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桜田門外は変!(誤字ではありません)

はいはい、ドツボってる本編にくらべ、なぜか順調な佐幕派応援キャンペーン第三弾~♡

……え?

「『なぜか』じゃねーだろ! 現実逃避してるだけだろ?」

し、失礼な! リハビリ中と言ってくださる!? リハビリ中とーっ!

 本日のお題【桜田門外の変】



 あらためて言うまでもなく、幕末一の大事件、日本史上トップ3に入る要人テロですよ、テロっ!


 ……ん? 

 トップ3?

 じゃあ、ほかのふたつは?


 大化の改新と、本能寺の変?


 あら、鎌倉幕府の源実朝ショーグンさまは?

 室町幕府・足利義教暗殺の嘉吉の乱は?

 大久保利通は?

 伊藤博文は?

 五・一五&二・二六はーっ!?


 ま、まぁ、それはさておき、事件が起きたのは、五節句のひとつ『上巳』の朝。

 在府諸侯の総登城日でした。


 安政七年三月三日――グレゴリオ暦では、1860年三月二十四日

 温暖化している現代なら、ヘタしたら桜が咲いちゃったりするころです。


 とはいえ、温暖化してなかった江戸期でも、季節はずれの雪――いや、大雪の朝で、井伊家の乗り物(駕籠)が外桜田・彦根藩上屋敷を出発するころには二十センチほどの積雪だったとか。


 そして……水戸浪士十七名・薩摩浪士一名の実行犯が襲いかかってから数分後、井伊さまの首級はテロリストどもにあっさり奪われました。


 日比谷御門 → 八代洲河岸 → 和田倉濠横・遠藤但馬守屋敷門前へと首級を運んだのは、薩摩藩出身の有村次左衛門。

 途中、井伊の供侍に斬りつけられた有村は、遠藤邸前で力つきました。


「あ、すいません、コレちょっと預かっててもらえます? コワレモノなんで、ていねいに扱ってね?」などと一方的に依頼し、その場でさっくりハラキリする正体不明のスプラッター侍。


「え゛? え゛? うそ、ヤダ、困るぅーっ!」とオコトワリする間もない、あっというまのできごとでした。


 それに、「預かってね」なんて言ってますが、だれが取りに来るとか、どこにお届けしろとか一切ナシです。


 うわー、すんごい迷惑。


 いきなり面倒くさい事態におちいった遠藤さんちでは、とりあえず血まみれの頭部を新品の飯櫃めしびつに(目をおよがせながら)突っこんでみました。


 するとそこへ、ギンギンに血走ったどこかのご家中が大挙して押しかけてきたのです。


「ねぇ、なんか預かってるでしょ? 返してくんない?」


「え……でも、これ遺失物だし……ケーサツに届けないと。てか、コレ、おたくらのものって証拠、あるんですか?」


 という正論中の正論をかますと、


「んだと、こら、やんのか、おいっ!」


 突如キレる一行。相当気が立っているごようすです。


「い゛、いえ! 大丈夫です! じゃ、はい、コレ!」


 ビビった遠藤家は、半泣きになりながら、それでも『受取書』だけはキッチリ書いてもらって、このヤバイ拾得物をお持ち帰りいただきました。


 一方、なんとか主君の首級を奪還し、ホッとひと息の井伊家サイド。

 ですが、まだ問題は山積み。


「で……どうする?」


 と、お櫃を手に家臣一同呆然自失。前代未聞の災難に全員メンタルもってかれました。


「あ、あのぉ……このままじゃなんだし、とりあえず首と胴体くっつけときません?」


 てなことで、藩医にチクチクさせ、布団に寝かせてみました。


 その後のことは公式記録には残っていないのですが、どうやら井伊家と老中のあいだでこっそり話し合いがもたれたもよう。


 そして、なんと、おどろくべきことが!

 死んでいるはずの井伊さんご本人から、幕府あてに、三月三日付で一通の公式文書が提出されたのです!


「今朝、通勤途中で襲われちゃいました~。あ、でもご心配なく。ボクが指揮して、軽~く討ち取りましたんで、全然OKで~す。でも、そのときちょこっとケガしちゃって、今日は欠席させてくださ~い」


「ありゃりゃ、それはたいへんでしたねぇ。いえ、幕政こっちのことはお気になさらず、ケガが完治するまでどうぞごゆっくりなさってくださいませませ」


 なんと、衆人環視の中で首級を取られたアレはなかったことになったのです!



 なにしろ、徳川幕府は武家政権。登城してお菓子をもらって帰るだけの儀式『嘉祥』やら、家康ヤッさんのレプリカ甲冑を拝見する『具足祝』の行事に参加するのも全部タテマエ上は『軍事』。

『常在戦場』なんです!


 そんな戦場で首級を取られる行為は、武士にとってあってはならない大々不覚!

 超~恥っす!

 なので、家名断絶&改易は必至!


 しかしこの場合、ことは井伊家だけじゃすまされません。


 襲撃犯の大部分を輩出した主家・水戸徳川家だって、一切お咎めなしつーわけにはまいりません。


 そもそもやつらの主張は、前藩主・斉昭公の丸パクリですから!


 しかも、井伊家は掃部頭に男子がいたにもかかわらず、後継者の登録申請をしていませんでした。


 てことは、井伊家は今回のような横死ではなく、たとえば病気による急死だったとしても、無嗣断絶でアウトな状況だったんですっ!


 かといって、井伊家を改易なんかしたら、ブチ切れた家臣団が水戸家になだれこむのは確実っ!


「いや、マジねーわ……頭、痛ぇ……」と、ご老中方もほとほとお困りになったことでしょう。


 そんなこんなで、カモンさんは死んでないことにされたのです。


 しばらくカモンさんの死を隠し、その間に遺児への相続手続きをやっちまおうという作戦だったのです。

(全然隠せてないっすけどね!)



 というわけで、大老さまはおケガによる療養休暇ということとなり、あちこちからおみまいのプレゼントが届くようになりました。


 もちろん、送る方も事情は承知のうえで、


「あの……朝鮮人参は身体にいいので差し入れですぅ」

(身体にいいって……もう死んでるし)


「これ、氷砂糖……甘いものでも食べて、ガンバっ!」

(食えねーから!)


「これ、今晩のおかず用の新鮮な魚ね。早くよくなってくださいね」

(魚じゃなく、遺体が腐りにくい発砲スチロール製巨大トロ箱、だれか差し入れてー!)


 このしらじらしいお芝居は、約二か月後の万延元年(いつのまにか改元してました)閏三月三十日、諸手続きが完了し、カモンさんの死亡届が提出されるまで続けられました。


 井伊さまは凶行に倒れたあとも、二か月近く生きていなければならなかったわけです。


 死後もいろいろご苦労された掃部頭さまに対し、つつしんでそのご冥福をお祈りしたいと思います(合掌)

うん、今回はちょっと応援ぽかった! よしよし!

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