3話 遅刻した訳じゃない
「何か喋ってくれよ、寂しいだろ」
不満げに口を尖らせる一矢の言う通り、私達はさっきから何も喋らずに、ただただ歩き続けていた。彼の声を聞いてうんうんと適当に頷いたあと、もう一度ぼんやりと空を見上げれば、名前も知らない鳥が群をつくって飛び回っているのが見える。隣から聞こえてくる彼の言葉なんか気にもとめず、上を向いて足を動かし続けていたら、痺れを切らしたらしい一矢が私の腕を指先で軽く突いた。
……っていうか、仕方ないでしょ。なんだか今日はやけに寒いし、特にこれといって話すこともないし。
そうだ、あの事でも聞いてやろう。
「……じゃあ、何故あの角でぶつかったと思う?」
「俺がクラスで1番早く登校しようとして、安全を確認しないまま走ったからデス。スミマセンデシタ」
「分かればよろしい」
"誰よりも早く登校してみたい"…… 子供なら誰もが一度は夢見る事である。昔の私がそうであった様に、彼もまた、同じ夢を見ていたのだ(この歳になって)。
……あれ、また喋る事が無くなってしまった。春休みの中盤になってからあまり話してなかったもんなぁ。お喋り上手の澪がいてくれたら、楽に話が出来ていたんだろうけど。
私と澪は同じ小学校だけど、通学路が少し違うから一緒に行けなかった。しかも澪は運動部で、私は朝練と休日の練習がない文芸部にするつもりだから、部活が始まったら本当に彼女と会えなくなる。
そういえば彼は、どこの部活に入るのだろうか。
「一矢はどこの部活に入るの?」
「うーん、一応バスケ部」
「え」
「だぁ〜 うるせぇ! チビだっていうんだろっ!?」
「うん」
「……冗談だよ、 俺は陸上部」
ふむ、そういうつもりで反応したつもりではないのだが、どうやらチビというのは自覚している様だ。
ぷいっとそっぽを向いてしまった彼の顔は、背負われた鞄のせいでよく見えない。恐らく頬を膨らませて怒っているのだと思うが、もしかしたらまた口先を尖らせながら眉を寄せているのかもしれない。
それにしても陸上部か…… あの部活は朝練があるから、彼と一緒に登校するのは難しい。早く行き過ぎても教室には誰もいないから、朝練のある一矢と別れた後は虚しさが漂うだけだ。しかも、朝練は部活によって終わる時間が違うから、特に仲が良いわけでもないクラスメイトと鉢合わせると大変。あの気まずさだけは、2度と味わいたくない。
よくよく思い出してみると、私と仲良くなった人は、みんな私の元を離れてしまっていた。みんな、私の手の届かない所へ行ってしまうのだ。
私の運の無さが原因なのかもしれないが、彼はクラスが一緒なだけまだマシなのだろうか。
で、こいつがまた拗ねているのだが、どうすればいいのだろう。
「ちょっと一矢、バスケ部でも身長が低い人はいるんだから……」
「バスケ部なんかどうでもいいんだよ、問題は身長なんだよ。なんで伸びないかなぁ……」
「男子の成長期はもう少し先なんだし、焦らなくてもいいでしょ。147cmの少年」
「確か、お前の身長152cmだったよな? 今度の身体測定で勝負だ、絶対負けないからな!」
「面白い、受けて立とう」
次第に勢いを取り戻しつつある2人の会話は、静かな早朝の路地に小さく響く。その声を聞いている者はいるのかいないのか…… そんな事など全く気にせず、余裕な顔をする少女に勝負の話を持ちかける少年。
恐らく、次の身体測定は2学期になってから。私の身長が突然伸びなくなったりしなければ、彼がこの勝負に勝つことはないだろう。とは言っても念の為、牛乳はしっかり飲んでおこうと思うのだが。
問題は男子の成長期か、ならば私も対抗しなければ………
私がそう思った直後、突然強い風が吹いて制服のスカートがバサバサとなびく。住宅の白い塀の向こうから落ちてきた枯葉が、春のそよ風に吹かれた瞬間、私達の背後から飛び出してきたのは若い白猫だった。
「なぁん」
「あ、白猫だ」
「可愛い…… 首輪みたいなのもつけてるし、何処かの飼い猫……?」
こちらを見つめるくりっとした青い瞳に目を奪われ、思わず可愛いと呟いてしまった私。白猫の首にはひし形の様な形をした水色の宝石の、銀の鎖のペンダントがかけられていた。
鞄を背負っているがためにしゃがみ込むことができず、ただただ白猫を見つめるしかなかったので、しばらくすると白猫はくるりと向きを変えて、私が向かう道を走っていってしまった。
「可愛かった……」
「おーい雪菜、皆が登校し始めるからそろそろ行こうぜ」
「あぁごめん、急がないと」
こんな出来事があった後、私達は急いで学校へ向かったのだ。