キャンパスライフ
須賀尾大学。
文学から経済、教育、医療にいたるまで幅広い学部を展開している国立大学。広大な敷地に10の建物、2つの体育館、図書館に学食専用棟の他、総合グラウンド、テニスコート、弓道場まで完備している。
現在時刻8時45分。
須賀尾大学文学部社会学科に入学した俺こと麻川拓斗は、大学正門前で危機的状況に瀕していた。
そう、俺は今、見知らぬ男に詰め寄られている――。
見知らぬ男は一言で言えばイケメン。短めの髪をダークブラウンに染め上げ、ワックスで整えている。身長は180cm程。スラッとしたモデル体型だ。くそムカつく。
キャンパスライフを始めて1カ月と少し。俺は当たり障りない人間関係を構築してきたはずだ。こんなイケメンに正門で壁ドンされそうな勢いで詰め寄られる覚えはない。
「あの、どちら様で? 俺に何か用すか?」
いい加減睨み合いにも飽きたので、俺は思い切って声をかける。すると、男ははっとした様子で俺から距離を取った。
「悪い。一体どんなイケメンかと思ったら思いのほかフツーの奴で驚いてな」
何だこいつ変人か。
「俺は狩野蓮司。経済学部ビジネス経済学科1年だ。――よろしく麻川拓斗」
「はぁ……って何で俺のこと知ってんだ?!」
危うく流しそうになったが、俺は間違いなくこの狩野とかいう男とは初対面だ。それなのにこいつは俺のことをフルネームで呼びやがった! なにこれ怖い!!
「そう驚くな。お前はある界隈でちょっとした有名人なんだ」
「ある界隈ってなんだよ!?」
余計怖いわ!
「まあ待て。それに答える前に俺の質問に答えてくれ」
狩野は片手で俺を制してそう言った。
「……質問?」
俺は首を傾げる。一体何なんだ。
「実はだな……」
「ああ……」
狩野の緊張した様子に俺の緊張も高まってくる。
「その」
「ああ」
ごくりと唾を飲み込む。
「えっと」
「ああ」
「聞きたいことはだな……」
「ああ」
「その……」
「早く言えよ!!」
どんだけもったいつけるんだ!! 男がもじもじしても可愛くねえんだよ!!
「その!お前は園神舞さんと付き合ってるのか!!??」
ったく、ようやく言ったかって――。
「はぁ!!??」
狩野の質問は俺の想像のはるか上を行っていた。
園神舞とは、俺と同じくこの大学に入学した女のことだ。学科は違って、園神は文学部英語学科に入学している。俺と園神は高校3年の夏にちょっとした縁があって、大学に入った今でもちょくちょく交流を続けているのだ。
ただし園神は代々殺し屋の家系の生まれで、園神本人も大学に入るまで殺し屋として活動していた。今は大学生活に力を入れているようだが。
だがそんなことより、寄りにもよってそんな危ない女と付き合ってるか、だと!?
「付き合ってねえけど!!!」
誤解も甚だしいわ!! 冗談じゃねえ!!
「嘘だ!!!」
なんで否定されてんの?!
「いや! 本人が違うって言ってんだろうが!!」
意味が分からん!!
「うるせえ! ネタは上がってんだよ!! お前、園神さんと定期的に一緒に昼飯食ったり、一緒に帰ったりしてるだろう!! それで付き合ってないとか信じられるか!!」
「お前は俺のストーカーか!!」
「ああ?! 誰が好き好んで男のストーカーなんぞするか!! 俺がお近づきになりたいのは園神さんだ!!」
「はぁ!?」
園神に近付きたい!? 下手すりゃ殺されるぞ!?
「知らないようだから教えてやるがな! 園神さんはこの大学でも美女と有名なんだ! それが特徴もないフツーの男と定期的に会ってたら気になるだろ! つーか、羨ましいんだよそこ代われ!!」
「……」
何だか知らないが、ようやく話が見えてきた。
狩野は美女(笑)と名高い園神と一緒にいる冴えない男(俺)がどんな奴かのリサーチと園神との関係を探りに来たというわけだ。
「何? 園神ってファンクラブでもできてんのか?」
「いや、単に飲み会同好会――別名彼女欲しい同好会で可愛いと有名なだけだ」
ある界隈で有名ってそこかよ!! なんだその同好会は! 真面目に活動してるサークルに謝れ!!
俺はいい加減呆れて声も出ない。
「さあ、本当のことを言え! 園神さんと付き合ってるのか?! 一体どうやった! どうやって付き合ったんだ!! 俺にアドバイスをくれ!!」
「やめろ! 揺さぶるな!!」
狩野が俺の両肩を掴んでがくんがくんと揺さぶってくる。
なんて奴だ! 外見はイケメンなのに中身が残念すぎる!!
