追憶 / 遭遇
このエピソードでは、『阪神・淡路大震災』についての描写があります。この震災で辛い思いや、心身に負担を感じた方は直ちに読むのをお止めになってください!
涙の止まらないまま、大月は歩き続けていた。
建物の壁は崩れ、ショーウィンドウのガラスは粉々に砕け、まるでビー玉をぶちまけたように大通りに散らばっていた。
目に入る景色が全て壊れ、傾き、歪んでいるので、自分のバランス感覚がおかしいのかと錯角する程だった。
時折身体を揺さぶる余震に警戒しつつ、傾いた信号機が全く点灯しない交差点を、涙を流しながら大月は横断していった。
―――此処は、日本なのか?
心の中にあった常識が音を立てて崩れるのを感じたところで、誰かに腕を掴まれて我に返る大月だった。
――――――【神奈川県横浜市緑区 郊外】
大月は葬祭場の広場で、火葬場の焼却炉から立ち上る煙を見つめて立ち続けていた。傍らには、葬儀の受付手伝いとして来ていた西野が心配そうに彼の上着の袖をギュッと掴んでいた。
「後は任せたって、.......何も残っていないじゃないか。
バカ親父」
大月の視界が滲む。
今月中旬、大月の父が実家で大量吐血して意識を失い救急搬送された。
母親から連絡を受けた大月が搬送先の病院に駆けつけると、処置に当たった医師から父が末期の肺癌であることを告知された。
その晩、大月は人工呼吸器を付けて昏睡状態の父の手を朝まで握り続けた。
翌日、父は目を覚ましたが、呼吸器機能が低下して自力呼吸が困難になっていた為、母と共に担当医に相談した上で、呼吸困難な感覚をモルヒネ投与によって緩和させる処置(終末期医療とも言う)を施すことになった。
その日から2週間、ほとんど父は睡眠状態であり、たまに目を覚ましても意味不明な言動と母以外の人間の認識能力が失われた容態であった。
そして一昨日早朝、担当医に呼び出された大月は、父の心臓機能が急低下して余命が間もなく尽きる事を告げられた。
午後、毎日通って看護していた母がふと気づくと、父は息を引き取っていた。78歳だった。
昭和の戦後を生き抜いた猛烈サラリーマンの呆気ない最期だった。
大月が駆け付けた頃には、病室から霊安室に父の遺体は移されていた。
大月にとって、父は小さい頃から礼儀作法に厳しい畏怖すべき存在であり、一方で、酒と女と借金にまみれた軽蔑すべき存在でもあった。
「サラリーマンなんて所詮、こんなもんなんだよ」
すっかり頭髪が抜け落ち、頬がこけた顔で病室の天井を見つめたまま、ぜえぜえと荒い息を吐きながら、父は大月に話した。
2週間後の午後、容態が急変して父は帰らぬ人となった。
葬儀の参列者が全て帰り春日が二人を呼びに来るまで、大月と西野は無言でその場で佇んでいた。
大月の父が死去して1週間、大月は忌引と有給休暇をフル活用してアパートに引き込もっていた。
想像以上に父の死は堪え、大月は部屋の中で何にも手につかず、茫然自失となっていた。ドアのインターホンが鳴っても、携帯電話が鳴っても、全て無視した。
そして今日、早朝から近所迷惑なドアを激しく叩く音に閉口してドアから顔を出すと、西野が部屋に突入し、カーテンを開け、シャッターを開け、部屋の片付けを始めた。
その間、西野は一言も喋らなかった。
新鮮な空気が室内に流れ込み、ユニットバスに湯が満たされると、大月は西野に引きずられて風呂場に叩き込まれた。
久しぶりのお湯とシャワーを満喫して、人間の気持ちを取り戻した大月が用意されていた着替えを着てユニットバスを出ると、西野が仁王立ちで待ち構えていた。
「大月さん。
何か言うことはありますか。」
西野が無表情で問いかける。
「ごめんなさい」
大月は正座すると、西野に詫びた。
「そして、本当にありがとう」
心から礼を述べた。
そんな大月を半泣きで見下ろしながら、
