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江戸版アルテミスの首飾り

 あったんですよ、本当に。


(アルテミスの首飾りって……はい、一部の人にしかわからないネタでした。

 これは、田中芳樹氏の神・スペースオペラ『銀河英雄伝説』中に出てくるハードの名称で、自由惑星同盟首都星ハイネセン防衛のための全自動人工衛星十二基のことです。

 ちなみに、わたしの中の容さんは、ちょんまげつきラインハルト陛下のイメージで……って、ごめんなさいぃーっ!)



 ときは、幕末。


 ペリー初来航の際、無礼にも江戸湾ふかく侵入してきたアメリカ艦隊。


 江戸湾は、将軍本拠・江戸城とは指呼の間。

 二百年以上、大船建造を禁止していた江戸期、御城下は、敵艦隊に対してまったくの無防備状態でした。


「うは、マジやばっ!!!」と、悟った幕閣の動きは早く、海軍力を持たなかった幕府は、唯一無二の防衛策を講じました。


 それこそが、接近する外国艦隊を迎撃するための砲台建設、海中に点在する台場プランなのです。



 嘉永六年六月十二日 ペリー艦隊、翌年の来訪を宣して離日


     七月    幕府は品川台場築造を決定

           江川太郎左衛門英龍らを台場普請取調方に任命


     八月    築造開始


   七年四月    第一~三台場完成



 すべて形式主義・先例重視の幕府にしては、びっくりするくらいのスピードでございました。


 そして、これを設計したのが韮山代官だった江川太郎左衛門で、品川台場は当初の計画では、十一か所つくる予定でした。


 しかし、予算の関係で約半分の六か所(1~3、5、6、御殿山下台場)に事業縮小されたのです。


 でも、もし十一か所全部つくられて、江戸ハイネセンに接近できないよう湾内に展開していたら……おお、まさに、アルテミスの首飾りではありませんかーっ!


「ねぇ、太郎左衛門さん、もしやタイムスリップした銀英伝ファン……ですか?」と思うくらい、そっくり。


 ところが、ビンボーな国費を割いてまでつくったこの台場は、一度も活躍することなく歴史の表舞台からフェードアウトしてしまったのです。


(日英修好通商条約締結のとき、会津藩がここから祝砲を打ったらしいので、ちょっとは活躍したか?)


 本来の目的では一度も使われなかった台場は、やがて、航行のジャマだと取り壊されたり、周辺を埋め立てられ陸続きになって埋没……。

 現在、当時の姿のまま残っているのは、第三と第六だけとなりました。


 会津藩が金も人も供出して担当させられた第二台場はちゃっちゃと壊され、いまではその痕跡すらありません。


 幕末のサムライたちが、首都防衛のため必死で築造した御台場は、いまや、問題の多い某テレビ局の代名詞としてしか知られていない、かなしい存在になり果ててしまったのです。

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