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二十一世紀頼光四天王!

二十一世紀頼光四天王!~銃と女と焼き肉の山。

作者: 正井舞

坂田金時の友人に、浦島という男はいるが、おそらく浦島太郎とは何の関係も無い。

ゴールデンウィークは学生という立場を利用し毎年、幼少期はほぼ毎日山に籠っていた坂田であるが、大学生というのは結構に暇な時間が多いようであり、しかし忙しいようでもある。

最近の馴れた男であり、茶髪にピアスとコミュニケーション能力の高い男でもあった浦島はしかし、何故か合コンで女を釣ることが出来ない。登山や釣りを趣味とするくせアッシュゴールドという派手な色に髪を染めてある坂田には言われたくなかろうが、外見と中身がどうも一致しないようである。いっそきらきらした外見で運動音痴の卜部や勉学が大好きなくせに飄々とした碓井を見習えば良いのではなかろうか。

「貞光―。」

渡辺の妹がくれたという可愛らしいヘアピンで長い前髪を別けている碓井は、大昔の拾い子である坂田が気軽に訪ねて来られるように一人暮らしのアパートに鍵を掛けない。盗まれて危ないものは金庫とポケットである。

「どした?」

分厚い資料をノートパソコンをブルーライトカットレンズを行ったり来たりしていた眼球の動きがひょいと振り返った。

「季武と綱、都合つく?」

「頼光は?」

「・・・都合つくと思うか?」

「ビミョー。」

源家は平安の世からの名家である。この国の企業の半分には噛んでいるといって過言でない当たり、跡継ぎとして既に社会に出ながら大学生もしている源頼光はなかなか時間が取れない。本人も自覚しているようで、高校を卒業してからは、また誘ってくれ、と遊んだ後に言わなくなった。しかし習慣のようにこの春も共に花見をしたし、夏は精霊馬を作って花火をして、秋は月を見ながら、冬は雪を愉しむだろう、きっと。

「これは面白いお屋敷ですねぇ。」

そうして皐月に入ってもまだ涼しい風の入る山奥の、冬場は整えられたスキー場になるらしいその別荘地に、浦島青年の声掛けに集まったサークル連中が屯した。大学生の軽いノリで毎年開かれる別荘地でのバーベキュー大会は、毎年のもので、広い庭はOBであり教授のものであるそうだ。友人です、と坂田が碓井を始め渡辺と卜部も連れてきた。

「あれ、そっちの前髪君、見た事ある。」

「あー、ども。社会学と民俗学のコンタニゼミ、何回か見学させて貰ってて。」

曖昧に笑った碓井は、致命的に他人の顔を覚えられない。興味がないと覚えられん、なんて偉そうにほざいたことはあるが、実際にして級友の数人でさえ制服姿で無いと同級生であると認識できないから別の意味で恐ろしい。記憶力のキャパシティを限界まで学力に使うと逆に頭は馬鹿になるのか、と仲間は認識している。

「渡辺です、お邪魔します。第一希望なんです。」

「卜部です。渡辺の一つ年下にあたります。先輩が受験成功なさったら、次は俺の番ですね。」

「高校繋がりなん?」

「いや、ガキン頃からっすわ。」

生まれる前から、とは流石に言えないので、坂田はそうやってソフトドリンクを配って貰って礼を言う。高校生かー若いねー、と女子大生が微笑ましそうで、特に渡辺と卜部は将来有望、と囁き合っているのを聞かない振りをした。け、と喉を鳴らした碓井だが、だったらお前前髪切れよ、というのが坂田の意見だ。

バーベキューセットには既に火が入っていて、酒を飲んでも泊まっていけばいいわよ、と教授の妻だという女が微笑ましそうに見守ってくれる。

「やあ、碓井君!」

「・・・あ、ゼミの?」

「あー、わり、すんません、挨拶もせんと。」

コンタミってなんですか綱、確かまぜこぜにするとかそんな意味、と高校生組が遣り取りしつつ、バーベキュー会場となっている別荘の、大通りを挟んだ向かいの別荘を見た。随分と面白い建築をしている。二階のカーテンが揺れたような気配がしたが、車の通りは無く、表札はこの家であれば洒落たローマ字レタリングが飾られてあるのに、その家には存在してなかった。