「本当に大月さんはしょうがない人ですね。ご飯を食べたらピクニックに行きますよー」
優しい声音で言った。
大月は初めて西野ひかりに好意を持った。
♰ ♰ ♰
2021年9月1日午後1時【富山県立山市 尖山山頂付近】
国立天文台で日本国政府と列島諸国の合同チームによる、異星文明への歴史的なコンタクトが試みられていた頃、大月と西野は富山市近郊に在るパワースポットとして有名な山を登っていた。
「やったー!制覇したぞー!」
先に頂上へたどり着いた西野が気勢を挙げた。断じて奇声ではない。
心の中で周囲の観光客に平身低頭しながら、黙々と大月は頂上に続く登山道を踏み締めて前進する。
「疲れたー、死ぬー」
大月はぜいぜい喘ぎながら頂上で西野が差し出したスポーツドリンクをがぶがぶ飲んだ。
「大袈裟ですねー。そんなに飲んだら、私の手作り弁当が食べれませんよー」
西野があざと可愛い声で嗜める。
「でも、大月さんが元気になってくれて何よりです」
西野が言った。
「こんなブヒブヒ言っているイノシシに構わなくてもいいんだぞ」
照れた大月が言った。
「それではこれから、イノシシの餌やりタイムでーす!」
西野が茶化して言うと大月は苦笑した。
西野の手作り弁当は豪華なイワシパイだった。
思わず緊張した大月だったが、普通に美味しかったので完食した。
食後に頂上でごろりと横になる大月は、北の海辺で日向ぼっこをするゴマフアザラシを彷彿とさせた。
西野はケラケラ笑いながらそんな大月の写メを撮っていた。
「それにしても、どうしてこの山にしたんだ?」
息の整ってきた大月が西野に訊く。
「この雑誌に日本のミステリースポットとして紹介されていたからですぅ」
リュックサックから1冊のオカルト雑誌を取り出す西野。
「西野ってオカルト好き?」
「昔っからUFOとかネッシーに興味があったんですよぉ」
西野は照れながら、オカルト雑誌に記載された"日本ミステリースポット100選"と題されたページを開いて大月に見せる。
「えっと、時折謎のオーブ(光球体)が目撃される北陸随一のUFOスポットかぁ……」
見せられた雑誌を手に取って記事を読む大月。
「まだ尖山行ってなかったんですよね」
屈託なく笑う西野。
「そうか。頑張ってUFO探してくれ。俺はもう少し休むよ。アザラシには昼寝が必要なんだ」
そう言ってぐでんと大の字に寝転ぶ大月。
「はいっ!ではでは、しっかりUFOを呼び寄せてみましょかねぇ」
楽し気に答える西野。
尖山頂上に居るのは大月と西野だけだった。
平日にはしゃぐ若いカップルに気を使ったのか、年配の夫婦ら登山客は既に下山ルートに向かっているのだろう。大月にとって、衆人環視の中での「あーん」は精神的拷問に等しかった。
ひとしきり大月をいじって満足した西野は、頂上に転がる石を集めてピラミッドを作り始めた。
石を手に取る度に方位磁石を近づけ、磁石が狂う石だけを選ぶと「パワーを感じますねぇ」等と謎な事を言いながらピラミッド状に石を積み上げていく西野だった。
まるで子供の頃に戻ったかのように石で遊ぶ西野を大月は優しい笑みで見つめるのだった。
♰ ♰ ♰
尖山内部の人工保守管理知能『タカミムスビ』は、新たに発生した頂上からのエネルギー反応が施設と同じ波長であることを検知すると、第4惑星マルスからの救援部隊が到着したと錯覚、施設内の各区画をスリープモードから覚醒モードへと移行させた。
♰ ♰ ♰
「大月さん、キレイでっすよーっ!」
山頂付近で、西野がしゃぎながら周囲の景色を携帯で撮りまくっている。
頂上に他の観光客が居なくて良かったと、大月は安堵の息を吐きながら西野が積み上げたピラミッドを見る。
西野が積み上げたピラミッドは淡い水色の光を発して輝いていた。
え?こんなにキレイな石あったかな?玄武岩?雲母?
