異世界からの強制大量召喚
ここまでプロローグです。
のんびり更新していきます。
最初にそれに気が付いたのは紅蓮だった。机に向った日向から何かが溢れた。まるで水面に落とされた一滴の雫が作る波紋のように、そこから何かがゆっくり広がっていく。
「豪君!」
とてつもなく嫌な予感を覚えて、紅蓮は風紀委員長の名を呼んだ。
「みんな、部屋から出ろ!」
豪が叫んだ時には遅く、波紋は風紀室を抜けて廊下や他の部屋にまで広がっていた。
「おい、何が起きている!」
そこへ生徒会長の渡会光輝が駆け込んできた。彼の後ろには生徒会書記と神光女学院の生徒会の少女たちが続いている。ただし、事情を理解しているのはその中の三人で、一人は釣られてやってきたようだ。光輝の後姿をうっとりした顔で見ている。
「あの馬鹿が基点だ。光輝、この円は何の術式だ?」
豪が光輝に叫び返す。基点と言われた日向は固まったように動かなくなっている。仲間の大東と香田が、肩を掴んで揺さぶっても瞬きさえしない。
「狼牙、解析できるか?」
光輝が書記の開狼牙に声を掛ける。豪と並んで百九十センチ越えの開は、異界で聖獣とされる銀狼であり、光輝の従者でもある。
主の問い掛けに開の瞳が灰銀に変わり、そこに人間には読めない速度で、様々な術式や文字、数字が浮かび上がっては消えていく。
「不干渉領域からの無許可アクセス。詳細はデータ不足で解析不能、ただし半径二キロ圏内に地場の異常発生を確認。五分後、強制転移開始が予測される」
数秒後、開が告げた内容に風紀室は騒然となった。
「なあ、今のどういうことだ?」
「紅蓮、何が起きているんだ?」
小柄なドワーフの双子が、紅蓮の両側から迫ってくる。
「えっと、不干渉領域…つまり交流のない異世界が、強制的に大規模召喚しようとしてるんだよ」
さすがに慌てながら紅蓮は答え、波紋の中に浮かび上がる術式を見ていた。
「半径二キロって学園丸ごとじゃないか!」
「おい、逃げるぞ。出来るだけ遠くに行けば…」
外に逃げようとする双子に、江戸川が諦めたように言った。
「無駄だよ、五分じゃせいぜい校門のあたりだ。逃げ切れない」
それに答えるように光輝が叫んだ。
「そうだ、逃げるのは無理だ。だから、この転移陣をなんとかするしかない!お前たちも手を貸せ!」
その言い切って、光輝は空に手を伸ばす。
「神装、天魔反戈!」
光輝の手に、独鈷杵と呼ばれる柄の上下に槍状の刃が一つずつ付いた武器が現れる。神話で伊邪那岐と伊邪那美が、渾沌とした大地に突き立て国を生んだという神槍だ。召喚神子である光輝の能力の一つは、その世界の神の力を借りて、神器を扱えることである。
天魔反戈の片方の刃を床に突き立て、光輝は広がっていく召喚陣を打ち消すために、神力を注ぎ始めた。
「ひふみよ いむなや こともちろらね…」
諸々の災いを幸にかえるという『ひふみの祓詞』を彼が唱え始めると、神光女学院の生徒会長が同じように鈴の飾りが付いた鉾を取り出して倣う。神道の飾り物の鉾先鈴とは異なり、長い柄が付いた本物の鉾であり、魔を打ち払う力を秘めていた。
「しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけ」
彼女に並んでポニーテイルの少女と眼鏡の大人しそうな少女も、神楽鈴を取り出して、鳴らし唱和した。すると元の術式を覆うように、光輝の手元から金色の陣が広がり始めた。
その美しさに紅蓮は思わず見惚れるが、状況が判らない小柄な少女と日向の仲間たちは奇異な視線を向けていた。
「え?なに、何やってるの?」
「なんだよ、気持ち悪い奴らだな」
「さっきから頭おかしいんじゃないのか」
彼らの言葉などまるで耳に入らないように光輝は叫んだ。
「風紀、それとハンクラ部も、俺の魔封紋にありったけの力を注げ。まだ足りない!」
「九尾、火鳥、俺の両隣に来い。他は亜門たちの近くに行け」
