表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/26

小金井の桜

本編にも出てきた小金井ですが、ここは歌川広重の浮世絵『富士三十六景』にも描かれた観光スポットでした。


今は梅ですが、それが終ると桜――お花見シーズン到来 ♪


江戸時代の花見の名所といえば、上野寛永寺・品川御殿山・王子飛鳥山・隅田川堤(墨堤)などが人気で、御殿山以外はいまでも花見客でにぎわっております。


その御殿山は、1853年のペリー初来航のあと築造された御台場建設用土として切り崩されてしまったので今では往時をしのぶことはできませんが、興味のある方はググってみてください。


(権利関係でクレームくるとイヤだから、ここには貼らないよ~)


葛飾北斎:富嶽三十六景『東海道品川御殿山ノ不二』や初代・歌川広重:『御殿山花見之図』あたりがオススメ。


で、残念なことになっちゃった後の御殿山は、同じく広重の名所江戸百景『第28景 品川御殿やま』(安政三年(1856)四月) を見てください。


ザックリ削られちゃった痛々しい崖の上にかろうじて咲いている桜が描かれています。



――って、小金井から離れてるし……。


さてさて江戸時代の花見の名所の多くは、じつはあの暴れん坊吉宗さんが庶民のための行楽地としてつくったものだったのです。


飛鳥山・墨堤には江戸城吹上御庭などから数千本もの桜の木が植樹され、多摩の小金井も吉宗によって日本各地から桜の木が取り寄せられ、植樹されたとか。


小金井は同じく江戸郊外の名所・飛鳥山にくらべるとちょっと遠かったので、ここは一泊二日コースの観光地だったようです。


本編中にも出てきた今ガソリンスタンドになっている場所(現在の五日市街道小金井橋たもと)には、かつて『柏屋』という有名な花見茶屋(料亭&旅館)があって、お花見シーズンはすごく繁盛したそうです。


(広重:江戸近郊八景 『小金井橋夕照』(天保八年頃)、広重:不二三十六景『武蔵小金井堤』等)


定番コースとしては、ここに一泊して、つぎの日は国分寺の古刹や総社六所宮(府中・大國魂神社)に詣でたあと、多摩川の風景を楽しみアユを食べるという感じだったようです。


今風にいえば、日光に行ったら東照宮に参拝してから、

(参拝だよ! 参拝! だって、家康様ヤッさん家光様ガチホモさんがいらっしゃるんだからね! 佐幕派的には「見る」なんてとても失礼でいえましぇん)

いろは坂を登って中禅寺湖畔の温泉宿で一泊し、次の日は華厳の滝と竜頭の滝、湯滝を眺めて、日光Kホテルの『百年ライスカレー』食って帰るぞ~なノリでしょうか?

(本当はニジマスのソテーが食べたいけどね……)



あー、そんなこんなな桜の名所なので、第十三将軍われらのサダっち様も世嗣時代――家祥と名のっていた時代――に一度、馬で小金井まで花見に行ったという記録が残っております。


でも、このときはあいにく天気が悪く、雨の中での花見となったそうです。

(雨天決行……周りのお付の人たちも苦労したろうなぁ)


――という背景があり、『南柯』本編では安政二年将軍家御成りが挙行されることになったのですが、はたして今回は晴天下の花見の宴となるのでしょうか?


(あ、史実では安政年間に家定が小金井に行った記録はないです)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