やっぱり新政府軍はロクなもんじゃなかった
お久しぶりです。
いまだに聴力が乱高下している岩槻でございます。
体調もイマイチなのに、最近はキーボードがおかしくて、常に「あああああ」みたいな表示になるもので、すっかりやる気がなくなっております
ρ(・・、)
(他のものを書いてる時には、全然そうならないんだけど……なろうの時だけ……なんで?)
今回のテーマは一言でいうと、タイトルのまんまです。
では、なにを根拠にかといいますと、いま国立公文書館で開催されている企画展『戊辰戦争 菊と葵の五百日』に出ていた資料からそれが裏づけられたのです。
まずは、資料名『記録材料・新聞鈔・完』
これには奥羽越列藩同盟の会議で作成された同盟誓書の内容が記されています。
これによると、
・「大事件」については列藩の集議にかけること
・【無辜の殺戮、掠奪の禁止】
が定められたとのこと。
一方、新政府側の資料『公文別録』には、慶応四年二月に新政府が定めた一般的軍令――陸軍諸法度が書かれています。
ちなみに、ここでいう『陸軍』とは、明治四年に創設された陸軍とは別モノで、新政府の軍防事務局が管轄していた薩摩・長州藩兵等の西南諸藩の兵からなる軍隊のことです。
それには、
・外国人への攻撃禁止
(あれ? 攘夷を実行するために幕府を倒すって言ってなかった?)
・新政府に従う者については、その働きを見て、寛大に処分すること
(小栗さまは特に逆らったわけでもないのに、まったく詮議もされず斬首になったよね?)
・流言の禁止
・【強奪した品々を申し出るべきこと】
ね、一目瞭然でしょ?
奥羽越列藩同盟は、「掠奪禁止」
新政府側は、「掠奪したものについては、いちおう報告してね?」
ははは、掠奪を禁止する気なんかハナからないんだー!
ラインハルト軍なら、最悪銃殺すらありうる犯罪行為を、軍のトップがマルっと容認しているとは、どこまで腐ってるんでしょう。
そのうえ、『記録材料』の横に展示してあった『仙台藩記』によると、慶応四年三月、新政府から藩主・伊達慶邦あてに送付された命令書には、
「錦旗に発砲した大逆無道の容保を討伐せよ」だってさ~。
へぇ~?
旗どころか、帝がおわす御所に大砲・小銃ぶっ放した長州藩は大逆無道ではないんですか~?
そういえば、江戸でゴロツキどもを雇って、無辜の民を襲わせたのは、新政府軍大総督参謀になった西郷吉之助さんでしたね!
いやはや、国立の機関だからもっと薩長史観に則ったモノが出展されるのかと思ったけど、意外にも新政府サイドの暗部をさらす品が少なくなくて、とてもおもしろい企画展でした。