老中首座・阿部正弘公
塩大福こと阿部伊勢守正弘さま――じつは岩槻とは縁のふかい御方です。
元和九年(1623年)
阿部宗家の初代・阿部正次が、五万五千石でこの地に入部。五代・正邦が宮津に移封となるまで、ここは阿部家のホームでした。
初代と三代・正高の墓がある浄国寺(さいたま市岩槻区)には、弘化年間に大福が寄進した二基の燈籠も残っています。
この寺にはほかに、二代重次(ガチホモ将軍家光公に殉死。もしや……?)の後室で、家康姪の墓もあり、三つ葉葵つきの由緒ある御寺です。
ということで、ごヒイキの塩大福ネタをひとつ。
登場人物:阿部伊勢守正弘 35歳 福山藩主 老中首座(通称:塩大福)
島津薩摩守斉彬 45歳 薩摩藩主(通称:ナリさん)
松平越前守慶永 26歳 越前藩主(通称:春嶽)
嘉永六年ころのお話。
塩大福と春嶽は、親戚でお友だち。
一方、大福とナリさんは親友かつ盟友。
太平の眠りをさますペリー艦隊来航で、国内は攘夷論が沸騰。
春嶽もご多分にもれず熱烈な攘夷派。
老中首座の大福に「ジョーイ!」一色の手紙をガンガン送りつける。
自分も攘夷派ながら、長年国政にたずさわってきたため、それが不可能だという現実を知りつくしている大福。
春嶽のあまりのしつこさに困惑し、思いあまって親友のナリさんに手紙で相談。
『あいつの言ってることももっともだけど、机上論ばっかで非現実的!
家臣の意見、そのまま言ってくるんだもん。
あいつ単純だから、熱くなって、そのうちなんかやらかすんじゃね?
そこんとこ、ちょっと言ってやってくんない?』
四賢侯のひとり春嶽さんについては、『阿部正弘事績』(閲覧のみ可の古い本で、謎の茶色い粉が出てきます)に、
「単純戇心(=がんこ・おろか)、言論を好む」と書かれています。
(……すごい言われよう)
さらに、
『だいたい世間知らずの学者の意見? 主戦論? いいね、お気楽で!
世界情勢みて、いまの日本の状況認識して、国民の安全考慮したうえじゃないと、戦争なんて簡単にできっこないだろ?
そこんとこで困ってんのに、あいつときたら』
というグチメールをもらったナリさん。
さっそく、春嶽の屋敷を訪問。
(やっぱ、ナリさん、フットワーク、軽っ)
「ということで、阿部ちゃんもいろいろ悩んでるんだし、ちょっと言い過ぎじゃない?」
それを聞いた春嶽さんは、なぜかななめ方向に怒り爆発。
「ってか、ボクと阿部ちゃんは親戚プラス友だちだからの本音トークだったのに。
あいつ、こっちには返事よこさないで、なんで関係ない薩摩守から説教くらわなきゃいけないの?
どーせ、あんたはガンガン交易したいから、そんなこと言ってんだろ!?」
以上、意訳ではありますが、事実です。
ナリさんと春嶽。
これを見るまでは、仲良く手をたずさえ『一橋派』なのかと思っていましたが、微妙な緊張感を感じませんか?
賢侯さんたちのイメージも……そこそこなお歳のわりに……。