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空中要塞アストリア  作者: ぴっかりP
1/3

第一部

章一 キャロル・ランバートの場合


      1


 復活祭を迎えたサンタバーバラはすでにヨットマン達の楽園である。温和な三月の陽光の下、碧空を映す海面には色とりどりのセイルがちりばめられ、単調なカリフォルニアの風景に視覚的なアクセントを加えていた。サンタバーバラハーバーの近くにあふれる小型のディンギーは沿岸を離れるにつれ豪華なクルーザーに取って変わられ、沖合のチャネル諸島を過ぎるころには、海面のフラクタルな紋様を乱すのはたわむれるイルカの群れだけとなっていた。イルカ達はいつものようにとりとめのない抽象概念を自分達の言語でぶつけあいながら、昼食のマイワシの群れを追っていた。

 突然、そのうちの一頭が群れを離れた。彼が目指すのは、海面から全体の三分の一を露出させて波間に漂う灰白色の小さな球体。光を全く反射しないその球体は海月のように触手とおぼしきものを海中に漂わせていたが、表面の硬質な触感は明らかに人間の気配を感じさせるものであった。好奇心にかられたイルカは球体の下から海中深く続いているフレキシブルワイヤーを追って、鉛直方向へと潜水していった。深度を増すに従いワイヤーは何かに引かれるかのようにその角度を緩め、イルカが好奇心と潜水深度限界との間で葛藤し始める頃に、巨大な影へと吸い込まれていった。

 影はイルカの知るどんなクジラよりも大きく、かつ静かであった。


 エチオピア出身のソナーマン、エフドナ・ンバスは超広帯域ソナーを通してイルカの驚きの声を聞いた。

「コンタクト。艦長、気付かれたようです」

発令所中央を貫く潜望鏡の前でそれを聞いたレスター・クロイケン艦長は、見つめていた透明な海図から、顔を動かすことなく南スラブ系の青い瞳の焦点だけをその向こうのソナーマンに移した。しかし、エフドナの性格を良く知る彼は、ソナーマンの口角の上がり方を見て、警戒警報を発令する前にその意味を悟った。

「イルカならもういいぞ。それより沿岸警備隊はどうなった?」

「先ほどのマリンプロテクター級哨戒艇はやはりメキシコの密輸船を追っていた様です。すでにあちらさんのレーダーの探索域外に出ました」エフドナがにやけながら答える。態度は悪いが、ソナーマンとしての耳は超一流であった。

「通信傍受の方は?」クロイケンが通信コンソールに向かって聞いた。

「沿岸警備隊の連中は密輸船にかかりっきりです。密輸船は大量のコカインを搭載しているようで、カリフォルニアのコーストガードが総動員されています」フローティングアンテナの受信する海上通信をモニターしていた通信士官ブロイが言った。

「海軍の潜水艦隊は?」

「バンゴール海軍基地に妙な動きは全くありません」

「アフガン戦争で少しは学習したとは思ったが。相変わらず自分達の国土は安全だと思い込んでるらしいな。まったく気楽な連中だ」

「そろそろ浮上予定ポイントです」海図と慣性航法装置、GPS受信機とをかわるがわるモニターしていたクフル・アデン副長が艦長の言葉を無視するかのように告げた。エフドナとは全く対照的にアデン副長は極めて事務的に作戦を遂行していた。エフセスの教義に極めて忠実な彼は確かに軍人としての能力は高いが、永久にエフセスの駒のままでその生涯を終えるだろう。クロイケンはアデンの殉教精神に憐憫の情をいだいた。イスラム圏を確実に侵食しつつあるエフセスには彼のような原理主義思想を持つものが増えている。彼らの殉教心を巧みに用いることがこれからのエフセスの勢力拡大に必要不可欠なのであり、それはクロイケンのような人間には極めて容易なことであった。

「潜望鏡深度、コンタクトチェック」クロイケンの発令に従い各当直要員が一斉に動き始める。操舵員は潜舵を操作し、艦に十度の浮上角を与えた。艦のセントラルAIが、深度60フィートに到達するのを待って潜望鏡を引き上げる。クロイケンはその光ファイバーのような銀色の長髪をたくしあげると、潜望鏡の接眼部に眼窩を押し付けた。そのままの体勢で自ら潜望鏡を三百六十度回転させ、洋上に艦船が存在しないことを確認する。一方ソナー席ではエフドナがソナーにコンタクトがないか、彼らしくない真剣な表情でチェックを始めた。

「ソナー感ありません」

「洋上クリアー、急速浮上」

「メインバラストタンク、ブロー。急速浮上」アデン副長がクロイケンの後を継ぐ。

「メインバラストタンク、ブロー」潜航士官の復唱。

 高圧の圧搾空気がバラストタンクの海水を押し出し、艦は一気に浮上を始めた。この瞬間、艦の隠密性は破られ、静粛性よりも敏捷性がすべてを支配することとなる。


 紺碧の海が急速にその濃度を増し、不吉な黒い影となる。影はドーム状に海面からせり上がり、ついに艦はその巨体を白い波涛とともに白日のもとに現した。

 艦首に記された01の艦体番号が示す通り、エフセス機動艦隊の旗艦である潜水空母マーリク。ロシアのタイフーン級弾道ミサイル潜水艦をも遥かに凌ぐ全長260メートル、水中排水量四万三千トンの巨艦は、東西いずれの陣営の潜水艦とも異なる独特のシルエットを有していた。ヌガーバーを縦にしたような艦体の断面は円よりも長方形に近く、セイルはその後方にあたかも艦体と溶け合うかのように生えている。喫水線下の両舷には、航空機の空気取り入れ口のように超伝導推進用の海水流入口がその口を大きく開いていた。セイルと同様に艦体とブレンドされた三枚の舵は艦の尾部に真上と斜め下方、120度の間隔で配置されている。

 浮上に伴うピッチングが収束するのを待たずして、艦体前部の両舷がそれぞれ左右に割れ、広大な発着甲板が出現する。すると、待ちかねたかのように甲板上に巨大な生物が姿を現した。それは一見、鳥のようでもあり(全長20メートルの鳥がいればの話だが)生まれたての小鳥のように短い足を不器用に繰り出し、上下に体をゆすりながら甲板上に飛行列線を形成した。中生代の翼竜のような巨大な翼は肩を要とした扇のように胴体側面にたたまれており、知性を感じさせる黒水晶のような眼は嘴の付け根から頭部後方に生える二本の角をつなぐようにポリカーボネイトのカバーで紡錘形に膨らんでいる。尾にあたる部分にはエンジン排気のベクタースラスターが、すでにアイドリング状態になっているエンジンの排気を起立状態でも後方に誘導すべくZ軸方向へ偏向し、甲板と艦体との間に陽炎の壁を作り出していた。ノズルの両側には砲弾状の脚収納コーンが機体後方に延び、深海魚の背ビレのような二枚の垂直尾翼がそこから生えていた。

 エフセス主力戦闘攻撃機シームルグ。

 DNA再編と染色体融合によって構築された鳥型生体プラットフォームにジェットエンジンをインプラントした自律生物兵器であり、搭載AIは基幹命令のみで自ら作戦を遂行することが可能である。スターボード、ポートそれぞれの側の発着甲板に六機づつのシームルグが現れ、我が身を奮い立たせるように空に向かって雄叫びをあげた。その咆哮に答えるかのようにポート側発着甲板に十三機目のシームルグが出現した。その個体は基本的な構造は他と変わらないが、頭の部分の構造が大きく異なっており、戦闘機のような単座のコックピットを備えていた。双眼の代わりにコックピットの前方にブーメラン状の単式視覚センサーが装備され、シームルグ自身だけでなくコックピットに搭乗するパイロットにさまざまな情報を提供する。コックピットの中ではクロイケンが思考インターフェイスの最終調整を行っていた。

「クロイケンよりブリッジ、7番機の反応が鈍い。シンクロナイザの微調整を頼む」

「了解」戻ってきてのはアデン副長の声である。「本当に出られるのですか、艦長。有人機のインターフェイスはまだ試験段階です。作戦計画書も今回は自律機だけでの作戦となっていますが」

 この期に及んで作戦計画書とは‥‥。クロイケンは秘かに苦笑した。

「遠隔操作ではまだ十二機のシームルグを掌握するのは不可能だ。私がいれば最悪の場合でもこいつらを連れて帰ることくらいはできる」

「しかし‥‥」

「心配するな。もしもの時は頼んだぞ」

「わかりました。7番機OKです」

 自律シームルグが完成したのがそんなに嬉しいのか、わざわざこちらからGSOの連中に見せびらかしに行くこともないだろうに‥‥クロイケンはデイスプレイに表示されるチェックリストを追いながら考えた。エフセス上層部の立案した安易なこの作戦にクロイケンは異を唱えつづけていた。

「大統領は?」

「エアフォース・ワンは予定通りネリス空軍基地に到着しました。現地連絡員が1時間前にマリーン・ワンが北方へ飛んでいくのを確認しています。そろそろエリア51に到着したものと思われます」

「上出来だ。気の強いマダムをグレイとマジェスティックの道連れにしてやろう。シームルグ全機発進する」

 クロイケンはヘルメットの超伝導磁界センサーを介して発艦の命令を発した。思考インターフェイスはそれをシームルグ間の交信言語に翻訳し、各個体に送る。シームルグたちはおもむろに1番機から順に発艦姿勢に入った。膝を曲げてうずくまると、たたんでいた翼を拡げ、翼の付け根の左右の空気取り入れ口を深呼吸でもするかのようにいっぱいに開いてエンジンの出力を上げていく。エンジンの轟音が最高潮に達したとき、シームルグは助走を始め、大きく羽ばたきながら甲板の辺縁を蹴って発艦した。その姿はまさしく鳥のそれであり、巨体を感じさせない俊敏な動きであった。十二機全部が発艦するのを待ってクロイケンの有人シームルグがおもむろに発艦体勢に移り、甲板を蹴って空に舞い上がる。

 シームルグの編隊は翼の後退角を大きくとって、速度をあげながら海上すれすれを東に向かって一直線に飛行していた。アメリカ合衆国の防空レーダーが、そのステルス処理された有機外被にもかかわらずなんとか感知に成功し、警報を発したころには、編隊はインターステート101号線を横切ってすでに内陸部に侵攻していた。


      2


 ロッキー山脈とシェラネバダ山脈に囲まれた三角地帯〈大盆地〉。ネバダ州の大部分を占めるその砂漠地帯の南の端には歓楽の都ラスヴェガスがあり、その近郊にはアメリカ屈指の規模を誇るネリス空軍基地がある。大盆地の大半は広大なネリス射爆場とネバダ核実験場に指定されており、一般人の進入を頑なに拒んでいる。そしてその中心、干上がった塩湖・グルームレイクのほとりに訓練中の軍用機ですら接近を許されない一角〈ドリームランド〉が存在し、その中心に表向きは数々の秘密兵器の開発・実験場として知られているエリア51があった。今、ネリス空軍基地を飛び立ってその特別進入制限区域に入ろうとしている一機のヘリコプターがあった。海兵隊所属のVH-60Nシーホーク。白とダークグリーンのツートーンカラーに染め分けられ、エンジンポッドに大きく星条旗が描かれた政府高官、外国要人輸送用へりは、慣例に従い最高司令官の搭乗を意味するマリーン・ワンのコールサインが与えられていた。

 あたかも民間の農業用飛行場のように見える質素な管制塔と巧みに地形の中にカモフラージュされたレーダーサイト、半ば砂に埋もれかけたコンクリートの建物と半世紀以上使われているアーチ屋根の格納庫の群れ、それが上空から見えるエリア51である。無造作に黄色でペイントされたヘリコプター用の着陸案内標識の上に静かにマリーン・ワンは着陸した。2基のジェネラルエレクトリック社製T-700エンジンの咆哮がおさまり、ローターの回転速度が落ちてくると、地上係員が一斉にヘリの周りに集まる。車輪止めが取り付けられ、機体周囲の安全が確認されるのを待って、乗客用のドアが開けられ、将官にエスコートされるように一人の女性が降り立った。女性を出迎えるように隣接する建物からダークグレーのスーツを身にまとった黒人の将官が小走りにマリーン・ワンに走り寄る。

「お待ちしておりました、エリア51にようこそ、ミセス・プレジデント」リチャード・ワイズマン世界保安機構(GSO)長官が年輪の刻まれた右手をさしのべた。頭髪には白いものが混じり、顔にも深い皺がきざまれてはいるものの、そのがっしりした体躯は八十歳近い年齢を感じさせないものであった。

「おひさしぶりね長官、みなさんは?」予備選挙以来の彼女のトレードマークである紫のスーツに身を固めた第四十七代合衆国大統領クリスティーン・キャンベルが握手で答える。就任以来の激務は確実に彼女の顎角から頚部に年齢の痕跡を刻み始めていたが、眼鏡の奥の眼光に衰えはない。

「フーバー委員長もオガサワラ事務総長もすでに到着されております。どうぞこちらへ」ワイズマンがキャンベル大統領を平屋造の建物に案内する。一見、何の変哲もないブロック壁の建物であるが、正面の鉄製のドアと空調装置の配管以外に建物内部と外界をつなぐものは何もなく、高度な機密が保たれているのが見て取れる。キャンベル大統領はうながされてそちらに歩きつつも振り返り、簡素ながらも四千メートルの長さを誇る滑走路を見渡した。

「こんなに立派な滑走路があるならわざわざネリスで乗り換えてヘリでこなくても‥‥」

「まさか、ご冗談を大統領。最高機密の基地にあの目立つエアフォースワンを降ろすわけにはいきません」ワイズマンが答えた。

「あら、毎週のようにタブロイド誌に名前の出る最高機密なんて聞いたことがないわ」大統領が皮肉をこめて言った。

「確かに、エリア51の名はあまりにも有名ですが、このドアの向こう側はマジェスティックの遺産です。正真正銘の最高機密ですよ」

 いかにも重そうな窓のない鉄製のドア。その右に小さな配電ボックスがある。ワイズマンはそこにキーを差し込み、ボックスを開けた。塩湖を渡る風で錆びついた箱の外側とは対照的に、中には最新の電子装置、指紋照合装置が収められていた。ワイズマンは指先の形に配置された五つのセンサーに右手の指を押し当てる。インジケーターの一つがイエローからグリーンに変わったが、それ以上は何も起こらない。ワイズマンは目でキャンベルをうながす。キャンベルが同じように右手を押し当てると、初めて機械が反応した。ドアの上のモニターカメラがとらえた二人の顔と指紋を照合し、コンピューターが鍵を開ける。にぶい音とともにドアのロックがはずれた。

「どうぞ」ワイズマンが紳士らしくキャンベル大統領を先に通す。中は薄暗いエレベーターホールである。見た目は最新の電装を施されて新しく見えるが、基本構造にかなりの年月が感じられる頑丈な造りのエレベーターがドアを開けて二人を待っていた。ワイズマンとキャンベルが乗り込むと、行先階の指示を待たずにドアは閉まり、エレベーターは降下を始めた。消化管が裏返るような無重力感に、キャンベルの女性としてはがっしりとした体がこわばる。一分が過ぎても降下のスピードは落ちない。