「や!えっと、坂田のー。」

「こんにちは。卜部です。金時がいつもお世話になっています。」

「たけ、それどうかと思う。俺は渡辺です。」

どうしても大昔の癖が抜けない卜部と碓井に渡辺は苦笑してしまう。金時は昔から綱にとって、頼れる兄貴分で甘えられる相手でもあった。何せ彼の皮膚は鬼斬りより強靭だ。

浦島は一頻り笑って、二人が、また初参加者の数名を見て。

「あれ、ウィンチェスター館って呼ばれてんだって。」

「アメリカの。」

「まあ、呼ばれてるだけで、実際はどっかの社長さんが趣味の芸術で建てたとか。去年亡くなって、今は空家なんだって。」

無断では入るなよ、とOBからの釘があり、入りませんよ、と浦島は手を振り、金ちゃんその肉育ててんの、くれ、やらん、と遣り取りし、碓井は野菜ディップを齧りながらゼミの連中の顔を見回しているのは、物を咀嚼する動きと記憶力の活発化は連動するらしいから、である。

どこぞの大手建設会社で働いているという連中や、観光事業者、折角の休みに羽目を外せるだけ外して、真昼間からの酒盛りも、たまの休みの大人の娯楽だと考えられる彼らは少々達観しつつも酔っ払いの話を聞いたり、また大学はどのような場所なのか、高校生活はどうなのか、様々に話は盛り上がった。

「金時、この山ってどんだけ登れんの。」

それなりに見晴らしのいいみどりの山々を見上げた碓井が振り返ると、若いね、と笑いが起こった。

「別荘の敷地はやっぱり私有地だからね。」

「つまり大通りを行くなら問題ない、と。」

「そゆこと。」

いい加減探検心も疼いてしょうがない、と卜部は青年期の可愛らしい顔を輝かせており、渡辺は、碓井が行くなら、と少し戸惑ったが、一番に乗り気だったのはどうやら坂田の同期連中らしく、酒も入っていないので、と年嵩連中に声を掛けて道に出た。

「まあ、なかなかの娯楽施設だな。」

アスファルトに舗装された道の脇畔を踏んでいくのは癖のようなもので、若人はアスファルトの上をスニーカーやサンダルで歩いていく。畔位置を歩いたほうが疲れないと、案外にして知る者は少ない。

緩やかにカーブする山道は、お隣さんというには遠く、ご近所さんというには近い、絶妙な距離感でログハウスだったりアンティークだったり、様々な風貌の別荘が見られた。バーベキュー会場になっている家はほぼ別荘地の入り口付近に位置し、冬場にゲレンデになる丘の麓には真っ赤な屋根のログハウスが休業中看板を出していた。そこまで登ってくれば周囲は草の馨りや新芽の馨り、風がさわりと抜けていく、正しい心地よさに碓井は深呼吸したようだった。

「さだ、疲れた?」

「新顔が多いとどうしてもな。」

偏差値は都内最高峰の高校に通う日常も決して楽ものでは無いだろう。渡辺は自由な校風を気に入って進学したし、坂田が大学の付属に通ったのは頼光の計らいだ。何故ならぶっちゃけ学力の程が何度生まれ直しても改善されないから。卜部は学校では渡辺のファンだという認識が硬く、顔は良いのに残念であるとはよく言われる。

「段ボール持ってくりゃ草滑り出来たんだがなぁ。」

「お前、指導員資格とレンジャー免許獲れよ。」

「金時の学力でいけますか、それ。」

「はっ。碓井の貞光様、舐めて貰っちゃ困るね。」

「金時、自然保護とか自然と遊ぼうとか、そう言う看板似合いそうだよね。」

「綱も来いよ。」

祠があるよ、お地蔵さま、と少し離れた所にいた女性二人が、かわいい、と安定の文句を並べているのに四人は染みついた癖のように振り返る。供物に生米を盛り、花も新しいそのちいさな地蔵尊は赤ん坊を抱えており。

「水子地蔵尊ですね。」

卜部が声を掛ければ、たけすえくんこういうの詳しい、と聞かれ、季武です、と苦笑した。そこで少々挨拶なりして、雑談しつつ、皐月の原っぱを堪能した。

「なんかいる?」

そわそわと周囲を見回した坂田はしかし色素の薄い瞳をきらきらと耀かせており、渡辺は小首を傾げその巨躯を見上げた。見えないって悔しいなぁ、なんて考えながら。この山の真のシーズンは冬である。ので夏場の人が少ない時期に何か人で無いものが還ってくるのだろう。

