15:28~初恋の赤いマフラー~優編
「昨日のテレビ何観たー?」
「アレアレ、お笑いの!」
「あぁ~。アレ面白かったかぁ?」
クラスの男子数人が朝の教室で、はしゃいでいる……のが教室の外からでも分かった。それくらい大声で笑っているのだから。
「はぁ……」
一息吐いて扉を開く。高校生活最後の一年――こんなに騒がしいクラスメイトと毎日一緒に居たら、私までいつかあんなんなっちゃいそう。……そう思うと、自然と口元が緩んだ。
ガララッ。
「あっ優、おはよー」
私が登校して来たのに気付いた友人の月島蒼が手を振ってこちらにアピールしている。蒼は小柄な子だからああやって手を大きく振っているところを見ると微笑ましくなってしまう。
ふふっ……席が前後だから手なんて振らなくても分かるんだけどなぁ。
「おはよう、蒼」
朝から心が和んだ私は、蒼の前の席に手提げ鞄を下ろし、季節感まるで無しの赤いマフラーを取った。
「優さ、いつもマフラー巻いてるよね。暑くないの?」
私が年中巻いている――流石に夏は巻いてないけど――このマフラー……昔はからかわれたりもしたけど、今では私のトレードマークみたいな物だ。巻いてる理由っていうのは恥ずかしくてあまり言えないんだけど……。
「暑くないよ」
本当は暑いけど……でもこれをして学校に来ると、不思議と寝癖が直ってくれる。朝直す時間も無いし助かってるんだよね。……まぁ、理由はもう一つあるんだけど。
「ねえ優」
しきりに話しかけて来る蒼に「んー?」と生返事をしながら鞄の中の教科書類を机の中にしまう。
「今日こそ好きな人、教えてよ?」
――バサバサッ。
私の手から滑り落ちた教科書が宙を舞い、床に何冊も落ちて行く。中途半端なページで開かれた教科書を拾おうともせず、私は叫んだ。
「ななっ、何言ってるの!?」
その声に、教室に居た全員の目が集中した。……あぁもう! 蒼が変な事聞くからぁ……!
「だってさーずっと訊いてるのに教えてくれないじゃん」
あからさまに頬を膨らませていじけて見せている。
確かに私は、蒼に幾度となくこの質問をされては回避して来た。自分の好きな人を言うっていうのは恥ずかしかったし。って――、
――ハッと我に返った私は慌ててしゃがみ込み、教科書を拾い始める。幸い折れ目が付くくらい酷い物は無かった。……っていうかこの子は何を訊いて……!
「そそそそんなの言わなくてもいいでしょ?」
拾い集めた教科書を乱雑に整えて机の上にドサッと積み重ねた。
「えー気になるから教えてよ」
「あのねぇ……!」
真っ赤になった私は、教室をぐるりと見回す。先程から騒いでいる男子グループに、宿題が終わっていなくてあたふたしている女子、教室の隅で一人座っている男子。誰もこちらの様子を気にしている人はいなさそうだ。
「聞いても……笑わない……?」
「笑わないよ」
おっとりとした蒼の話し方と、この質問から回避するのに疲れた為に思わずそう言ってしまった。……これじゃあ私、言う路線まっしぐらじゃない……。
小さく手招きをして、耳を貸してもらう。私はもう一度だけ周囲を確認してから、蒼にこっそりと好きな男子の名前を耳打ちした。
「ええー!! 杉――むぐぅ!」
「な、何叫ぼうとしてんのよ!?」
慌てて蒼の口に手を押し付けて黙らせた。