「ずいぶん深くまで降りるのね」キャンベルは中耳の内圧を調整するため唾液を飲み込んだ。

「このバットケイブはもともと地下核実験用の縦穴として掘られたものですから。核爆弾の直撃にも耐えられます」

 ワイズマンが言い終わると同時にエレベーターは停止し、ドアが開いた。ドアの向こうは一直線の廊下であり、パイプの張り巡らされた天井からは、約3メートルおきに飾り気の無い蛍光灯の照明が吊るされていた。二人が歩き初めて程なくして、床から壁にかけて引かれた真紅の線が現れた。それまでコンクリート打ちっ放しだった壁が、その線を境にして樹脂製の壁材となり、照明も蛍光灯から高輝度LEDとなった。二人がその線を跨ぐと、ワイズマンはスーツの内ポケットから軍用のハンドヘルド端末を取り出し、モニターの表示を確認した。

「秘話エリアにはいりました」それは北米でも最高度の保安レベルのエリア51内で、さらに盗聴防止装置が常に作動する最高機密区画に入ったことを意味していた。

「計画の進行状況は?」キャンベル大統領がおもむろに訊ねる。

「ミスターグレイの理論値から金属重水素の結晶化と実験核融合炉の臨界に成功しました。早急に実用炉の建設と反重力リアクターの試作にとりかかります」

「世界で初めて核融合発電に成功したというのに‥‥この技術が民間に転用できれば全世界のエネルギー問題は解決するのよ。残念だわ」

「大統領らしいお考えですな。しかし、本当に人類の未来を心配なさるなら、アストリア計画を成功させ、エフセスとアーモンドアイの野望を阻止することが第一です」

 廊下の突き当たりに両開きのスライドドアがあった。二人はその前で立ち止まり、再度指紋の照合を行った。空気の漏れる音とともに滑らかにドアが開く。


      3


 ネリス空軍基地。遠景にラスヴェガスの巨大ホテル群を望むその基地は、空軍の戦技学校も置かれる北米で最も活動的な空軍基地である。年に四度、同盟国も参加して行われる大規模なレッドフラッグ演習は、二週間にわたってパイロット達がその持てる最高の技術と能力を競い合うもので、演習の間、ネリスは最前線のような賑わいを見せる。今年最初のこの恒例行事も無事終了し、NATOやカナダ、オーストラリアから参加した軍用機が帰国したネリスは、再びいつもの落ち着きを取り戻していた。客のいなくなったエプロンに並ぶのは、いずれもここネリスを住み処とする、垂直尾翼にWAのテイルコードを持つ機体だけであった。二世紀をまたいでネリスの多数派勢力であり続けるF-16戦闘機、そのF-16にいずれは取って代わるべく配備されているF-35戦闘機に混じって、実力の上で戦闘機の王者であるアメリカ空軍主力制空戦闘機F-22〈ラプター〉の姿があった。一機の値段が一億ドル以上とコストの上でも堂々たる王者であるその戦闘機は、菱形と平行四辺形で構成された独特のフォルムで周囲を威圧していた。朝のミッションを終えて帰投した大半の機体はそれぞれの格納庫にすでに収納されていたが、一機のF-22がエプロンで電源車から電力の供給を受けながら整備を行っていた。垂直尾翼の先端に青と白の帯が記されたその機体は、それが第999空軍戦技実験部隊、空軍最高のエリートパイロット集団”トリプルナインズ”に属することを表していた。

 電波吸収材のコーティングによって琥珀色に透けて見えるキャノピーは開け放たれ、機体の左側に取り付けられた乗降用ラダーに乗って、GI風に茶色い髪を刈り込んだ男、ジョニー・グラント大尉がコックピットを覗き込んでいる。F-22も最新鋭の戦闘機の常で開放時のキャノピーの角度が浅いため、ラダーに乗ってコックピットを覗き込もうとすると、少しばかり体をひねってやる必要があった。その姿勢を保つのに疲れたグラント大尉が無意識に背を伸ばすと、滑走路をはさんで反対側にある大型機用の格納庫が目に入った。砂漠の太陽とのコントラストの関係で、照明があるにもかかわらずその格納庫の中は薄暗かったが、一機のボーイング747が整備を受けているのが見て取れた。機首から機体の側方、窓に沿って青いストライプが引かれ、垂直尾翼の前縁も同じ色、そして星条旗。

「エアフォース・ワンじゃないか。大統領がこんなところに何の用だ? まさかあの堅物のミセスがラスヴェガスにバカラでもしにきたわけじゃあるまいし」合衆国大統領専用機VC-25Aは、大統領が搭乗したときに限りエアフォース・ワンのコードネームが与えられるが、一般的にはその二つは同義語とみなされている。

「聞いてないのジョニー。噂じゃミセスはドリームランドに行ったらしいわよ」コックピットの中でキャロル・ランバート中尉が計器盤から目を離さず答える。明るい陽射しのもと、彼女のカールしたショートカットのプラチナブロンドが眩しく輝く。明るいエメラルド色の瞳は、同じ色に輝く計器盤の多目的ディスプレイを映し込んでいる。女性で、なおかつ史上最年少でトリプルナインズに配属された彼女は、今回のレッドフラッグ演習でも二大会連続となる最多撃墜数を誇っていた。

「エリア51に?穏やかじゃないな。今回の新設国連統括軍の話と関係ありそうだな」

「たぶんね‥‥」キャロルの戦闘機パイロットとは思えぬしなやかで華奢な指が素早くディスプレイを囲むように配置されたキーを押す。「あーっ! やっぱりだわ。この前のフライバイワイヤシステムのファームウェアの更新で設定がデフォルトに戻ってる。どうりで反応が鈍いと思った」

「おいおい、それってレッドフラッグの前の話じゃないか。驚いたな、デフォルトの機体でエースを取ったのか」ジョニーがラダーの上で上半身をかがめ、キャロルの左肩からディスプレイを覗き込む。

「だいたい君の操縦桿の設定は敏感すぎるよ。とてもじゃないが並みのパイロットじゃ挙動が神経質でまともに飛ばせたもんじゃない」

「そうでもないわよ。男のパイロットはスティックを強く握りすぎるの。ラプターの操縦に力は不要よ」キャロルがジョニーの方を向いて言った。二人の視線が至近距離でからみ合う。キャロルの一点の曇りもない瞳に、ジョニーは吸い込まれそうな錯覚を覚える。彼女のピュアな心ははたして戦闘機乗りとして適格なのか、いつもジョニーを悩ます疑問がまたしても頭をよぎった。

「例の国連統括軍の話、君はどう思う?あのタカ派のミセスが国連に軍資産を大量に貸与するなんて、どう考えてもおかしいとは思わないか?」ジョニーが真顔で訊く。

「世界の裏側で何かがおこってるわね。アメリカだけじゃ解決できないような何かが。まあ、私達現場の人間には知るよしもないけど。でも、どちらにしろ私はもうとっくに決めてるわ」キャロルが意味ありげな笑顔で答えた。

「え?」

「決まってるじゃない。配属先が国連だろうと月だろうと私はあなたについていくわ、妻ですもの」そう言いながらキャロルはごく最近身に付け始めた左手の薬指のシルバーの指輪を誇らしげに振って見せた。

「バカ、まだ婚約中だろ。気が早いんだよ」

「転属になるころには‥‥ってこと」どちらからともなく二人はキスを交した。すでに基地中の人間の知るところとなった二人の関係の中で、そのキスはすっかりネリスの風景に溶け込んでいた。


      4


 穏やかな間接照明に照らし出された会議室では、新たに加わったキャンベルとワイズマンを含めた四人が円卓を囲んでいた。かつてGSOの前身、マジェスティック-12の幹部達が会議に用いていた由緒正しき円卓は、その名が示す通り十二人がゆったり卓を囲むだけの大きさがあったが、二十一世紀の今、それを知るのは四人の中でもワイズマンだけである。

「確かにEU各国でもカトリック、プロテスタントを問わずエフセスは確実に信者を増やしている。コソヴォに端を発したエフセス化の波は今やバルカン半島を飲み込み、西ヨーロッパを脅かし始めているのが現状だ。しかし、だからといって計画を一年前倒しというのは無茶だ」小柄なベルギー人、フーバーEU 委員長はゆったりした天然皮革の椅子に埋もれるように腰かけ、肘掛けにのせた両手を組み合わせた。「これ以上の分担金の供出はEU経済を破綻させかねない。すでに今までに供出した分でも東欧があのありさまだ。経済の悪化でこれ以上エフセス化が加速すれば、我々にはもう止める術はない」

「もはや一刻の猶予もならないのです、フーバー委員長。エフセスがいままでのような示威行動から本格的軍事行動に移行するのは時間の問題。それを考えるとアストリアの建造予定期間の二年はあまりに長すぎます」キャンベル大統領が断固たる口調で答える。彼女の視線と声、そして言葉に一対一で打ち勝てる人間は世界広しと言えどもそういるものではない。「すでに日本と中国からの追加経済協力はとりつけました。技術はすでに我々の手の中です」

「ことをあせれば必ず機密保持にほころびがでる。それこそエフセスの思うつぼだ」EU二十八カ国を代表するフーバーはその数少ない人間の一人であった。「軍事的にエフセスに対抗する前に、奴らの体力を奪う方が先決だと私は思うがね。ダハーブ共和国がいかに金や石油を産出しようとも、買う人間がいなければ宝の持ち腐れだ。ジェネラルプロダクツ社を押さえ込めばエフセスは痩せ細ってゆく」フーバーはキャンベルに意味あり気な視線を送った。「ジェネラルプロダクツ社製品の最大の輸入国はどこだったかね‥‥」

 キャンベルの瞳に一瞬怒りの炎が灯ったが、すぐに外交的微笑で消火された。合衆国大統領が反撃の言葉を発する前に、あくまで冷静な小笠原国連事務総長が割って入った。

「残念ながらジェネラルプロダクツ社の活動は表向きはきわめて合法的です。彼らの経済活動の中心である兵器輸出に関しても、国際法上の問題点は全くありません。自由主義経済を良しとするかぎり、アメリカにも国連にも手の打ちようは無いのが現実です」怠惰な姿勢のフーバーとは対照的に背筋を伸ばし、視線を正面に据えて淡々と発言した。

「国連管理下のエルサレムに対する一連のテロ活動は明らかに国際社会への挑戦だと思うがね。そこをもう少し追及すればダハーブに対する経済制裁決議くらいなんとかなるだろう」フーバーが反論した。

「あれはエフセス教団内の急進派の仕業ということになっています。教団本部があるからというだけでその国に制裁を加えるわけにはいきません。それにダハーブ共和国は第三世界振興のシンボル的存在です。安保理事会で無理に決議を通しても総会でアフリカ諸国の猛反発を食うことは必至です。第三世界の意向を無視して国連を動かすことはできません」小笠原はワイズマンの方を向き、

「ミスター・ワイズマン、エフセスの軍備はどの程度まで増強されているのですか。ダハーブ共和国の正規軍には目立った増強の動きは認められないようですが」

「おっしゃる通りです。ダハーブ正規軍はアフリカ圏では最大の戦力を擁してはいますが、いかにジェネラルプロダクツ社の兵器が優秀とはいっても、表向きの技術を使っているかぎり我々の敵ではありません。問題はエフセスとジェネラルプロダクツが秘密裏に増強し続けている海軍力です。すでに潜水型航空母艦が少なくとも三隻、潜水型攻撃艦が十隻以上は活動しているものと思われます。一口に潜水艦とはいっても、彼らにはアーモンドアイのテクノロジーがありますから、個々の戦闘能力は我々の想像を越えるものでしょう」ワイズマンが政治家達を前にした軍人らしい慇懃な態度で答えた。キャンベルがそれを引き継ぐ。

「我々にもミスターグレイのオーバーテックとマジェスティックの遺産があります。躊躇している暇はありません。ご決断を、事務総長」

 小笠原事務総長が、数秒間キャンベル大統領を見つめたのち、おもむろに口を開いた。

「問題はそこだよ、キャンベル大統領。我々とGSOはミスターグレイの技術にあまりにも依存しすぎている。半世紀以上もの間マジェステイックの管理下におかれていたとはいえ、グレイとアーモンドアイは所詮は同邦人、つながっていないとはいいきれまい‥‥」

「その心配はありません」

 フーバーと小笠原の背後から、高音のノイズ成分を多く含む冷徹な声がした。フーバーと小笠原は振り返り、驚きに目を見開いた。壁の一部分が左右に音もなく開き、隣室とを隔てる巨大な窓があらわれた。窓は幅三メートル、高さは床から天井まであり、いかにも頑丈そうな耐圧アクリル板がはめ込まれていた。窓の向こう側はその主の好む生活環境に合わせて、二酸化炭素を8%含む空気が室温一〇・五度、一・三気圧に設定され、照明も可視光域から赤外域にかたよっているため、室内は薄暗く、また赤味がかっていた。

「ミスターグレイ‥‥」フーバー委員長がうわごとのようにつぶやいた。

 部屋の中央には自走式の車椅子に座った灰色の小人がいた。身長は百センチくらいであろうか。頭髪を含めてその灰色の肌には体毛と呼べるものは全く無く、白熱球のような形の巨大な頭部にはまぶたのない真黒な目、鼻は小さな穴が二つあいているだけで、唇のない口もまるで嬰児のそれのようであった。

 グレイと呼ばれたその小人はフーバーと小笠原をかわるがわる見つめる。頭蓋の側面に耳介はなく、外耳道とおぼしき穴があいているだけであった。

「あなたが」冷静な小笠原事務総長も心の動揺を隠せきれずにいた。

「はじめまして、小笠原国連事務総長、フーバーEU委員長」

「なんと、英語が話せるとは‥‥あ、いや失礼」思わず小笠原が口走ったが、すぐにその非礼に気付き謝罪した。口唇がないために一部の発音に問題を残すものの、グレイの英語は小笠原やフーバーのそれよりもはるかに美しかった。

「気になさらないで下さい。ロズウェルに私の船が墜落してからもう七十年、あなたがたの言葉を学習するには十分すぎる時間です」グレイの小さな口と大きな目が一瞬微笑んだかのように見えた。

「私とラ*#サ@(注:人類言語による表記不可能音)、みなさんが呼ぶところのアーモンドアイが協力することなどあり得ません。我々の宇宙船が月に漂着して以来、私とアーモンドアイは母星に戻る方法をめぐってことごとく対立してきました。自力で特異点を抜ける方法を失い、母星との超空間連結座標さえ喪失した我々には、あなたたち人類の協力を仰ぐしかなかったのです。空を飛ぶ技術を手に入れたばかりのあなたがたに宇宙航行の技術を教え、恒星間宇宙船を建造してもらうしか方法はありませんでした。しかし、そのためにはあなたたち人類が急激な技術の革新で自滅することなく、健全な進歩を遂げてもらう必要があります。幸い私たちの寿命は地球時間で七百年、私にはあなたがたの進歩を見守る時間がありました」