「ねえ、山には女が登っちゃ駄目ってゆうじゃん。」

「山の神様は女性であることが多いんですね。なので自分より美人を見ると腹を立てる、とは言います。」

「山神は気性が荒い、ともいう。」

「弁天にカップルで参ると別れるのもそれー?」

「どうでしたっけ、弁財天は芸術の心得のお方なので・・・。」

「オメーら画になんねーから別れたほうが良いぜ、とかかね。」

「貞光さん、あなたもう少し物事考えて発言すべきですよ・・・?」

「してるしてる。」

「してないでしょうがー。」

けらけらと女性陣が微笑ましそうに見てくれるので、こっそりと、水子地蔵尊さんですから堕胎の懺悔や安産祈願をしておくといいですよ、なんて言ってみる。

「本来、女人は修行を必要としない、という考え方もあるもんな。」

「そーなの!?」

「男尊女卑かと思ってた!」

「半々?昔は女は外に出ないもんでもあったし、寧ろ女性優位社会だったし、この国。俺だって親父の事は散々言うけどよー、お袋にゃ頭あがんねーもん。」

「それは貞光さんだけかと。」

「さだんち母子家庭だからでしょ。」

「貞光、大昔から親父さんとは仲悪いだろ。」

世事の道具にされたからな、とは流石に電波過ぎるか、黙れ、散れ、と碓井は喚いて、しかし楽しそうに笑うのだ。

「あ、お稲荷さん。」

「石造りかよ、祠。見事なもんだ。」

「スキー場だからじゃない?ほら、積雪で木造だと壊れちゃうのよ。」

「なるほど。」

真っ赤な鳥居もなんと石造りを赤く塗装してある徹底振りで、坂田は目の前にある鳥居にてのひらを当ててみる。首を傾げ、どうした、と渡辺が気付いたのに、いやなんでも、と少し煮え切らない。碓井が長い前髪の隙間に形の良い鼻をひくつかせると。

「おねーさん方、そっち湿地だから、あぶねーですよー。」

「やだ、ほんと?」

「サンダル汚すって。折角そのグラ似合ってんだから勿体ないって。」

たしたし、と控えめな柏手で卜部は豊穣の神に挨拶を終えるとその社を後にし、日が傾く頃に教授から、早く帰っておいで、と浦島の携帯電話にメッセージが入った。その時に成ってやっと、殆どの携帯電話が圏外であることに気が付いた。

「冬場はスキー場って電波塔?入れるんだって。」

「今はなんもねーってこと?」

「そうなるねぇ。」

「降りましょうか、山の天気は変わり易いし、夕陽が少し赤い。多分雨ですよ。」

さだの天気予報当たるかんねぇ、と渡辺は感嘆し、なるほど雨の匂いだ、と坂田が空気を仰いだ。

下り道のほうが疲れる非常に面白い現象に別荘地に下る途中、広い広い湖が見えたが、あれダムか、と残念そうに坂田は言った。一応昔は湖だったようだが徐々に溜池、そしてダムへと変遷していったようだ、と聞いたのはやっとのことで帰りついた別荘でタオルを借りた。靄とも小雨とも付かぬ天気は徐々に下り、さぁ、と静かに雨が降って新芽が潤い弾ける光景を窓から卜部がうっとりと見ていた。

「誰かケータイ鳴ってんぞー。路面滑るから、帰りはよっぽど急ぎじゃねーなら泊まってけってよ。」

「さだは?」

「俺泊まるわ。コンタミの教授ともうちょい話したい。」

「じゃあ、俺も泊まる旨をお母さんに連絡しないと。ケータイ・・・綱。鳴ってます。」

ああ、察し、と視線が生ぬるい。確かに一番手のかかる子ですよ!と渡辺の開き直りっぷりもいっそ面白い。

「何、頼光。都合ついた?・・・ちげーよばか。うん、金時も季武もさだも特に何もない・・・なんかすごい電波悪いんだけど?新幹線?は?・・・ん、わかった、うちの庭貸すから、そんじゃ、あ、うん。」

今日これ多分泊まり、と報告すれば、貞光に代わって、と急に素っ気なくなった。

「さだ。代われって。」

「んー、ああ、頼光?おん、なんも変わりあらへんよ?・・・あーあ、せや、サカイイマムラの専務と話通るか、お前。・・・おん、いや、就職活動?へーへ、頼んまっせ。・・・そんじゃな。」