「むぅー! むぐぅ! ぷはっ……! あぁー死ぬかと思った」
「もう……」
――杉田冬馬君。それが私が恋する彼の名前だ。
杉田君は勉強も運動もできて、いつも周りに気遣いができる、とても優しい人。前に一度「マフラー似合ってるね」と爽やかな笑顔で言われて以来、次第にその姿を目で追うようになった。
……ちなみに、いつもマフラーを巻いている理由のもう一つが杉田君にそう言われたからだったり。
「全く……蒼、次同じような事したら――分かってるよね?」
「優、こっわーい」
二人で顔を見合わせて笑った。やっぱり私は、こうして友達と笑って誤魔化している方が似合ってるからなぁ。
――告白なんて、自分からはできないし。
☆★☆★☆★
三年生になって数週間が経った、ある夏の日。目まぐるしく回ったゆるゆる学校生活は、高校に入って三回目となる体育祭で一気に引き締まった。
クラスメイトは個人種目決めの頃から活気付いて、何とも良い雰囲気での体育祭になりそうだった。
ちなみに私の個人種目は男女混合四百メートルリレー。クラスでは私と蒼と、男子は佐々木君と宍戸君。佐々木君とはたまに話したりするんだけど、宍戸君はいつも教室の片隅に座っていて、一度も話した事が無い。
「男女混合四百メートルリレーに参加の生徒の皆さん~! こちらに集まって下さ~い!」
私達の種目の監修を勤める先生が手をメガホンのようにして叫んでいる。その声に反応した蒼が「行こう」と私のジャージの袖を引っ張る。
引きずられるようにして集合場所に辿り着いた私は、真っ先に他クラスの顔を確認した。
――杉田君は……いないか。
少し残念だったけど、まぁ……仕方無いよね。
☆★☆★☆★
そしてあっという間に体育祭本番の日はやって来た。
体育祭に向けての練習はクラスの垣根を越えて熱を増し、私のクラスも俄然としてやる気を出して練習に挑んだ。
一番の驚くべきポイントは、蒼までもがやる気になっていた事だ。蒼は普段、こういった行事にはあまり興味を示さず、程々に楽しむスタンスだったけど……今回は違うみたい。きっと最後の体育祭だからかな。
「頑張れー!!」
クラスメイトと一緒に、グラウンドを駆け回る男子リレーを応援する。みんなは同じクラスの相内君を応援している。――が、私だけは現在走者の杉田君をちょっとだけ応援していた。……ちょっとだけだよ!
『――次の種目は男女混合リレーです。参加する生徒は指定された待機場所へ移動して下さい』
アナウンスの声がグラウンド中に響いて、高揚感が一気に上がった。この日の為に練習して来たんだから、頑張んなきゃね!
蒼は委員会の仕事があって先に行ってしまっているから、私は一人で待機場所へと向かう。
ザッ……。
――その途中。前方から、この体育祭の練習で何度も見た顔が。
宍戸春君。同じクラスの男の子なんだけど……いつも一人でいて、交流する機会はこの体育祭が初めてだった。そんな彼が私に何の用かと、しばし待ってみる……と、
「頑張ろう」
目を逸らしながら、頬を染めて一言だけそう言った。
「あっうん。頑張ろうね」
私の返事を聞き終えた彼は、さらに頬を赤く染めて下唇を噛み締め、背を向けて歩き出した。……何だったんだろう? 応援してくれた……って事で良いのかな?