「でも、アーモンドアイは違ったのね」キャンベルが言葉をはさんだ。

「そう、私は地球年でまだ百五十歳ですが、彼はもう五百八十歳。まして異星の過酷な環境下、彼に残された時間はあまりありません。そのうえ彼は私の考えに対して、好戦的な人類文明の不用意な支援は我々自身の身を滅ぼすのではないかと怖れていました。そこで彼の導き出した結論は人類を支配し短期間で宇宙航行種族に引き上げるというものでした。その方法はあまりにも危険で、そのために自滅した種族はいくらでもあります。我々はいくどとなく議論を重ねましたが、結局決裂し、あまつさえ彼はあなた方の協力を単独で仰ごうとした私の連絡艇を撃墜しようとさえしたのです」

「そこで、自由主義の盟主アメリカに捕われたあなたに対抗してアーモンドアイは共産主義による人類支配を画策したというわけか」生まれて初めてまのあたりにする異星人の姿に、剛腕でならすフーバーも動揺を隠しきれず、後退した額ににじんだ汗をぬぐった。

「その通り。ソビエト連邦の崩壊により彼の目論みはついえましたが、今度は、自らが造物主になるという、より効率的かつ直接的な人類支配を策略しています。セム系の宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を統一すれば、人類の半分以上を支配したことになり、政治、経済的には世界を支配したも同然です」

「中国と日本が聞いたら怒るかもしれんが、確かにその通りだ」フーバーが小笠原の方をちらりと見ながら言った。「さらに悪いことには、エフセスは統一に成功しつつある。人類が二千年かかってなしえなかったことを十年やそこらで実現しようとしているのだ」

「もしそうなればあなたがただけでなく私の未来もないのです。御協力をいただけますねミスターオガサワラ」

「うむ‥‥」 

 セム系一神教とは対極にあるヤオヨロズの神の国の人間にキリスト教徒三人と宇宙人の視線が集まった。小笠原が口を開こうとしたその時、ワイズマンの前の電話が鳴った。ワイズマンが反射的に受話器をとる。暗号化通信のプロトコルが確立するまで一瞬の間があった。

「どうした?」電話器のLCDに発信者が明示されていた。航空管制室・アンダーソン少将。

「アンダーソンです。敵性不明機13、大平洋より一直線にこちらにむかっています」

「なに」ワイズマンの表情が険しくなる。気配を察した文民たちに緊張が走った。

「フレズノのANG部隊がアクティブ・エアスクランブルしましたが全機撃墜されました。パイロットが鳥と交戦中と報告してきています。おそらくエフセスのシームルグと思われます」

「わかった、すぐ行く」

「どうしたの?」キャンベル大統領が不安げに聞く。タカ派の米軍最高司令官だが、実戦の経験はない。

「エフセスの攻撃部隊がこちらにむかっています」

 動揺が室内を包む。グレイだけは表情を全く変えなかった。変えていたとしても人間に察知できるかどうかは不明である。

「我々がここにいることを知っての攻撃なの?」

「おそらく。タイミングが良すぎます。エアフォースワンをトレースされたかもしれません。しかし、まさか実動可能なシームルグ部隊があるとは思いませんでした。みなさんは地下回廊のリニアチューブでユタのGSO本部に脱出してください。対地中振動弾を使われるとこのバットケイブも無事ではすみません」

「シームルグ?」キャンベルが質問した。フーバーと小笠原はすでに腰を上げている。

「エフセスの空戦兵器です。DNA工学で造り出された怪鳥にジェットエンジンを積んだ生きた戦闘機とでも言うべき代物です」


      5


 爆発。

 シームルグたちは鳥としての本領を発揮していた。翼を広げ、航空機には不可能な機動で海兵隊のF/A-18Eスーパーホーネットを追いつめる。シームルグの嘴の中に搭載された荷電粒子ビーム砲は高空用に設計されており、空気密度の高い低高度では威力が半減するが、それでも通常のドッグファイトにおいて敵機を撃墜するには充分すぎる破壊力を有していた。直撃をくらったスーパーホーネットは、蒸発、飛散、引火、爆発の過程を経て次々と空に散った。その自律シームルグの戦闘を上空から見守っているのは、クロイケンの搭乗する有人型シームルグである。初の実戦となる自律シームルグのデータ収集を行ったクロイケンはおもむろに命令を発する。

「よくやった。最終目標のエリア51に急げ」

 シームルグたちは編隊を組み直し、大盆地を目指す。


 エリア51内の航空管制室は、その生存性の高さから有事に際しコロラドのNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)に匹敵する航空管制能力を発揮することを期待されて設計されており、コンパクトながら極めて高い情報処理能力を有していた。今、この部屋には警戒ステーションやE-3A早期警戒管制機(AWACS)からのリアルタイムデータが集められ、正面の情報表示板の地図の上にシンボル化されて表示されていた。しかし、その中のF/A-18Eを表す橙色のシンボルだけが次々と消えていく。

 側面のドアが勢いよく開き、ワイズマンが入ってくる。警備兵の敬礼を無視し、情報表示板を見つめながら部屋の中央に向かった。

「状況は?」

「現在カリフォルニアとの州境付近で、ミラマー、エル・トロ両基地を発進した海兵隊航空隊が交戦中ですが、全滅は時間の問題です。長官の名前で撤退させてください。非常防空体制下では私の権限がおよびません」答えたのはサミュエル・アンダーソン空軍少将。エリア51の基地司令官であり、アストリア計画の事実上の責任者である。アメリカ建国以来初めてとなるこの緊急事態下においても、動揺した様子は全く見られない。

「どうする気だ?手はあるのか?」

「ネリスの999スコードロンを上げます」

「トリプルナインズを?」

「彼らは全員GSFに転属予定の連中です。やってくれるはずです」アンダーソンは基地指令専用の受話器を手に取った。


      6


 午後の訓練飛行のために整備を受けていた999THスコードロン”トリプルナインズ”の二十五機のF-22ラプターには急遽、六発のAIM-120F・AMRAAMと二発のAIM-9Xサイドワインダーミサイルが装備され、ブリーフィング中だったパイロット達に出撃命令が下された。国籍不明機による本土強襲という異常事態に、さしものエースパイロット達も驚きを隠しえなかったが、言葉すくなに装具を身に付け飛行列線に向かった。次々と一糸乱れぬ離陸でネリスをあとにする猛禽類の群れ。ただならぬ気配を察したネリスの地上係員たちは緊張の面持ちでそれを見送った。

「ボギーズ、ブルズアイ、12オクロック、距離200、高度1万5千」シームルグの群れは正面からF-22に襲いかかろうとしていた。

「敵性機はすでに友軍機を二十八機撃墜している。通常交戦規定は無視。遠慮はいらん、たたき落とせ。彼らの目的地はマダムのいるグルームレイクだ。騎士達は女王陛下を守り抜け、いいな!」無線を通して編隊長リー中佐の檄が飛ぶ。

「ランバート中尉」

「はい!」唐突に編隊長から名を呼ばれたキャロルが反射的に答えた。

「実戦は初めてだろうが、いつもの調子でいけば大丈夫だ。‥‥グラント大尉」

「イエス」

「ランバート中尉の補佐につけ」

「ラジャー」

 他のトリプルナインズのパイロット達は第二次湾岸戦争での実戦経験があったが、最年少のキャロルだけはこれが初の実戦であった。歴戦の勇士、ブライアン・リー中佐はキャロルの精神状態を推し量り、彼女の最も信頼する人物をサポート役に抜擢した。ジョニーは我が子を見守る親のように、フィアンセを守るべく自機をキャロルの12番機の斜め後方につける。

「グルームコントロール、アンダーソンだ。今回のミッションはグルームコントロールからのGCIで行われる。各機こちらの指示にしたがって進路をとれ」軍の最高機密であり、名前を口に出すことすら許されないエリア51の航空管制が指揮をとることなど、通常ではありえない事態であった。

 斜め一列のエシュロンフォーメーションが解かれ、999THスコードロンのF-22は攻撃編隊に移行する。ジョニーは自機をキャロルの機の横へ持っていった。コックピット越しにキャロルが気付くのを待ってヘルメットの耳をつつく合図をした。11番機と12番機の個別回線を開く合図である。

「キャロル」

「ジョニー?」軍規違反のジョニーの行為にキャロルは戸惑った。

「絶対に無理をするな。実戦は演習とは違う、自分の力を過信すると命とりだぞ」

「わかってるわ。ありがとう」強がって答えたキャロルであったが、婚約者のそのアドバイスはキャロルの緊張をほぐし、気負いを取り去るのに充分であった。

「いい子だ。帰ったらヴェガスで式をあげるぞ」

「ジョニー!」キャロルが驚いて11番機を見た時には、すでにジョニーはバンクを深く取って旋回していた。

「バンディット! 距離100、ヘッドオン」

「2番から10番、AMRAAM発射準備、11番12番は上昇して頭を押さえろ!」

編隊長の指示に従ってキャロルとジョニーは急上昇する。

「グルームコントロール、照準リンク」コンピューターの合成された女性の声が淡々と響く。ネリス管制システムの有効範囲内での戦闘であり、最新鋭の防空要撃システムによって中長距離ミサイルの照準もデータリンクでコントロールされる。

「4番フォックス・ワン!」

「7番フォックス・ワン!」

「2番フォックス・ワン!」

 次々と発射されるボーイング社製AIM-120F中射程空対空ミサイル〈AMRAAM〉。従来のミサイルのように煙の航跡を引くことなく二段式ロケットモーターによってぐんぐん加速され、ミサイルは目標に突進した。


 「ネリスからも出迎えがあるとはな。無駄なことを」クロイケンはシームルグ各機に自由回避を指示した。真正面から接近するミサイルに対し、シームルグたちは回避運動すら行わず一直線に突っ込んでいく。AMRAAMは自らの内蔵レーダーによる最終段階の誘導で各ミサイルに割り当てられた目標に向かって軌道の微調整を行う。パイロット、モニターを見つめる管制官、そしてAMRAAM内蔵のコンピューターさえもが命中を確信した時、シームルグたちは、あるものは翼を翻し、あるものは首をすくめ、マッハ3.5で飛来するミサイルをかわした。AMRAAMの近接信管が作動し、ミサイルが自爆した時には、すでにシームルグはその場所にはいなかった。


「全弾ミスしました」オペレーターの声に落胆と驚きの響きがうかがえる。

「なんということだ‥‥」ワイズマンがつぶやく。

「AMRAAMは鳥をおとすようには造られていません」アンダーソンが言った。「勝負は格闘戦です」


「一発もあたらない?」キャロルはわが眼を疑った。彼女が空軍に入って以来ずっと聞かされてきたAMRAAM神話の崩壊の瞬間であった。

「油断するな、くるぞ」リー中佐の声が各パイロットのヘルメットに響いた時には、すでにトリプルナインズは散開し、各自が迎撃体制にはいっていた。兵装モードがAIM-9サイドワインダーミサイルにセットされ、ヘッドアップディスプレイのレーダー表示が短射程ミサイル用に切り変わる。AIM-9Xの赤外線シーカーが目標を探し求めるが、真正面から接近するシームルグの通常より低温の排気にロック・オンは困難を極めた。そのスキに一気に距離を詰めるシームルグの群れ。

 ラプター7番機のパイロットはサイドワインダーをあきらめ、兵装をガンに切り替えた。急速に大きさを増す敵影に対し、二十ミリ弾の弾幕を張ろうとする。その時、巨大な影がF-22のコックピットを覆った。

「鳥?」

 太陽を背に翼をひろげたシームルグが日光を遮る。ひるむパイロット。シームルグの翼端の衝角がコックピットを引き裂く。操縦者と制御装置を失ったラプターは機首を下にして墜落していった。


 翼をひねり、体を捩ったシームルグが非常識ともいえる旋回半径でラプターの後に回り込む。パイロットが気付いたときにはシームルグの嘴が開き、雄叫びともに粒子ビーム砲が炸裂し、パイロットともども霧散した。他方、シームルグが後上方よりF-22に襲いかかる。胴体後部のコーンが開き、両脚のするどい爪がラプターを捕えた。突然、怪鳥にのりかかられたパイロットは慌てて機体を左右にロールさせて振り落とそうとするが、次の瞬間、コックピットをついばまれ、射出座席ごと空中に放り出されて絶命した。シームルグは満足げにラプターを掴んだまま雄叫びをあげた。実戦経験のない幼若シームルグのその一瞬のスキをリー中佐は見逃さなかった。

「化け物め!」

シームルグが気付いた時、1番機のM61A2バルカン砲が火を吹いた。ポリカーボネイトの眼が砕け、血液とオイルが飛び散る。

「何なんだ、こいつら‥‥」それは戦争ではなく動物を相手にした格闘であった。


 ジョニーの背後にシームルグが回り込む。ジョニーは反射的に左のラダーを踏み込み、操縦桿を一杯に倒してブレイクすると、ラプターをスパイラルダイブに持ち込む。ターゲットの予想外の降下に、シームルグはたまらず翼を広げて急制動をかける。その時、降下するジョニーとすれ違うようにキャロルのF-22が真下から急上昇してきた。一瞬で形勢は逆転した。ラプターの右側機体上面の六角形の砲口が開き、一秒間に百発の弾丸が発射される。腹部に二十ミリ砲弾をくらったシームルグは悲鳴のうちに爆発した。

「いいぞキャロル、その調子」

 ジョニーとキャロルは編隊を組みなおし、次の獲物を見つけ襲いかかった。キャロルの発射したAMRAAMの追尾をかわすため、シームルグが急降下から急上昇に転じた瞬間、死角から一気に間合いを詰めていたジョニーがトリガーを絞る。翼を引きちぎられ、シームルグは絶叫しつつきりもみ状態で落下していった。


 ヘルメット内に響くミサイル弾頭の目標補足信号が甲高い悲鳴のような音になった。ロックオン。

「15番、フォックス・ツー‥‥」ラプター15番機のパイロットはコールとともにミサイル発射ボタンを押したが、AIM-9Xサイドワインダーは点火されることはなく、パイロンに固定されたまま粒子ビームで粉々に砕け散った。自分の背後で何が起こったのかパイロットが察した時には、15番機の機体は真っ二つになっており、次の瞬間、オレンジと黒の爆炎に包まれた。

「自律機だけで作戦遂行が可能とはよくいったものだ。まったくスキだらけじゃないか」四機目のラプターを葬りさったクロイケンが爆炎をつっきりながらつぶやく。「それにしてもこいつらいい腕だ。ネリスの最精鋭ってところか‥‥」クロイケンの研ぎ澄まされた感覚が脅威警報装置よりも早く後方からの敵機の接近を知らせた。瞬時のブレイク。機体をかすめる曳光弾。

「ちっ」しかし脅威警報装置は鳴りやまなかった。キャロルがバルカン砲を撃つ直前に発射したサイドワインダーがクロイケンのシームルグを追いつめる。

「やる!」

 クロイケンはシームルグの体をひねり込み、サイドワインダーをかわす。固定翼の戦闘機にはとうてい不可能な機動である。しかし、その無理な機動はシームルグの運動エネルギーを大きく失わせる結果となった。再び後をとるキャロルのラプター。ヘッドアップ・ディスプレイ上のターゲットコンテナの四角い枠がクロイケンのシームルグを捕えて離さない。照準レティクルがコンテナに重なろうとした時、有人シームルグのコックピットのガラスが太陽光を反射した。

