タカミムスビ
地球極東地区に在る細長い列島北西部に、マルス・アカデミーのイワフネ達が築いた第3惑星調査拠点は、地球観測天体であった月=『ルンナ』が装備していた脱出シャトルが本体となっている。
本来は、機体制御や自動航法システムを統括していた自律型AI(人工知能)を拠点の維持管理に応用しており、ムー・アトランティス両大陸壊滅後に失意の内にスリープモードへ移行したイワフネ達が居なくても、基地の機能は保全され、新たな文明が勃興するまで眠り続ける彼らの安全を守っていた。
イワフネ達が活動していた頃は、定期的に彼らが母星としていた第4惑星へ向けて第3惑星の調査記録と『ルンナ』損壊の報告、自らの救助要請を行っていた。
500年前の列島北西部は、険しくも緑豊かな山脈の合間に小規模な集落が点在するだけで、強力な陽電子を放射したところで付近に生息する動物が地磁気に反応して騒ぐ程度で済んでいたが、現在は列島の大部分が地球人類によって開拓され、地球人類文明の電気ネットワークが張り巡らされているとは、一介の維持管理システムの知る所ではなかった。
当然の事ながら『ルンナ』損壊後の1万年の間に、母星としていた第4惑星の環境が激変した事を知る由もなかった。
―――そして、スリープモードに入ったイワフネ達に代わって、基地の維持管理システム『タカミムスビ』は、500年をかけて蓄積してきた宇宙放射線と地磁気を融合させた強力な陽電子通信を第4惑星へ向けて放射するのだった。
1987年(昭和62年)7月23日午後1時【富山県立山市 尖山】
尖山は何の変哲もない、標高559mの自然侵食されて形成された山である。
高度経済成長により豊かになった庶民が週末に大挙して観光に励む習慣が定着する頃には、登山道が設けられ、富山県の観光スポットとして賑わっていた。
しかし、この日の昼過ぎ、山頂付近が僅かに振動し、強力な電磁波を伴った電波が、月面とおうし座方面に発信された。
山頂付近で昼食を取っていた観光客らは、足元が一瞬揺らいで軽い目眩を覚えたが、体感時間にして1秒前後であり、登山の疲れだと錯覚した。
同時刻、関東北部の変電所において原因不明の電圧崩壊が発生、午後1時19分、東京全域を含む神奈川県、千葉県、埼玉県、栃木県、静岡県の6都県で大停電が発生し、280万戸への電力供給が3時間半以上にわたって停止された。
この停電は『東京大停電』として日本現代史に記録されている。
東京都千代田区の国会議事堂も停電し、衆議院予算委員会が中止を余儀なくされた。事態を重く見た中曽根康弘総理大臣は、後藤田正晴官房長官に原因究明と再発防止を指示した。
防衛庁は富士山測候所、野辺山、富山湾岸の自衛隊通信施設が大停電と同じ時刻に強力な電波が富山県立山市付近から発信されたのを探知し、直ちに首相公邸へ報告した。科学技術庁も加わった調査の結果、発信源は富山県立山市郊外に在る尖山と特定された。
中曽根首相は米国のレーガン大統領と緊急極秘電話会談を行い、在日米軍支援のもと、陸海空統合自衛隊による秘密調査を行うことを決断するのだった。
♰ ♰ ♰
東京大停電から2日後―――7月25日午前2時【能登半島沖の富山湾 海上自衛隊護衛艦『しらね』CIC(戦闘管制室)】
「こちらノドグロ、習志野の展開状況を報告せよ。オクレ」
最新鋭護衛艦『しらね』に搭乗している「中央即応部隊」司令の石原一佐が空挺特殊部隊の状況を確認する。
中央即応部隊は、大規模不正規戦、ヘリボーンによる急襲等に迅速対応する専門部隊であり、今年発足した。
『こちら習志野。目標確認。目標上空まで5分、オクレ』
