第三話 将を射んとすれば馬を射よ、みたいな
某月13日の金曜日、早朝。
なんとなく目が覚めてしまった亜心はスマホを両手で遠ざけるように持って布団にくるまっていた。
ガタイのいいイケメンな成人男性が子羊のように震えて「スマホこわい、でも、見ちゃう、こわいのに」みたいな雰囲気を醸し出してベッドに引きこもっているとか、誰得。
しかも、寝間着とか言えない、由緒正しい野暮ったいパジャマである。
おっさん臭いともガキ臭いとも言える絶妙なセンスの無さのパジャマの存在感が物凄い。そっちに集中力が全部持っていかれるくらいだ。
亜心には顔しか取り柄ないのに。
こんなギャップなど要らない。
それはそうと、1ヶ月前から始まった自称正義のストーカーによるメール攻撃は着実にダメージを与えている。
スパムにしても着信拒否にしても不思議なことに全く同じメールアドレスから来るのだ。
亜心としては「おい、携帯会社仕事しろ」である。
ホラーだしミステリーだしなんというか、もうとっても怖かった。
ストーカーも犯罪だし、このメールのあらゆる対策を通過してくる感じも犯罪だとしか思えない。
アプリ以外のデータが殆ど入ってなかったスマホの容量は亜心の実生活をおいてけぼりにして充実してきている。持ち主に似て動作が遅くなってるのはストーカーの呪いと思っていた。
文から若い若いと思っていたストーカーが高校生だとわかり、更に怯えている亜心はそっと隙間から覗くようにスマホのメール履歴を見る。
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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Sub (non title)
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そろそろ、悪になってくれますか?
今回は派手にやる企画を立てたので準備をなるべく早く進めたいのですが。
ところで。
そのマンション、ごみ捨てならコンシェルジュに連絡すれば従業員が引き取りに行きますよね?
なんで普通に捨てるんですか?
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(10通省略)
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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挨拶されたなら会釈だけでも返さないと仲良くなれませんよ、頑張って下さい。
悪の方に適任者が貴方しかいないので、本当に早くしてください。
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(575通省略)
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あの、いい加減首領になってください。
それと、
紅江さんの誕生日は三日後です。
準備した方がいいと思います。
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(492通省略)
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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そろそろいいですか、こっちはまだ学生なんで暇じゃないんですよ?
誕生日教えてけしかけたのこちらなので言いにくいですが、挨拶も出来ない人にプレゼント渡せるんですか?
下手したらストーカーですよ。
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(703通省略)
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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Sub (non title)
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毎度毎度あの指輪を置きに行くの面倒なので、実力行使を視野にいれていきたいと思います。
早めに観念しましょう?
あ、プレゼントのセンス無さすぎて今戦慄してます。
仲良くもない女性に入浴剤…正直、気持ち悪いです。
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(264通省略)
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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貴方の運命の仕事はコレ!
夏を迎える準備はOK!?
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(1991通省略)
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From gentian-redjustice.xxx.ne.jp
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Sub (non title)
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つかれました。
本気でお話ししにいきますから、トモダ◯コレクションは今すぐにやめてください。
追伸
今さらですけれど、歯軋りを治す方法があるホームページお教えしましょうか。
顎にも歯にも悪いですよ。
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量といい内容といい「ねえ、法律、法律ってどうなってるの?あとお前の生活時間どうなってるの、ねえ、寝れれてるの、寝れれてるのかな?昼間、昼間ちゃんと普通に生活送れてるの送れないよね???」というメール量である。
しかも、それとは別に毎朝毎晩マンション前に出没して、
「あ、亜心さん!この間の衣装は気に入らなかったんですか。こちらもどうぞ、今度は和風で地味めですから本当にというかもう早く悪の頂点に就任してください時間が押してるんですから」
とかなんとか言って、ゴテゴテだったりギラギラだったりする黒をベースにして紫や銀で飾り立てた戦隊モノやライダーモノの人形悪役のスーツの見本市を開いて来るのだ。
同じカラーリングのマンションと違ってやたらセンスが良いのも癪にさわる。
なんでゴテゴテしててギラギラしてるのに、上品で落ち着いた雰囲気になるのか亜心にはわからなかった。
亜心としては一着ウン千万…下手したら億単位でしそうな特殊スーツを何百着と持ってこられているので大変困るし、絶対に近所では有名になっているという事実が辛い。
特にあの素敵な紅江と親しくなっているようなのが、気に入らなかった。
その上、紅江情報が有益なのには心底困っていた。
紅江さんの好物(しかも、マンション内のレストランで見かけた時の情報を鑑みるとどうやら事実である)やキッチリカメラ目線で盗撮ではない彼女の写真、その他の情報が流れてくるせいで、ストーカーのメールを無視できないのだ。
亜心の名誉のため言及しておくならば、写真に関しては血涙を流しながら削除してある。
理由「肖像権って大事だし、もしいつかお付き合いできるようになったときに写真が見つかったら怖いもん」
まだ一度しか面と向かって会ったことはないし、最初の会話も不成立なんだけどな。
亜心くんもだいぶおかしいようです。
というか、写真がカメラ目線な時点でもっと色々考えてもいいものではないのだろうか。
確実に写真を撮らせてくれる程度には親しい間柄だからな。もうちょっとそこを悩んでみるべきではないのだろうか?