「キャノピー?人が乗っているの?」人間の乗る戦闘機を撃墜しているという意識のなかったキャロルはその事実に一瞬たじろいだ。そのスキにクロイケンは右にブレイクし、射線から逃れる。旋回性能でラプターをはるかに上回るシームルグのシザーズ戦術に振り切られることなく、キャロルのラプターは必死で追いすがる。

「いい腕だ」クロイケン、後方警戒ディスプレイに目をやりながらつぶやく。追う側のキャロルにはそんな余裕はない。ロッキード・マーチン社の開発者が想像だにしなかったような限界を越える機動でなんとかサイドワインダーのロックオンを勝ち取る。

「くらえ! フォックス・ツー!」キャロルは最後のサイドワインダーを発射した。

 シームルグのコックピットに警戒音が鳴り響く。機動による回避をあきらめたクロイケンは反応フレアを発射した。エフセスの核反応制御技術によってコントロールされた原子の火がシームルグの背後で燃え上がり、広帯域にわたって強力な赤外線スペクトルを放射した。AIM-9Xの赤外線シーカーは完全に目標を見失い、あらぬ方向へ飛び去った。その明るさはミサイルだけでなく、発射したパイロットすらも眩惑した。

「フレア? なんて明るさなの!」一瞬、視覚をうしなったキャロルの下方より別のシームルグが接近する。

「キャロル、下だ!」

 ジョニーの声に、キャロルは反射的にブレイクした。粒子ビームが機体をかすめる。

「落ちろ!」ジョニーのF-22の機体上部のバルカン砲が火を吹く。ヘッドアップ・ディスプレイの残弾カウンターが瞬く間に減っていく。シームルグは全身に砲弾を浴び、肉片を飛び散らせて爆発した。反応フレアが消えた時、すでにクロイケンは機体を反転させて、ラプターを射界にとらえていた。

「!」ジョニーは自らの置かれている状況を察知した。正対する有人シームルグ。ジョニーは反射的にトリガーを絞ったが。ラプターは反応しなかった。残弾数ゼロ。

「ジョニー!」キャロルは必死で機体をコントロールしたが、ブレイクによって大きく外れた射撃軸線を取り戻すことは容易ではなかった。クロイケンはシームルグに射撃を指示した。粒子ビームを真正面から浴び、ラプターの機首が蒸散した。一瞬の後の爆発。緊急脱出の時間的猶予などあろうはずもなかった。

「ジョニー!」旋回しながらキャロルはすべてを目の当たりにしていた。

「ジョニー!!」キャロルは酸素マスクのバヨネットをリテンションから引き抜きながら叫んだ。自らの声でジョニーをこの世に呼び戻すため。しかしそれは、パイロットとしてあまりにも大きなスキを敵に与えることとなった。クロイケンはキャロルの後ろをとった。シームルグが嘴を開く。キャロルの戦士の本能が警告を発する。ブレイク。

 粒子ビームはラプターの左垂直尾翼をかすめた。方向舵が宙に舞う。左エンジンが火災警報を発する。急激なブレイクによる旋回Gが振り向いたキャロルの瞳から涙の粒を散らす。

「よくも」キャロルは後方にフィアンセの仇を視認した。

 キャロルは操縦桿をいっぱいに引いた。高度に教育されたF-22のコンピューターがパイロットの意図を察知し、4GHzのCPUが推力偏向ノズルを上向きにするよう命令を発した。火を吹いている左エンジンはその命令を無視したが、右エンジンはそれに応えた。片方の垂直尾翼と推力を失っているキャロルのラプターは機首を大きく振りながら垂直に立ち上がる。機体全体で風を受け巨大なエアブレーキと化したラプターは急減速した。クロイケンはたまらずシームルグの翼を開いてオーバーシュートをかわす。90度の迎え角に乱れた気流はラプターのF-119-PW-100エンジンをストールさせた。エンジンが停止し、主翼が失速状態になりながらもキャロルは機体をインメルマン旋回させ、クロイケンと正対した。

「何ィ!」常識を超えたキャロルの機動はクロイケンをたじろがせた。

「よくも!!」

 エンジンが停止し、不気味なほど静かになったラプターの機内にバルカン砲の轟音が響き渡る。あまりの至近距離にクロイケンはかわしきれす、胴体を避けて翼で受けるのが精いっぱいだった。シームルグはバランスを失い、墜落を始めた。キャロルは放心状態で見送る。その時、ラプターの左エンジンが爆発した。


      7


 干上がった塩湖の白い表面に残る深い傷跡、そしておびただしい量の血。最後の瞬間までパイロットを守るべく自らの体を犠牲にしたシームルグの最後であった。息絶える間際にシームルグはエンジンの動力をカットして爆発を防ぐとともに、パイロットの生命維持装置の動力を内蔵バッテリーに切り替えた。キャノピーを大きく開き、僚機に救難信号を発すると、その人工的な短い生涯を終えた。シームルグの献身的な不時着にもかかわらず、着陸時の衝撃はクロイケンの気を失わせるのに充分なものであった。午後の太陽がコックピットの中で意識を失っているクロイケンに降り注ぐ。

 人影が突然、太陽光線を遮った。金属的な拳銃のコッキング音が兵士クロイケンの意識を呼び覚ました。反射的に身を起こしたクロイケンは、逆光の中で銃を構える人影を認めた。目の焦点が合ってくるに従い、それが女性であることを認識する。

 キャロルはハンマーを起こしたヘッケラー&コック・Mk23SOCOMピストルをクロイケンの眉間に向けた。拳銃を握る右手から鮮血が滴り落ちる。緊急射出の際に負傷した右下腕の動脈性出血は華奢なキャロルの体から容赦なく血液を奪っていく。見つめ合う二人。やがてクロイケンはあきらめたかのように微笑むと、ハーネスのリリースボタンを押し、おもむろに両手を上げた。

「動かないで!」キャロルが叫ぶ。息遣いが荒い。すでに視界は色彩を失いかけている。

「驚いたな、いい腕だと思ったが、女だったとは」

「何者か知らないけど‥‥許さない、よくもジョニーを‥‥」

「ははん、そういうことか。どうりで息の合ったペアだと思った。しかしお嬢さん、これは戦争だ、悪く思わないでくれ‥‥」

 キャロルの頬に一筋涙がつたう。

「‥‥といっても無理か」

「だまって!」

 引き金に力がはいる。その筋肉の収縮がさらに血液を搾り出す結果となった。キャロルの意識が遠のき、銃口が下を向いた。発射された弾丸は地面の塩の結晶を抉った。握力のなくなったキャロルの右手は四五口径弾の反動を押さえきれず、SOCOMピストルは手を離れ地面に転がった。クロイケンは素早い動作でコックピットから飛び出すと拳銃を拾い上げた。その上からキャロルが倒れ込む。意識の無くなったキャロルの体をクロイケンは両手でうけとめた。多量の出血により神秘的なほど蒼白になったキャロルの顔をしばらくの間クロイケンは見つめていた。髪は乱れ、顔面には脱出の際の擦過傷がいくつもあったが、それらは彼女の端整な顔立ちをいくらかも損なうものではなかった。クロイケンは開かれたキャロルの胸元のチェインに目を止めた。クロイケンは金属製の認識票を胸から引きだすと手にとった。認識票はキャロルの体温を湛えていて、ほのかに暖かい。

〈キャロル・ランバート〉刻印された名前と持ち主の顔をクロイケンは交互に見つめた。

 シームルグのコックピットの無線機が鳴った。

「大丈夫ですか、艦長」アデン副長の声である。

「ああ、なんとかな。振動弾を何発撃ちこめた?」

「六発です。残念ながらエリア51を完全に破壊するにはいたってません」

「初戦としては上出来だ、奴らの計画を遅らせればそれでいい」アデンの手前そうは言ってみたものの、クロイケンの本心は違っていた。どうせやるなら対地振動弾なんかじゃなく戦術核爆弾の五、六発も使わないと北米最大の地下基地を破壊するのは無理だろう。核兵器使用をアーモンドアイが認めるわけもないが‥‥。彼が恐れていたのは、この中途半端な攻撃によって多国籍軍事組織であるGSOの結束が固まり、アストリア計画が加速することであった。

「残ったシームルグを一機そちらに向かわせました。回収します」


 低空を飛来した一機のシームルグが翼をいっぱいに広げ、大きく羽ばたきながらクロイケンのそばに着地した、背中を曲げ、嘴を地面にこすりつけるようにして開く。嘴の中には人が一人なんとか乗り込めるだけのスペースがあり、このような場合を想定して、緊急用の座席とハーネスが装備されていた。クロイケンはなんとか狭いスペースに体を押し込むとハーネスを絞めた。シームルグは自らのリーダーを無事回収できた喜びに身を震わせると、短い滑走ののち岩塩で覆われた地面を蹴って離陸した。シームルグの羽ばたきによって発生した突風が意識を失って横たわるキャロルの頬を撃つ。彼女のノーメックス製の飛行服は血で赤黒く染まっていたが、もはや鮮紅色の動脈血が染み出ることはなかった。飛行服の右の袖は切り取られ、傷口は合成コラーゲンが塗布されたのち、見事な手際で包帯が巻かれていた。さらにその傍らには、LEDの明滅とともに救難信号を発する発信機が寄り添うように置かれていた。

章二 ナターシャ・アレクサンドルフの場合


      1


 モスクワの北約八百キロ、フィンランド国境に近いカレリア共和国の首都ペトロザボーツクは、オネガ湖を臨む段丘に広がる美しい港湾都市である。北欧の短い夏の間、街は沖合のキジー島を訪れる観光客で賑わうが、寒さの残る今はまだ訪れるものは少ない。ペトロザボーツク市街から湖沿いにカラマツ林を車で一時間程抜け、人々の生活の気配がなくなってきたあたりに、その建物はひっそりとたたずんでいた。

 ソ連科学アカデミー宇宙電磁波研究所。旧ソ連時代には絶大な権力を誇った科学アカデミーの闇の部分を担う施設であり、当時はAK74ライフルを抱えた警備兵に守られながら多くの研究者が軍事目的の極秘研究に従事していた。しかし、月日は流れ、ソビエト連邦の崩壊とともに大半の設備や機密書類は運び出され、施設はうち捨てられたまま廃虚の様相を呈し始めていた。敷地を取り囲むように張り巡らされた鉄条網はいたるところで寸断され、無数の侵入者が建物内を荒らし回ったことを示している。窓ガラスは割れ落ち、ガラス片の散乱する廊下は上層階にいたるまで雨や雪にさらされていた。

 7階建てのビルディングの中央、正面玄関の前の車寄せに黒いメルセデスのSクラスがエンジンをかけたまま停車していた。玄関ホールの奥、地階へ通じる階段でマグライトの明りが揺れる。しばらくして乾いた靴音とともにロシア空軍士官のダークグレイの制服に身を包んだ長身長髪の女性が階段をあがってきた。ナターシャ・アレクサンドルフ空軍少佐。灰色の瞳、鋭く尖った鼻、薄い唇、そのいずれもが彼女の軍人としての能力を体現しており、ゆるやかな曲線を描く長い黒髪とスラブ人特有の白い肌のコントラストがその美貌を際立たせていた。ナターシャの姿を認め、メルセデスの運転席からスーツ姿の男が降りてくる。

「お急ぎください、少佐。たった今ペトロザボーツク空港に国連機が到着しました」

 ナターシャは軍靴を覆うビニール製の靴カバーと両手にはめていたラテックスグローブを脱ぎ捨てると、腕時計に目をやった。午後一時二十分。

「予定より二時間も早いわ。ワイズマン長官もかなりあせっているようね」

「今回のエリア51の一件で、沿岸諸国は一気に色めき立っていますから。いつ自分たちの首都がエフセス機動艦隊に攻撃されるかもしれないとなれば、当然の反応でしょう」

「アストリア計画を遅らせるつもりが、逆に加速させることになったわけね。皮肉だわ」

 男は後席のドアをあけた。

「スパシーバ(ありがとう)」ナターシャはロングホイルベースのゆったりした後部シートに身を沈めた。

「いかがでした?」運転席に乗り込んだ男がシートベルトをしながら訊ねる。

「ひどいものだわ。中は荒らされ放題。放射性物質も散乱してるし。こんな所で地元の子供たちが遊んでいたなんてゾッとするわ」

「何か見つかりましたか」

「いいえ。アーモンドアイがいた最下層は徹底的に破壊されていたわ。UFO研究者達があさりまわった跡はあったけど」かすかなV型八気筒エンジン音の高まりとともにメルセデスはなめらかに動き始める。研究所の正門には装甲車両が待機し、若い陸軍兵が敬礼しながら車を見送った。車がカラマツの林を抜ける道にさしかかった時、あらためてナターシャは振り返り、研究所の全景を目に焼き付けた。

「ロシアの軍人がマジェスティックのために働く日が来るとは‥‥祖父が知ったらなんて言うかしら」

「アレクサンドルフ博士もお喜びになるかもしれません。アーモンドアイの野望をいちはやく察知された博士はマジェスティックと接触を試みておられましたから」

「そしてKGBに暗殺され、家族は東へ追われたわ。ソビエト連邦がなくなっても祖父の名誉が回復されることはなかった。そのあとの父と母の苦労を思うと‥‥」

「今こそアレクサンドルフ家の汚名をはらすときです。少佐」ルームミラーを介して二人の目が合った。ナターシャが微笑む。

「そうね。行きましょう」


      2


 ダハーブ共和国。

 スワヒリ語で黄金を意味するその国は、北東アフリカ、アフリカの角の付け根に位置し、原油、金、ダイヤモンドなどの地下資源に恵まれた豊かな国である。世界創世の時代に楽園エデンが存在したとされる地にコプト教派が中心となって建国したダハーブは、二十世紀後半、東西冷戦構造の崩壊によって経済的自立を余儀なくされたが、そこで天然資源の輸出に頼ることなく、自ら国営重工業企業体ジェネラルプロダクツ社を設立し、その優れた技術によって第三世界唯一の工業国となった。隣国であるエチオピアやソマリアの惨状を考えると、まさにそれは”アフリカの奇跡”の名に恥じない繁栄ぶりであった。しかしながら、その国力とジェネラルプロダクツ社の技術力に基盤を置く軍事力は、建国以来北アフリカと対岸の中東情勢に不安定要因を投げ掛け続けていた。

 アデン湾に面する首都エデナの中心部、林立する高層ビル群に囲まれるようにして、巨大なエフセス中央神殿が兀然と聳えていた。後期ビザンティンの建築様式をモチーフに、イスラム教徒にも受け入れられ易い中央会堂式モスクの形態をとるアフリカ最大の教会建築は、中央の巨大なドームを取り囲むように八本の土筆状ミナレットが正八角形に配置され、荘厳さと繊細さの同居した二十世紀教会建築の白眉と賞されていた。絶対神を超宇宙的存在化したグノーシス思想を基にセム族系一神教の統一を唱えるエフセスは、ここエデナ中央神殿を総本山としてヨーロッパのキリスト教圏に浸透し、今やイスラム教徒はおろかユダヤ人の間でも確実に信者を増やしつつあった。