光輝の言葉を受けて、風紀委員長が風紀委員たちを動かす。紅蓮も仲間と一緒に金色の魔封紋に手を触れた。指先に金色の紋の下で異質な力が足掻いているのが感じられた。紅蓮はすぐに顔を上げた。
「光輝君、リング外さないと無理だよ」
人化のリングのせいで紅蓮たちは力を制御されていて、このままでは役立たずで終わりそうだ。
「ちっ、仕方ない。リングを外すことを許可する。あとで記憶の操作はするから安心しろ」
風紀室にいる人族たちをチラリと見てから光輝は答えた。それを待って紅蓮は指輪を外した。黒かった髪が銀色に、瞳はルビーに変わる。その頭には、魔王の直系の証である見事な双角が顕になっている。
「うわっ、悪魔だ!なんだ、あれは!」
そう叫んだのは香田だろうか。
紅蓮の隣ではプラチナブロンドに紫の目の吸血鬼が長い犬歯を見せ、逆隣には赤毛のズングリしたドワーフの双子が、真剣な顔で魔封紋に魔力を注いでいた。
「なんだよ、あいつら!コスプレか?コスプレだよな?」
大東も取り乱したように呟いている。
ハンクラ部の正面では、銀色の巨大な狼が前足で紋に触れ、少し離れた場所に炎を纏った魔人が九尾の狐と炎の鳥を従えて片膝を付いている。他の風紀委員たちも、各々正体を晒していた。
「きゃあああ!なによ、化け物が、化け物がいっぱい!」
神光女学院から来た唯一の人族の少女がパニックを起こして窓際に逃げていく。香田と大東も、日向を放って彼女の近くへ走っていった。どうせなら廊下に出ればいいのだが、それに構っている余裕は誰にもなかった。
枷を外した紅蓮と炎の魔人である風紀委員長の魔力は強大で、金色の魔封紋は一層明るく輝き、学園の敷地に広がっていった。
「しかし、なんであの野郎が基点になったんだ?」
小柄で筋肉質なドワーフに戻った鋼造が忌々しそうに、誰に言うでもなく呟いた。紅蓮もそれが不思議だった。日向は相変わらず身動き一つしない。
「マーキングだ。あいつ、一度イーレディアの勇者召喚で異世界に行っている上に、無理やり送還されている。正規の召喚じゃないから、送還方法も粗かったんだろう。イーレディアの魔法の残滓が残っていた。今日、風紀に呼んだのは、その残滓を除去するのも兼ねていたんだ」
答えたのは炎を飛び取らせている風紀委員長だった。
「マジだったのかよ!」
岩男がなんとも言えない顔で言い、紅蓮は「やっぱり」と呟く。
「おい、集中しろ!まだ足りないぞ!悠里、詠唱はもういい。巫女たちも直接神力を寄越せ!」
光輝の指示に悠里と呼ばれた神光女学院の生徒会長が言い返す。
「私に指図するな!美晴、瑠奈、来い」
それでも従うあたりは、きちんと状況を把握しているからだろう。三人の女子の助けを借りて、彼らは極限まで神力、魔力を注ぎ、魔封紋を維持しようと足掻いていく。
一方、異界の魔法陣は学園中を包み込むように最大まで広がると、やがて何重にも同心円を描き、一番外側から回転を始めた。そこに術式を刻んだ異界の文字が浮かび上がり、召喚のゲートを起動しだした。
このまま一番外の召喚術式が発動すれば、その上にいる者たちは強制的に転移させられる。
しかし、光輝が発動した魔封紋は内側から広がっていくために、最初の術の発動には間に合いそうにない。
発動している召喚陣の上には、二つの体育館とグラウンドがある。部活の生徒…しかも何の力もない一般人が攫われることになる。
「くそ、最悪だ!紋を外側に展開させる。みんな…自分の能力の偽装をしておけ。下手をするとこのまま飛ばされるぞ!俺は仕事でもないのに、神子やら勇者やら嫌だからな!」
光輝の言葉に紅蓮は思わず叫ぶ。
「僕だって、もう魔王は嫌だ!」
紅蓮は急いで自分のステータスを見る。ステータス魔法もゲーム世代になって開発されたものだ。異世界によっては、召喚後にステータスを調べられる場合もあるため、彼は慌てて、桁外れに大きな魔力や種族、職業、スキルなどを人族並みに変えていく。
「きゃあっ!今度は何?人魂!」
女の子の叫び声が聞こえて、紅蓮がそちらに視線を向けると、窓ガラスを通り抜けて光の塊が入ってくるところだった。ウィル・オー・ウィプスという光の精霊体だ。
