秋田蕗のお話
(「おい、本編どーした!?」というお叱りの声が聞こえてきそうですが、この件が気になって気になって……す、すいませんっ!)
奥羽越列藩同盟的には(つーか個人的には)モヤっとする秋田藩ネタでございます。
秋田藩(久保田藩ともいいます)で有名なお殿さまといえば、なんといっても八代・佐竹義敦(曙山)公ですが、今回の主人公はその息子の九代・義和さん。
この方は数代前からつづく慢性的な財政難をなんとかしようと藩政改革に取り組み、藩校「明徳館」を設立し、領内の産業を振興するなどの実績を残した名君です。
(キライでも、そこは公平な目で見てるんだよ? エッヘン)
さてある日、江戸城でほかの大名さんたちとダベっていたとき、
「てか、秋田の蕗、まじハンパねーんすよ。実際、コレ、地元じゃ傘代わりに使ってますからね?」(意訳)
てな感じで、ついついお国自慢をする佐竹さん。
ところが、
「「「やだ、話盛りすぎっすよ~!」」」と、誰ひとり信じてくれません。
「あ、言ったね? 言ったね? じゃ、ホントだったらどーする?」キレ気味に反論。
でもお仲間たちは、
「「「いやいやいやいや、ソレはないわ~」」」
「んだとー!? こうなったら絶対持ってくるしー!」
というわけで殿さまの名誉を守るため、急きょ巨大フキ捜索命令が下されたのでした。
(うわ、迷惑……)
そして、国を挙げての大捜索の結果、一本の巨大フキを発見!
これをいまや遅しと待ちわびる江戸の義和さんのもとに運び、
「どや!見てみー!」
「「「おおー!マジかー!!!」」」
そんなこんなでめでたくお殿さまの名誉は守られ、「傘代わりになる秋田の巨大フキ話」は参勤交代効果により全国に広まり、一躍メジャーな存在になったのでございます。
めでたしめでたし♡
(つまらんミエのために血眼になって捜索活動に従事した領民や地元のお役人のことを思うと、「めでたい」とは言いがたいような気も……みなさん、ホントお疲れさまでした!)
(※これは秋田では五代・義峯の話として伝わっているそうです)