 恒例の土曜日の礼拝を定時きっかりに終えたドゥーサン師は、聖堂を後にする世界各地から集まった信者たちを見送ったあと、ドーム天井に配された旧約聖書の天地創造のフレスコ画を見上げて大きく深呼吸をした。月に滞在中の全能の神との面会を控えて気持ちを入れ替えたドゥーサンは、純白の生地に金糸の刺繍が一面にあしらわれた豪華な仕立てのキャロットと法衣を脱いで従者に手渡すと、ちらりと聖堂の壁の時計に目をやり、控の間の奥にある幹部専用エレベーターに急いだ。月とのレーザー通信回線が開かれるまであと四分しかない。


 エレベーターを降りたドゥーサンはすでに宗教指導者から軍人の顔に変わっていた。軍事組織エフセス最高指令マフ・ドゥーサンが、幹部達の間で謁見室と呼ばれる部屋に入ると、そこにはすでに二人の男達が待機していた。顔一面に髭をたくわえたアラブ人、潜水機動艦隊総司令アブドゥル・フォディオ大佐は、入ってきたドゥーサンに一瞥をくれると、すぐにまた不機嫌そうに視線を落とした。

「遅くなってすまない」ドゥーサンは部屋の奥のスクリーンに正対する自らの席につくと、あらためて襟を直した。

「信者どもの相手などレヴィにまかせておけばいいものを」フォディオ大佐がドゥーサンの後方から聞かせるでもなくつぶやいた。レヴィとはエフセス・アフリカ教区の大司教であり、教団内でドゥーサンに次ぐ地位を占める人物である。

「信者あってのエフセスだよ、アブドゥル。土曜日の礼拝のために世界中から集まる信者の熱意に答えることが私の職務だからね。彼らが我々を支持してくれているからこそ高価な兵器も開発できるし、君たち機動艦隊も思う存分活動できる」

「宗教家の詭弁だな。エフセスの真の目的を知る者とは思えん。アーモンドアイへの忠誠こそ‥‥」

 フォディオ大佐の言葉に反応したかのように、かすかなノイズとともに正面のスクリーンが点灯し、アーモンドアイと呼ばれる異星人が姿を現した。一見したかぎりではグレイとの識別は極めて困難であるが、その黒い目の周囲にわずかながら年齢の足跡が認められ、灰色の皮膚もグレイに比べると生気がなかった。

「月とのレーザー回線が繋がりました」末席で通信回線を同調させていたクロイケンがスクリーンを見上げながら言った。エリア51急襲作戦の部分的成功でクロイケンは潜水航空母艦マーリク艦長からシームルグ機動航空団司令に昇進し、エフセス最高幹部会議への参加を果たしていた、

「諸君、元気そうでなによりだ」アーモンドアイが三十八万キロ彼方から一同を見渡した。そしてクロイケンに目を留めると、

「やあクロイケン、昇進おめでとう。この前の作戦はご苦労だった。グレイのところにも少しは骨のある輩がいるようだな」

「ありがとうございます。満足の行く戦果を残せず、残念です」

 レーザー光が宇宙空間を疾走する間、1.3秒のタイムラグがあった。

「気にすることはない。シームルグがまだまだ不完全な状態でよくやったというべきだ」

 それならなぜ作戦を決行したのかと思わず問いただしそうになるのをクロイケンは堪えた。フォディオの浅知恵ならともかく、作戦の遂行にあたってはアーモンドアイも承認を与えているのだから。

「マジェスティックの本拠地であったエリア51を使用不能にしたことはGSOに額面以上のダメージを与えたはずだ。あとはアストリアの建造地だが、それに関して何か情報は?」

 アーモンドアイの言葉が途切れたのを確認してからフォディオ大佐が口を開いた。

「アリゾナに大量の資材が集積している形跡があり、地下基地の存在を裏付ける衛星観測データも得られています。やはり米国本土、それもアリゾナでアストリアは建造されていると思われます」

 アーモンドアイの表情に変化は無かった。異星人が答えないのでフォディオが続ける。

「攻撃型シームルグによる再度の強襲作戦を提案します。米国の本土防空能力の脆弱さはクロイケンが証明してくれた通りです」

 その発言に対し、フォディオの背後でクロイケンはあからさまに不快の表情を浮かべた。背後のクロイケンの気持ちを汲み取ったかのようにドゥーサンが発言する。

「強襲はいいが有人機をつけるにはリスクが大きすぎるな。やるとしても自律シームルグのみの作戦とするべきだ」テーブルに両肘をつくと、指を組んでアーモンドアイに最終的な決断を預ける意思表示をした。しばしの沈黙ののち、アーモンドアイはおもむろに口を開いた。

「たとえ攻撃に失敗しても、少なくともGSFの戦力に関するデータは得ることができる。フォディオ大佐、作戦の指揮をとりたまえ」

 アーモンドアイのその言葉でフォディオの表情が歓喜に満ちあふれる。

「ありがとうございます」

 その時クロイケンの前の制御盤が警告音を発した。

「GSFの監視衛星が上空を通過します。五秒後に回線を切断します」満足げなフォデイオの映像を切断できることができ、クロイケンは少し溜飲が下がるのを感じた。

「良い知らせをまっているぞ。諸君、幸運を祈る」ポップノイズとともにアーモンドアイの姿は消えた。


 艦隊司令部に向かう廊下で、クフル・アデンがクロイケンを待っていた。

「どうでした。初の謁見は?」

「アリゾナでアストリアが建造されていると本気で思っているとは、めでたい奴だ」

「またフォディオ司令ですか」

「どう考えてもアリゾナの基地は擬装だ。国際市場での軍用特殊合金の流通をもう一度洗い直そう。レーザーと核融合関連の資材もだ。あと、北アメリカ周辺海域の潜水艦の動きを警戒するんだ。攻撃艦の5番から8番艦までを哨戒任務にあたらせろ」クロイケンはそこで声のトーンを一段下げて付け加えた。「司令に気取られない用にな」

「了解しました」

 任務に忠実なアデンは、このような状況下で最大の能力を発揮した。

「そのうちフォディオがシームルグと潜水空母を出せと言ってくるだろうから用意しておけ。シームルグは帰ってくると思うなよ」

 

      3


 全身を漆黒の電波吸収性塗料で覆われた戦闘機が二機、カリフォルニアの空を切り裂く。まるで空に向かって万歳をしているかのように主翼を前方に突き出した独特の機体は、一度見たものに強烈な印象を与える。スホーイS-37ベルクート、グラマン社とNASAが開発したX-29に続く、世界で二番目の前進翼戦闘機である。単なる実験機の色合いの濃かったX-29に比べると、ベルクートは兵装システムを完備し、実戦配備可能なレベルの完成度を有していた。世界保安機構軍(GSF)は、財政上の問題から開発を中止され、スホーイ設計局の格納庫で眠っていた二機のS-37をロシア政府から購入し、エンジン、レーダー、アビオニクスなどを最新のものに換装して、世界最強の戦闘機を創りだした。カナード翼を含めた三翼面に二次元偏向ノズルを装備し、並ぶものの無い機動性を手に入れたECS(脳波誘導)高機動試験機スホーイS-37ベルクート改。垂直尾翼には赤い星の代わりに、新たな所有者となった世界保安機構(GSO)のエンブレム〈オリーブのクレストに二連星〉が描かれている。

「まさかロシアのスホーイに乗ってフランカーの女王と翼をならべることになるとは思わなかったよ」アメリカ空軍999THスコードロン”トリプルナインズ”隊長ブライアン・リー中佐が言った。

「私もですわ、中佐」ロシアの軍籍を離れGSFのパイロットとなったナターシャ・アレクサンドルフが答えた。「ベルクートに乗ってカリフォルニアの空をとぶことになるなんて夢にも思いませんでした」

 東西の軍事大国を代表する両パイロットはシームルグ迎撃のためカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地を緊急発進していた。

「敵機接近、12オクロックハイ、ヘッドオン」AWACS機からのリアルタイムデータがベルクートの多目的ディスプレイに映し出される。

 高度のハンディキャップを挽回すべく二機はアフターバーナーに点火して急上昇する。リー中佐はナターシャの後方に回り、トレイル・フォーメーションを取った。上方からは翼をたたんでシームルグの群れが矢のように急降下してくる。先頭の三機のシームルグが嘴を開き、ナターシャのベルクートにむかって粒子ビームを浴びせかけた。ナターシャはビームの軌跡が見えるかのように翼を翻して初弾をかわすと、ベルクートの三翼面と二次元偏向ノズルをフルに使って瞬く間にシームルグとの間合いを詰める。炸裂する三十ミリ機関砲。三機のシームルグは肉片を飛び散らせながら爆発した。

「さすがだな‥‥」リー中佐は思わず感心の言葉を漏らした。「よし、俺も」

 リー中佐、シームルグの群れの側方をつく。ベルクートとシームルグが水平面で絡み合う。その時、ベルクートの翼が激しく左右に振れ始める。

「!」

 リー中佐の必死のコントロールにもかかわらずベルクートはスピン状態に陥った。エンジンストールの警報音がコックピットに鳴り響く。リカバリー不能の失速旋回となったベルクートは地表に激突した。

 ブラックアウト。


「接続を解除しろ!」アンダーソンの指示でシミュレーターがスタンバイ状態になり、冷却ファンの音が静かになった。

「中佐、大丈夫か?」

 ガラスで隔てられた制御室のアンダーソンの声はヘッドセットでピックアップされ、シミュレーター室のスピーカーから響く。階下の超伝導コンピューターと直結した三基のモーションフライトシミュレーターのうち、稼働していた二基のアームがスタンバイ位置に戻り、昇降台がハッチに横付けされる。ビープ音とともにハッチが開き、ナターシャとリー中佐がそれぞれのシミュレーターから這い出て来た。ナターシャは何事もなかったかのように平然と脳波感知ヘルメットを係員に手渡すと、軽やかな足取りで床に降り立った。一方、リー中佐は疲労困憊の体で、短く刈り込んだ髪は汗でぐっしょりと濡れていた。制御室に入ってくるなり、リーは給水器の水を紙コップに満たすと一気に飲み干した。ナターシャはコーヒメーカーのコーヒーをカップに満たし、一口すすってあらためてアメリカンコーヒーのまずさを実感した。

「いい感じだったんですけどね。普通に飛ぶ分には問題ないんですが‥‥」リーはくやしげに制御卓を右手の拳で叩いた。

「確かにな」アンダーソンが言った。「モニター上も順調だった」

「ひとたびコンバットマニューバーにはいるとダメですね。冷静なつもりでも機体が過剰反応して‥‥いったん制御を失うともう回復は不可能です。これじゃあとてもじゃないが実機には乗れません」

「原因はわかるか?」アンダーソンがシミュレーションのデータをモニター上で検証している若い研究員に訊ねた。

「やはりノイズですね」研究員がアンダーソンにも見えるように体を開きながらモニターを指さした。地震計の針が描いたような細かい右肩上がりの折れ線がレッドゾーンに突入している。「脳波中のノイズの蓄積がフィルターをオーバーフローさせています。男性パイロットは神経電位が低い上にバックグラウンドの筋電位ノイズが高すぎます。これだけS/N比が悪いとフィルターでは処理しきれません」その下のナターシャのデータでは、グラフは水平で安定していた。

「やはり男では無理だというのか」

「それでは話にならん」背後のソファーに腰掛けていたワイズマンが割って入った。全員が振り返る。「ECSはあきらめるしかないな」

「それはできません」リー中佐が反論した。「このまえのシームルグとの戦闘で、私のスコードロンは四割のパイロットを失いました。空軍選りすぐりのパイロット達が最新鋭のF-22ラプターに搭乗して損失率が四〇%です。おまけに相手は初戦で学習効果のない言わば幼児のシームルグ、この調子で戦えば数カ月でGSFのパイロットは底をつくでしょう」リーの口調には多くの優秀な部下を失った悔しさが滲み出ていた。アンダーソンがそれを引き継ぐ。

「物量では量産されるシームルグに太刀打ちできません。我々が求めるのは生還率九九%以上のパイロットです。そのためにはECSは不可欠です」

「しかし、使える人間がアレクサンドルフ少佐ひとりでどうしろというのだ。脳波制御抜きではセイレーンの開発など画餅もいいところだ。アストリアがあれば理論上は一小隊で全世界をカバーできるわけだが、それでもパイロットが最低三人は必要だ。ただ女性というだけでなく、最高の戦闘機パイロットである人間が世界にあと何人いる?」

「少なくともあと一人はいます」リー中佐がきっぱりとワイズマンの質問に答えた。

「君の隊のランバート中尉か。しかし、婚約者を失ったショックで除隊願が出ているというではないか」

「私が説得にいきます」静かにコーヒーを味わっていたナターシャが始めて口を開いた。「こういうことは女どうしが一番ですから」

 いつもながらの女王の自信に満ちた態度にアメリカ人の男達は返す言葉を持たなかった。

 

      4


 カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地からネヴァダ州のネリス空軍基地まで、直線距離で約三百五十キロをナターシャは米空軍のシャトル機を利用して移動した。兵士だけでなく多くの一般職員を抱えるネリス空軍基地は、基地内の病院も市中の病院に引けを取らない立派なものであり、多くの職員が国連統括軍のダークブルーの軍服をまとった美しいロシア人女性士官を奇異の眼差しで迎えた。案内された六階の外科病棟では、東洋人の若い医師がナターシャを待っていた。二人はエレベーターホールで握手と短い挨拶を交した。

「ランバート中尉の様子はどうですか、ドクター?」

「体の方はもう大丈夫です。二、三日中には退院許可を出せるでしょう」日系四世のヤマザキ医師が答えた。「それもこれも応急処置が適切だったおかげです。三月とはいえ炎天下のデスバレーでの失血状態ですからね。放置されたら助からなかったでしょう」

 その応急処置を施したのが婚約者の仇だとは‥‥。ナターシャはキャロルの心の傷を思いはかった。

「問題は精神的なダメージですね。元の任務どころか、飛行機に乗ることさえ無理かもしれません」ヤマザキが続けた。

「ということは、精神的に回復すれば、すぐにでも復帰できるってことですわね?」

「えっ」ヤマザキにとってはあまりにも予想外の質問であった。

「ま、まあ、それはそうですが」

「ありがとう。それが聞きたかったの」


 ブラインド越しの午後の陽射しの中でキャロル・ランバートは眠っていた。頬と額の傷はわずかな痂皮となって残るまでに治癒しており、ヤマザキ医師が言うように肉体的にはほぼ回復していることは見た目にも明らかであった。

 人の気配を感じ、キャロルは目を覚ました。かすかな呻きをもらすと、眩しそうに薄目を開けた。枕元に立つ軍服姿の来客のシルエット。キャロルの中で状況を整理するのに数秒を必要とした。

「おはよう、調子はどう?ランバート中尉」ナターシャは旧知の間柄であるかのように親しげに訊ねた。

「あなたは?」目頭をこすりながらキャロルは上半身をおこした。

「ナターシャ・アレクサンドルフ、国連統括軍パイロット」言いながらナターシャは右手を差し出した。キャロルは気だるそうに握手で答える。ナターシャは勧められるでもなくベッドサイドのスツールに腰をかけた。

