ぼくの穴
あれ、これなんだろう。
通学路の途中で、ほどけた靴紐を直そうと前屈みになったとき、地面に空いた穴が目に入った。自販機とブロック塀を隔てた隙間に、直径十センチほどの小さい穴が空いていた。深さがどれくらいあるかは、その場所からは見えない。きっと雨戸に流れた水が最後に集まる場所になっている、そんな印象だった。
え、いまのって……。
通い慣れた通学路にこんな穴があることにも驚いたが、中から音がすることにも驚いた。それは何かを訴えるような、悲痛なものだった。
「頼むよ……」
うわっ、なんだこれ。
突然のことに混乱した。でも僕は、
「そ、そうだ、学校に行かなくちゃ」
強引にねじ伏せて、その場から立ち去った。
それから毎日、穴の側を通るたびに音は聞こえた。
「本当は聞こえてるんだろ、なんで足を止めてくれないんだよ。なあ、いいだろ」
音は日に日に大きくなっていく。
「わかってるって、今日もダメなんだろう。でも、まってるからさ」
何日か経過すると、こんどは音が小さくなっていった。
「いいよ、気にしてない。次のときは、きっといいことがおこるかなって」
季節の変わり目とか、そういうのじゃない。でも次の日からちょっと匂いを感じるようになった。ただ、それは決していい匂いじゃないくて、なんか後ろめたい嫌な臭いだった。
穴の存在なんかとっく忘れていた。ある日、ジュースを飲もうと自販機にボタンに手を伸ばしたとき、胸に強烈な不快感が飛び込んだ。
あ、この場所……。そういえば……。
そのときだった、足元の穴から、
「なんで! なんであのとき助けてくれなかったの! ねぇ、ひどいよ……」
逃げ出したい気持ちとは裏腹に、足がそれを許さなかった。スマホ片手に穴の中を覗き込む。暗くてよくわからないが、深さ五十センチほどのところに、小動物らしき骨の残骸があった。穴のまわりにわずかに残った獣の毛から、猫であることが推察できる。
本当は知っていたんだ。穴に落ちた猫が、毎日毎日助けを呼ぶ声も聞いていた。でも、どうしても穴を覗く勇気が出なかった。しかたないよね。だって……、だって……。
そこには、ぽっかりと穴が空いていた。