戦略物資【前編】
2021年に日本列島と周辺海域が火星へ転移した際、火星では地球と同様に惑星規模の地殻変動が突如発生した。
太陽系最大の火山オリンポス山は、日本列島転移12時間後に活動を再開したマントルによって溢れんばかりのマグマを爆発的に噴出させ、火星大地でドライアイス状に凍結していた二酸化炭素を融解させ硫黄等化合物と化学反応を引き起こして濃厚な大気と水が再び火星大地に出現した。
46億年ぶりに火星は大気と水を有する惑星へ再生したのである。
また標高が27kmもあるオリンポス山の爆発的噴火は夥しい噴石を宇宙空間へ吐き出し、幾つかの巨大噴石は砲弾の如く無重力な宇宙空間を飛翔、数か月をかけてアステロイドベルトをも通過して第5惑星『木星』へ到達して濃密な大気と衝突した。
鉄分を多く含む火星の噴石は木星大気の大部分を占める水素やアンモニア、ヘリウム等と激しく反応した。
火星の噴石は木星に僅かにしか存在しない鉄鉱石を多く含んでいたのである。
木星に落下した火星噴石は濃密な大気圏を形成する水素、ヘリウム、アンモニア雲海を通過する際、鉄分子に入り込んだ水素分子で徐々に分解されていき僅かな塊が液体金属の地表に着弾した。
雲海通過の際に生じた化学反応による温度上昇は周囲との気圧変化を生み出し、小豆色の巨大な染みが拡大していった。
大赤斑の如く小豆色をした変色区域は2026年現在18か所が観測され、気温と気圧上昇は大気流動性を阻害して木星全域に影響を与えつつあった。
太陽系最大の質量を持つ木星の環境変化は、惑星全域に変色区域が拡大した数百年後には太陽系全惑星に甚大な影響を及ぼすかもしれないと一部の地球人類天文学者から懸念され始めている。
2027年(令和9年)4月28日【木星衛星軌道上 マルス・アカデミー・プレアデス級基幹母艦『ケラエノⅠ』】
「こちらケラエノⅠ。これよりネガティブ3の化学反応拡大を抑制させる。作業船2番から5番はポイント08高度4500Kmの雲海群に惑星磁力線を転用したシールド展開、水素抽出しだいネガティブ3に集中投射せよ」
広大な艦橋中央部中空のホログラフィック・モニターが木星大赤斑に近い場所に拡がる巨大な染み=ネガティブ3と周囲に展開する作業船団を表示されており、作業船団隊長のリアが作業指示を行っている。
「リア隊長。『おとひめ』から連絡のあった無人シャトルが接近中。ダイニングハッチに誘導します」
オペレータがリアに報告する。
「む?もうこんな時間か。作業はそのまま進行してください。私は戦略物資の点検に向かう!」
木星の異変が火星と地球圏に及ぼす影響を憂いていたリア隊長は、ハッと思い出したかのように表情を明るいものへ切り替え、そそくさとタブレット端末を小脇に抱えてホログラフィック・モニターに背を向ける。
「……隊長。食べ過ぎは禁物ですよ!」
「う、うるさいっ!作業に集中するのだぞっ!」
どこか呆れたような口調のオペレーターに頬を赤らめて反発しながらダイニングハッチㇸ慌ただしく向かうリア隊長の背中をクルー達は微笑ましく見送るのだった。
☨ ☨ ☨
【マルス・アカデミー・木星再生作業船団 基幹母艦『ケラエノⅠ』】
JAXA木星探査船『おとひめ』を発進したコウノトリ型無人シャトルは予定時間丁度にケラエノⅠのダイニング・ハッチに接続した。
ケラエノⅠの搭乗員が利用する巨大食堂に近いこのハッチにリア隊長が到着した時点で、既に待機していた食事当番である搭乗員とマルス・アンドロイド達がコウノトリ型シャトルからコンテナを積み下ろす作業に入っていた。