「急いでエドワーズから飛んできたものだから、花を買うヒマもなかったわ。手ぶらでごめんなさいね」

 キャロルはナターシャの素性を見極めるかのようにその顔をじっと見つめている。

「ロシア空軍ルスキー・ビチャジー飛行隊”フランカーの女王”が私になんの用?」

 ルスキー・ビチャジー飛行隊、英名ロシアン・ナイツはロシア空軍の誇る曲技飛行チームである。一般的に曲技飛行には不向きと考えられる重戦闘機スホーイSu-27フランカーを用いたダイナミックな演技は、世界でもトップクラスの評価を得ており、ナターシャはその中でもソリストとして数々の単独演技をこなしていた。

「あら、知っていてくれてうれしいわ。でもそれはずいぶん昔の話よ」

「訓練生の時、パリであなたのスーパークルビット機動を見て衝撃をうけたわ。それ以来同じ女性パイロットとしてあなたを目標にがんばってきたの」キャロルは何かを思い出すかのように自分の足下を見つめている。

「アメリカ空軍の若きエースに目標にされていたとは光栄だわ」ナターシャは長い黒髪をかき上げると、あらためて足を組み直した。「それなら話が早いわね。どう、あなた私の隊にこない?」

 その言葉にキャロルは不意をつかれた。驚いてナターシャを見つめる。一瞬の間ののち、キャロルは再び目をそらした。

「悪いけど、私除隊することにしたの。もう飛行機には乗らないわ。故郷に帰って静かに暮らすの」

「テネシーに帰るっていうの? 家族もいないのに」ナターシャは大仰に驚いてみせる。「父親は薬物中毒で服役中に病死、母親は男とどこかに蒸発、アーカンソーで十年前に目撃されたっきり行方不明。あなたが育った施設も今はもうないわよ。シスターもこの世の人じゃない。そんな所にもどって、何の意味があるのかしら」

 ナターシャは一気にまくしたてた。キャロルの顔がみるみる険しくなる。

「 まるでKGB気取りね。あなた、ロシアからわざわざ私を怒らせにきたの」

「現実逃避しようとしている女に事実をつきつけているだけよ。せっかく勝ち得たエリートパイロットの地位を捨てて、またプアホワイトのみじめな暮らしに戻りたいの?」

 ナターシャは微笑みさえ浮かべながら、キャロル自身が封印していた過去を暴きたてた。握りしめられたキャロルの両手がかすかに震えている。

「帰って」怒りを満たしたその声は、ナターシャの予想に反して消え入るようであった。

ナターシャはさらに続ける。

「フィアンセを失ったあなたの気持ちはわかるわ。でも、だからといってあなたまで人生をすてることはないのよ」

「帰ってって言ってるでしょ。私は世界平和のために命をささげるほどお人好しじゃないの」キャロルの感情がついに爆発した。その目にはうっすらと涙が浮かぶ。ナターシャはそんな彼女をじっと見つめた。キャロルの気持ちがおさまるのを待って、ナターシャの手がキャロルの握りしめられた拳に添えられた。

「あなたってほんとに大マジメのおバカさんね。誰もそんなこと考えて戦ってやしないわ」ナターシャはキャロルの反応を確かめるかのように一呼吸おいた。「みんな自分の心の中のなにかのために戦うの。私もそう。あなたには十分すぎるほど戦う理由があるじゃない」ナターシャが目を細め、優しく微笑んだ。味方からも畏れられたロシアの女闘士の面影は無くなっていた。

 キャロルが突然、何かに気付いたかのようにナターシャを見つめる。ナターシャは小さくうなずいた。

「もしこの戦いであなたが命を落とすことになっても、それはグラント大尉のあとを追うだけ。あなたが望んだことでしょ」ナターシャはキャロルの左手首の包帯にちらりと目をやった。「もし生き残れば大尉の無念をはらすことができる。人生をあきらめるのは、それからでも遅くないわ」

 ジェットエンジンの咆哮が遠くに響く。その音はキャロルに忘れかけていた何かを思い出させた。

 

      5


 着陸灯を煌々と点灯させながら夜間空中給油のテストプログラムを終えたF-35E型機がエドワーズ空軍基地に着陸した。試作段階で機密事項の多いその改良型F-35は、人目を避けるようにそそくさと格納庫に運び込まれた。F-35Eの着陸によって一日のプログラムを完了した施設は、本来ならば一部のハンガーと滑走路を除いて照明が落とされるはずであったが、その日はなぜかその気配はなく、それどころか整備員たちが真夜中過ぎだというのに慌ただしくエプロンを走り回っていた。そのエプロンの真下、耐爆装甲板に守られた地下二十メートルに米空軍の管轄する地上の管制施設とは別に、GSOの管轄する極秘の管制室が設けられていた。人影もまばらな深夜の基地内でその部屋だけは警報が鳴り響き、緊迫した空気が立ちこめていた。

「どうした?」寝入りばなを起こされたアンダーソンが管制室に飛び込んでくる。

「ユタのGSO本部からです。サンルイスオビスポ沖百五十キロにエフセス潜水空母浮上。シームルグ八機が東にむかっています」北米防空システムからの情報が続々とスクリーンに映し出される。

「沿岸哨戒任務の潜水艦隊は何をやってたんだ。コースは?」

「ほぼ真東に侵攻中」スクリーンに予想進路が示される。「一直線にアリゾナ地下基地に向かうものと思われます」

「陽動に乗ってきたということか。迎撃準備だ。民間航空を対象空域からすみやかに排除」

「空軍が防空体制の指示を求めています」

「手出しは無用だ。我々GSOが責任を持つと伝えろ。ワイズマン司令経由でペンタゴンとホワイトハウスへ連絡」

「了解」

「アレクサンドルフ少佐を」

 戦況表示スクリーンの一角に新たなウィンドウが出現し、ナターシャの顔が映しだされた。

「アレクサンドルフです」ナターシャが長い髪を後で束ねながら答えた。

「あがれるか?」

「ベルクートは対空兵装で待機中です。いつでもいけます」この事態を予期していたのか、ナターシャはすでに耐Gスーツを身に付けていた。

「相手はシームルグ八機だ。援護のためリー中佐をラプターでつける」

「いかに中佐でも、ラプターでは危険です。ECSベルクート改2番機と迎撃します」

「2番機?パイロットはどうする?」アンダーソンが眉をひそめる。

「御心配なく」ナターシャがウインクした瞬間、映像が途切れた。


 F-22ラプターと同型のプラット・アンド・ホイットニーF119エンジンが唸りを上げ、やがてそれは金属的な叫びへと変わった。二機のベルクートは前進翼の翼と翼が重なり合うほどのタイトなフォーメーションで加速すると、一糸乱れぬタイミングで同時にエアボーンした。対気速度が二百四十ノットを越えた時点で二機は車輪を引き込み、暗闇をオレンジ色のアフターバーナーの炎で切り裂きながら急角度で上昇した。

「ベルクートワン、ツー、離陸」管制室のスピーカーからナターシャの冷静な声が響く。

「2番機には誰が?」管制室のスクリーンでその様子を見ていたリー中佐が訊ねた。

「ランバート中尉だ」アンダーソンが答えた。

「まさか。彼女はまだECSシュミレーターに2回乗っただけで、実機に乗るのは‥‥」

「そう、初めてだ。ここはアレクサンドルフ少佐を信用するしかあるまい」


「初飛行なんだから無理しなくていいわよ。お願いだから私の邪魔だけはしないでね」ナターシャが言った。

「はん!大きなお世話。そっちこそ自分が撃墜されても、私のせいにしないでよ」

 無線を通して威勢のいい声が帰ってきた。キャロルの復活を確信したナターシャはひとりほくそ笑んだ。戦闘機乗りを立ち直らせるのに実戦にまさる薬はないわね‥‥。

「敵機確認。いくわよ」

「了解」

 二機のベルクートは散開し、低空を侵攻するシームルグに襲いかかる。


 戦況表示スクリーン上の八個の赤い点と二個の青い点が交錯する。次の瞬間赤いシンボルが四個、数回点滅したのちに消滅した。

「シームルグ四機撃墜」管制官が状況を報告する。

「信じられん。出会い頭で四機。それも機関砲で‥‥なんて女たちだ」リー中佐は脅威の面持ちでスクリーンを見つめている。

「勝ち目がでてきたな。この戦争」アンダーソンがつぶやいた。


章三 マリオン・ブライトマイヤーの場合


      1


 暗黒の宇宙空間を巨大な人工構造物が移動する。アーモンドアイの重力制御技術によって自力での地球重力圏離脱/再突入能力を与えられたその円盤は、視覚的、電磁波的なカモフラージュのため全体を濃いグレーの被膜でコーティングされていた。機体の上部には知性を湛えた視覚センサーが円周状に配置され、外部からのコントロールもしくは人間による操縦なしに、自律AIによる無人月往還を可能にしていた。月周回軌道離脱後、宇宙艇は探知を避けるため遠大な楕円軌道を描いて地球に接近していたが、最終接近軌道に移行した今、AIは再突入に備えて軌道を微調整し、幾度となく繰り返された大気圏再突入によって黒く焼け焦げた機体下部を地球に向けた。幾重もの入念な欺瞞にもかかわらず、その微妙な動きは衛星軌道上のGSF高高度警戒システムに捕えられ、瞬時に警報が地球に向けて発せられた。探知から数秒後には、北米大陸西部を脊椎のように縦断するロッキー山脈から分岐するウォサッチ山脈の地下深く、GSFユタ最高司令本部に警報は到達した。ロズウェル事件の後、異星人技術の研究のために組織された極秘組織マジェスティック-12が、老朽化したエリア51に継ぐ本拠地として建設したこの施設は、核攻撃を含むあらゆる外部からの攻撃も到達しえない大深部地下に置かれており、GSFの中枢としての機能を果たしていた。


「高高度警戒レーダーに反応。月よりの自由落下軌道です」ユタ最高司令本部中央指揮管制室の三方の壁面を覆う巨大なスクリーンには地球と月が示され、補足されたターゲットの現在位置とベクトルが示される。管制室内が一気に騒然となり、月からの招かれざる使者に関するあらゆる観測データーが専用回線で集約され、入れ替わりに全世界に散らばるGSFの支部に警報が発せられた。

「機数一。軌道監視システムが映像を取得。エフセスのイエラです」

「月面定期便のお帰りか」アンダーソンはスクリーンを一瞥すると、自らのコンソールのディスプレイに情報を呼び出した。「大気圏突入時刻と目標地点を算出」

「突入は二十一分十七秒後、予想着水地点は北東大西洋」

 右側のスクリーンに表示された巨大なメルカトル法世界地図に予想着水地点が赤い楕円で示される。

「米軍およびNATO各軍に警戒警報レベル5を発令、予想着水地点半径二百キロメートルを制限空海域に設定、民間機と船舶の侵入制限」アンダーソンはよどみなくてきぱきと指示を与えた。「スコットランドのNATO機もしくはRAF(英空軍)機で迎撃は可能か?」

「間に合いません。同海域に迎撃ミッション遂行可能な空母もしくはミサイル巡洋艦も存在しません」

「アストリアが完成するまでは、手をこまねいて見ているしかないのか‥‥」唇を噛むアンダーソン。

「提督!」オペレーターの一人が振り返った。

「どうした」

「ラムシュタインのNATO空軍本部からです。着水予想海域でフェアフォードのNATO機動航空団所属機が実弾装備で演習中です」

 スクリーン上の着水予定エリアに戦闘機をしめすアローヘッドが重なる。

「対空兵装のタイフーンが四機か‥‥パイロットのデータを」

 即座に左側のスクリーンに四人のパイロットの顔写真とパーソナルデータがカード形式で表示された。英国空軍少佐マーティン・カークランド、ノルウェー空軍大尉ヘンリク・B・ヨハンセン、オランダ空軍大尉グスタフ・ヴァン・ノルデン、そして‥‥

 アンダーソンの顔色が変わった。

「NATO軍に緊急迎撃任務を要請。エドワーズ空軍基地のアレクサンドルフ少佐と最優先回線で映像およびデータリンクを確立」

 四枚目のカードにはまだあどけなさが残る女性の顔があった。わずかにカールした濃い栗色の髪をマッシュルームボブにまとめ、下がり気味の目じりと大きなえくぼがいたずらっぽい微笑みを形作っている。ドイツ空軍少尉、マリオン・ブライトマイヤー。


      2


 北大西洋の憂鬱な曇天のもと、四機のユーロファイター・タイフーンが灰色の海面上をその名の通り風のように疾走する。イギリス、ドイツ、イタリア、スペインの共同開発によるその戦闘機は、無尾翼デルタとカナード翼の機体構成をとり、ステルス性こそアメリカのF-22ラプターに遠く及ばないが、優れた運動性と高い兵装搭載能力を有し、実戦配備から約十年が経過して、欧州各国において二十世紀の傑作多目的戦闘機パナビア・トーネードに取って代わりつつあった。

 タイフーンの垂直尾翼にはNATOのシンボルである十字星が描かれ、その機体が加盟国の空軍ではなくNATO空軍そのものに所属することを物語っていた。彼らの属するNATO機動航空団は、加盟国選りすぐりのメンバーで構成され、NATO構成国の利害を超越して国際紛争やテロリズムに対処するために組織されたエリート集団である。

「完敗だよ。空戦のセオリーが全然通じないんだから、少尉にはかなわんな」オランダ人グスタフ・ヴァン・ノルデンが言った。

「ははん! 敵はいつも教科書どうりには動いてくれないのよ」マリオン・ブライトマイヤーが答えた。「マリオン様が相手だと勉強になるでしょ」

「よく言うぜ。もし俺が君の教官だったら頭痛薬と精神安定剤が手放せないところだ」ノルウェー人のヘンリク・B・ヨハンセンが割って入った。その日の最初の無人機相手の模擬空中戦でヘンリクとグスタフのペアは編隊長マーティンとマリオンのペアに、いや、実際にはマリオン一人に完全に打ち負かされていた。

「心配ご無用、ケルンのいい薬屋を紹介してあげるから。さあ、今夜のビターを賭けてもう一戦いくわよ」そう言いながらマリオンは乗機の翼を揺すった。それを聞いたグスタフが怯えた声をあげる。

「それだけは勘弁してくれ。マリィと酒を飲むくらいなら実弾を喰らったほうがましだ」

「それは言えてる。俺も敵前逃亡させてもらう。軍法会議覚悟でな」ヘンリクが続けた。

「なによ二人とも。やーな感じ。いいわよ、私が勝ったら私が奢る、これなら文句ないでしょ」

「そんな無茶な」

「なにもそこまで‥‥」いつのまにかヘンリクとグスタフのタイフーンはマリオンから距離も置き始めていた。

「なによあんた達、逃げる気?」

「フェアフォードより緊急連絡だ」突然、編隊長マーティン・カークランドの緊迫した声が会話を断ち切った。「我々はこれより超高空より接近中の未確認飛行体の迎撃にむかう。これは演習ではない。各機燃料残量および兵装のチェック」

