第十一話 出会い、そして・・
弘美と矢崎の事が気になりながらも、予定通りライブハウスにやってきた瑤子。そこで待っていたのは・・?
瑤子はしきりに時計を気にしていた。完全にアウトだった。勿論、開演には間に合う。でも、この前の東京のように、良い席でラリー・カールトンを見るのはもう不可能に近かった。今日に限って上司に仕事を頼まれた。相変わらずいやな顔の出来ない彼女は、にこっと笑ってその仕事を引き受けた。
「ありがとう、西田さん、やっぱり君に頼むのが一番だよ。」
上司はそう言った。二つ返事で引き受けるので、『頼みやすい』のだろう。でも、おかげで会社を出るのが遅くなってしまった。せっかく用意周到に、早い退社を希望しておいたというのに。
弘美と矢崎の件もあるし、今日の瑤子はちょっと憂鬱な気分だった。電車に揺られながら、あれこれ考える。(嘘をついてるのはきっと弘美だ。矢崎さんは弘美に乗せられているだけ。ううん、違う、矢崎さんの心ももしかしたら・・・)
ふと気づくと、横浜駅を通り過ぎてしまっていた。少し慌てたが、急行は次のみなとみらい駅にも止まるようだったので、安心した。本当はみなとみらいで乗り換えて、次の馬車道駅で下りたほうが近いのだが、今日はいつもと違って、みなとみらい駅で降りると、すぐにタクシーを拾った。気が気ではなかった。時計の針は、もう5時半を過ぎていた。開演時間は6時半なので、5時から開場は始まっているはず。完全にあきらめムードだった。でも、仕事のある日は仕方のないことだった。休みの日は、もっともっと時間に余裕を持って来るのだが、なかなかうまくそういう日にぶつかることはない。
6時前に着くと、クロークで荷物を預け、すぐに会場に入った。想像通り、メインのアリーナ席はもういっぱいだった。かろうじて、サイドの喫煙席と後ろのカウンター席に空席があるだけあった。とりあえず、カウンター席を一つ確保すると、また再び会場内を見渡した。
アリーナ席のちょっと左よりのほうの席で、手を振っている人がいた。数ヶ所、2人、あるいは3人がけのラブチェアの用意してある場所があるのだが、その一ヶ所でその人は手を振っていた。あまり目の良くない瑤子には、それが誰なのかよくわからなかった。きっと待ち合わせの人なのだろうと、気に留めないでいると、その男性は、笑いながらカウンター席に座る瑤子のところへやってきた。だんだん近づくにつれて、その男性が自分のところにやってくるのだということと、その人は、この前の東京で顔を合わせたあのサラリーマン風の男性だということに、瑤子は同時に気がついた。
「やっと気がついたね。」
「あ、ごめんなさい、目が悪いの、それに、今日はお仕事お休みですか?この前と服装が全然違ってるわ。」
「あはは、今日は休みだったんだ。・・・ね、良かったら、こっちどう?」
手招きされながら、後からついていくと、とても良い席が一つ空いていた。にこっと笑い、瑤子に座るように目配せすると、係りの人に一人席を移動することを告げた。
とても良い席だった。前回の東京よりは少し後ろだが、横浜の場合、このラブチェアの席が、まっすぐステージに向いていて、ゆったりと寛ぎながらほぼステージ全体を見ることができる場所だった。でも瑤子は一瞬ためらった。そんな様子をすぐに見て取って、彼はおどけて言った。
「何もしません、僕を信じてください。」
その様子があまりにおかしかったので、瑤子はふっと笑いながら
「いえ、別にそんなつもりでは・・。ありがとう、じゃ、お言葉に甘えて、お邪魔します。」
そうして2人は少しゆったりとしたラブチェアに並んで座った。
いざ座ってみると、瑤子はやっぱり少し恥ずかしかった。でも、一番後ろのカウンター席に座るよりは、はるかにましだった。
