勇者と魔王の大決戦
遥かなる地の底、闇の果てに位置する魔王城。この地底世界、人間たちの言うところの魔界を統べる大魔王の居城であるそこは壮麗にして雄大。この世の富を掻き集めたがごとく豪奢な造りとなっていた。黒曜の壁は高く厚く、竜の牙をもはじき返す堅牢さ。その門は山をも動かす巨人ですら開くのがやっとという大きさで、この城の支配者たる大魔王の権力を誇示するようである。城の内部には一面、火鼠の皮よりあつらえられた最上級の紅絨毯が敷き詰められていて、そのうえでは金剛石を惜しげもなく使ったシャンデリアが煌々と輝いていた。人間の大国の王城が、あばら家に思えるほどの贅を凝らした城である。
しかし、魔王城はいま戦乱の渦中にあった。勇者率いる屈強な騎士団が門を突破し、城の内部へと攻め込んできていたのである。城を守る守備兵と騎士団との間で壮絶な戦闘が繰り広げられ、魔法の光と剣戟の金属音が城中に轟いていた。城のあちこちから濛々と煙が上がり、鉄と血の香りが辺りを漂っている。
「状況は悪いようじゃのう……」
城の最深部にある玉座の間。宙に浮かぶ水晶玉を見て、魔王は唸った。状況は人間側優勢で、防いでいる魔族はかなり分が悪いようだ。このままだとこの玉座の間に勇者たちが突入してくる時も近いだろう。彼は額に皺を寄せると、よっこいしょとばかりに立ちあがる。
「うっ、腰が……! やはりわしも歳か」
ピシッと鋭い痛みが走った腰を、魔王は思わずなでた。かれこれ彼も五百歳、人間よりはるかに長命の魔族といってもかなりの高齢である。とっくの昔に隠居していてもいいほどだ。というよりもむしろ、魔王という役職自体が年寄りの行きつく名誉職なのである。人間は魔族のことを力こそすべての野蛮な種族と考えているが、決してそうではなかった。逆に人間以上に礼節や長幼の序などを重んじる種族なのである。
ゆえに、最高位の魔王にはどれほど力があろうと若造は決してなることはできなかった。魔王というのはある意味長老制度のようなもので、過去に実績のある高齢の魔族から選ばれるのだ。この魔王も、純粋な戦闘力では魔族の中でも中位程度にしか過ぎないのだが、長年にわたる功績と経験を買われて魔王になった口だ。だから将軍たちをなぎ倒して攻めてくる勇者相手にどれほど戦えるのかは非常に疑問なのだが――やるしかない。魔族の代表である魔王は人間相手に逃げることなど許されないのだ。たとえ、名誉職であっても!
「いちッ、にッ、さんッ、しッ、ごーッ、ろくッ、しちッ、はちッ!」
サロン蓮の葉を背中に貼りつけ、全力で戦えるようにと精一杯身体をほぐす魔王。水晶玉の向こうでは、いよいよ勇者率いる軍勢が最後に残っていた将軍を倒したところであった。驚いたことに、勇者は今までの戦いを全て部下の騎士に任せて自身は悠然とたたずんでいた。白銀の鎧を全身に隙間なく纏い、目の前でどのような戦いが繰り広げられようとも微動だにしないその姿からは、尋常でない威圧感が感じられた。
きっと途方もない強敵に違いない。少し怖気づいてしまった魔王は愛用の赤蛇ドリンクを一気に飲み干した。そして今一度気合を入れるべく「わしは勝てる! 勝てる! 勝てる!」と大きく発声。それを済ませると再び玉座に腰掛け、できるだけいかめしい顔をして勇者たちを待ち構える。
遠くから足音が響いてきた。やがて玉座の間の扉が一気に押しあけられ、人間の騎士たちが躍り出てくる。彼らは魔王の方を睨みつけたが、攻撃しては来なかった。そして魔王の方をしきりに警戒しながらも扉を挟むように二手に分かれ、綺麗な剣のアーチを作る。勇者はその下をゆっくりゆっくりと踏みしめるように歩いてきた。
「来たか勇者よ! さあ我が力の前に塵となるがいい!」
魔王は手を広げ、玉座から立ち上がった。紅玉をあしらった闇色の杖を手にし、勇者にばれないように腰をいたわりながら部屋の中央へと進む。勇者もまた供の騎士から銀に輝く巨大な剣を受け取ると、魔王の方へと近づいてきた。
「消えろッ!」
気迫の割にゆっくりと振るわれた杖を、勇者の剣が受け止めた。しかし、酷くフラフラとしている。まるで、剣を持ち上げるのがやっととでもいうような状態だ。こちらの力を図っているのか――魔王は舐められたと思い、力を極限まで絞りだす。杖の動きが幾分か早くなった。すると勇者の剣もまたそれに応じるようにしてスピードが上がる。
勇者と魔王の戦いという割には低レベルすぎる戦いが、しばらく続いた。しかしここで、魔王の腰が再び痛み始める。貼っておいたサロン蓮の葉が剥がれてきてしまったのだ。思わず背中に気を取られて、隙だらけの動きがさらに隙だらけになる魔王。もはやそこらの魔物の方がましなレベルだ。それを勇者が見逃すはずもなく、一気に勝負が決まる――かと思われた。
「覚悟ッ!! ……ッうあ!」
魔王の首めがけて高く剣を振り上げた勇者は、そのまま仰向けに倒れてしまった。その拍子に兜がすっぽ抜けて、カランカランと遠くへ転がっていく。無防備な状態になった彼にとどめを刺そうと、魔王は杖を構えた。が、その顔を見て思わずそれを落としてしまった。
「勇者、お前もか」
髪は綺麗な白髪で、眼もとと口周りには深い皺。そう、勇者もまた魔王と同じような立場だったのだ――。