千葉県習志野基地から飛び立ったヘリボーン部隊は人口密集地を避けながら北上し、富山市郊外上空まで接近していた。
「ノドグロ了解。コマンド1は山頂、コマンド2は登山口から散開突入せよ。民間人への発砲は禁止。遭遇した場合は拘束してヤマネコへ引き渡せ。オクレ」
『習志野、ラジャ。交信終わり』
護衛艦『しらね』に座乗する中央即応部隊司令官の突入指示を受けたヘリボーン部隊は、攻撃ヘリコプター『コブラ』の援護を受けながら、尖山へ向けて降下態勢に入るのだった。
♰ ♰ ♰
尖山内部で永年保守管理を行っている人工知能『タカミムスビ』が外部からの各種レーダー波、上空からのレーザーセンサー等に反応し、外部からの発信源に対し、アトランティス語、ムー語による"対話を求める"通信を送ったが返答が一切無かった為、防衛機構が稼働を始めた。
♰ ♰ ♰
尖山山頂上空に到着した陸自のCH-47チヌークヘリの側面ドアが開くと、迷彩服を着た完全装備の空挺特殊部隊隊員が次々と岩石が転がる山頂にロープを伝って降下した。
登山口からも、空挺特殊部隊が散開しながら登山を開始した。
【海上自衛隊護衛艦『しらね』CIC】
「目標から通信あり」
管制官が報告した。
「内容は?」
石原一佐が訊く。
「解読不明の文字列が繰り返し送られています。陸自ヘリ、空自のF4も受信しています」
「ミスターイシハラ。我が国の衛星も受信した様だ」
在日米国海軍横須賀司令部(通称コマンド・ケイプ)から派遣されてきた連絡将校”M"が石原に告げた。
「ありがとうございますM。恐らくソ連も嗅ぎ付けているでしょうね」
石原が応える。
「ええ、急ぎましょう」
Mが解読よりも調査優先を主張して"アドバイス"した。
「こちらノドグロ、各員に告ぐ。迅速な任務遂行を期待する」
石原は、通信文の解読よりも調査強行を決断した。
「空自千歳から緊急。ユジノサハリンスク基地から爆撃機、戦闘機が多数発進中!」
「稚内早期警戒レーダーより緊急!ミグ31、5機、ミグ25、9機、ミグ23、15機、ツポレフ・バックファイア超音速爆撃機5機が日本海を南下!過去に無い大規模な編隊を確認!」
レーダー担当士官が報告するなり、自動的に空襲警報を告げる非常ベルが『しらね』艦内に鳴り響く。
「三沢米軍から緊急!象のオリ(輪形アンテナの通信傍受施設)が極東ソ連軍司令部発の平文を傍受。『全軍戦闘態勢に入れ』だそうです・・・」
手が震えて顔面蒼白となった通信担当士官が報告する。
富山湾に進入していた任務護衛隊群が未曾有の事態に恐慌をきたしている事を知らない空挺特殊部隊は、尖山山頂付近に散開して周囲を警戒しながら調査を開始した―――直後に隊員達の身体が淡い水色の光に包まれると消失した。
【海上自衛隊護衛艦『しらね』CIC】
「コマンド1、頂上付近でロスト!」
通信担当士官が叫ぶ。
「チヌーク1、状況報告!」
石原司令が指示する。
『こちらチヌーク1、コマンド1は全員発光した後に消滅した!コマンド2は、登山口から100mの地点でロスト!』
『チヌーク2、こちらのコマンド2は全員フラッシュみたいに光って消えた!』
「ジーザス!何と言う事だ!」
驚愕するМ。
「こちらノドグロ、全チヌークは直ちに目標付近から離脱せよ!」
石原司令が叫ぶ。
「空自F4編隊が、飛騨・高山、水上方面から接近する"光球体"を捕捉!識別不明!領空侵犯警告を行うも返答なし!」
航空管制士官が報告する。
『こちらハヤブサ1、国籍不明機から光球が2つ発射された!フレア射出、緊急回避行動!応戦許可をくれっ!』