「どういうことです?」ヘンリクが訊ねた。

「それだけだ。我々は指示にしたがうのみ」

「それってもしかしてUFO? 一度実物にお目にかかりたかったのよね! 超ラッキー!」マリオンが叫ぶ。

「少尉!」編隊長が一喝した。

 酸素マスクの中でマリオンが舌を出した。

 四機のタイフーンはフルード・フォア編隊を組み直し機首を鉛色の空に向けた。ユーロジェットEJ-230エンジンの大出力が機体をどんどん押し上げ、瞬く間に音速を突破したタイフーンの形成する衝撃波が海面に響き渡った。波間に漂うフローティングアンテナの音響センサーがそれをキャッチする。


 ソナーマン、エフドナ・ンバスがソニックブームの轟音に顔をしかめ、悪態をつきながらヘッドセットを耳から引き離した。

「畜生、デリカシーの無い連中だぜ」

「先程のNATOのタイフーン編隊にイエラの迎撃命令が出たようです」通信士官ブロイが言った。

「浮上してシームルグをだしますか?」クロイケンに代わってマーリクの艦長となったクフル・アデンが機動航空団司令クロイケンの方を向いて訊ねた。

「いや、イエラの積荷は格闘型シームルグのプロトタイプだけだ。この艦をあえて危険にさらすこともあるまい」クロイケンが答えた。アデンはクロイケンに対してうなづきを返すと、自らの権限に基づいて命令を発した。

「潜望鏡深度を維持。万一に備えて垂直発射管に対空多弾頭弾を装填」

 エフセス潜水空母マーリクはマリオンの初陣の傍観者となった。  


「NATO編隊、コンタクトまで五十秒」

「大丈夫でしょうか?」アンダーソンの前のモニタの一角を占めるナターシャが言った。

「このスコードロンはNATOの精鋭だ。イエラの兵装と機動性なら問題はあるまい」

アンダーソンが答えた。「それに彼女は候補者のひとり、またとない実戦テストの機会だ」


「確認。ワンオクロックハイ、ヘッドオン」

「ミーティア発射準備。警告は不要」編隊長のカークランド少佐が命令する。

「発射!」編隊長のヘルメットの中で復唱が三度繰り返された。

 次々と発射されるミーティア中射程空対空ミサイル。次の瞬間、コックピット内のレーダーディスプレイのイエラを示す輝点が五つに分離した。

「敵機散開!」

「ばかな、敵は一機のはずじゃ‥‥」

「うっそー!聞いてないわよぉー!」


 大気との摩擦によるブラックアウト状態を脱したイエラのAIは、自機に向かってくる敵意に満ちた飛行物体の群れを感知した。すぐさま防御用の対空レーザー砲をスタンバイするとともに、自らの判断で船倉に積んでいたシームルグのAIに起動シグナルを送った。減圧された船倉のハッチが開かれ、戦闘・攻撃型シームルグよりも一回り小型の格闘型シームルグが次々と飛び立った。ミーティアは自由落下状態のイエラではなくシームルグにロックオンし、ラムジェットの炎を引きながら追尾を始めた。兵装搭載能力と引き換えに手に入れた卓越した運動性能によってシームルグたちはミサイルを引きつける。あるものは垂直に上昇し、あるものは超高速のジンギングを繰り返して、ミサイルの照準を失わせた。


「散開しろ!」

 マーティン・カークランド編隊長の命令のもと、タイフーン編隊が散開した。ミサイルを振り切った四機のシームルグが瞬く間に間合いを詰め、タイフーンの後を取る。カークランドとマリオンはすかさず下方にブレイクし、シームルグの射界から離脱する。反応の遅れたヴァン・ノルデン大尉が左右後方からの挟撃を受ける。

「!」

 タイフーン2番機はパルス・レーザーによって引き裂かれ、グスタフ・ヴァン・ノルデンは言葉を発する間も無く成層圏に散った。


「まずいわ」データリンクによって戦闘をモニターしていたナターシャがつぶやいた。「提督!」

「ミッションをキャンセル。すぐに撤退させろ!」アンダーソンはナターシャに言われるまでもなく、すぐに撤退命令を発した。しかしそれはユタから遠く離れた北大西洋上空でファーボールに突入したタイフーン編隊に届くことはなかった。


 ヨハンセン大尉のヘルメットバイザーの上でシームルグを捕えたターゲットコンテナが目まぐるしく動き回る。タイフーンの兵装システムがプロセッサパワーを総動員してロックオンを勝ち取り、パイロットに発信音で報告する。ヨハンセンはすかさずASRAAM短射程空対空ミサイルを発射した。後方からの追撃に気付いたシームルグは、あらかじめAIに組み込まれたプログラムに従って反応フレアを放ち、ミサイルを回避する。反応フレアの閃光に、一瞬視界を失ったヨハンセンのヘルメットの中で警告音が鳴り響いた。後方より接近する新たなシームルグ。ヨハンセンのパイロットの本能がブレイクを指示し、ヨハンセンは操縦桿とラダーペダルに力を込め‥‥

 パルス・レーザー光がタイフーン3番機を貫き、機体が砕け散った。ヨハンセンのタイフーンの飛行コース上には、今や巨大な黒煙の固まりがあるだけだった。

「何よこいつら!バケモノ?怪獣?エイリアン?‥‥」言いながらマリオンは空中にヨハンセンのパラシュートを探し求める。

 タイフーン4番機をレーザー光がかすめた。

「きゃん!」空気分子の励起光がマリオンのバイザーを照らし出す。

「んなこと言ってる場合じゃないか!」

 マリオンは急激なシザーズの後タイフーンの機首を下方に向ける。後方から追撃していたシームルグは、その機動に反応して降下を始めた。シームルグがフェイントにのったことを確認したマリオンは機体を反転させると一気に急上昇を始める。シームルグは一瞬遅れて上昇に転じる。すかさずマリオンは垂直反転し真下にシームルグを捕えた。見上げるシームルグの単眼がマリオンを見つめる。

「バーカ!」シームルグの単眼の不気味な輝きにひるむような神経を彼女は持ち合わせてなかった。マウザー二十七ミリ機関砲弾がシームルグの体を肉片と金属片に粉砕する。


 海面にむかって一直線に高度を下げるマーティン・カークランド編隊長のタイフーン。後方から追いすがるシームルグのレーザービームをかわしながら、カークランドはその先に海面があることを忘れているかのように急降下を続ける。レーザーの雨を浴びた海面は蒸散し、水蒸気煙がたちこめる。接近する海面にシームルグのAIがたまらず警報を発し、カークランドのタイフーンよりも先に機体を引き起こした。カークランドはその一瞬後、海面上わずか数メートルをかすめて上昇に転じた。急激な引き起こしに、Gメーターの数値が跳ね上がり、耐Gスーツがカークランドの下半身を締め上げる。遠心力が容赦なく頭部から血液を奪い、狭窄する視野の中でカークランドは上空のシームルグを捕えた。機関砲のトリガーを引き絞り‥‥

 カークランドの意識が数秒間失われた。過度のGによる意識喪失(G-LOC)である。

数秒とはいえ、戦闘機の空中戦では形勢を逆転されるには充分過ぎるほどの時間であった。意識が戻った時、自機を狙うシームルグがカークランドの頭上にあった。妻と子供の姿が脳裏をよぎる。スコットランドの草原。ガレージのスーパーセブン。そして‥‥

 シームルグの頭が砕け散った。

「おっはようございます編隊長。目覚めのコーヒーはいかが」緊迫した状況にあまりにも場違いなマリオンの声。命をすくわれたカークランドにはそれをとがめる余裕はなかった。

「悪いが紅茶にしてくれ。借りができたな、少尉」

「利息はトイチ、きばって返してや」普段は閉口する戦術無線でのブライトマイヤー少尉の無駄口が今は頼もしく響く。

「いくぞ、グスタフとヘンリクのあだ討ちだ」

 二機のタイフーンは体勢を建て直して急上昇する。


「シームルグ全機撃墜。イエラは行動不能となり着水しました」管制室に安堵の空気が流れる。

「アイスランド空軍に現場海域の哨戒とパイロットの捜索を、英国海軍にイエラの回収を要請」アンダーソンは緩んだ緊張の糸を引き締めるべく命令を発した。

「フェアフォード行きの手配を。私とランバート中尉がブライトマイヤー少尉に面会します」モニタの中のナターシャが言った。

「よろしく頼む。テストは合格だ」

 口元にかすかな笑みを浮かべてナターシャは消えた。


「イエラの着水を確認。浮力は確保されています」」

「回収しますか?」アデンがクロイケンの決断を仰いだ。戦略事項に関わる決定権はアデン艦長には与えられていなかった。

「モニターはどうなっている?」クロイケンが訪ねた。

「生体系の反応は消失、自律AIも応答ありません。機械系とのリンクは健在です」

「自爆装置をブービートラップモードにセットしろ。GSOへの土産だ」

 マーリクから発せられた信号で、洋上を漂うイエラの残骸の一部が目覚めた。機体の奥深くで赤いLEDが点滅を始める。

「洋上センサーを回収。現場より離脱する」アデンが発令する。

「ダウントリム15。深度100」

 マーリクは海上をモニターしていたセンサーを艦内に引き込むと、変温層目指して潜航を始めた。


      3


 フェアフォード基地に戻ったマーティン・カークランド編隊長とマリオン・ブライトマイヤー少尉は、ハンガーで整備員にそれぞれのタイフーンを引き渡した。

「ごめんね。仕事をふやしちゃったわね。奥さんの誕生日なんでしょ」予期せぬ実戦をくぐりぬけてきたマリオンの機体のGメーターは、機体に最大一〇G以上の負荷がかかったことを示しており、整備員たちの超過勤務を約束させていた。

「気にしないでください、少尉。無事がなによりです」戻らないグスタフとヘンリク、そして基地にたちこめる異常な雰囲気が、整備員たちにただならぬ事態が起こったことを察知させていた。いつもなら帰投後も彼ら相手にジョークを連発するマリオンだったが、戦闘の緊張から開放され、友人二人の死をあらためて実感すると、言葉少なにNATO機動航空団第三中隊のある建物に向かった。   

 ブリーフィングルームでは、第三中隊の中隊長であるアラン・クロフォード大佐が二人を出迎えた。予期せぬ上官の出現に編隊長とマリオンを身体をこわばらせ、敬礼をする。

「ご苦労だった。ヴァン・ノルデン大尉とヨハンセン大尉は残念だった」五十歳を越えて鍛え上げた戦闘機パイロットの肉体にも弛みの見え始めたクロフォードは、敬礼を返すと、二人にソファーを勧めた。

「さっそくですが大佐‥‥」マーティンが腰をかけるのを待たずに口を開いた。

「わかっている」クロフォード大佐がマーティンを遮る。「二人は訓練中の事故ということで処理される。本日分の訓練日誌もこちらで用意した。君たちの手を煩らわせることはない」テーブルの上には、本来ならパイロットが訓練終了後に作成する訓練日誌がすでに用意されていた。「君たちはサインをしてくれればいい」

 マリオンの大きな目が怒りでさらに見開かれた。ただならぬ殺気を感じたマーティンがマリオンに変わって発言する。

「つまり、今日のことはなかったことにしろ、と」マーティンの声もかすかに震えている。

 中隊長はその問いを無視して続ける。

「君たちはしばらくフェアフォードの町から出ないように。監視の人間があとをつけ回すことになるかもしれんが気にしないでくれたまえ」

「気にするなって‥‥」マリオンは今にもクロフォードに殴りかからんばかりである。

「二人の遺族にはこちらの方から説明しておくから、カークランド少佐、君が接触するには及ばない」中隊長はマリオンとマーティンのサインを確認すると証拠を隠滅するかのように日誌を手早くファイルケースにしまい込んだ。

「以上だ。今日はご苦労だった。ゆっくり休んでくれたまえ」クロフォード中隊長は一方的に話を打ち切った。

「失礼いたします」マーティンは立ち上がって敬礼すると、悪態がノドまででかかっているマリオンの襟元をつかみ、引きずるようにしてブリーフィングルームから連れ出した。


「ああムカつく、ああああああムカつく。やっぱりあんときぶん殴っときゃよかったわ」

マリオンはそう言いながら六杯目のボディントン・ドラフト・ビターを飲み干した。

「そんなことをしたらNATOどころかドイツ空軍にも居られなくなるぞ。中隊長なんかのために一生を棒にふることもないだろ」マーティン・カークランドがなだめるように優しく答えた。怒りをあらわにするマリオンに表面上は困った表情を浮かべているマーティンであったが、内心、部下を一度に二人も失った指揮官には彼女の超外向的な反応が有り難かった。

「でもね、でもね」マリオンはクリスプを口いっぱいに頬張ると、バー・マンの運んできた六杯目のビターを流し込む。

「げふっ」マリオンの胃から炭酸ガスが噴出した。「ヘンリクとグスタフが空中衝突なんて、ひどすぎるわよ。あいつらUFOだかなんだか知らないけど、地球を守るために戦って死んだのよ」

「バカ、声がデカい」マーティンがマリオンの口を押さえる。フェアフォード基地の人間が多くたむろするサムの店、最高機密を口にすべき場所ではない。マーティンはちらりと入口そばのボックスに居座る黒服の男達に目をやった。金曜日の夜のパブの喧騒の中、会話の内容までは伝わってはいないようだ。マリオンはマーティンの手を無理矢理引きはがすと、さらに続けた。

「勲章あげてもあいつらが生き返るわけじゃないけど‥‥でも、そんな不名誉は許せないのよ!」

 アルコールの作用ですでに潤んでいたマリオンの目から涙がこぼれる。英国紳士のマーティンはすかさずハンカチを取り出した。

「ありがと」マリオンはお約束通りそのハンカチで鼻をかむと、グラスを一気に空にした。マーティンは苦笑しながら粘液で湿ったハンカチをポケットにねじ込む。

「ボビー、おかわり!」

 マリオンが本領を発揮し始めていることを察知したバー・マンのボビーは聞こえないふりをしていた。

「ボビー!」

 ボビーは困惑の表情でマリオンの横のマーティンとアイコンタクトをとった。首を横に振るマーティン。

「ボビー!五〇口径で頭ブチ抜くわよ!」

 マリオンの絶叫が店中に響き渡った。すでにエンジンは点火されている。

「お嬢さん、威勢がいいですね」

 二人の背後に三十前後のテーラー仕立てのスーツに身をくるんだビジネスマン風の男がグラス片手に立っていた。マリオンの潤んだ褐色の瞳を見つめるその目は慈愛と下心に満ちており、顔一面にさわやかな作り笑いを浮かべている。マーティンは男のあまりにも大胆不敵な行動に絶句した。こいつ、NATOのマリオンを知らんとは、フェアフォードの人間ではないな。少なくとも基地関係の人間なら彼女の愛くるしい顔の下に秘められた恐るべき魔性を知らないはずがない。男の背後のボックスでは連れとおぼしき連中が下品な笑いを浮かべながら事の次第を見守っている。バカな奴らめ。

