第六話 ライブハウス 2
いよいよ感動のステージ。瑤子は幸せいっぱいだった。
ライブは想像以上の盛り上がりで、ラリーの渋いギターもさる事ながら、ベーシストの指裁きに瑤子は圧倒されていた。リズム感といい、安定感といい、瑤子の好みのベーシストだった。彼女は完全に心を奪われた。
向かいの男性も、瑤子に負けず劣らず、大喜びでリズムに乗っていた。グラスビールを3杯ほど飲んで、ちょっとしたおつまみも注文していた。
「よかったらどうぞ。」
「あ、ありがとう。」
瑤子はビール以外には何も注文していなかったので、フライドポテトを少し分けてもらった。
途中でラリーが楽屋に戻った。ステージの上は、ドラムとベースだけになり、リズム隊のソロをこの上ない迫力で聴かせてくれた。開場はもう完全に大フィーバーだった。
再びラリーがステージに戻ってくると、あの有名な『ルーム335』を新しいアレンジで演奏してくれた。瑤子は感動で泣きそうだった。まだ学生時代だったあの頃の、懐かしい曲。『335』は彼女の青春だった。そして、この会場にいるほとんどのファンの人が、この曲を聴きながら感動しているはずなのだ。それくらい名曲中の名曲だった。
あっという間の2時間だった。帰りがけにラリーと握手できた。もう50歳をとうに過ぎたであろういぶし銀な彼に、大人の魅力を感じていたのは瑤子だけではないだろう。短く刈り上げた頭髪には、白いものが混ざり、演奏しながらタバコをくゆらせるその姿は、たまらないほどセクシーだった。洗い立ての白いオーバーシャツが、彼をますます素敵にしていると思った。そんな余韻に浸りながら、瑤子はゆっくりと会場を後にする。
「よかったですね、ステージ。」
「ほんとね。」
席を立ちながら、ちょっとだけ向かいの男性と言葉を交わした。静かに微笑むと彼は
「またね。」と言いながら右手を上げて、彼は瑤子より先にレジに向かった。
瑤子は(またねって・・・え?今なんて言った?)そんなことをふっと思い、一瞬戸惑いを感じた。でも、次の瞬間にはもうそんなことはすっかり忘れて、彼の後に続いてレジに並んだ。大勢の人の流れの中で、いつの間にかあの男性の姿はどこかにまぎれてしまった。
一歩外に出ると、ライブハウスのあの大きな箱の中での感動のステージは、まるで夢の中の出来事のように感じた。心地よい夜風は、何事もなかったかのように瑤子のそばを通り過ぎていく。そしていつの間にか人の流れも途切れ途切れになって、ますますライブハウスは遠くなり、瑤子は自分が現実の世界に連れ戻された気がした。
来週は横浜だ。もうチケットの予約は済んでいる。そんなことをふと考えながら、瑤子は駅までの道を一人幸せな気分で歩いた。
自宅にたどり着くと、時計はもう10時を回っていた。(そうそう、弘美はどうしたかな)携帯メールのセンター問い合わせをしてみるが、何も入っていなかった。一瞬変だと思ったが、別に特に気にかけることもなく、シャワーを浴びると冷蔵庫から缶ビールを一本取り出した。(今日はステージの余韻に浸って眠ろう・・・)ほろ苦いビールを一口飲むと、BGMにラリーのアルバムをかけて、瑤子は静かにベッドに腰を下ろした。
余韻に浸りながら、一人ベッドの上で缶ビールを開ける。今後、瑤子の周りに変化が訪れるなんて、知る由もなかった。