荷卸し作業が始まったダイニング・ハッチにはどこか香ばしい匂いが漂っている。
「あっ!そこっ!そんなにコンテナを揺らない!デリケートな戦略物資が入っているのですよ!」
日常的に衛星軌道上の作業船から届く鉱物資源を取り扱う要領でコンテナを勢いよく浮遊カートに放り投げようとした搭乗員に向けて鋭く注意するリア隊長。
「ええっ!?申し訳ありませんでした!」
注意をされた搭乗員が放り投げようとしたコンテナを慌てて全力で抱え込むと、そっと浮遊カートに置く。
そっと置かれたコンテナを興味深げに観察するマルス・アンドロイド達。
「いいですか、『おとひめ』からのコンテナは我々マルス・アカデミーでは作る事が難しいデリケートな戦略物資が入っているのです。私達の生命線を握ると言っても過言ではありません!」
作業中の搭乗員達に呼び掛けるリア隊長。
リア隊長の呼び掛けによって慎重に浮遊カートに搭載されていくコンテナ。
「リア隊長。コンテナは全て積み下ろし完了です」
「ご苦労様。後は私が引き継ぎます」
「ええっ!隊長にその様な雑務などさせるわけにはいきません」
「取り扱いが難しい戦略物資なのです。隊長の私が最初にししょく――――――”検分”して取り扱い方法を確立しなくてはいけません!それでは!」
荷物運びを隊長にさせる訳にはいかない搭乗員が難色を示すが、リア隊長は本音をばらしかけつつも”検分”という言葉を強調して浮遊カートをマルス・アンドロイドに操作させながらダイニング・ハッチから居住区へ移動していく。
「……なあモウゼ。戦略物資というのはこの”匂い”に関係するモノなのか?」
リア隊長から注意を受けた搭乗員が同僚に尋ねる。
「さあな。でも、どこかで嗅いだことのある記憶が……じゅるり、ってなんで唾液が!?」
「おいおい……マジかよ。大丈夫か!?モウゼ?」
なぜかパブロフの犬の如く懐かしい臭いにつられてよだれを垂らし掛けたモウゼが首を捻り、その仕草にドン引きする同僚搭乗員。
かつて火星日本列島”尖山基地”でイワフネの部下だったモウゼは、その記憶が大月満とひかり達日本人が開催し、ゼイエス博士やアマトハ評議員が地球料理に狂喜乱舞した”試食会(第24話ご参照)”のものだと思い出すまで半日程かかるのだった。
リア隊長が充分に”検分”したコンテナは半日後、巨大食堂に運び込まれた。
その日、ケラエノⅠの航海記録には日々の惑星観測結果よりも食堂で提供された戦略物資”から揚げ弁当”を絶賛、検証する内容が大半を占めたという。
☨ ☨ ☨
【基幹母艦『ケラエノⅠ』居住区】
マルス・アカデミー・木星再生作業船団基幹母艦は、木星探査船『おとひめ』の全長2Kmの10倍近い全長と質量を持っている。
簡単に言えば、おとひめ級探査船を10倍したものが十字状に組み合わさった船型である。
基幹母艦『ケラエノⅠ』は、十字型の船型を立たせた姿勢で木星衛星軌道上に静止している。
衛星軌道上にはケラエノⅠの他にも4隻の作業船(規模的には『おとひめ』の数倍はある)が、ケラエノⅠを中心に立体的に展開して大赤斑近くに出来た”染み=ネガティブ3”へ向けて惑星磁力線を網の目のように展開して収集した水素を逐次投入している。
”染み”内部へ水素を積極的に投入する事で化学反応を加速させて染みの拡大を防ぐ目的である。
「方法としては間違ってはいないですね。ですが、今一つ目覚ましい効果には及びません……ムグムグ」
眺望を重視した居住区の隊長室から、憂い顔で作業の様子を見ながらガツガツとから揚げ弁当をかき込むリア隊長。
「っ!?これは……」