F4戦闘機のパイロットが、極度に緊張した声で助けを求める。
「本艦対空レーダーも飛騨・高山、水上から飛来した光球体6機を確認。F4編隊2機を包囲しています」
今迄黙っていた『しらね』艦長が石原司令に報告した。
「F4は作戦空域から急速離脱せよ!光球体は分裂しただけだ。相手が攻撃しない限り、撃つな!」
石原司令が念を押した。
―――同時刻【東京都千代田区永田町 首相公邸】
護衛艦『しらね』CICの騒然とした状況はリアルタイムで首相公邸に伝えられていた。
「―――ええ、そうですロン。戦闘態勢に入ったソ連空軍の大編隊が、富山湾の艦隊に向かっています。
過去に例の無い異常事態です。事態が拗れると日本海からWWⅢ(第三次世界大戦)が始まりかねない!」
額に汗を滲ませた中曽根首相が、受話器を握りしめながら通話先のレーガン米国大統領へ切実に訴えた。
『――――ヤス、我々も赤い熊共がナホトカとウラジオストックに多数の船舶と強襲揚陸艦、自動車化狙撃師団を集結させる兆候をキャッチしたよ。
――――どうやら北海道と新潟に上陸させ、スペツナズ旅団は直接東京を目指すらしい。
――――我が国のミニットマン(米国多弾頭型ICBMの名称)は何時でも撃ち込めるが、モスクワのゴルバチョフに今から警告するところだ―――それと、シベリアとウラルでミサイルのサイロが開いたようだ。これ以上は危険だ――――残念だが直ちにこのコマンドは中止しよう――――申し訳無いヤス。今からエアフォース・ワンに乗らねばならない。君と"不沈空母"に神のご加護を』
レーガン大統領の通話が切れた。
「すぐに作戦中止命令を出せ!」
中曽根首相が、檜町で待機する防衛庁長官に直通電話で叫んだ。
傍らにいた後藤田官房長官は、中曽根総理大臣とレーガン大統領のやり取りが終わるなり、よろよろとソファへ崩れるように座った。
「官房長官、直ぐに避難を」
後藤田の後ろに控えていた岩崎正宗官房補佐官が、後藤田を支えるように彼の背中へ手を当てながら、耳元で囁く。
「警視庁先導パトカー手配に時間がかかり、防衛庁へ向かう装甲車はあと15分で到着する予定であります!」
桧町に在る防衛庁から連絡員として派遣されていた桑田一佐が、憮然とした表情で報告する。自衛隊の独自判断で走行車両を自由に走らせるのは憲法違反に当たるのだ。
「君、避難など無意味だよ。公邸の地下室はただの物置部屋に過ぎん。東京上空で核爆発が起きれば、衝撃波で簡単に押し潰されるだけだよ」
諦念の表情で答える後藤田。
「しかし、総理や官房長官が生き残らなければ我が国は―――」
「岩崎君。ナホトカからウラジオストクにかけての沿海州に配備されているソ連のSS21(中距離戦術核ミサイル)は我が国に7、8分で着弾するのだ。今から防衛庁へ向かうのに、何分かかると思っているのかね?」
尚も避難を勧めようとする岩崎を遮って中曽根総理が指摘する。
首相公邸には緊急時の専用指揮通信設備も、数週間は政府機能を維持させる大深度地下核シェルターも、全く備えられていなかった。
首相執務室に居た面々は、日頃から中曽根が日米同盟の堅固さを世論に主張すべく連呼していた"不沈空母"日本が、成す術もなく核の炎に包まれる光景を想像し、愕然としながらその場に立ち尽くすだった。
【海上自衛隊護衛艦『しらね』CIC】
「F4編隊作戦空域離脱。光球体全機ロスト!消えました……」
管制官が呆然として報告する。
「わけが分からん」
石原が頭を抱える。
「Gから至急電」
管制官が石原に電文を渡す。
中曽根首相からの電文を一瞥した石原一佐は、
