韮山代官 江川太郎左衛門英龍
1月29日投稿の南柯本編で登場した江川太郎左衛門さんですが、
『【首を突きだすような前のめりの姿勢】で近よってくるオッサンには、《江川太郎左衛門英龍 韮山代官》のテロップがついた』
『シワくちゃでホコリまみれの黒木綿の小袖・袴セット&裃を着用したオヤジ』と描写しています。
でも、これはワタクシが勝手に江川っちを貶めて設定したわけではなく、目撃情報に基づいて人物像を決めたものでして……。
(だから、ご子孫の方、怒らないで~! クレームつけるなら、幸田露伴とパパに言ってくれ~!)
てなことで、いつものアレ――幸田露伴著『幕末の政治家』(露伴全集)を。
『江川太郎左衛門』
着ているものが「ちょっとないわ~」で目立ってたのはこの江川つー人だったわねぇ。
あれって、着たまま寝ちゃって、起きてそのまま登城してるんじゃないかしら?
着物自体は黒か浅葱色の木綿で、いつもシワシワヨレヨレなのよ。
刀は無反りの長脇差を水平に差して、こう言っちゃなんだけど貧相な顔で、首を曲げて前のめりに歩く姿はいかにも変人って感じだったわ~。
(オネェ言葉なのは個人的趣味で、けっして御坊主衆がそうだったわけではありません)
ちなみに浅葱色は、今では新撰組のユニフォームとしてかっこいいイメージになっちゃってますが、江戸時代は「クソだっさ!」でした。
これは地方から参勤交代で江戸にきたビンボーな『お登りさん』たちの吉原での蔑称が『浅葱裏』だったことにもよく表れています。
新撰組でもいきおいこんでノリで作った浅葱ダンダラがあまりにも「だっさ!」すぎて、隊服支給後数か月たつと誰も着なくなったということでも証明されております。
ちゅーても、江川さんは今の神奈川東部から多摩一帯を支配する韮山代官だったので、その気になればヘタな大名なんぞよりずっと豪華でオサレ~なお召し物をとっかえひっかえ着られるくらいのお金持ちです。
ようするに、江川っちは外見にはこだわらない仕事人間だったんでしょうね。
だから夜遅くまで調べものなんぞなさって、そのままグースカ。
翌朝、「あ、ヤバ、登城時間だ!」でそのままお着がえなしで出勤……なので、シワシワヨレヨレだったのではないでしょうか?
(あくまでも個人的推測だよ)
こういうムチャクチャな不規則生活をしていたからでしょうか(※これも推測)、江川っちは安政二年一月十六日(1855年3月4日)、五十五歳(満五十三歳)の若さで病没してしまうのです。
惜しい……本当に惜しい人を……(うぐ)。
最後にひとこと。
露伴&パパが「悪くいわば貧相ともいうべき面して」とコキ下ろした、江川っちは肖像画をみるかぎり、黒目がちの大きなおメメで鼻筋の通ったなかなかのお顔です♡
どうも露伴パパは容保さまや安藤信正、岩瀬忠震系の正統派イケメンがタイプだったみたいで、容貌についてのコメントはマルッと信じられない部分がございます。
みなさまもその点お含みおきのうえ、露伴全集をお楽しみください。