前編
この作品はR15です。
下ネタ描写、グロ描写が含まれますので、苦手な方はご注意下さい。
あいつは初対面から変なヤツだったよ。
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ありゃあ、いつも通り大学の下っ手くそな講義をサボって、まず滅多に人の来ない第二図書室の奥で仮眠してた時のことだ。
ふと目を覚ましたら、俺のすぐ前にチンチクリンの無表情な女が正座してた。
正直、驚いたね。
俺は人の気配に敏感で、誰かが図書室に入ってくりゃあ絶対に起きる自信があった。
ここまで接近されたってんなら、余計にだ。
だから、聞いたんだよ。
「……あー……なんだ、お前」
ま、女に全然敵意がなかったのと、ちょっと寝ぼけが入ってたのもあって、精細を欠いた尋ね方になっちまったけどもな。
すると、そいつは小さく頷いてから、こう言ったんだ。
「ここにしかない本を取りにきたら、珍しい鮫人がいた。
あまり褒められた行動でないことは理解しつつも好奇心に負け観察を始めること約五分。
もちろん、痴女でもなければ盗人でもないので、そちらには指一本触れてはいないし、起きたからには直ちに立ち去る所存」
「はーん?」
「ただ、ひとつ言わせてもらえるのなら、列をなす牙は見ごたえがあった、ありがとう」
マジ理解不能だった。
いや、話としちゃあ簡潔で、意味が分かんねぇってこたぁないけどよ。
色々こう、単語のチョイスとか、態度とか、考え方とか、なんつーか、少なくともコイツは普通とか常識の範疇には収まらねぇ女なんだなって思ったわけ。
「お前、アタマがおかしいのか?」
「私は私なりの理屈で動くだけ。
そちらがどう感じようとソレは個人の自由」
結構ヒデェこと聞いちまってたのに、全く堪えた様子もなく流されるし。
不思議ちゃんって、こういうヤツのこというのかね。
「もう行く。お達者で」
いや、言わねぇだろ。イマドキの女子大生がお達者でとか。
お前ナニモノだっての。
んでまぁ、なぁんか、面白ぇなぁって、ジワジワ興味湧いてよ。
「おい……人を勝手に観察しといて、タダで帰る気かよ」
立ち上がったソイツを、思わず引き止めちまってた。
あぁ、引き止め方が最低だってのは分かってる。
でも、咄嗟にソレしか出なかったんだよ。
普段っからギスギスした生き方してっからなぁ。
インガオーホーってやつ?
のくせ、まぁたこの女が想定外っつーか何つーか。
「ん。一理ある。対価に何を望む?」
普通に受け入れやがった。
もう呆れるしかねぇよ。
コイツの親は一体何をどう教育してきたんだかなぁ。
「話が早すぎるだろ……ちったぁ警戒しろよ」
俺みたいな社会のクズにまで注意されるとか相当よ?
その辺、自覚してんの?
「必要性があれば」
あるから言ってんだっつーの。
俺が真面目と正反対の日常生きてるヤツだってのは、見た目ですぐ分かんだろうが。
「必要性、ね。お前、俺のこと知らねぇの?」
「高確率で二学年上の中原シャルヴィーク先輩と推測」
妙にコンピュータじみた返答しやがって。
「おう、当たりだよ。
んじゃあ、その俺がどういう男かも知ってんだろ?」
「中原シャルヴィーク先輩、単位ギリギリの出席率に反してペーパーテストの成績は常に良好、素行に対する評判は悪く、黒い噂が絶えないが、学内に証拠となる決定的な実被害者はなし……という話なら耳に入っている」
なんだその調書でも読み上げてるみたいな説明は。
っていうか、そこまで分かってりゃすぐ逃げるだろ普通、脱兎だろ。
マジ理解できねぇ。
「それだけ聞いてて、その無警戒ぶりっつーのは、何だ。襲われてぇのか?」
「否定」
だから、何でそんなロボットみてぇな反応なんだよ。
最後ちょっと声低くして脅す風にしてみたってのに、そんな無表情でいられたら、やったコッチが恥ずかしくなるだろ。
あと、あっさり首ぃ横に振られたからって、ちょびっともガッカリとかしてねぇからな、俺は。
全然期待とかしてなかったから。どうせ断られるの知ってたから。マジで。
「初対面の人間にはまずニュートラルで接するのが信条。
先輩は、特に下卑た目を向けてくるわけでもなく、平静を保っており、論理的な対話も可能なようなので、未だ警戒域に達していない状態。
当然、要求の内容によっては、態度も異なってくる」
「ふーん」
やっぱ、変なヤツ。
信条っつったって、それで逃げ遅れりゃ世話ねぇってのにな。
「それで、対価は」
ほらもーっ、自分から言っちゃうんだもんなぁ。
そういうさぁ、明らかに付け込まれそうな態度をさぁ、俺みたいな評判最悪の男にさぁ、取っちゃいけねぇだろぉ?