「なにやってるの? 拓斗?」
「!」
「!!」
なんというタイミングなのか、そこにいたのは園神だった。
さっきから視界に入れないようにしてきたが、ここは正門で人通りが多い。俺と狩野は実は結構な注目を浴びていた。まあ、皆見て見ぬふりをしてくれたがな。お前もスルーしとけよな! 園神!
「園神さん! この男とはどういった関係で!?」
「ちょっ……お前!!」
こいつ俺が揺さぶりの後遺症と格闘している隙に園神に直接攻撃を仕掛けに行きやがった!!
「は?」
園神は見ず知らずの男からのいきなりの質問に呆然としている。当然の反応だ。
俺は余計な事言うんじゃねえ! とアイコンタクトを送った。以前、一応成功している手だ。園神も何かを感じたようで力強く頷く。
「ちょっと口では言えないわ」
「……」
たしかに余計なことは言ってないけどアウト――――!!!
案の定、狩野が「なん、だと」と言って足元をグラつかせる。そして、一気に俺に詰め寄ってきた。
「麻川!! 園神さんと口では言えない関係とはどういうことだ! ふざけるな! お前は園神さんのあれやこれやを知っているのか――――!!」
「ぐえ!」
今度は首を絞められる俺。やべえ死ぬ。
「そうね。拓斗はいろいろ知っているわ」
「え……」
「てめえは少し黙ってろ!!」
俺は狩野を付き飛ばし、園神に詰め寄った。
俺に突き飛ばされた狩野が崩れ落ちて地面に向かって何やらブツブツ言っているがあれは後回しだ。
「いいか園神、想像しろ! ある人がお前に親しげに『久しぶり! 元気だった?』と声をかけてきたとする。だが、お前はその人が誰か分からなかった。けれど、自分に好意全開のその人にお前は『誰?』とはとても言えず、必死にその人のことを思い出そうとする。そして思い出す! 『この人は鈴木さんだ!』と! だがしかし!! ここでお前に声をかけてきた人はお前のことを『園神さん』ではなく全くの別人――そう『藤森さん』だと勘違いしていたんだ! 当然、この声をかけてきた人も『鈴木さん』ではない。互いに互いが別人である勘違いしたまま会話を続けていく。するとどうなるか?簡単だ。話が噛み合わなくなる。そしてお前は知らないうちに『声をかけてきた人』と『藤森さん』の友情を壊すことになる。同時にお前と『鈴木さん』にあった友情も壊れる。互いが勘違いしたままのコミュニケーションは誤解が誤解を生み最悪の結果を引き起こすものなんだ!! そして今!! お前と俺と狩野との間にその負のスパイラルが発生している!! 分かるか!?」
「え、ええ……」
園神は若干引き攣った顔をしているが、とりあえず頷いたので良しとする。
「なら、誤解を解くまで黙ってろ!!」
園神がもう一度頷いたのを確認した俺は、狩野と向き合おうとした。
瞬間――視界が激しく暗転し、全身に鈍い痛みが襲った。
俺うつぶせに倒れているらしい。視線を周囲に向けると、鞄の中身が無残に散乱していた。俺はどうやら突き飛ばされたようだ。犯人は分かっている。
「園神さんは麻川の何がよくって恋人になったんですか!?」
と、園神に詰め寄っている狩野に違いない。
しかし、ここから俺も思いもしていなかった展開を迎える。
「こっ恋人!!??」
園神の顔がここから見ても分かるくらい赤く染まった。
「ああああああアタシと拓斗が恋人とか!! ――バッカじゃないの!! アタシ拓斗のことなんて!! たしかに一緒にいてそこそこ楽しいし、命の恩人みたいなとこともあるし、作ってくれたお弁当もおいしくてまた作ってほしいかな~とかちょっとだけ思ってるけど、別に拓斗と恋人なんかじゃないわよっ!!」
そう言って園神は逃走した。
再び崩れ落ちる狩野。
「ツンデレ属性だとぉおおお!!!」
「……」
さてと。
俺は立ち上がって服に付いた汚れを軽く落とす。散乱した文具や教科書を鞄の中に戻し、園神が逃走した方へ足を向ける。
崩れ落ちた狩野の前を通るが、声はかけない。俺を勢いよく突き飛ばしてアスファルトの上をローリングさせたことは許してやろう。
まったく園神め、弁当くらいまた作ってやってもいいっての。
ガッ……!!
「!?」
俺の左足が前に進まなくなる。慌てて左足を見ると、狩野が俺の左足首を両手で掴んでいた。
「え……?」
「お願いします!! どうしたら美人の彼女ができるのか教えてください!!」
俺の左足首を掴んだまま土下座する狩野。
「いや、他当たってくれる?」
「嫌です!!」
「てめえ! ふざけんな! 俺はお前みたいなややこしいタイプの人間とは関わりたくねえんだよ!」
平穏なキャンパスライフを送らせろ!!
「そこをなんとか!! 園神さんに俺を紹介してくれ!」
「離せゴラァアアア!!」
俺のキャンパスライフは前途多難である。