放課後の異変
そして放課後、紅蓮は江戸川と匠田兄弟と連れ立って、風紀委員室に向かっていた。
「反省文10枚なんて何書けばいいんだ」
「ゴ・メ・ン…三文字で終わるだろ」
文句を言うのは双子のドワーフ、鋼造と岩男だ。学食の騒動のあと、風紀委員長豪火焔に捕まったハンクラ部の四人は、その場で一部始終を吐かされた挙句、放課後の呼び出しを言い渡されたのだった。
「ところで、どうして日向君が触ったら反応したんだろうね。彼は人族だったはずだよ」
腑に落ちないように江戸川が呟いた。
「それなんだけどよ。わいらもおかしいと思って、あいつのクラスの奴に聞いたんだ」
岩男が声を潜めて切り出す。
「あの馬鹿、この土日に異世界に勇者として召喚されたとか、アホなことを吹聴していたようだ」
「うわ、痛々しいね」
即座に江戸川が言い返すが、紅蓮は何となく嫌な予感がしてきた。
「しかも、どっかの城でハーレムを築いて、猫耳メイドを鳴かせてとか、聖女に熱い目で見られたとか、王女に言い寄られたとか、キモい事を言っていたらしいぞ」
つい最近どこかで聞いたような話だ。イーレディアのモルデア国で、召喚した勇者が王女や聖女、メイドたちにセクハラしてドン引かれ、即座に送り返されたという…。
「いや、気のせい。気のせいだよ」
うんうんと唸って、紅蓮は自分の考えを追い払う。
「まあ、誤作動だろ。あそこで利人が取り上げてくれてよかった。わいも頭に血が上って訳が解らなくなっていたわ」
鋼造があの惨状を思い出して苦い顔をする。
「見境なく好戦的になるのはちょっと不味かった。もう一回、調整し直さないと駄目だな、兄よ」
弟の岩男も反省したように頷いている。
「それにしても利人君って凄いね。怪我人を治しながら記憶を曖昧にさせて…彼の正体って何なんだろうね」
あの場を納めた利人の能力に感心しつつ、江戸川が疑問を口にした。
学園の異端児、光堂利人は謎の多い生徒だった。学園にいながら授業は殆ど受けず、人化のリングをしていても、あれだけの能力を発揮する。
その名前から光の属性を持つ何かであることは解るが、纏うオーラは冷ややかで、親しい友人もいない。むしろ、何もかも拒絶しているような素振りだ。
噂によると、彼は滅びた世界の混沌を彷徨い続け、消滅しかけていたところを保護されたと言われている。また、ある一説では彼自身が世界を滅ぼしたとか、戦いに負けて追放されたとか、様々な憶測が飛び交っていた。
「風紀の奴らもあいつには文句を言わないよな」
「そうそう、わいらが少しでも魔力を使えば締め上げてくるのにな」
風紀どころか学園自体が、光堂利人を特別な存在に位置付けているようだと、紅蓮も感じていた。それだけ何か重いものを背負って、この世界に逃れてきたのだろう。
紅蓮の曽祖父がそうであったように…。
「利人君の正体はさておき、インベントリの中の魔石を精霊石に変えられるとは思わなかったよ。夜にでもひい爺ちゃんに連絡して、元の世界に戻してもらわないと…」
紅蓮は溜息混じりに呟いた。
五時間目が終わった後、インベントリをチェックしてみたら、一番良い魔石ばかり精霊石に戻っていた。核には強い力が感じられ、そこに宿る精霊の位の高さが解った。
「返す前に見せてくれよ。精霊が宿った石なんて、わいらの世界には無かった」
「無理だとは解ってるけど、一つ欲しいなぁ」
双子は精霊石に興味津々のようだ。異界同士は神々の条約で、生き物の持ち帰りは禁止されている。精霊が生き物かどうかはともかく、イーレディアに属するものに違い無いので、早く返却したかった。
「僕は元の魔石が欲しいよ」
ブツブツ言いながら紅蓮は仲間と一緒に、風紀委員室のある別校舎に向うため、二階の教室から一階に下りて、連絡通路を通っていく。
その通路の真ん中まで進んだところで、中庭に生徒たち集まって騒いでいるのが見えた。部活に向う途中の生徒も大勢いるようだ。
「ん、何の集まりだ?」
鋼造が足を止めた。釣られて立ち止まった三人もそちらに目を向ける。暫らくすると原因が判った。生徒たちの視線の先では、水色のブレザーと白いラインが二本入った膝下までのスカート姿の女子が四人、風紀委員の腕章を付けた生徒たちに守られるように歩いていた。
「神光学院の女子だ」
「うわ、レベル高っ」
「あれ生徒会だろ。さすが格が違うな」
ひそひそと囁く野次馬たちの声が聞こえてくる。
確かに清楚なデザインの制服を纏った女子学生たちは眩しいくらいにキラキラしていた。
先頭を歩いている、意志の強そうな大きな瞳とすっきりとした鼻梁の中性的な長身美人が、神光学院の代表のようだ。その後ろに付き従うのはポニーテイルの可憐な美少女、さらに小柄で守ってあげたくあるような可愛いタイプの女の子が、ニコニコ笑いながら付いていく。
(ま、眩しい…)
思わず紅蓮は目を背ける。生身の女の子なんて久しぶりに見るが、あまりの華やかさに目が潰れそうだった。
