面談
2021年9月1日午後6時【東京都千代田区永田町 首相官邸 総理大臣執務室】
「……本当に来ちゃったな」「……来ちゃいましたねぇ」
首相官邸正面玄関に立つ大月と西野は、自分の足元と目の前の建物を交互に見ながらお互いに顔を見合わせた。
尖山の異星人と身振り手振りで意思疎通を試みた二人は、尖山基地を管理している人工知能の力を借りた異星人との会話に成功していた。そして、異星人の頼みを聞き入れて首相官邸まで転送されて来たのだ。
しばらくすると、首相官邸の中から東山と岩崎官房長官が数人のSPと共に出てくると慌ただしく大月と西野を官邸の中へと招き入れるのだった。大月と西野は、目の前で唖然としていた警備中の警察官に軽く頭を下げると、東山と岩崎に連れられてスタスタと中へ入っていく。
♰ ♰ ♰
30分後、首相官邸2階に在る応接室のソファーには、大月と西野ひかり、内閣総理大臣の澁澤、内閣官房長官の岩崎が座っていた。
大月と西野の後ろには、東山 首相補佐官(さっき昇格した)が立つ。
大月と西野はピクニックの服装のまま足元にリュックサックやお弁当の入っていたバスケットを置いて"浮いて"いたが、別に気にしないと澁澤が言ってくれたので、大月の緊張は少しほぐれた様子だった。
西野は泰然と向かいの二人を見据えていたが、大月はそれに気付かなかった。
「この度は、大変な目に遭って仕舞われたようで本当に申し訳ございません」
澁澤と岩崎が揃って頭を下げた。
「とんでもありません!あれは、偶然です。私たちは貴重な体験が出来ましたから、頭を上げてください」
と大月が慌てて言った。
「ただ、"トカゲの人"の頼み事を受けてしまったもので、どうしようかと」
大月が正直に言った。
「日本国政府は国民であるあなた方を守るために最大限のサポートをさせていただきます」
岩崎が協力を申し出た。
大月の隣に座っていた西野は後ろを振り向いて東山を見るとニヤリと意味ありげな笑いをした。東山は本能的に半歩下がった。
「それで、頼み事とは?」
澁澤が尋ねた。
「彼らの望みは、母星と連絡が取りたいと。その為に、通信施設、通信手段を利用させて欲しいとの事でした」
大月が答えた。
「私は商社マンです。色々な品は手配できますが、流石に宇宙関係は大手に負けます」
大月は素直に白状した。
それを聞いた澁澤はワハハと大笑いして、
「いや、失礼しました。いくら大手の商社マンでも宇宙人の顧客は居ませんから気にせんで良いでしょう」
「彼らの母星とはどちらになるのでしょう?」
岩崎が訊いた。
「”トカゲの人"の母星はプレアデス星団にあるコロニー群だと言っていました」
大月が答え、
「地球から443光年になります」
すかさず西野が補足した。
「遠いな」
澁澤が呟く。
「国立天文台の電波望遠鏡を使っても、どれ程時間がかかるか。専門家に聞いてみましょう」
岩崎が言った。
「その他は日本列島の情報全部だそうです。それと、当面の食糧と燃料の心配もしているようでした」
大月が言った。
「その点は東山君がお役に立つでしょう」
岩崎が言った。
「大月さん、後程具体的な品目を打ち合わせさせてください」
東山が言った。
結局、母星への通信と膨大な情報の提供方法については結論が出ず、明日、再び首相官邸で打ち合わせをする事となった。
機密保持と警備上の観点から、帰宅や会社への連絡は禁止され、二人は内閣官房が手配した赤坂の高級ホテルのスイートに案内された。
部屋の外にはSPが配置され、ホテル正面には機動隊の警備車両がひっそりと待機する事となった。
大袈裟な扱いに大月は辟易したが、西野は「プチ婚前旅行ですぅ」とはしゃいでいた。
♰ ♰ ♰
その日夜遅く、総合商社角紅の社長 仁志野清嗣の自宅に経産省次官から電話があり、とある角紅社員二人を官民人事交流の一環として、内閣官房と兼務させたい旨の連絡が有り、他言無用として仁志野だけに事情が説明された。
幼い頃に震災で辛い経験を過ごした孫娘の活躍と、それを助けた頼れるパートナーの出現に喜んだ仁志野は、人事交流を快諾した。
後日、経産省から追加人事交流として春日洋一も内閣官房兼務となるのだった。
♰ ♰ ♰
「……総理、我が国は独自の異星文明窓口を確保しました」
大月と西野が執務室を出ていくのを見送った後、岩崎は澁澤の向かい側に座ると状況を分析し始める。
「ああ。35年前の悪夢の再来かと肝を冷やしたが、瓢箪から駒で良かったじゃないか」
澁澤がニヤリと笑った。
「しかし、通信ですか……。早朝に合同チームでメッセージを送ったばかりだと言うのに……」
珍しく頭を抱える岩崎。
「開き直るしかあるまい。こうなったら、タイミングを見て"トカゲの人"に相談するしかないだろう」
澁澤が応えるのだった。
1時間後、急遽三鷹のJAXA本部から首相官邸に呼びだされた天草士郎理事長は、渋面をした岩崎官房長官と色々と開き直った感じの澁澤総理大臣から、尖山の異星人と接触した大月と西野の面談内容を知らされると、岩崎と同様に頭を抱えるのだった。
♰ ♰ ♰
―――翌日、9月2日午前8時30分【東京都港区 溜池山王交差点付近】
二人乗りの電動機付き人力車が交差点から首相官邸へ向かう上り坂に差しかかろうとしていた。出勤する人々を乗せた人力車が沢山走っている光景を見て台座に座る大月が呟く。
「まさか21世紀の東京都心で人力車に乗るとは思わなかった・・・」
「せんぱい。電動機付人力車ですよ?それにしても自家用車が禁止されたと思ったらこんな乗り物が再登場するなんて驚きですねぇ」
隣に座っていたひかりが頷く。
「ここまで流行るとは正直予想外だ」
「そんなにガソリン足りないんですかねぇ?」
西野がコテンと首を傾げる。そのあざと可愛さに一瞬心がときめいた大月。
「原油備蓄は非常事態宣言前の消費量で3か月は持つはずなんだ。だから必ずしも不足しているわけじゃない。多分、自家用車禁止で路頭に迷う人向けに新しい雇用対策かもね」
「タクシー・バイク業界、競輪・競艇、宅配業界等影響を受ける業界のすそ野は広いからね。受け皿は多いほど良いんだと思うな」
「すごいですねぇ。物知りですねぇ」
西野がワクワクした目つきで大月を見つめる。
褒められるのに慣れていない大月は、西野の視線から逃れるように身体をずらしながら説明を続ける。
「それにこの人力車は何気に電気自動車並みにパワーアシストされているから引いている車夫さんの負担感もかなり軽減されているはずだよ」
俺だと100m持たないけどな、と苦笑する大月。
「マイカーが禁止されているからドライブデート出来ないから残念です」
「健康的にサイクリングデートしたら?」
「せんぱいも走ってくれるんですかぁ!?」
「謹んでお断りいたします」
「なんですかぁ!それ!」
いちゃいちゃ煩い客だと永田町へ向かう上り坂を軽い足取りで台座を引いていく車夫は苦笑するのだった。