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第二話 んなん、3秒ありゃあ十分


なんとか不審な好青年(?)から逃れて亜心は自宅のマンションに帰りついた。


日照権やらで地域住民と戦うのが面倒で大胆に土地を買い取り区画整理をしたことが一目でわかる広々とした敷地。


そこに圧倒的存在感で聳え立つ66階建ての高層マンションがあった。


屋上の真っ黒なドームといい目立つことこの上ない。


まだ26歳と若い彼が一人で住むには明らかに不相応な高級な高層マンションである。ビジュアル的にはぴったりだが、収入とはナイアガラフォール級の落差がある。


会社がなんと言おうと新入社員以上の給料を受け取らないのでそこそこだ。新入社員と同額というのでさえ、仕事内容から見て過分なのが心苦しい限りである。


彼女と同じくらい…いや、彼女の次の次くらいにちゃんとした仕事が欲しい亜心であった。


貧窮しているわけではないが裕福でもない彼が5パビリオン赤のホテル顔負けの豪華な設備を持つマンションに住んでいるのは、叔父が何も考えずに入社祝いとして用意してしまったからだった。


そう、用意したのだ。


入社が決定したと世話になっている叔父に伝えた電話口で「ああ、それはよかった。ちょうど亜心の卒業記念に着工したマンションが完成するから、会社からも近いことだし、そこに住みなさい」と言われた時の衝撃がおわかりいただけるだろうか。


両親さえ亜心に怯えるため、唯一の家族としてやたらはりきり、過保護街道一直線な叔父は頭のネジがゆるかった。


亜心が電話口で涙目になりながら丁重に断る旨を伝えると「あ、飴よりチョコレートだったか。すまんね、その飴は置いておきなさい」くらいの軽いノリで工事を中断しようとした。慌てて自分が住む一室だけ確保してもらう方向に交渉した。


ちなみに、その会話は亜心の会話最長記録をレコードした。亜心史に残る長丁場、3分間の攻防であった。


亜心は余計なことを思い出して悲哀につつまれつつ、黒の美しい大理石のきらびやかやエントランス(この時点で亜心は叔父のセンスを疑った)を抜け、紫という色彩が精神に及ぼす影響を考慮しているとは思えない絨毯が敷き詰められたエレベーターに乗った。


これでほぼ全室埋まっているのだから世は不思議に満ち溢れていると亜心はしみじみ思うのであった。


このマンションが自分をイメージしてのデザインだとしたら立ち直れない、亜心はそう思っていた。


可哀想なことに、亜心は立ち直れない事実を知らない。


全体的に洗練されたデザインのはずなのに、安らぎや暖かさを度外視した黒!紫!銀!の悪趣味な残念マンションの最上階に到着する。



彼の部屋はもちろん、66階の666号室。



叔父さんェである。


このフロアにある部屋は6つ。本当はこの階は亜心専用になるところだったのを無理矢理に一室にしてもらった。端から端まで歩くのさえ億劫になる広さなので、当時必死に交渉した自分を讃えたい気持ちになるとか。


魔王城クラスの妙に薄暗い廊下を歩いていると、自室の前に女性がぽつりと紙袋を抱えて立っていた。


パープルな制服を着ていないので一般人のようである。


何をしているのか、どうやったら通報されずに自室に入れるのか。


亜心が仕事以外での女性との遭遇に困惑して立ち尽くしていると、どうやら向こうの方が気が付いたようでハッとした。



痴漢ではありません、住人です!!!



