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日常の始まり

 翌朝、亜門紅蓮は全身の痛みにベッドの中で唸っていた。昨日、最終決戦で無理して大剣を振り回したせいだ。二十年間、ただ魔界の玉座に座っていたヒキニート紛いの魔王が、いきなり激しい運動をしたからこうなったのだろう。

 

『おはよう、紅蓮。昨日はご苦労だったな』

 

 突然聞こえてきた声に彼は片目を開いた。ベッド脇の机の上に、小さな人型が浮かんでいる。

 

「ひい祖父ちゃん、寮内は魔法禁止なんだよ。スマホに連絡しろよ」

 

 また風紀委員長に怒られると紅蓮は情けない顔をする。

 

『悪い、悪い。よし、これでいいか?』

 

 軽い調子で曽祖父が謝ったかと思うと、その直後にスマホの画面から曽祖父の魔力が広がっていく。紅蓮は慌ててベッドに飛び起きた。

 

「痛てて…」

 

 体中が痛い。特に神聖剣フォルトゥーナに貫かれた胸のあたりがズキズキするような気がする。傷跡も何もないから、あくまでも気がするだけだが…。これも幻痛症の一つなのかと、紅蓮は胸元を押さえる。

 

「ひい祖父ちゃん、ちょっと何してんだ」

 

 そんなことより、魔法禁止の寮内に満ちたこの闇の気配は不味い。

 警備部門の職員が飛んできたらどうしようか。慌てる彼の前でスマホの上に真っ黒なゲートが開いた。

 

「気にするな。今、遮断壁を張ったから大丈夫だ」

 

 ゲートから姿を現して机に座ったのは、三十半ばの無駄に美形な長身の男だ。しっかり筋肉が付いた体に、イタリアブランドのスーツを纏い、レザーのコートを肩に羽織っている。

 どこのマフィアだと思うような洒落者だが、人間ではない証に癖のある黒髪の間から捻れた角が二本生えていた。

 

「もー、ひい祖父ちゃん。生徒会長の光輝君、魔力の気配に半端なく敏感なんだから、絶対にバレたよ」

 

「ああ、渡会家のガキか。今回もあっちで会ったようだな。クライアントが喜んでいたぞ。イーレディアに新しい伝説が生まれたってな。紅蓮もよくやった」

 

 尊敬する曽祖父に褒められたら悪い気はしないが、文句は言っておこうと紅蓮は口を開いた。

 

「約束違うだろ。今回はイーレディアに魔王として二十年くらい君臨して、魔物や魔族を活性化すればいいだけって聞いてたんだけど。なんでまた討伐されるかな?痛いのは嫌だって言っただろ」

 

 イーレディアは二百年前に魔王が討伐されて以来、魔物の繁殖力が衰え、絶滅する貴種が後を絶たなかったらしい。魔物が消えれば、その素材で薬や道具を作っていた人間も困るわけである。

 また、王を失った魔族たちも魔界に篭もったため、イーレディアの国々は魔族相手の戦いの代わりに、国同士で争うようになっていった。魔族がいた頃より物騒になった世界を嘆いたのは、イーレディアの創造神イーレスだった。今回の依頼はそのイーレス神からであり、魔族や魔物が活性化したら、後継者を指名して仕事は終わるはずだった。

 

 ちなみに地球がある世界と、イーレディアを含む殆どの異世界では時間の流れ方が違う。

 紅蓮が向こうに行っている間に二十年が経過したが、地球では二日しか経っていない。その間、肉体の成長は止まっているものの、精神的にはかなりキツイ。

 だから、元の世界に戻る間に、現地で感じた激しい感情や印象深い記憶には自動的に補正が掛かり、まるで映画でも見たような感覚になっている。ただし、紅蓮くらいの魔力の持ち主は精神値も高いため、補正の掛かり方も緩い。なにより、最初から仕事と割り切っているから、異世界から戻った後に喪失感や違和感を感じることもなかった。

 だが、痛いのは別だ。

 

「勇者の件は私のせいではないぞ。モルデア国が勝手に勇者召喚をしたんだ。しかも、正規の手順を踏まなかったせいで、呼ばれたのはただのスケベな高校生だった。慌ててイーレスが加護を与えたが、そのアホはチートをスケベ方向にばかり使うから、即座に送還されたそうだ。しかし、その時点でモルデア国はあらゆる国から魔王討伐のメンバーが集っていて、魔界に攻め込むしかない状況だった。そこで、イーレス神殿が神子を召喚依頼して討伐隊の旗印にしたというわけだ」