鳥のから揚げの他、タルタルソースが付随した白身魚フライがおかずに添えられていた事で多様な食感を味わうリア隊長の憂い顔が溶け去ってホクホク顔が到来している。
「満たされる……」
から揚げ弁当とセットで付いていた冷えた緑茶のペットボトルを一口飲んでホッと人心地のついたリア隊長。
「……あれは何だ?」
リラックスした姿勢で2個目のから揚げ弁当を堪能しながら窓の外の作業風景を眺めていたリア隊長は、視界の隅に見慣れないモノを見付けると縦長の眼を細める。
「あんな所まで来れるのか……」
リア隊長が見つめる中、視界の端に居た水素クジラとその背中に乗る水素クラゲが作業船の周りをうろうろと徘徊する。
『隊長、こちら艦橋。木星原住生物が作業船に接近。作業に影響はありませんがどうしますか?』
「此方の妨害にならなければ放置して構わない。
我々のやっている事に興味を持っているのだろう。好奇心旺盛だと大赤斑の長が言っていた」
対処方針を求めた艦橋クルーに手出し無用を指示するリア隊長。
各所に展開した作業船が惑星磁力線を網の目状に張ったシールドで水素を地引網の様にかき集める様を物珍し気に見ていた水素クジラと水素クラゲだったが、やがて一匹の水素クラゲがふよふよとケラエノⅠに接近すると、居住区に在るリア隊長の部屋がある窓まで近づいてピタリと止まる。
「こうして間近に見るとなかなか大きいな。だが美しい……」
窓の外に佇む傘の大きさが1.5mほどある水素クラゲは、緑色のシールドを展開していると思われる。
シールドの中に居る本体は、透明な傘の中心から紅い線が放射状に伸びている。傘の下から伸びる10本近くの触手は透明だが先端は青みがかったガラス細工の様だ。
「お前、そんなに私が珍しいのか?」
対面している水素クラゲに向けて思わず手を伸ばすリア隊長。
窓の外の水素クラゲもリアの方へ向けて青みがかった触手の先端を伸ばしていく。
「え?」
真空の宇宙空間と自室を隔てる強化素材ガラスで模擬的触れ合いになると思ったリア隊長の予想に反し、水素クラゲの触手はガラスを透過してリア隊長の手元にあるから揚げ弁当へ伸びていく。
『カラアゲ、食ベタイ』
「お、おう……どうぞ」
意表を突く様に頭の中に響いた水素クラゲと思われる声に応えて頷いてしまうリア隊長。
リア隊長の返事を聴いた水素クラゲの触手がから揚げ弁当から手つかずのから揚げを二つそっと巻き取るとニュルニュルと窓の外へ戻っていく。
から揚げを手に入れた触手は傘の下、触手の根元にある口へ戻りから揚げを水素クラゲがモシャモシャと咀嚼する。
『ムグ……アリガトウ。ナンカ元気デタ!』
礼を言った水素クラゲがシールドごと淡く光り輝くと、接近した時と違って一直線に作業船の周囲を泳ぐ水素クジラへ戻っていく。
「……なんだか凄い体験をした気がします」
きょとんとした顔で水素クラゲを見送るリア隊長だった。
――――――2時間後【ケラエノⅠ 艦橋区画】
から揚げ弁当を堪能し、水素クラゲとの思わぬ触れ合い体験したリア隊長が休憩時間を終えて艦橋区画へ戻るとオペレーター達が中央のホログラフィック・モニターの下に集まって作業船と慌ただしく通信やデータ交換をやり取りしていた。
「これは……どういう事ですか?」
騒然とした状況を確認すべく当直指揮官に訊くリア隊長。
「実は、1時間ほど前から作業区域に水素クラゲが多数現れて我々の作業を”補助”している様なのです」
当惑気味に応える当直指揮官。
当直指揮官が作業状況を映すモニターを新たに展開させてリア隊長に見せながら説明する。