脳内で諸手を挙げて降伏の姿勢を取る亜心に女性が動かずに声をかけてきた。



「あの、665に越してきた一止(いっし)と申す者なのですが、666号室の方でしょうか?」



落ち着いたメゾソプラノの声に涙が出そうになった。



「…っ!」



どうにか漏れそうになった歓喜の声を押し留める。今声を出せば「フハハハハッ!!!」という高笑いになること請け合いだった。


亜心が事務的な会話以外で異性と話したのはもう10年近く前だったりする。


引っ越しでのお隣さんの確認も別に事務的ではないわけじゃないぞ、亜心。早まるな、である。


しかし、最後に話した女性はラブ◯ラスのショートカットなあの娘である彼にそんな判別はつかないのであった。



「ああ」



止まりそうになる息をなんとか続けて、感動を噛み締めての返答。


噛み締めたのは感動というより、歯そのものでギリッという不吉な音がしたのだが。



「やっぱり、よかったです!引越し蕎麦を配るのは、ここが最後だったんです!」



ぽんやりとした表情で声は穏やか。


間近で見た女性が無表情だったり恐怖に固まってたり泣きじゃくってたりしない、それこそ画面の中でしかみれないような表情に亜心は息を飲んだ。



ああ、こんなに正常な状態の女性と話せるなんて!



ぼんやりとした寒色の照明の中にあってさえ、目の前の女性は輝いて見える。


ただでさえ花顔柳腰な美人であったが、亜心の目には最早天女のごとき美貌に映る。


今時引越し蕎麦をこの高級マンションで配るとかそんな…みたいな正常な思考は最早亜心にはなかった。


男も女も馬鹿らしいが、亜心(ぼっち)はもっと馬鹿だったようだ。


ふらふらと誘蛾灯に引き寄せられる蛾よろしく、ゆっくりと無意識ながら歩み寄っていく。


もちろん、客観的に見れば路地裏に被害者を追い込むマフィアな風情だけれど。


心拍数が上がりすきて心臓が空回りし始めた亜心を余所に笑顔のまま話し、平然と近寄る彼女を見れば、十人中十人が「…人、か?」と疑問を持ったに違いない。


彼の表情筋は過去最高に緊張で固まり、緊迫は殺気となって迸っていたのだから。


にも拘わらす、ほんわり微笑む彼女。


紅を多分に含んだダークブラウンのウェーブした瀧のような髪に、白くほっそりとした四肢。豪勢にメリハリのついたボディラインが白いブラウスにほんのりと薄紅色の影を落とす。


正直、現実の女性に対する耐性が中学生以下の亜心には目の毒だった。



「改めまして、665号室の一止 紅江(くれえ)です。これから、よろしくお願いいたします」



美人の一重でも十分にぱっちりとした涼やかな赤茶の瞳で見つめつつの微笑む攻撃。


亜心にクリティカルヒット!


56,972のダメージ!!!



亜心は感動で目も眩む思いだった。


敵意も怯えも媚びもない、その自然な笑顔。


慈愛に満ちた優しく落ち着いた声音。



薄いブラウスの陰影とナイス上乳な谷間。



目が離せなかった。


有り体に言えば、亜心は一目惚れした。


ぼっちのDTなんてそんなもんなのだ。


美人にかかれば、3秒ありゃあ十分なのである。


チョロインみたいなもの。


廃人道の一往復よりはやいのである。


生まれて初めて美人さんにモーション(そうでもない)をかけられた初な精神年齢14歳が平静を保てるはずがない。


例に漏れず、亜心は混乱した。


混乱の極地だった。


もうメダ◯ニかけられたくらいに混乱して、とりあえずお返しをしようと余計なことを考えて無言で自室に入った。引越し蕎麦にはお返ししないのが常識など、人生最大の緊張の中では意味もなく。


目も合わせず、蕎麦も受け取らず、無言で自室に戻った亜心を紅江が待っているわけもない。


5分後には一人間抜けに自室の前に立ち尽くす亜心がいたのであった。





亜心が玄関前で棒立ちになっている頃、リビングに放置された鞄からメールの着信音が響いた。


――――――――――――――――

――――――――――――――――

From gentian-redjustice.xxx.ne.jp

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Sub (non title)

――――――――――――――――

引越し蕎麦にはお返しは要りませんよ。


強いて言うならお返しは笑顔と適切な近所付き合いです。

――――――――――――――――

――――――――――――――――


全く知らないアドレスからのタイムリー過ぎるメールに亜心が戦慄したのは言うまでもない。


別に、叔父さんと自称舎弟以外からの初めてのメールに感動して震えたわけじゃない。断じて。




メ◯パニよりテン◯ラフーが好き

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