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元禄赤穂事件 3

赤穂事件については、五年前(!)にも取り上げましたが、その後いくつか発見したことがあるので第三弾をお届けしたいと思います。


じつは先月、はじめて吉良っちのお墓にお参りをしてきました。

(すいません、そんなことばかりやってるから、なかなか更新ができないんです~)



で、そのお墓というのは、中野の萬昌院功運寺(曹洞宗)というお寺にあります。


このお寺はもともと、『久寶山萬昌院』と『竜谷山功運寺』という別々の寺院だったらしいのですが、都心地の収公やら火事で焼け出されたりななんやらかんやらが重なって移転を繰り返し、最終的にこの中野で合体して、現在の形になったんだとか。


ちなみに、『萬昌院』の方は、天正二年に今川義元の子・長得が半蔵門近くに創建し、吉良上野介のお墓はこちらにあった由。


そして、『功運寺』は、慶長三年に徳川譜代の大名・永井尚政が桜田門外に開いたお寺だそうです。

この尚政さんというのは、阿部正勝(塩大福の家祖・正次のパパ)の孫にあたり、幕末に活躍した旗本・永井尚志のご先祖さまでもあります。


そしてそして、このふたつのお寺がいっしょになったことは、なにやら不気味な因縁めいたものを感じさせる結果になったのです。


というのも、以前『元禄赤穂事件 1』で書いた浅野内匠頭の母方叔父――こともあろうに将軍家綱の葬式中に同輩を斬り殺してしまったあのヤバい大名――に殺害された永井尚長のお墓が、『功運寺』さんのほうにあったのです!


つまり、偶然いっしょになった寺のそれぞれに、叔父・甥に殺された被害者同士がいて、いまや同じ墓所で眠っているというわけです!!


うわ~、こりゃ絶対なんかあるで~。

怖~~~!



それにしても、芝居の世界じゃ吉良さんはすっかり悪者あつかいで、饗応役の浅野に連絡をいれずにミスをさせようとしたり、ワイロが少ないから意地悪をしたり、ボロクソ罵倒したり、ウンヌンカンヌンetc.


しかし、考えてみれば、そんなことをして勅使院使への接待が失敗すれば、その咎は総責任者の吉良に降りかかってくるわけで、浅野っちやその叔父のように相当逝っちゃってる短慮な人じゃなければ、あえてそんなアホなことをするはずがありません。


だから、赤穂浪士討ち入りは、事実無根の冤罪から発生した大量殺人事件以外のなにものでもないのです!!!



そんなこんなで、浅野っちに対するムカムカを再確認した岩槻は、最後に『元禄赤穂事件 2』に出てきた梶川頼照のお墓(中野・天徳院)を拝んで帰宅の途についたのでした。

(なんと梶川さんは、無縁仏になりかかってましたー!)



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