「作戦中止!各部隊は所属基地に帰還!尚、目標からの通信データは全て抹消せよ!本作戦全てを箝口令とする!」
「やむを得ませんな。我々はヒューミント(人的資源)による監視と情報収集を始めます」
Mがため息をつきながら石原に告げる。
「わかった」
短く答えた石原一佐の顔は仏頂面だった。
護衛艦『しらね』が舞鶴に寄港するまでの間、日本海を南下するソ連空軍の大編隊に、小松基地からスクランブル発進したF4戦闘機が、自衛隊創設以来初めて20㎜機関砲弾による警告射撃を行う等『しらね』CICは騒然とした雰囲気に包まれた。
任務護衛隊群は、ソ連空軍からの対艦ミサイル攻撃を警戒しながら急いで富山湾から離脱した直後、ソ連空軍機はUターンしてユジノサハリンスクへ戻っていった。
♰ ♰ ♰
作戦中に消滅して行方不明となっていた空挺特殊部隊の隊員達は、3日後、長野県水上山(皆神山)の山中で無事発見、救助された。
彼らは直ちに檜町の防衛庁本庁病院で精密検査を受けたが異常は見られなかった。しかし、ヘリから降下した後については全員が記憶を喪失しており、何が彼らに起きたのかは解明出来なかった。
この事件は日米防衛当局内部でも無期限の極秘機密扱いとされ、尖山に関する申し送り事項は、内閣官房とコマンド・ケイプ(米軍横須賀司令部)が相互監視する形で冷戦終結後も民主党政権時代を除き、澁澤政権まで要注意事項として引き継がれている。
♰ ♰ ♰
「……あの20分間は、雲の上を歩いているような感覚で国会審議の報告も上の空で聞いていたよ」
後日、極東地区で米ソ両軍が核戦争寸前の状況に陥った事が暴露され、国内外が一時騒然となった際、マスコミの取材で中曽根は当時を振り返って心境を吐露している。
「総理。我が国はこのままで大丈夫なのでしょうか?」
取材を終えた記者達が公邸から退去する中、一人の経済新聞社所属の番記者が中曽根に問いかける。
「心配ないさ。君の様に事の本質に気付く人間がいる限り、この国の未来は決して捨てたものじゃない!」
普段は大らかな中曽根が、その質問に答えた時だけは真剣な顔つきに変わり、気圧された番記者は衝撃で頭が空白となり、質問を続ける事が出来なかった。
強い衝撃を受けた番記者は数年後とある地方選挙区で立候補、当選して政治家への道を歩み出す。番記者の名前は澁澤太郎という。
♰ ♰ ♰
東京大停電と一連の軍事的緊張の原因は、イワフネが築いた尖山基地の維持管理システム『タカミムスビ』が、500年に1度の第4惑星へ向けた観測データの定時送信と、救援要請が引き起こした事件だった。
尖山から発信された通信文は極秘裏に防衛庁や宇宙開発研究機構の合同チームが解読を試み、日本語の原型に近い字体が一部散見されたが、裏付けが偽書しかなく、偶然と見なされてあくまでも未知の言語であると結論づけられた。
その解読作業はJAXAに移管されても、種子島打ち上げ基地の片隅で細々と続けられており、火星に転移した現時点でも、研究者達は日々解読に悪戦苦闘している。
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・M=アメリカ合衆国 在日横須賀海軍司令部から自衛隊即応部隊に派遣されてきた将校。
・石原=陸上自衛隊中央即応部隊指揮官。1佐。
・中曽根 康弘=日本国総理大臣。
・後藤田 正晴=日本国内閣官房長官。
・岩崎 正宗=内閣官房補佐官。
*後に内閣官房長官となる。
・桑田=陸上自衛隊 桧町警備隊長。
*後に防衛大臣となる。
・澁澤 太郎=経済新聞社番記者。
*後に総理大臣となる。