あーあ、下手打ったなコイツ。あとになって後悔しても遅いんだぜ。
「……じゃあ、名前教えろ、お前の」
「なるほど。
観察で得たそちらの情報に対し、等価となるこちらの情報でもって返せ、と。
納得の道理」
いや、その理屈はおかしいだろ。
ほんと飽きねぇ。
「私は末永ミト。十八歳。AB型。文化学部一年所属。現在は実家暮らしで、父は海外へ長期の単身赴任中、母は税理士事務所勤務。趣味は読書で、文字さえあれば何でも読む。今日はその延長でここ第二図書館まで足を運んだ。目的の本のタイトルは『猿でも分かる創世神話シリーズ外伝むくつけき男たち』で、これはエロとグロの両面で十八禁指定図書になっていて長らく借りられなかったので、ようやく年齢が達した今、シリーズのファンとしては早めに目を通しておこうと……」
「おぉい、何をいつまでもペラペラペラペラくっだらねぇ情報垂れ流してやがる。
俺は名前しか聞いてねぇぞ」
アホたれぇ、個人情報なんだと思ってるの?
お前そんな両親のアレとか特に、母親が仕事の隙に家に押しかけて好き放題してくださいって言ってるようなもんじゃねーか。
危機感ないにも程があるだろ。
「元より礼を失していたのはこちらなので、少々多めに対価を払った方が良いと判断した」
「あーあーそうかい。じゃあ、もう充分だから、止めろよ」
「ん。満足がいったのならば、良かった」
なにひとつ良くねぇ。
もうコイツ正真正銘バカ。
ガチでどういう世界で生きてきたんだよ。
「では、私はこれで失礼する」
「っあ、なぁ」
「何」
普通に立ち止まっちゃうんだよなぁー。
「お前、またここに来るか?」
「本を借りるのだから、それを返しに来るのは必然」
「あぁ、そりゃまぁ、そうか。
いや、そうじゃなくて、あー、何だ。また、ここで会うようなら、声かけていいか」
「んん? 別に、好きなようにすればいい。
ここに限らず、どこで話しかけられようと対応する」
何でそんな当たり前のことをわざわざ聞かれるのか分からねぇって雰囲気だな。無表情だけど。
世間様の爪弾きモンとしちゃあ、ちょっと嬉しくなっちまうじゃねぇの。
だっから、バカだっつーんだよ。
俺に目ぇ付けられるような真似しやがって。
「人前で俺みたいなのと平気で話してみろ、次の日にゃあウゼェ噂が立ちまくってるぜ?」
「特に問題には感じない。
赤の他人の評価は私の行動を決定付ける要因にはならない」
「あっそー」
言い切りやがって。シビれるねぇ。
ま、本人が許可出したんだ。
なら、精々好きにさせてもらうさ。
今度こそ本当に去っていく女の小さな背を視界に映しながら、俺はそんなことをつらつらと考えていた。
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とはいえ、余所で偶然遭遇するなんてぇ展開はまずなかった。
ま、大学構内ってのは基本的に広いもんだ。
学部が違えば、会えないのも道理だろう。
だから、俺は健気で重い女みてぇに、せっせと図書室通いを繰り返してた。
ほんの数分の邂逅で脳みそにガリガリ存在を刻み付けていきやがったアイツは、そこに週一か二ぐらいの頻度で姿を現す。
相手の目的が読書にあるせいで会話が弾むなんてこたぁ有り得なかったが、たった数分交わされるソレを確かに楽しみにしている俺がいた。