頼光と話す時には碓井の言葉は関西に訛る。京言葉かと思えば商人言葉であったりもするので、どことなく今まで生きてきた時代や場所が垣間見えて面白い。

「泊まり先の言う事聞いて、良い子でな、とよ。」

「いいこって・・・。」

「シャワー浴びれますかね、パーカーが燻製の匂いします・・・。」

「俺も髪がなんか、煙たい。」

バーベキューの楽しい時間の代償のように、卜部の交差模様が上品なパーカーは消臭スプレーを借りてやって、シャワー空いたから、とタイミングよく浦島が来た。

「金ちゃん、お山好きね。」

「自然が好きなんだよ。なに、晩飯配ってんの?」

「あと、急ぎ帰宅・・・は金ちゃんのお友達は全員泊まりだっけ?そろそろ車出るから。」

単純にこの家に泊まりたくないってやつもいるし、との呟きは、意味がよく解らなかった。

ガレージのほうからエンジン音と人声が微かに聞こえて、下戸で運転免許は実績ある金色の准教授が車を出すという。晩飯には昼飯で焼かれた握り飯を暖め直してあり、焼き肉のタレが醤油の代わりに甘辛い。

「あー!焼きおにぎりー!」

ずるい!と喚いた渡辺に、碓井はラップに巻かれた握り飯を投げてやり、しっかり髪拭きなさい綱、と卜部は母親のように言いやり、父親のように金時はその頭をタオルで掻き回した。

「天気、荒れるかな。」

「先ほど水龍が道を渡っていましたよ。」

「まあ、いい感じに荒れてくれたら明日っから夏だ。もう立夏だぜ。」

あっそびましょ、と声が掛かったのはそのころで、ログハウス風の調度に女性が何人か集まったらしい。リビングで既に集まっているというから元気な話であって、しかし彼らも精神年齢が千を超えようと今は立派に高校生大学生をしている訳だ。リビングには冬場に使われる暖炉や熊や鹿の標本があり、それも圧倒される。

「お向かいの家のお話聞いた?」

「向かい、つーと。」

「ウィンチェスター館・・・?」

声を潜めた女子大生は、去年私ら聞いたんだけど、と声を潜めた。

「出るんだって、女が。」

「窓からこっち見てるとか、・・・赤い指、見たひといるんだって。」

胸元にてろりと翳された手は、枯れ尾花に好奇心で、顔を引き攣らせながらも瞳は耀くので、今も昔も女の話好きな事、と碓井は笑ってしまい、あっ興味ある君、と何故か怪談大会になった。そう言う話ぱすぅ、と呻いたのは浦島を始め男子ばかりであるというのも、なるほどこれは帰った方は正解ですね、と卜部はその秀麗な顔にアンニュイな影を浮かべた。

「夜中に、きし、きし、って足音がして・・・。」

「あ、ちょっと・・・。」

足元に振動を感じた卜部はふと周囲を見回し、携帯電話を出した。因みに電子機器の寿命のため、パーカーの布越しに目当てのアプリを探し、あ、やっぱり、と。

「・・・地震?」

「やだ、揺れたの?」

「最大震度一ですよ。心配ないと思います。」

にこりと微笑めばそれだけで老若男女を虜にする卜部は携帯電話を仕舞う。ぱたぱたと慌てて階段を下りてきたのは教授の細君で、シェルタールーム確認しておくわ、と書斎らしい部屋のほうへ消えた。

「しぇるたーるーむ。」

「セーフルームとか、色々言う。」

完全に平仮名で発音した渡辺に坂田が苦笑し、お前英語の成績大丈夫か、と笑った。理系なのでそこそこ暗記は得意だが、聴け喋れとなると全く使い物にならないで卜部に泣きついたことがある。

「地震とか、災害時のシェルターだ。非常食も備蓄されてある。」

「懐中電灯とか電池とか、地味に必要なのはトイレ。」

「流石関西出身。」

そんな風に学生は長閑に遣り取りして、お前等避難所のトイレの悲惨さ知らんやろ、と関西に訛ったのはOBで、幼少時代に神戸で被災したらしい。そんな話もしながら、太古の災害はじつに不毛でしたよね、とぼんやりと卜部が語った。

