷めており、前のように破壊衝動に駆られることも無い。
(……元々、捨て置くべきだった記憶を、わざわざ残しておく必要は無い)
そして俺は、自分に記憶操作の魔法をかけ、前世に関する記憶を全て消した。消したつもりだった。
しかし、自分の最期の記憶だけは魔法でも完全には消せなかったようで〝夢〟という形で俺の脳内に住み続けていた。
俺の記憶操作の魔法は、その者の人生に最も影響を与えた人物と会わなければ解けることは無い。
(その魔法が解けたという事は、つまり、彼は……)
「あ、目が覚めたのね」
最悪な結論を見い出しかけた時、優しい声が思考を遮った。
俺の顔を見て心配そうに眉を下げた彼女は俺が横たわっていた布団までやって来て手を伸ばし、俺の漆黒の髪を撫で、次第に、その手はスルリと頬まで降りてきた。
「突然、倒れたから驚いたわ。どこも痛くない?」
「……はい」
撫でられた頬が、今度は両手で優しく包まれる。手の温もりが心地よくて、思わず目を細めた。
「そう……もし、また少しでも体調が悪くなったら、ちゃんと言うのよ?」
「分かりました」
俺の返事を聞いて安心した表情を浮かべたマリアは、何かを思い出したような表情で後ろを振り向いた。
「アラン君もビックリしちゃったわよね? ごめんなさいね」
「い、いえ……」
アラン。
その名前を聞いたのは、いつぶりだろう。
同姓同名の別人なんかじゃない。
間違いなく彼は、俺を殺した勇者──アランだ。
容姿は、勇者の時とは全く違う。
深藍色の髪に、マリアが時々付ける口紅のように紅い目……なんだか、昔の自分を見ているようで気分が悪い。
「えと……ライ、くん?」
神様は、相当、俺のことが嫌いらしい。
魔法で蓋をしていた記憶を無理やりこじ開けるだけでは飽き足らず、俺の命を奪った勇者と同じ世界に転生させるとは……
「アラン、です。……よろしく」
軽く下げた頭をすぐに上げ、アランは気まずそうに視線を俺から逸らした。
そんな彼に、俺は口角を無理やり上げ、光を失った瞳を隠すように目を閉じた。
「……アランさん、ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして俺はまた、ある意味、運命的ともいえる巡り合わせを生んだ神を恨んだ。