「作業船が木星大気圏の各地へ展開した惑星磁力線シールドの網に付いて行って水素をかき集めてくれている様なのです」
作業船から木星大気圏で渦巻く雲海へ伸びていく惑星磁力線シールドに触手を絡ませる様にして雲海へ突っ込んで行く水素クラゲ達。
そして作業船がシールドを巻き戻す時には水素クラゲが触手一杯に淡い水色に輝く水素雲を抱えてシールドと共に戻ってくる。
傍目には、光り輝く大量の水素クラゲが網にかかって引きあげられる漁の光景に見えるかもしれない。
「それで効果は?」
「2時間前と比べて2.5倍の水素が抽出されました。さらに、抽出した水素を染みへ投射する際にも身体を張って協力しています」
リア隊長の問いに答える当直指揮官の内容は予想の斜め上だった。
当直指揮官は、目を丸くして驚くリア隊長に別のモニターを呼び出して説明していく。
「作業船が抽出した水素をシールドに凝縮して投射する際に、水素クラゲがシールドを抱えて染み上空まで飛んで行って投下してくれるのです。
大気で屈曲してしまうのでレーザー照準調整に時間がかかるのに比べ、直接現地で投下するため投射成功率100パーセントとなっているのです」
水素クラゲ達がシールドに包まれた濃縮水素を抱え、バッティングセンターで飛び出すボールの如く勢いよく染み上空へ突き進むと上空でポトリと濃縮水素を投下していく。
「……なんという事でしょう」
次々と作業船から飛び出してシールドに包まれた水素を投下する水素クラゲ達を見て茫然とするリア隊長。
「水素クラゲの”補助”により、ネガティブ3の化学反応収束は想定以上の期間短縮が可能かもしれません」
リア隊長に報告する当直指揮官。
「しかしなぜ、急に木星原住生物が我々の補助をしてくれるのでしょうか?」
リア隊長が周囲の指揮官やオペレーターに問いかけるが答えられる者は居なかった。
艦橋区画の一角が沈黙する中、通信オペレーターがリアに近づいて耳打ちする。
「隊長、ダイニング・ハッチから至急です」
「こちらリアです。どうしたのですか?」
『隊長、ハッチの外に大勢の水素クラゲが集まっています。……あと、私の幻聴かもしれませんが「ゴ褒美カラアゲ食ベタイ」と頭の中に呼び掛けられている様に感じます』
リアの問いに困惑しながら答えるダイニング・ハッチ担当者がダイニング・ハッチの船外モニターをリアの手元にあるホログラム端末に接続する。
ダイニング・ハッチ周辺に衛星軌道上から詰めかけた夥しい数の水素クラゲが群がって蠢いている。
触手を無造作に船内に透過させる者はいないようだ。
「分かりました。貴方は呼び掛けに応える様に頭の中で「とりあえず列に並べ」と念じてください。
それと、食堂の当直指揮官に戦略物資コンテナを幾つかダイニング・ハッチへ運ぶ様に伝えてください。私もそちらへ向かいます」
リア隊長はダイニング・ハッチ担当者に指示を与えると通信オペレーターを呼び出す。
「『おとひめ』経由で大月家に至急電文を。内容は”から揚げ弁当追加で毎日5000食よろしく”でお願いします」
通信オペレーターに電文を指示するとダイニング・ハッチへ急行するリア隊長だった。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・リア=マルス・アカデミー・木星再生作業船団隊長。から揚げ好き。
・モウゼ=マルス・アカデミー・基幹母艦『ケラエノⅠ』搭乗員。
1万2000年前から地球調査隊長イワフネの部下としてマルス・アカデミー・尖山基地に所属していた。大月達と遭遇後、リア率いる新たな母星からの救助船でプレアデス星団に帰還した経歴を持つ。