「見てみるかい?シェルタールーム。」

のんびりと教授が笑ったのに、ああ、お騒がせを、と会釈しておいて、やっぱり見てみたい、と声が上がる辺り若者の好奇心とは素晴らしい。特に建築屋関係の人間は興味を示し、招かれた書斎で本棚の一部が大きくスライドして、その奥が明るく灯ってあるのは途轍もない違和感だった。

書斎は教授のこだわりの逸品で、クラシカルな洋風調度にスズランの花のような間接照明や彫刻の入ったカンテラ、また開きっ放しの大きな本はイーゼルに展示されてある。オークの色艶がうつくしい本棚は横にスライドし、そこから螺旋状に下り坂と階段がある。

「緊急避難所だからね。もし怪我をしても、滑り台があるんだよね。」

「なるほどー。」

「あ、老人ホームに付けましたよ、俺。」

「うちのマンション非常階段だけだなぁ、そうだよな、お年寄りとか車椅子とかちょっと困るよな。」

「なー。エレベーター止まるだろうし。」

「渡辺んちなら作れるんじゃね、シェルタールーム。」

「え、渡辺くんちどんなの?」

「さだ。余計なこと言わない。卜部んちは地下あったよね。」

「先輩もですよ・・・うちの地下は物置です。」

本が多いので、と嘆息したのに、あーあるあるー、と文化系連中が笑った。

「あら、どうしたの。」

「見学です。」

「お邪魔してまっす!」

階段を昇ってきた夫人は返答に笑い、足元気を付けなさいね、ここはスライドで開閉するの、と重々しい本棚と一体になった扉は案外に軽く動く。しかし一度締め切ると今度は外界の塵が入らないように頑丈に閉まる。まああれが前震でも嫌だしね、と一度締めた扉を本棚の中に手を入れるようにしてロックを外すと、またするすると開いた。

「滑ってみるとアスレチックみたいでね。」

「いざってときはそんな余裕なくなりますよ。」

細君の苦言に、そりゃそうだ、と教授は鷹揚に笑い、いいよ、見学、と促した。滑って降りたり階段を下ってみれば、そこは普通の住居と変わらない。しかし分厚いパネルヒーターの横には発電機があり、毛布も食材や水が入った段ボールも多くあり、取っ手も何もない扉を押し開ければ、ユニットバスもあった。しかしカロリー摂取重視の食料品があるからか、何か入った途端に甘い臭いが室内には漂っており、甘いものが苦手であるらしい碓井は眉を寄せた。

「発電とかも別に作ってあってね、三ヶ月くらい。」

「ベッドはセミダブルが二つとか、普通に住めるじゃん。」

「そう言う風に作ってあるから。」

「電気も明るい!」

「そこはね、さっきの地震を感知したんだろうね、少し光度が高いかな。ほら、停電しちゃうと不安でしょ?」

「なるほど、安定に動作しているかの確認も仕事だと。」

「碓井君、その通り。」

半時間ほど遊んだだろう、螺旋階段でくるくると体の感覚が狂わされるが、もう寝るだけ、となっているのでそれはそれは助かった。

「甘い臭いがした。」

坂田が指摘したそれは、碓井も感じた酷く生々しい甘い臭い。菓子などの甘さで無く、花の甘さで無い。どちらかといえば恥肉から滴る愛液の匂いに似た、胸に来る甘さ。居心地悪そうに鳩尾の辺りを擦った坂田だが、寝ろ、と碓井は気にした様子もなく、じゃんけんで負けた折畳ベッドに横になった。向かいの複雑な外観をした館の締め切られた雨戸の端を、かりり、何か赤いものが引っ掻いた音がした。

翌朝の昼ごろから順次散会。教授が出してきたワゴンは雨の乾いたアスファルトにじゃりじゃりと砂を噛み、山道を下るのだが、坂田はそれを断った。

「どしたよ、金ちゃん。」

「いや、知り合いが別荘近いって言うから、そっちも・・・寄ってこうかって・・・?」

もしもし頼光、と渡辺は携帯電話を出しており、碓井が頷いたので、そういうことなら、と放置されることになった。もともと人数がワゴンに入り切れる数で無いので、三往復を二往復に減らした事になり、ありがとうね、と教授がこっそりと笑った。