「今度のビターは私が奢りましょう。いかがです、向こうでダーツでも一勝負」

 言葉を失っているマーティンを尻目に、マリオンが不敵な笑いで答えた。しかし、すでに悪魔との契約を果たしてしまった男にはその笑いは魅惑の微笑みに映っていた。

「いいわよ。私が勝ったら店中の客にビターを奢ってもらうわ」

「お安い御用ですとも。では、もし私が勝ったら‥‥」男の笑みが淫猥なものに変わった。

「その時は‥‥」

 その瞬間、男の顔面でグラスが炸裂した。額から血を吹いて仰向けに倒れた男の背後から、友人たちがマーティンとマリオンめがけて怒声を浴びせながら飛びかかる。マーティンは先頭の男の右手首をとると、アイキドーの心得で床に転がした。マリオンはクリスプの皿を別の男に投げつけ、上がったガードの下から股間を蹴り上げた。回りのカウンター席にいた基地の仲間達が二人の加勢に立ち上がり、店内は乱闘の渦に飲み込まれていった。


      4


 エドワーズ空軍基地を飛び立ったGSO所属のボーイング777ー200旅客機は、迫り来る昼夜境界線から逃れるように北米大陸を横断し、イギリスのフェアフォード空軍基地を目指していた。五十二人収容のファーストクラス仕様の客室に乗客はナターシャとキャロルの二人だけ、なんとも贅沢なフライトである。最新のロードショーを楽しむナターシャの横で、キャロルはネット上のニュースサイトに目を通していた。

「北大西洋で英国海軍巡洋艦爆発? これってもしかして」

 ナターシャは映画を一時停止させると、ヘッドセットをはずし、首を一振りして顔にかかる髪をたくしあげた。

「トラップにかかったのよ。うかつに手を出してイエラの自爆装置が発動したんだわ。ロイヤルネイビーも堕ちたわね」ナターシャは保温マグの中でまだかすかに湯気を立てている紅茶を口に含むと、足下においてあるアタッシュケースから書類の束を取り出し、キャロルに手渡した。

「それより、これをご覧なさい。こっちの方がおもしろいから」

「これは?」それはアメリカ人のキャロルには馴染みのないA4サイズのハードコピーであった。

「ブライトマイヤー少尉の個人データと今回の飛行記録よ」

 ページをめくるキャロルの手が三ページ目で止まった。彼女の経歴の項である。

「‥‥ドイツ全軍射撃競技会準優勝?嘘でしょ、陸軍と空軍をまちがえたんじゃないの?」

「GSG9からも誘いがあったほどの腕前らしいわ。空軍の軍籍を抜けるのがいやで断ったらしいけれど」GSG9とは、ドイツの誇る対テロリズム特殊部隊で、ドイツ軍ではなく警察組織である国境警備隊に所属する機関である。

「ふーん。ドッグファイトで役にたつとは思えないけど‥‥」キャロルはページの続きをめくった。

「空軍士官学校を首席で卒業したくせに、部隊配属されてからの上官の評価がえらく悪いわね」

「彼女の言動が災いしてるみたいね。でも一番の理由は飛行記録を見ればわかるわ」

 キャロルは怪訝な顔をしてさらに書類をめくった。その顔がしだいに驚きの表情に変わる。

「何これ、信じられない」

「わたしもNATOにとんでもないパイロットがいるという噂は聞いていたけど、これを見たときは我が目を疑ったわ」

「空戦のセオリーどころか、飛行教本も無視してるじゃない」キャロルが続けた。「バレルもシザースもムダが多すぎるわ。翼面作動量が大きすぎるから運動エネルギーを浪費する、それを補うために急降下の連発、そのあとはアフターバーナ全開の急上昇、なんでこれで首席卒業なの!」

「確信犯ということね。よくごらんなさい。並のパイロットじゃとうてい真似できないコーナー速度を叩き出してるわ」

「そのかわり機体の強度限界ぎりぎりのGがかかっているわ‥‥体がよくもつわね。トーネードやタイフーンだから許される芸当よ。コンピューター制御の最新鋭機だからいいけど、ひと昔前の機体なら墜落か空中分解よ」

「二十一世紀向きの戦い方ということね。戦闘機の性能をフルに引き出してるってこと。現に初戦でシームルグを二機落としたわ」

「えらく肩をもつのね。‥‥まさか彼女を引っぱろうなんて本気で思ってるんじゃ----」

「こんなパイロットとはとてもチームは組めないって言うの」

「あたりまえじゃない!こんな予測不能な挙動をされたらこっちがたまらないわ!」

「それは敵にとっても同じことよ」ナターシャが微笑んだ。「あなたの操縦はたしかに天才的だけど、所詮セオリーの枠内での話。本当の天才は彼女のほうかもしれなくってよ。実戦は戦技競技会じゃないわ、教官の点数なんて関係ない。敵を倒して生き残ることがすべてなのよ。セオリーじゃないわ」

「それって結果オーライじゃない。いつか死ぬわよ、彼女」

「いつかはね。でも私たちよりあとかもしれなくてよ」

 キャロルは二ページ目に貼付されているマリオンの写真をもう一度あらためて見直した。

「この子が‥‥」

 どこまでも屈託のない笑顔だった。


      5


 目が覚めた時、マリオンが最初に見たのは鉄格子の嵌められた明かり取りの天窓だった。

「‥‥?」

 堅いビニール張りのマットレスから起き上がったマリオンを激しい頭痛が襲う。

「あたっ。畜生、飲み過ぎたぜい」

 室内を見渡したマリオンはそこがフェアフォード基地の営倉であることを知った。昨晩の記憶が蘇る。尿意を感じ、ふらつく頭をさすりながら、営倉の一角にカビの生えたカーテンで仕切られたトイレに立った。

「MPの奴等め。何も営倉にぶちこまなくても‥‥」マリオンは汚れのこびりついた便座を降ろすと、下着をさげて排尿を始めた。

「あのまま放っておくと何を叫び出すかわからなっかたもんでな。自分の置かれている立場を考えてもらわんと困る」カーテンの向こうから男の声がした。

「レディのおしっこの盗み聞き?趣味が悪いわよ中隊長!」

 カーテンを開けると、格子の向こうにクロフォード中隊長がにやけた表情で立っていた。マリオンの怒りの形相を無視して、手にした鍵で重い鉄扉を開けた。

「出たまえ。客人がお待ちだ」

 マリオンはぶつぶつ悪態をつきながら、中隊長に続いて暗い階段を上った。

「カークランド少佐は?」

「昨晩のうちに帰宅してもらった。今日は休養してもらう」

「監視付きでね」

 マリオンの皮肉を中隊長は聞き流した。

 ブリーフィングルームでは、マリオンの見知らぬ二人の女性が談笑していた。そのうちの一人、長身・ロングヘアーの女性が、部屋に入ってきたマリオンを認めて、颯爽とした足取りで近づいてきた。

「マリオン・ブライトマイヤー少尉」一方的に右手を掴まれ、マリオンは完全に勢いに飲まれてしまった。スラブ系のその女性の顔はどこかで見覚えがあったが、名前を聞くまで彼女がフランカーの女王であることには気づかなかった。

「ナターシャ・アレクサンドルフ国連統括軍少佐。あちらはキャロル・ランバート、同じく国連統括軍中尉」

 紹介されたキャロルは立ち上がると、親しげに右手を上げた。

「あ、ああ。は、はじめまして」アセトアルデヒドが体内を駆け巡っているマリオンは反応が鈍い。

「二日酔い?昨日はハデにやったらしいわね」ナターシャのその声にとがめる様子はなかった。「今日はあなたに大事な話があるのよ。ここじゃ何だからエプロンへ出ましょう」ナターシャはマリオンの肩に手を回し、ドアをふさぐように立っているクロフォード中隊長の方を向いた。

「よろしいですわね。大佐」ナターシャの屹然とした態度にクロフォードは思わず道を空ける。

「あ、そうそう」

 突然、ナターシャはマリオンの首筋に手をいれ、髪の生え際から約三ミリ四方の金属片を取り出した。

「えっ? 何なのそれ?」驚くマリオンを尻目に、ナターシャはナノ盗聴器をクロフォードの頬に貼り付けた。

「只今をもってブライトマイヤー少尉へのNATOによる監視は解除されます。少尉は今後国連統括軍の監視下に置かれます。ご苦労様でした」

 三人の女性達が去った後もクロフォード中隊長はしばらくの間呆気にとられてその場に立ち尽くしていた。


 上空を横切るトーネードADVの爆音で会話はしばらくの間中断された。

「おもしろそうじゃない!やるわ!」トーネードが曇天の彼方に吸い込まれるのを見送ったマリオンが振り向きざまに言った。口元にはいつもの不敵な笑みが浮かんでいる。

「そうくると思ったわ」ナターシャはパチンと指を鳴らすとマリオンに歩み寄り、がっちりと堅い握手をかわした。そんな二人を見てキャロルは驚きで目を見開き、マリオンにむかって訊ねた。

「ちょっと待ってよ。あなた、ほんとにいいの?そんなに簡単に決めて」

「あら、だめ?別にくよくよ悩むことじゃないでしょ。戦闘機乗りとして願ってもない働き場所だわ」マリオンはキャロルの意図を理解しかねるといった素振りである。

「毎日が実戦の連続になるのよ。いつ死ぬかもわからないし」

「だからいいんじゃない」マリオンがキャロルの言葉をさえぎった。「訓練ばかりの退屈な日々はもうたくさんだわ。それに、私にここまで話すということは選択の自由は最初から与えられてないってことよね」

 マリオンのその問いにナターシャは右の眉をあげただけだった。

「まあいいわ。事務手続きはお願いね、苦手なの。さあ、引っ越しの準備をしなきゃ」

 小走りに去って行くマリオンをナターシャとキャロルは無言で見送った。マリオンはハンガーの整備員たちに挨拶がわりのジョークを飛ばすと、二人に敬礼してから建物に消えた。マリオンの姿が見えなくなったのを見届けた後、キャロルはナターシャの方を向き直った。

「私はやっぱり反対だわ。彼女には無理よ」

「あら、どうして」

「彼女にはあなたや私のように戦う理由がないもの。とてもじゃないけど責任は持てないわよ」

「別にあなたに責任をとってもらおうなんて思ってないわ。リーダーは私。それに、理由がないと思う?」

「え?」例によってキャロルはナターシャに不意を突かれた。

「ブライトマイヤー少尉には弟がいるの。でも今は行方不明、噂ではアフリカに行ったらしいわ」

「それって、もしかして‥‥」

「そう、彼女の弟はエフセスの熱狂的信者。ダハーブ共和国のどこかにいるのよ」

「だったらなおさら‥‥保安上そんな人間は危険だわ」

「そんなことはGSO諜報部はとっくに承知してるわ。近親者や友人にエフセス信者のいる西側とロシアの軍人はすでに徹底的に調査されているのよ。私を含めてね。ちなみにリストにはあなたの名前もあったわよ。行方不明のあなたのお母さんが信者の可能性があるらしいわ」

「バカな。どうして私が‥‥」

「過去3年間、彼女は弟だけでなくエフセス関係者とはまったく接触をもっていない。さらに、言動から察するに弟を奪ったエフセスを心底憎んでいるわ」

「そんなのポーズかもしれないでしょ」

「確かにね。諜報部はそれでごまかせるかもしれないけれど、ECSは無理だわ。もし敵のスパイや情報提供者なら、実戦でエフセスを相手にした時にECSが大脳皮質反応電位の異常を必ず探知するはずだから。現にECS理論を基にしたセキュリティチェッカーで米空軍内のスパイが二人ひっかかったわ」

 キャロルは大きくため息をつくと、大袈裟に両手を広げて見せた。

「OK、わかったわ。あなたの勝ちよ」

「あら、聞き分けがいいのね」

「人を見た目や先入観で判断しちゃいけないってね。母親が私にいつも言ってたわ。私がいつまでたっても彼女の新しい恋人を認めないものだから」

「ほらね、だからマリオンみたいなノーテンキな子がチームには必要なのよ」

 キャロルは何かに気付いたかのように一瞬黙り込んだ。

「そうね。あなたの言う通りかもね」心の隙を遠慮なく突いてくるナターシャにキャロルは笑顔を返した。彼女ならリーダーとして自分の命を預けても構わない。キャロルはそう思い始めていた。


      6


 エドワーズ空軍基地の管制塔の真横を、管制室とほぼ同じ高度でスホーイS-37ベルクート改ECS高機動試験機が通過した。機体を九十度傾け、上面を管制室に見せながら低空を通過するナイフエッジ飛行。衝撃で管制室のガラスがビリビリと震える。ベルクートはさらに機体をバンクさせて背面飛行に移ると、そのままの状態で上昇を開始した。急激な捻りでカリフォルニアの乾燥した空気の中ですら前進翼の翼端から水蒸気が白い尾を引いた。

「どう?気分は?」管制室のナターシャが無線を通して訊ねた。ベルクートはすでに青空のシミと化していた。

「もう最高!ベルクートが手足になったみたい!」

「虎の子の機体だからあんまり負担かけるんじゃないわよ。ロシア製ということを忘れないで」

「はいはい、わかってるわよ!」

 ベルクートは上空で反転すると、急降下を開始した。管制官たちが思わず頭を抱えるほど管制塔の間近をかすめて再び上昇に転じる。

「きゃっほー!!!!」

 無線を通してマリオンの絶叫が管制室に響き渡る。ベルクートは切れ味鋭くバレルロールを決めた。

「もっと機体を大事にしなさい」過激な飛行を繰り返すマリオンにキャロルが見かねて言った。

「ベルクートの代わりならなんとでもなるわ。でもあなたの代わりはいないのよ」ナターシャが言った。ナターシャの得意な殺し文句である。

「了解しました、隊長」マリオンがしおらしい声で答えた。

「さすがね。あのおてんば娘をてなづけるとは」キャロルが言った。ナターシャはウインクで答える。

「ほいっ!」

 ベルクートは水平飛行状態から垂直近くまで機首を持ち上げ、再び水平飛行に戻って見せた。

「すごい。いきなりコブラを決めたわ。彼女の乗ってきたトーネードやタイフーンでは無理だったはずよ」キャロルが言った。

「前からやってみたかったのよ。それに‥‥」マリオンが言った。

 大きく水平旋回してベルクートが滑走路上空に戻ってきた。

「バカ!やめなさい!」マリオンが何をしようとしてるのか悟ったナターシャが叫んだ。

「てりゃーっっっっ!!!!」

 再び水平飛行から急激な機首上げを行ったベルクートは、そのまま後方に一回転し、何事も無かったかのように水平飛行に戻った。クルビット、ナターシャを含む限られたロシア空軍のパイロットがフランカーシリーズでのみ実現可能なアクロバット飛行である。

「さっきの発言、撤回。あなたの言うことなんかこれっぽっちも聞いてないわよ、彼女」キャロルがあきれた表情で言った。

「それにしてもたいしたもんだわ。マリオンにECS、鬼に金棒ってとこかしら」ナターシャが言った。

「そうかしら?なんとかに刃物とも言うわよ」キャロルは小さな溜息をつくと、上空のベルクートを見上げた。「でも、あんなに楽しそうに飛ぶ戦闘機乗りは初めてだわ」


「きえええええええええええええ!」

 マリオンの雄叫びが空を翔る。






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