居場所
2026年(令和8年)11月9日午後2時【東京都大田区田園調布一丁目 総合商社角紅社長 仁志野清嗣の自宅】
「横浜のNEWイワフネハウスに在る、マルス・アカデミー大使館窓口を、アルテミュア大陸シドニア地区へ移転して頂きたい」
昼前に突然訪問した外務省大臣補佐官を名乗る30代半ばの男性が、ひかりの淹れたお茶を一口飲むと、淡々と向かい側に座る満と美衣子へ向けて事務的に告げるのだった。
「…マルス・アカデミー技術の段階的承継は未だ続行中です。
日本列島外に大使館窓口を置く事は、利用者にとって不便となるのではないですか?」
ひかりが疑問を口にする。
「問題ありません。
種子島宇宙センター、羽田国際宇宙空港に設置された電磁カタパルト、惑星間航行可能なマルス輸送機と冷凍睡眠カプセルを使ったシャトルの運航等、マルス・アカデミー技術の段階的承継は既に一定の成果を挙げています。これ以上の承継は不要です」
冷淡に答える役人。
「"不要"ですって?貴方達は何様なんだ!」
あまりの言葉に憤る満。
「お父さん、落ち着いて。
――――――そう。分かった。シドニアへの移転は今日中に行うから、岩崎によろしく伝えて頂戴」
怒る満を遮って静かに応える美衣子だった。
+ + +
「美衣子、あれで良かったのかい?」
役人が帰った後、未だ憤懣やるかたない様子の満が美衣子に訊く。
「澁澤が倒れて以来、日本列島に住む人々の思念が急激に変わり始めているわ。
生態環境保護育成システム統括者であろうと、この思念の変化に抗う機能設定は無いわ。
私達三姉妹は、列島に住まう人々の思念に従うまで……」
淡々と応えつつも、せめてもの自己主張のつもりなのか、ひかりが補佐官へお茶請けに出していた手作りプリンに手を伸ばす美衣子。
「そういえば、月面のルンナ・ラボでも大量の役人が霞が関から来て、東山のオフィスを半ば占領して色々と動き始めたらしい。さっき携帯で泣き言を伝えて来たわ」
結がチロチロとプリン容器の底に残ったカラメルを舌で舐める。
「乗っ取りっス!」
ぷんすかと怒りながら冷蔵庫から取り出したばかりのコーラをぐびぐび一気飲みする瑠奈。
「うーむ。やっぱり、脱出計画は予定通り――――――」
「しいっ!ですよ、あなた。
此処はイワフネハウスではないのですから、誰かに聴かれているかもしれませんよ?」
うっかり口を滑らせかけた満を遮って注意するひかり。
「…っ!そうだった、ごめんなさい」
しょんぼりする満。
「お父さんの案を実現させるには、もう一度、AIコミニュティの協力が必要不可欠となるわね」
思案する美衣子だった。
「ゲプッ!」
「瑠奈ちゃん!はしたないでしょっ!コーラは没収です!」
「あんまりっス!」
ひかりと瑠奈がコーラをめぐる攻防戦を繰り広げる中、リビングのテレビがニュースを伝えていた。
『—――—――火星ギャラップ社の世論調査によりますと、与党自由維新党を支持する有権者が再び53%と過半数に達した模様です。澁澤総理大臣暗殺未遂事件を受けての同情票と立憲地球党への反発が背景にあるものとギャラップ社は分析しています。
――――――イスラエル連邦の地球連合防衛条約離脱について、後白河外務大臣は遺憾の意を表明すると共に、METPP(火星地球自由貿易協定)に向けた連合防衛条約加盟各国への交渉を中断し、イスラエル連邦とのFTA(自由貿易交渉)に切り替える方針です』
キッチンで正座する瑠奈にひかりのお説教が炸裂する中、リビングでお茶の準備を整えた満は、背中によじ登ってきた美衣子と結になすがままにされつつも、ずずっとお茶を啜りながらニュースを視るのだった。
「どこもかしこも騒々しい……。やっぱり、今は此処に居場所なんてないのかもしれないな」
ぼそりと呟く満だった。