意識して探していれば、周辺に祠の多い事。道祖神、地蔵尊、稲荷神社、またここにも名前の忘れられた神が、と卜部は経文を捲り、ピンとくる名前を聞いてみる。風も無いのに木々が揺れたり祠の供え物が落ちたりする。深々と頭を下げて、卜部は腰を上げる。キチキチと細かく金属音が響いているのは通称ウィンチェスター館の裏口だ。

一応頼光公に許可は得たので、何かあってもどうにかなる。そもそもとして登記は調べた所、源家所縁の会社の社長の名前であったため、寧ろ様子を見て来いとのお達しだった。

「開いたぜ。セキュリティかてぇー。電気止まってなかったら感電したね、こりゃ。」

いっそ清々しいくらいに碓井は笑い、ボストンバックから組み立てた大鎌でノックする。招かれるように扉が開き、むわ、と夏場の締め切った部屋を思い起こさせた。

埃がきらきらと耀いた裏口にはサンダルと長靴が置いてあり、スコップや砂遊びの道具は真っ白だった。荒れ放題の庭を振り返った渡辺がしんがりとなって部屋を開け進む。

子供部屋、リビング、キッチン、意味も無い階段、開かない扉は想定の範囲内だが、徐々に入組み始め、先頭を歩いていた碓井が音を上げた。

「だぁーめだこりゃ。礎探したほーが早くね、これ。」

「それはどこなのさぁ。」

「あの部屋、どうやって入るんでしょうね。」

「気ぃつけろ、そこの床やわい。」

「木造風、だから抜けたらコンクリ?」

「だろうな。落ちて脚折ったとか、知らねーぞ。」

「それはやだ。白山にからかわれる。」

「白山先輩、綱と仲良いですよね。」

「井原なんか馴れ合いも良いトコだ。」

「足立さんはどうすんのさ。」

天井から吊り下がるようにして宙に浮いた扉を各々避けて、二条城の床のように軋むその屋敷をうろうろと、外廊下に出ては誰かに目撃されては事か、と避け、二階は寝室と客間。但し階段が三本ある。外観は二階建ての屋根にもう一つ屋根が見えていて、寝室の一つから上げれる階段があったのでその急勾配の階段とも梯子とも呼べる道具を上って天井に貼りついた扉を開ければ、小公女でも住んでいそうな可愛らしい屋根裏部屋が埃を被ってあった。

「上ってきた階段幾つよ・・・。」

「怪談みたいに増えませんかねぇ。」

「駄洒落とかいらないから。」

兎も角坂田以外の三人は、疲れた、もうこの迷宮舘出たい、とその落ちた肩が語る。どんどん臭いはきつくなり、気温さえ低いのがただ一つの救いのようで、むわむわとじっとりとした嫌な空気に埃で、不快感顕わに頬を拭った渡辺の頬が黒く染まったのに卜部がタオルを渡した。

「これで地上は全部か?」

「ガレージは。」

「キッチンの奥じゃないかな、ほら、買い物の運搬とかやっぱ・・・。」

大変じゃない、と続く筈の渡辺の言葉が不自然に途切れた。

「・・・地下。」

そして、そう発した碓井を見た。

「おう、ここも築歴考えるとな、シェルタールームに準ずる地下がある。物置になってるかどっちかだな。」

「それだ。」

弾数の狭い滑り台のような階段を坂田は軽く飛び降り、二階建てであるのに四つの階段を下り、五枚の扉と二枚の窓を抜け、玄関口まで辿りつく。左右にリビング、客間、奥にキッチンと階段。キッチン側には渡辺の察したとおりガレージに続く扉があったが、ドアノブが錆び、碓井は二回ノックすると音の反響を確かめ首を振った。

「こっちじゃねぇな。」

リビングにはちいさな城が建っており、小学生低学年くらいなら住めそうな代物で、埃の腐りかけるカンテラを卜部が取った。ちゃぽんと小さな水音が確認出来たので、可能な限り分解して埃を拭って、組み立ててマッチを擦ると火が灯った。窓の外は少々オレンジ掛かってきた。

「少し、持ってるのが怖いですこれ。」

「埃すげーもんな。」

卜部と碓井が呆れたように頷き合い、碓井はヘアピンで前髪を寄せた。

「鬼斬りがいないのは痛いな。」

普通もってくる、こねぇな、と遣り取りし、碓井は壁に飾ってあった模造刀を渡辺に持たせた。埃を払ってみれば綺麗な絵巻拵えで、組紐は朽ちかけていたが目貫を撫ぜた渡辺は、正宗じゃないか、と目を瞠った。