 

 曽祖父に今回の顛末を語って聞かされ、紅蓮は渋い顔になる。魔界もどろどろに活性化したし、魔物も元気に繁殖、魔族の皆さんも生き生きと地上で暴れ始め、後は後釜を選ぶだけという時になって、いきなりの方向転換だった。

 

『若様、派手にやられて下さい。壮絶な戦いの後、華々しい呪詛を残して散るのです!』

 

 側近役として紅蓮より先に潜入していた鬼族の美女安曇に言われた時、紅蓮は「またか」と肩を落とした。外来の魔族が多い中、安曇は日本古来の妖鬼であり、曽祖父を崇拝する使徒…いや社員の一人だ。ちなみに外見は有能な女秘書風である。

 

 元々、曽祖父亜門実影(真名ルーメン・テネブラーエ・アモン)は、遠い異世界で五千年の永きに渡り君臨した大魔王だった。だが、信頼する部下に裏切られ玉座から追放され、瀕死の状態でこの世界に落ち延びてきた。そこで同じく住処を追われて逃げてきた炎の精霊の曾祖母と恋をして、日本を終の棲家と決めたのだった。

 地球時間で、およそ百年ほど前のことだ。

 

 日本に根を下ろした曽祖父は紡績会社を設立し、二度の世界大戦を乗り越え、高度成長期に飛躍的に大きくなった会社をオイルショックの前に手放した。その後、手元に残った莫大な資金を不動産投資で膨らませ、その資産で人材派遣会社アモンスタッフを設立したのである。

 おりしも派遣法が施行され、バブル景気で市場も拡大の一途を辿る時代だった。その後に続くバブル崩壊で日本中がお通夜のように沈黙していくが、派遣業だけは順調に成長していき、曽祖父の会社はそのトップクラスを走り続けてきたのである。

 

 創始者亜門実影はその繁栄を見届けることなくミレニアム直前に鬼門に入ったということになっている。もし、存命なら100歳を軽く超える老人だ。

 実は創始者夫婦は二人とも生きていて、いまだに30代半ばにしか見えないとあれば、いくら魔族の存在に疎い一般社会でも大騒動になる。そのため表向きは、鬼族の嫁を貰った紅蓮の祖父が会長の座に納まり、その息子が竜人と妖魔のハーフである女性と結婚し、社長の座に就いている。

 

 一方、曽祖父はアモンスタッフの、真の仕事である異世界人材派遣業の社長として、多忙な日々を送っていた。

 地球、とくにこの小さな島国には、大昔から八百万と表現されるほど無数の神々が犇めき合っている。この国では、年古りた茶碗一つにも神霊が宿るといわれるがゆえに、異形や悪神であっても、畏怖されることはあっても追われることはない。

 異世界から逃げ込んできた神族や魔族、精霊、妖魔、聖獣たちが、この土地に拒絶されることなく定住できるのも、そんな独特の風土のお陰なのだろう。

 

 曽祖父の事業は、この世界に逃げ込んできた異界難民を派遣スタッフとして登録し、異世界の仕事を紹介することだ。クライアントは異界の神々や魔神など、その世界の均衡を平定する存在であり、相性が良ければ派遣スタッフはそのまま定住することもできる。

 

 消滅を待つばかりの精霊が異界で力を取り戻したり、番を失って生きる目的を見失った聖獣が、新しい森の守護者として目的を見い出したり、曽祖父は自分と同じ異界難民に新しい生き方を与えていた。

 アモンスタッフの仕事を通して、新たな世界に旅立つ異界難民の数も年々増え、移住した元スタッフからは、感謝の手紙や異界の特産品が届くこともよくある。

 

 子供の頃からそんな様子を見てきて、紅蓮はいつか曽祖父の仕事の手伝いをしたいと考えてきた。そこで、高校進学を機にアルバイトスタッフとして登録したのだ。勿論、下心もあった。趣味のハンクラに使う小遣い稼ぎがしたかったのだ。しかし、あくまでも軽いアルバイトで、小銭を稼ぎたかったのである。

 

 ところが、紅蓮に回されてくる仕事は異界での『魔王』役のみ。

 しかも、世界を滅ぼそうとして勇者に倒される役や、天に叛いた挙句、神の怒りを受け消滅させられる役など、偉そうに中二病的な台詞を吐くわりに、情けなくヤラレる悪役ばかりだった。