『光輝、力を貸す』
その声は学園の異端児、光堂利人のものだった。
「利人か、今どこにいる?」
どうやらウィプスはただの媒体らしい。光輝の問い掛けに利人が答える。
『寮に戻る途中。一番外側の召喚術式を無効化したけど、厄介なことに次の術式が起動し始めた。何重になっているのか、分からないぞ』
「ああ、今から魔封紋を外側に展開して、術式を押さえ込みながら閉じていく。多分、ここまでは間に合わない。最悪、基点を残して他の生徒は逃がす。悪いがうちの親父に状況を説明してくれ。不干渉領域だから、召喚先の特定は難しいかもしれない。なんとか自力で帰ってくる」
光輝は覚悟を決めて一気に喋った。
『分かった、こいつを連れて行け。上手くいけば俺と繋がる』
利人の声が途切れると光の塊が紅蓮に近付いてふっと消えた。
「あああ!また、僕の魔石が!」
光の精霊が魔石に入り込んだことに気付いて、紅蓮は声をあげた。次の瞬間、大きく地面を揺らしながら次の召喚ゲートが開き始めた。
「させるかよ!」
光輝は天魔反戈を一旦抜くと、逆側の刃を突きたてた。
「破魔の紋、外輪展開!」
突き立てた刃から無数の光の矢が、外に向かって飛んでいく。魔力をごっそり持っていかれ、魔力量が最多の紅蓮でさえふらつく。窓越しに学園の上を覆うように、黄金の輪が浮かび上がるのが見えた。
「よし、成功だ。風紀委員は部屋から出て、近くにいる生徒たちを校舎の外に連れ出せ。ハンクラ部は…すまないな。お前らが抜けると少し厳しい。悠里、女子は逃げていいぞ」
光輝は少しだけほっとした顔で言うと、風紀委員長の豪が仲間に命令した。
「九尾副委員長、指揮を執れ。俺はここに残る」
「了解しました。委員長、無事に戻って下さい。この後始末、大変そうですよ」
九尾と呼ばれた化け狐の副委員長は、人化のリングで人族に化けると、他の委員を連れて部屋から飛び出していった。
「光輝、私は逃げないぞ。お前ももう持たないだろう。美晴と瑠奈は、桃川とあの生徒たちを連れて逃げろ。彼らがいたら邪魔だ」
悠里がきっぱりと逃げることを拒否して、ポニーテイルの美晴と眼鏡の瑠奈に指示を出す。彼女たちも迷わなかった。何が一番大切なことか、理解して行動しようと動き出す。
「桃川さん、それに…あなたたちも逃げるわよ。こっちに来て!」
美晴が出口の近くから、窓際で震えている少女に声を掛ける。
「いやよ!なによ、ここ。化け物ばかり!どうせあんたも化け物なんでしょ!」
「そ、そうだ。お前らが出て行け!」
「俺たちに近付くな、化け物ども!」
美晴の呼びかけに、人族の三人は怯えた顔で怒鳴り返している。
「おい、もう持たないぞ。光輝、ゲートはどこまで潰した?」
炎の魔人が両膝を付いて息を切らしながら訊く。紅蓮もそろそろ限界を感じていた。
「利人が森に住む聖獣たちを呼んで力を貸してくれたお陰で、後はこの校舎だけだ。もうすぐ、生徒の避難が終わる。なんとか、風紀室までゲートを縮める。それまでに動ける奴は避難しろ」
光輝もそう言うのが精一杯だった。
「桃川さん、いいから!早く逃げて!」
美晴の声が響く。
「うるさい!うるさい!誰か助けて!」
桃川と呼ばれた少女はヒステリックに叫ぶだけで、話を聞こうとしない。香田と大東も似たようなものだ。ただ、異界の召喚魔法の基点とされた日向だけは、相変わらず時が止まったように沈黙していた。
そして、ついにその瞬間がきた。
風紀室の床一杯のサイズまで小さくなったゲートが、ゆっくり開き始める。それを見て光輝は神槍を床から抜いて消した。
「来るぞ!狼牙、ゲートの術式を記録しておけ。豪、紅蓮、他のみんなもリングを付けろ。何が待ち構えているか行ってみてのお楽しみだぞ」
「出来れば吸血鬼差別がない世界がいいなぁ」
人化のリングで元のキモキャラに戻った江戸川が言うと、紅蓮も覚悟を決めて頷いた。
「魔族差別も…できれば今度こそ脇役になりたい」
紅蓮は切実に願いながらゲートに飲み込まれていった。