競技が始まって、グラウンドを走っている頃には――彼との会話は心の隅の方に押しやられていた。
☆★☆★☆★
そして暑くて熱かった体育祭は幕を閉じ――またもや、ゆるゆるとした生活に戻った。
夏から秋へと変わる季節。少しだけ人肌が恋しかったり……。
「優、帰ろー」
「うん」
教室から出ていつも通り、二人で玄関に向かう。高校に入って蒼と仲良くなってからは、ずっと一緒に帰宅を共にしている。……ほら、朝は私が遅くなっちゃうから申し訳なくて。
「いやぁ、今日も楽しかったねぇ」
蒼のお婆さんみたいな話し方が可笑しくて、ついつい笑ってしまった。私はくすくすと笑みを零しながら「そうだね」と言って、外靴に履き替える。
爪先を地面にコツコツと当てて整え、蒼が靴を履き終えるのを待った。学校で決められている茶色の可愛らしいローファー……蒼はこれを履くのがどうも苦手らしく、いつも履くのに手間取っている。
「履けた履けた。ごめんね」
あまりにも申し訳無さそうに謝って来るので、いつも「大丈夫だよ~」と軽く笑い飛ばしている。靴を履くのにちょっと時間がかかっただけなんだから……そんなに気にしなくて良いのになぁ。
まだ空が青いこの時間、通学路から見えるずっと向こうの山がとても鮮やかに見えた。
「ねぇ蒼、体育祭……楽しかったね」
「え? あ、うん。どしたの急に?」
少しだけ早足になって、「何となく」と答えた。
本当に何となく。気まぐれで言った事だったから……意図も無ければ意味も無い。
「優ってたまに意味分かんな――」
「――えっと……家、こっちだよね?」
「う、うん。ねえ本当に良いの? 家まで送ってもらっちゃって」
「良いんだよ、俺がそうしたいんだ」
急にすぐそこの十字路の左側から目の前に現れた、一組の男女。
二人は私達の存在なんてまるで気が付いた様子も無く、手を繋いだまま目の前を横切った。
そのまま二人が一直線に進むのとは対照的に、私の足は勝手に止まった。突然人が現れたから――ではなくて。
それが知らない女子と――杉田君だったから。
頭の中が真っ白になった。足を動かそうにも、どうにも体が動いてくれなくて。
「うわっ、ビックリしたぁ。急に出て来るんだもん……ってあれ? 優?」
胸が苦しかった。キュウッと絞め付けられるような、不思議な感覚。
「あちゃー……」
そんな私と、目の前を横切った男女を――杉田君と知らない子を見比べて、蒼はそう呟いた。
☆★☆★☆★
「っ……っ……!」
その日の夜。私は食事どころか水も喉を通らず……部屋のベッドで一人、声を押し殺して泣いていた。
(杉田君……彼女いたんだ……)
けれど、私の頭は思った以上に冷静に今日の事を整理していて。でも『杉田君には彼女がいる』、そう思うと涙がボロボロと溢れて来て……頭と体がちぐはぐになっている。
自分でもこんな気持ちは初めてだったから、よく分からない。けど――、
(――痛い)
胸が痛かった。その痛みを知ると同時に、ある一つの真実 に辿り着いた。
失恋。
そうだ……きっとこれは、失恋というものなんだ。そうなんだ……けど、失恋って何? 私は今まで『失恋』というものを字面でしか理解していなかった。
【失恋……恋を遂げられない事。恋に敗れる事。】
今回の杉田君に対する想いが初恋だった私は、初めて『失恋』を感覚で味わった。今まではずっと「辛いんだろうな」くらいにしか思っていなかった。
けど……自分の好きな人が、知らない子と手を繋いで帰っているところを目撃しただけで、こんなにも辛くなるのは何でなんだろう?