苦節26年、ぼっちはグラマラスでビューティーな隣人の登場自体に舞い上がって思考能力が低下しているようだ。
ダーダーダー ダーダダーンダーダダーン〜♪
ストーカー被害について考えていたはずがいつの間にか紅江のことで頭が一杯になっていた亜心の意識が現実に引き戻された。
某有名SF映画の黒いボスな着信音からして(というか電話をかけてくれるのは一人しかいないことからして)叔父である。
それにしても最近は電話がかかってくることが少なかったのにどうしたのだろう。ただでさえ早朝にかかってくる電話は妙に不安になるもの。
亜心の不安はまた叔父が「亜心、いつも家に引きこもっていてはつまらないだろう。リゾートホテル作ったから遊んできなさい」とか意味不明なことを言ってくることである。
実際、過去に遊園地が三つ、水族館と動物園一つずつ、件のリゾートホテル一つ、博物館図書館エトセトラエトセトラ…を作った。
日本経済を復活させたのは何十年も前のアへノミクス(三つの嫌からなる政策なんだから。誤字じゃないんだからね!)ではなく叔父なのではないかと亜心は疑っているほど。
しかも、全て成功し莫大な利益が上がっているのが質が悪い。
ということで、連絡が来ないと思っていると経済に影響出るレベルの過保護が発揮されている場合があるのだ。
『亜心、お前に用事があるんだ。今の時間はまだ家にいるね?』
亜心はああ、ホントに叔父さんだなぁ。と思った。
もしもし、も言わないところが。
そう、叔父は亜心がぼっちなのを知っているのだ。
代わりに電話に出る奴などいないと確信している。
…悲しいね、亜心。
『緊急の案件があるから、そのまま部屋で待機していなさい。3分以内にそちらに着くから。わかったね?』
亜心は返答をする前に時計を見た。
7時15分。
あと30分で会社に行かねばならない。
「…無理だ、会社がある」
業務内容の確保は無理でも、せめて始業時間を守りたい。
働く実感にも飢えている亜心はきっぱりと断った。
『ははは、気にしなくていいよ。行かなくていいから』
叔父のいつも通りの声に悪寒が走る。
言うことを聞く以外の選択肢はないようだ、と亜心は諦めた。
「わかった。有給を取る」
溜め息混じりに言うと、
『いや、いいんだよ。辞表出しておいたからね。私が出したのだから、もう即日受理されていると思うよ。安心しなさい』
叔父のこれ以上なく明るい声音で返してきた。
じ…じょ、いや、じひょ、辞表?
辞表?
辞表?!
…俺って役職あったのか…じゃなくて!!!
驚きのあまりスマホを取り落とした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
下のセキュリティからの通知なしに来るのはもう叔父さんだから仕方ない。
脳内に辞表という言葉がこだます。
叔父の地位を考えれば誰であろうと職を奪うのは簡単だろうが、なんだってそんな事をするのかわからない。
亜心は出来る限りの速さで玄関に駆けていく。
やっぱり早歩きだけど。
玄関を力任せに開けて、問い詰める意味で名前を呼んだ。
「蒼臣!!!」
ここで初出の叔父さんの名前。
呼び捨て。
叔父さんが「おじさん」と呼ばれたくなかった若かりし日の名残だったりする。
あとメタ的に言えばそろそろ名前を出したかっただけだったりもする。
「亜心、そんな慌てるとまた転ぶぞ」
なんてにこやかーに言う蒼臣を見た途端、亜心は固まった。
黒里蒼臣、57歳。
渋みの中に艶があり、冷たい印象を持つ青の鋭い目さえ魅力に繋がる。高身長高収入高学歴なんてちょっと前ち流行った理想を見事に体現している挙げ句、洗練された佇まいで一級品の服を難なく着こなし、些細な動き一つ取っても絵になる美丈夫。
ただし、一級品な服は悪役幹部な黒&紫のギラゴテ和テイスト軍服でした。
もう一度、57歳。
素面。
正気の沙汰ではないけれど、本気っぽい。
過保護すぎるけれども、有能で自慢の叔父。
その見るに耐えない姿に呆然としつつ、亜心の脳内に一つの言葉が浮かんできた。
ヲワタ
蒼臣の後ろに輝く笑顔を振り撒いて控えている赤レンジャー(変身前)なストーカーの存在が見えるような気がする。
人生、終わった…。
亜心は遠くを見やり、何かを悟った。