思春期のオトコノコかってぇのな。
「見てていいか」
「邪魔をしないなら」
宣言通り、末永ミトは無視することも逃げ出すこともなく、いつだって淡々と言葉を返してくる。
相変わらずの無表情で分厚い本のページをめくる女を、正面の席に座った俺は、ただひたすら眺め続けていた。
「……面白い?」
一時間ぐらい過ぎた頃、ふとミトがそんなことを聞いてくる。
ま、本読んでるだけの人間ずっと見てりゃあ、そんな疑問も湧くよな。
「意外と飽きねぇ」
「ふぅん?」
その日の会話はたったそれだけ。
のくせ、妙に満足感のようなもんを覚えている心の野郎に、俺は諦めの境地で苦笑いを返してやった。
目にする回数が増えたことで、少しずつ刷り込みが効いてきたのか、それから三ヶ月程経った頃、ミトが分かりやすく海洋生物図鑑を眺めながら俺に質問を投げてきた。
「鮫人って両生類?」
「いや、確かに産まれてから幼児ぐらいまではエラ呼吸で水の中にしか住めねぇし、そっから段々手足が生えて陸上生活が出来るようになるとかいう紛らわしい生態はしてるけども、俺らは普通に人類で哺乳類だから。
お前、他の鮫人の前でソレ絶対言うなよ」
「ん。理解」
文化学部所属のくせに、鮫人の習慣だの生活様式だのをスルーして魚類の方に走るのは、一体全体どういう了見なんだろうな。
お前ソレ、俺が純人のこと知ろうとした時にまず猿について調べ出すようなもんだぞ。
マジ意味わかんねぇ。
そっから、ミトの疑問は徐々に鮫から鮫人に対するものへシフトしていって、最終的には俺自身の話にもなった。
「寝る時はうつ伏せか横向き?」
「ん?」
「ヒレと尾、邪魔そう」
「あぁ。寝室の半分近くが水槽になっててな、水に浮いて寝てる」
「……これが本当のウォーターベッド」
「なんも上手くねぇぞ」
「知ってる。言いたくなったから言った」
「自由だなぁ、お前は」
今までにないぐらい言葉が飛んできたことで、もしかして期待していいんじゃねぇか、なんて、単細胞な男らしい実際根拠のない思考に浸る。
「……海もプールも嫌い? 鮫人なのに?」
「人混みがウゼェのと、ほぼ確でマジモンの鮫と間違えて騒ぎだす馬鹿がいて、とにかく面倒なんだよ。
思い切り泳ぎてぇ気分の時もあるけどよ、天秤にかけりゃ行かねぇ方に傾くんだわ」
「難儀」
「まぁな」
で、まぁ、今ならイケるんじゃねぇかと、調子に乗って頭撫でようと手ぇ伸ばしたら……めちゃくちゃ素早い動きで両腕上げてガードされた。
いや、全然ショックとか受けてねぇけど。全然。
「恋人以外お触り厳禁」
なんだと。
「いるのか」
「いない」
くそっ。心臓に悪い言い回ししやがって、いねぇんじゃねぇかコノヤロー血の気引いたわッ。
ワンチャンあんのかコラぁ、どーなんだオラぁっ。
いや、全っ然、混乱とかしてねぇーし、俺めっちゃ冷静だし。
「……んじゃ、今だけ恋人になれっつったら?」
「結婚することを大前提とする、見定め期間としての『お付き合い』しかしないと決めてる」
マジか。
「重いな」
「軽い相手に割く時間はない。
より多くの本を求める私の人生は常に忙しい」
「そうかい」
典型的クズとして刹那的な過ごし方ばかりしてきた野郎が、先の人生の覚悟まで決まっているわけもない。
その日、俺は戦略的撤退を余儀なくされた。