「恋なんてもう……」
したくない。と、本気でそう思った。――こんなにも苦しくて痛くて辛いなら、恋なんてしない方がマシだよ……。恋さえしなければ何も味わわない。
「……よしっ、終わり!」
小さく自分の決意を口にして、布団を被った。
初めて杉田君に「マフラー似合ってるね」と言われた時、凄くドキドキした。
それ以来、杉田君を追う私の目は特別な感情が篭っていて。
でもそれももう終わり。杉田君を見てドキドキする事だって……杉田君を目で追う事だってもうしない――。さようなら、私の初恋と赤いマフラー……。
☆★☆★☆★
次の日の朝、鏡で自分の顔を確認した時には我が目を疑った。
真っ赤に泣き腫らした目に、頭の方が赤くなっている鼻。髪はボザボザだし……最悪のビジュアルだ。ここまで酷いのはいつ以来だろう。……確か幼稚園の頃だったかな。
「はぁ………………」
長い長い溜め息を吐いて、ボサボサの髪に櫛を入れる。流石にお風呂には入っていたから絡まっているなんて事は無かったけど――いつもの寝癖は付いていた。
「行って来まーす……」
あのマフラーをして行こうか迷った。けど今日は少しだけ風が強いとの予報だったので――いつもとは違う赤いマフラーを巻いて行った。
「蒼、おはよう」
教室に着くなり、私は自席に座っていた蒼に話しかけた。蒼は私の顔を見るなり酷く驚いた表情をしていたが……私は構わずにいつもと同じ行動を取った。
「おっおはよー優……えっと……昨日は大丈夫だった?」
グサッと蒼の言葉が胸に突き刺さる。
「大丈夫だよ?」
なるべく平静を装ってそう答えた。……蒼だって悪気があってこんな事を訊いてる訳じゃないんだから。私の事を思って言ってくれてるんだから。
心の中では「その話は振らないでよ!」と思いながらも、当然そんな事を表に出せるはずも無く――。
――私の初恋は儚く散った。
☆★☆★☆★
よく晴れた錦秋の候。肌寒さがより一層増し、私のマフラーも周りから見て違和感が無くなる季節。
――もう杉田君を見ても何とも思わなくなった。その辺で言えば、私もちょっとは成長したのかな? なんて思いながら、一日の授業をこなす。
午後の授業が終わり、クラスメイトが口々に歓喜の声を上げて帰り支度をする。その流れに沿って私も帰る準備をしようと手提げ鞄を机の上に……出したところで――、
――ズイッ。
「え?」
ノートの切れ端のような物が、眼前に突き出された。一瞬何が起きたのか分からずに、それを差し出して来た人を見上げ、確認した。
「し、宍戸君?」
――体育祭の時に一度だけ声をかけてくれた、「頑張ろう」の宍戸君だ。
「………………」
宍戸君は無言で紙を突きつけて来たままで。……受け取れ、って事だよね?
紙を右手の人差し指の側面と親指の腹で挟んだ時――。
(……え?)
尋常じゃなく、震えていた。
反射的に宍戸君の顔を見ると――、
(っ――!!)
真剣で真っ直ぐな視線に……ドキドキした。……久し振りに感じる、この気持ち。
以前、杉田君に抱いていたのと同じくらいに熱い物が、お腹から湧き上がって来るような感覚に陥った。
宍戸君は私が紙を受け取ったのを確認すると、それっきり何も言わずに自席に戻った。――高ぶる気持ちを何とか押さえて紙を見やる。
今日の15に屋上に来てくれないか? 大事な話がある
15って……15時って事……だよね? 大事な話って……?
それよりどうして――――、
――――心臓、鳴り止まないの?
☆★☆★☆★
時刻は15時25分。私は屋上に続く階段を急いで上っていた。
呼び出しの時間に間に合わなかったのは、すっかり忘れていた進路相談があったから。
「はぁっ……はぁっ……」
どうしよう、宍戸君が先に帰っちゃってたら……。でも仕方無いよね……忘れてた私が悪いんだから。
「はぁっ……」
残り十数段となった階段を一気に駆け上がり、腕時計で時刻を確認した。
15:28
実に28分の遅刻。
進路相談中、私も私なりに色々と考えていた。……思い上がり過ぎだけど、もしも告白だったら……とか。
だって大事な話って、私にはそれくらいしか思いつかなかったし……。
宍戸君。もし、もしね? 告白なら、返事は……。
ギィィ……と軋む鉄扉を押し開ける――と、太陽なのか夕日なのか……微妙なラインの光に目を細める。
初めて来た屋上を見渡すと、周りはフェンスに囲われていて。フェンスの網目から窺える外の世界の見晴らしは最高だった。
「――いた」
フェンス越しにグラウンドを見下ろしている人影。私の声に気付いたその人はゆっくりと振り返る。
私もゆっくりと足を進めながら、考える。
宍戸君――――もしも告白だとしたら返事は……なんて、考えちゃいますよ?
今回は エイノ 様の描く『15:28~初恋のマフラー~春編』とのコラボ作となっております。
多少の食い違いはあるかと思いますが、演出ですのでお見逃しを。
それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。 儚夢