1話 憂鬱な朝
「………っは!!」
驚いて、目が覚めた。
ゆっくり深呼吸をして、未だに激しく脈動する心臓を押さえつける。突然襲いかかった息苦しさに耐える為に、いつの間にか掛け布団を握りしめていた。
「何、今の夢…… 碧い丘に、子供が2人……… なにあれ」
細い指先を四つ葉のクローバー柄の布団に突き立てて、グッとシワをつくる。その不思議な夢を思い出す前に、私の浮ついた頭の奥から、ぶわりと現実の記憶が飛び出してきたからだ。
今日は確か、嫌で嫌で仕方がなかった入学式を過ぎた、次の日。白い部屋の壁に貼られた、和紙のカレンダーを見る限り、恐らく今日は金曜日だろう。
正確に時を刻む目覚まし時計が、私の心臓を次第に落ち着かせていく。ドクドクと脈打っていた血管は正常な速度に戻り、今は両手の指先が僅かに震えているだけ。
私、繋木雪菜は、細く小さな肩を縮ませて、白い頬を伝う冷や汗を拭った。
「ふぅ…… ホントに大丈夫かな」
私は、まだ疲れているのだろうか。恐ろしく気分が悪い。
ノイローゼの対処は早めがいいらしいが、生憎そんな病気にかかっているような気はしない。
そうだとしても、今日は私にとって、どうしようもない程やる気の出ない日だ。しかも、昨日のクラス替えで、小学校の時に仲が良かった子達とも離ればなれになってしまった。よりによって1番の親友の澪とも別れることになるとは...... 日頃の行いは悪くないはずだが。
明日、澪と一緒に遊べる事だけが、私の心の支えだった。
本当に、この割り当てを決めた人間を地獄の底に叩き落としてやりたい。
ぶっ殺す…… などという物騒な言葉は、さすがに表に出すわけにはいかないか。きつく蓋をしておかなければ。
重いため息をつきながら、私はベッドの棚の上に置いてある、古ぼけた黄色い目覚まし時計に目をやった。青と赤の針が指し示す現在の時刻は、午前6時半。小学校の時よりも、10分程起きる時間が早い。
しかし、学校の登校時間はまだまだ先なので、もう少しゆっくりしていても大丈夫だろう。
「珍しい、なんでこんなに早く起きたんだろう……」
先程の夢で目が覚めてしまったので、仕方なく家の急な階段を降りて居間に向かった。
季節外れのこたつが置かれた居間には誰もいなかったが、私にとってはいつもの事だ。何も気にしていない。物心つく前に父さんは亡くなり、母さんは仕事の都合で海外に行ってしまった。たまに会いに来てくれる事もあったが、私が5歳くらいになってからはもう、随分長いこと会っていない。
だから今は、親戚の叔母さんと一緒に暮らしている。
私の両親、特に亡くなった父親のことのほとんどは、叔母さんが教えてくれた。ただ、顔も覚えていない両親の名前は、何故か教えてもらえなかった。私自身、尋ねる必要もないと思っていたから、叔母さんも言わなくていいと判断しているのだろう。
実際、両親が家にいなくても、特に困ることはなかった。
叔母さんは仕事が忙しいから朝が早いけれど、寂しくなんかない。今までこんな風に、ずっと生活してきたから。
カーペットの上でぼーっと突っ立っていると、真っ黒なテレビ画面に私の爆発した頭が映る。直すのは大変だな…… と思いつつ、私はちゃちゃっと朝食を食べ終えて洗面所へ向かおうとした。
その直後、テレビの隣に置かれている電話から、大きな呼び出し音が鳴り出した。プルルルルという威勢のある音に反応して、思わず身体が跳ね上がる。
積み上げられたメモ帳の山の奥に、光る画面の文字が見えた。親機に電話をかけてきたのは、今さっき私の脳内で話題になっていた、あの叔母さんである。
「あー、もしもし…… 叔母さん?」
「申します申します、おはよう雪菜ちゃん。今日の夕飯は何がいい?」
「朝食後に言われても困る…… あぁそうだ、今日は良い魚が入ってるらしいよ。金目鯛の煮付け、あったらヨロシク」
「了解でーす。もし鯛が無かったら、いつものカレイにするね」
「はーい、お仕事頑張ってください」
暇人の叔母さんを軽くあしらった後、多方向へ飛び出した寝癖に悪戦苦闘した私は、シャカシャカと歯を磨きながら考えた。
私の幼馴染の一矢、彼だけでも同じクラスになれてよかった。そういえば、一矢とは小さい頃からのライバル仲だった。
でも最近の一矢は、普段よりよく声を掛けてくるというか、遊んでいる時も距離が近すぎるというか、とにかく小学校の時以上によく話すようになった。
昨日だけの僅かな時間でも、小学生時代との違いを実感させられる程、本当に会話が多くなったのだ。
あんまり回数が多いと、さすがの私も気になる。
鬱陶しいというわけではないが、少々お友達のニヤニヤした顔が気になるというか……
自分自身が相手に必要とされているように感じて、くすぐったい感覚が心の奥で疼くのだ。
彼の行動も、度が過ぎると個人的に危険になってしまう。
少なくとも私の母校である荒澤中央小学校の人間は、嘘か本当かも分からないような噂を流す事が趣味らしく、特に恋愛モノは大好物。
私の親友である澪は噂を流したりしないタイプだが、とにかく恋愛モノが大好きなので、うちの学校の人間である事は確かな様だ。
どうしよう、そんな澪に彼のことを相談したら茶化されるかもしれないが…… ここは腹をくくって、正直に言ってみるべきか?
「でも、私の思い違いかもしれないし……」
こんな事を考えていたって仕方がない、さっさと準備をしてしまおう。