「あー、あるか、確かに。」

きしきしと鞘の拵えから抜き身は素晴らしい輝きで、金持ちの道楽って舐めたもんじゃねぇなぁ、とは坂田の言だ。

「さて、開け方だが。」

既に鼻は使い物にならないで、ただし鬼が出るか蛇が出るか、の恐怖感や危機感、不安感は一切に無い。太古から培った経験は奇妙なところで生かされており、扉とも窓ともチェストとも付かぬそれを坂田はその怪力に任せて圧そうとしたのを卜部が止めさせた。

「パズルがあります。」

拭った手のひらは真っ黒になってしまったが、そこには金拵えで樹に刻まれた通路に蜥蜴がいた。上下に動かせる事に気付けば、ぐいと上に押し上げれば、かちりと歯車が嵌ったようだった。

「大正時代に流行った飾り扉だ。蔵の鍵なんかに使われててな。」

碓井が戸惑わないで鍵を開けてしまって、坂田が思わず口笛を放った。

「あ、蛇と蛙の飾りなら知ってる。」

「貞光と綱は大正の頃、同じ職場に居ましたっけね。」

震災の混乱期にとある探偵事務所に五年だけ一緒に働いていたという。その時にでも出会ったのだろう。蛇に睨まれた蛙を動かすには蛇を押し込んで隠すんだ、と渡辺は笑い、こりゃ家守にするには上だからな、と碓井は扉をノックした。

「お邪魔しますよー。」

蹴り開けるようにしたそこは、昨日の夜にも見た螺旋状の通路でしかし階段のみだった。方向感覚が狂いそうだ、と迷路屋敷を彷徨ってきて尚思う。

「あ、そっか。」

真っ暗な地下空間にカンテラが下りてくる。

螺旋階段を下りて、これはひょっとする、と壁の反響音を、初手で蹴ってみ、と碓井が渡辺に命じたのは、彼の腕前が一番に基礎を大切にしているからだ。次こっち、と階段脇の壁二面、遠くに空洞音が響いたのを確かに坂田の耳が拾った。

「こっち、つーかこの上、大通りになってる筈だ。」

「なんでそんな面倒な設計?」

「いえ、少し考えてみてください、綱。強い地震が来て家屋が倒壊するとどうなります?いくらシェルタールームでも、その倒壊に巻き込まれない保証はありません。」

「なるほど、だから家の敷地とは微妙にずらしてある、この別荘地はそう言う意味では個人私有地が驚くほど広い。」

「ほんと、お金持ちの道楽ですね。いましたよ。枯れ尾花さんが。」

そう卜部が名付けたのは、ベッドにある黒髪の束だ。カンテラの下に艶やかな黒髪は豊かに波打ち、その隙間からくすんだ肌色が見えた。

毛布の端から覗いた細すぎる手は水分を失っていたが、真っ赤に塗られたマニキュアは健在で、すっかり木乃伊になりつつも、その生前の若々しさと美貌は骨格から見て取れた。

「頼光に連絡してくる。」

「はい、綱。」

「たけはお経でしょ、がんばれ。」

「恐れ入ります。」

カンテラを置いて腰を下ろした卜部は般若心経とマントラの綴られた簡易経文を広げた。

後日の話になるが、その女の身元は持主が手放した当時に行方不明になった女性であり、何故その別荘にいたのかは少々下世話な方面に言われていたりする。

「まあ、愛人連れて別荘で遊んでたら、いきなり関係者が訪ねてきた、とかそんなでシェルタールームに身を隠したんだろ。あのリビングは飾りもんは多かったけど、他に部屋が繋がってる訳じゃなかった。」

「正確にはキッチンと繋がっていたようです。」

頼光から渡されたあの別荘の、改築前の鳥瞰図と間取り図、そして増築後の間取り図を見比べてみると、キッチンに続く扉は城壁に潰されてあった。

ファストフード店で碓井の鞄から出て来た紙を渡辺と卜部で覗き込んでいると、ふと携帯電話が着信を告げた。

曰く事。

「浦島に肝試し誘われてるんだけど!!」

「お前居るとユーレイ逃げるから、参加者の身の安全のために参加しとけば。」

気に恐ろしきは育ての親であったというから笑えない。


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