神光女学院は神渡高校の姉妹校で、規則の厳しいお嬢様学校として有名だ。同じく世間ではお坊ちゃん学校として知られている神渡高とは、年に二度ほど交流する行事が用意されている。女人禁制の神渡学園とはいえ、さすがに校舎のある敷地には女人結界が施されていて、出入りが可能だった。
「おい、なんか一人場違いなのがいるな」
見物人の一人が呟いた声に紅蓮は反らしていた視線を戻す。
「白鳥の中にアヒルが一匹混ざっているみたいだ」
「つーか、地味過ぎだろ。アレも生徒会なのか?」
嘲笑を浴びせられている女子生徒は、三人の美少女から数歩遅れて俯きながら歩いていた。野暮ったい黒髪を二つの三つ編みにして、長い前髪の下には黒縁の眼鏡を掛けている。彼女を見た途端に、紅蓮はシンパシーを感じていた。
「確かに地味だ。女版亜門だな」
岩男に指摘され、紅蓮は照れる。
「え、そうかな」
「いや、なんで嬉しそうなんだよ」
呆れたように鋼造に言われるが、紅蓮にとっては『地味』は褒め言葉だ。隣で江戸川が羨ましそうにしている。
「僕だって地味キャラなのに…」
「江戸川は地味キャラというより、キモキャラだろ」
容赦のない言葉で岩男に言い返され、江戸川は満更でもなさそうに頷いている。長い髪を顎先までダラリと垂らし、口元だけで笑う姿は、確かに素顔を知らない人間にはキモいだけだろう。
「キモキャラか…それならちょっと太ったほうがいいかなぁ」
痩せた腹を制服の上から押さえて江戸川が言う。
「それはキモオタだ。お前な、アキバ系を目指すんなら、あと五十キロは太れ」
鋼造に指摘された江戸川は「五十キロか。人間四人くらい潰す気で吸えたら、あっという間なんだけど…」と呟いている。
「駄目だからね。人間四人潰したら退学になるよ」
慌てて紅蓮が諭すと異界の吸血鬼は肩を竦めてみせた。
「大丈夫だよ。こんな男ばかりの学園じゃ『食欲』も湧かないし、男を襲う趣味はなんかないよ。なにより僕には可愛い『嫁たち』がいるから浮気なんかしないよ」
「嫁なんかいたのか、江戸川」
驚いて食いついてくる岩男に、紅蓮が首を横に振って答えた。
「部屋に飾ってある、アレのことだよ」
そのセリフで、江戸川の部屋に所狭しと並べられた美少女フィギュアを思い出したのか、岩男は「あ、ああ」と気の毒なものを見るような視線を吸血鬼に向ける。
「なに、僕の嫁たちに会いたい?部屋に置いておくと寂しがるから、何人か連れてきてるよ。会う?会ってみる?」
いきなりテンションを上げる江戸川に、慣れているハンクラ仲間たちも引き気味になる。
「こ、今度な。今度でいいからな」
江戸川が自分のスクールバッグを魔道具に改造して、中にお気に入りの『嫁たち』の部屋を造っていることを、仲間たちも知っていた。いや、緻密なドールハウスの中でポーズを取っている『嫁たち』を何度となく見せ付けられていた。
「そう?」
残念そうに開きかけたバッグのチャックを閉める。
気が付けば神光女学院の女生徒たちは姿を消し、大勢いた野次馬も三々五々散っていた。
「まずい、急ごう!」
のんびり足を止めていたせいで、約束まであまり猶予がなくなっていた。紅蓮たちは女子学生たちが入っていった同じ校舎に急ぐことにした。
「おい、オタク部。神光女学院の女の子たち見たか?」
風紀室に行くとなぜか偽イケメン三人組が先に来ていた。身を乗り出すように聞いてくる日向に、岩男が嫌そうに返す。
「なんでお前らがここにいるんだ」
「お前らが騒いだから、俺たちも反省文を書かされることになったんだろ。クソチビ」
金髪の大東が応戦するが、それを押しのけるように日向が言った。
「んなこたぁはどうでもいいんだよ!で?見たのか、どうだった?噂どおりの美少女か?どんなタイプだ?」
さすが、自他認める女好きだ。日向の仲間でさえ呆れている中、江戸川が口を開いた。
「長身美形と元気系美少女と小動物系美少女…それと清楚美人だった」
「マジか、畜生!生徒会室は同じ階だったよな。ちょっと覗きに…」
居ても立ってもいられないように日向が腰を浮かす。それを横目に鋼造はボソリと呟く。
「男女、馬の尻尾、ぶりっ子、地味眼鏡の間違いだろ」
容赦のない評価に紅蓮が何か言い返そうとした時、罵声が響き渡った。
「お前ら、五月蝿い!早く反省文を書け!」
奥の扉から顔を出した風紀委員長だった。その背後に轟々と炎が燃え滾る幻が見えて、紅蓮は首を竦めた。
「クソっ。リアルハーレム要員に出会うチャンスだったのに」
日向が舌打ちしながら言う。
「アタマ湧いてやがるな、何がハーレムだ!」
岩男が小声で吐き捨てるが、日向は構わずに続けた。
「俺は異世界で勇者と呼ばれた男だ。この世界でもまた勇者ハーレム作ってやる。いや、またあっちの世界に行ってやる。きっと、俺の力を求めて再び召喚されるはずだ!」
異変が起きたのは、日向が中二病満載の妄想を口にした直後だった。