 

 昨日までの魔界を活性化させる役目など、滅多にないヌルい仕事のはずだったのだが、結局神子に倒されて終了した。

 はっきり言ってやりきれない。これで時給は950円。しかも地球時間で換算されるのだから、世知辛いにもほどがある。幸いなことに出張手当が付くから、二日で3万くらいだろうか。

 それでも、あっちの世界で20年も過ごしたことを考えて換算すると、1日8時間週休二日で時給8円未満である。せめて10円は欲しいと思うのは贅沢だろうかと、紅蓮は虚しく思う。

 

「ともかく、イーレスが大喜びして、お前に魔鋼と紅魔石で作った魔王の玉座をプレゼントしてきたぞ。次の召喚の時にはもっと凄い玉座を用意しておくと張り切っていたな」

 

 実影の満足げな声に紅蓮は物思いから我に返る。

 

「あんな、座っていると悲鳴とか呻きが聞こえる呪い玉座、いらないよ。それと次の召喚なんかないから。僕はもう魔王なんか飽き飽きなんだよ。姉ちゃんたちみたいに、聖なる泉を守る魔物の役とか、火山の真ん中で試練を与える竜の役とか、そういう気楽な仕事しか受け付けないよ。今度、魔王の依頼が来たらひい爺ちゃんが行けばいいだろ」

 

 不貞腐れてもう一度布団の中に潜り込むと、紅蓮は曽祖父に文句を言った。

 

「ふん、お前の魔王レベルなどまだ5にも達してないぞ。飽き飽きするなど片腹痛いわ。それに、私が魔王として光臨したらその世界は間違いなく滅ぶぞ。五千年魔王として君臨して、レベルはカンストしているからな」

 

 カンストレベルが99なのか、999なのか、それとの9999なのか、怖いので紅蓮は詳しく聞かないことにした。

 

「魔王の玉座はともかく、イーレスからイーレディアの魔石も貰った。お前の趣味に使えるんじゃないか?」

 

 実影は革コートのポケットから黒い皮袋を掴み出すと、ベッドの上に放った。ズシリと重いものが背中に落ちた感触に、紅蓮は体を起こした。趣味に使えるなどと聞いてしまうと、無視も続けてられない。

 彼は皮袋の紐を緩めると、布団の上で逆さにしてみた。

 

「うわっ、すげー!」

 

 色とりどりの石がゴロゴロと転がり出てくる。どれも一級品の魔石だ。イーレディアでは長い命を終えた精霊は、魔力を孕む石に変わる。その石から再び精霊が生まれると、イーレディアの人間たちは信じていた。

 

「これは精霊の宿ってない石だから安心して加工していいそうだ」

 

 元々、細かな工作が好きだった紅蓮は、中学の頃からハンドクラフトにのめりこんでいた。彼の祖父は自分で釣竿や疑似餌を作るのが趣味であり、その血を受け継いだ父は鉄道模型やジオラマを作るのが好きで、小さな頃からその様子を見てきた紅蓮も、ハンドクラフト部に所属して、粘土や木工、彫金まであれこれ手を出してきた。最近では小物やアクセサリーで魔道具を作ることに凝っていた。

 

「本当に貰っていいのか?うわ、この紫の魔石見てよ。羽のモチーフに合わせた腕輪にすれば、S級の風属性の魔道具になるよ」

 

 滅多にない高いテンションで喜ぶ曾孫を見て、実影はしてやったりと笑いを浮かべる。

 

「気に入ったようで何よりだ。また次も頼むとイーレスが言っていたぞ」

 

「あ、うんうん。激安とはいえ時給貰って、しかもこんな魔石まで貰えるなんて、イーレディアに行って良かったよ」

 

 すっかり丸め込まれた紅蓮が赤い魔石を光に翳している間に、実影は立ち上がった。

 

「そうかそうか、来週末はカンタロスの仕事が入っているから忘れるな。神竜王の七人の王子が成人の儀として倒す魔竜王の役だ。礼に鱗をくれると言っていたぞ」

 

 曽祖父の言葉が耳に入って、ようやく紅蓮は魔石から顔を上げた。

 

「鱗?え、ちょっと、また悪役?魔竜王って何だよ。ひい爺ちゃん、待て。逃げるな!」

 

 彼が引き止めた時には遅く、曽祖父は来た時と同様、音も立てずに暗いゲートの中に消えていった。


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