大月がぼんやりと考えていると、尖山の頂上付近が突然、陥没した。
山頂を目指していたり、下山途中の観光客達は山頂から立ち上る土煙を見て、直ぐに警察と消防に通報した。
消防と富山県警の救助ヘリが尖山付近に差し掛かると、突然、尖山の周辺で猛烈な上昇気流が発生し、竜巻が尖山を覆う形となった。
登山口からの地上救助隊は、竜巻が収まるまで、待機を余儀なくされた。
また、尖山各所を登山中の観光客達は、不思議な事に、竜巻発生した直後に、全員が登山口に『転移』した。
登山者達は狐につままれたような表情でお互い顔を見合わせ、地上救助隊は転移した観光客の対応に追われた。
午後4時、富山県知事の災害派遣要請により、習志野駐屯地で待機していた陸上自衛隊特殊作戦群が派遣され、尖山周辺地域を封鎖した。
♰ ♰ ♰
「ここはどこですかねぇ?秘密基地みたいでワクワクしますねぇ」
西野がペンライト片手に通路をずんずんと進んでいた。
西野は本当に物怖じしないなぁ、感嘆の念で西野の後に続く大月。
別に恥ずかしくなんか無い!怖いものは怖いのだ!オカルト好きな割りに現地で小心者になる小市民の大月は開き直る。
大月と西野は山頂陥没に巻き込まれたのではない。
山頂がエレベーターのようにゆっくりと降下し、永年にわたって降り積もった大量の土砂が一緒にエレベータで下に運ばれたのである。外部からは、山頂が陥没したと思われるのも無理はない。
二人が進む通路は、高さが5m、幅が4mの金属製の通路である。照明器具は見当たらないが、金属自体が発光しており、明るく二人を照らしていた。
大月が落ち着きを取り戻す頃に、ペンライトをそっとしまう西野だった。
通路は分岐する事無く、真っ直ぐと奥の大きな扉の前まで続いていた。見たところ、高さ10m、幅が20mの円形か。
二人が扉に近づくと、扉の縁から緑色の光線が二人を包み込み、しばらくすると、青色に切り替わった。
♰ ♰ ♰
人工保守管理知能『タカミムスビ』は、訪問者二人の身体データ収集と殺菌消毒を行い、危険度が極めて低いことを確認すると、中央区画に繋がる扉を開放した。
♰ ♰ ♰
大月と西野が開放された扉から中に入ると、10基程の円筒形をしたカプセルが中央に立ち並んでいるのが目に入った。カプセルの大きさは高さが4m長、幅は2m程か。二人がカプセルの1つに近付いて、顔を寄せあって覗き込むと、半透明の蓋?のような窓から中が見えた。
中には、毛髪の無い、銀色に光る鱗を持つ顔が見えた。
その顔は瞳を閉じており、眠っているものと思われた。
その瞳が突然開くと、縦長の瞳孔を持つ双眸が二人を見つめた。
「「うぎゃーーっ!!」」
西野と大月は産まれて初めて絶叫した。
二人の絶叫した表情を見たカプセル内の存在も、自分を覗き込む"物凄い形相"の人間を見て驚き、内部で絶叫したようだった。
西野は絶叫して離れる際、カプセルを少し手で押したが、永年の金属疲労で立て付けていた現地製の留め具が破断し、カプセルが隣のカプセルに倒れた。
隣のカプセル留め具もまた、突然もたれ掛かった隣の比重に耐えきれずに破断、ドミノ倒しのように、カプセルが次々と倒れていった。
ドミノ倒しが終わった後、全てのカプセルが床にごろごろ倒れて転がっていた。
大月と西野が見た最初のカプセルで絶叫した存在も、カプセルが倒れた衝撃で失神したようだった。
二人は顔を見合わせながら、おろおろして器用なパントマイムを繰り広げた後、溜め息をついた。
やがて失神から立ち直った存在が倒れたカプセルから這い出て二人に向かい合った。身長3mはあろうか。
「「ホントごめんなさいっ!」」
深く頭を下げて謝罪する大月と西野。
見上げる様な高い身長で鱗に包まれたその存在=イワフネは、僅かに苦笑すると、右手を差し出してきた。
大月と西野はその手をそっと握った。
♰ ♰ ♰
数ヵ月後、尖山メンテナンス人工知能『タカミムスビ』が撮影した映像が流失した際、マスコミが大騒ぎする一方、大月と西野はネット上で「異星人に決闘の躍りを披露する『女勇者と盾役』」と"痛い"認定を受けた。
「過去文明でも披露された、伝統的な原住民の儀式舞踊ではなかったんですか?」
イワフネ達から真顔で言われてショックを受けた二人は数週間、尖山の施設奥深くに引き籠り、東山の依頼を受けたイワフネがタカミムスビに指示して皆神山に強制転移させるまで、日本政府関係者を大いに困らせたという。
兎にも角にもこうして、現代日本人と異星文明人がコンタクトしたのである。