すぐに係りの人がメニューを運んできたので、いつものようにハイネケンのビールを注文した。彼もそうした。
「遅くなりましたけど。」
そう言いながら、彼から渡された名刺には、こう書いてあった。
『岡崎探偵事務所〜〜 岡崎裕也』
「探偵さん・・ですか・・・。」
「はい!何かお困りなことでも?」
「あ、いえ、その・・珍しいなと思って・・。」
「まあね。良かったらあなたの名前も教えてくれませんか?」
瑤子はおかしさをこらえていた。岡崎は、なぜか話し方がユニークだった。自分でPCで作った名刺をバッグから取り出すと、瑤子は岡崎に渡した。渡してすぐに後悔した。なぜなら、その名刺には本名は勿論、電話番号やPCのアドレスが印刷してあり、初対面の人に渡すようなものではなかった。でも、もう遅かった。
「瑤子さんっていうんですか、いい名ですね。そういえば、作家に森瑤子さんっていましたよね、同じ字ですね。」
「ええ、そうなんです。」
そう言いながら、運ばれてきたビールを一口飲むと、瑤子はいつものように遠くを見つめた。
岡崎は言った。
「瑤子さん、何かあったの?」
「・・・え?」
瑤子は驚いて右隣に座る岡崎の顔を見た。
彼は、ビールを持って、瑤子のグラスにカチッと当てると、一口飲んで言った。
「寂しそうな目をしてるから。」
瑤子は無言だった。なぜか涙が出そうになるのをこらえた。
「どうしたの?俺でよかったら聞くけど。・・彼氏と喧嘩した、とか・・?」
また驚いてしまった。何を根拠にそんな事いうのだろうか。
「彼氏の心が読めない、とか・・?〜あ、わかった。彼氏が誰かに取られちゃいそう、とか・・でしょ。」
図星だった。いや、違うかもしれない、そうかもしれない。すべて、何の根拠もないことだった。でもあまりに瑤子の心配事をぴたりと読まれたので、つい彼女はビールを一気に飲んでしまった。
「まんざら違ってもないみたいだね。」
(どうして初対面の見知らぬ男にここまで言われなければいけないのだろう。)瑤子は腹が立ってきた。勿論、そんな素振りは決して見せやしない。
岡崎は自分もグラスを一気に飲み干すと、ビールのお替り二つと、チーズの盛り合わせ、それにポテトとサラダを注文した。
「今日のラリーはどうかな。東京と曲順違うのかな。この比較が結構楽しいものだよ、ね、そう思わない?」
「・・・そうですね。楽しみです。」
そう言って微笑んだが、さすがの瑤子も、無理に笑ったので顔が引きつってしまった気がした。そんな様子を悟られまいとして、咄嗟に目をそらした。
会場の明かりが落とされた。いよいよだ。ラリーたちが入ってくる。後ろのドアが開き、ドラマーを先頭に、ベース、ホーン・セクション、キーボード、そしてギターのラリーカールトンと、総勢7人が、軽やかな足取りでステージに上がる。そして、会場はもう大フィーバーだった。瑤子も岡崎も、完全にステージに釘付けとなり、大拍手を送っていた。
オープニングからもうノリノリで、かなりハイ・テンションの曲だった。東京では確か、最後にやった曲だ。もう最高だった。
岡崎も瑤子も、顔を見合わせて上機嫌だった。大喜びだった。2人とも、今日のステージのほうがラリーたちがノっていると感じたようだった。
途中でメンバーが楽屋に戻った。休憩タイムだった。岡崎から勧められて、瑤子はそのときにホッと一息ついて、サラダやチーズを食べた。とてもおいしい料理だった。ビールも3杯めをオーダーした。
ラリーたちは、すぐにまたステージに登場すると、雰囲気をガラッと変えて、スローなテンポの曲を演奏した。曲名まではよく覚えていなかったが、よく聴くナンバーに、二人は酔いしれていた。
もう、あっという間の2時間だった。2人は余韻に浸っていた。1stステージだけではなく、2ndステージも続けて見たかったが、席を予約していないので不可能だった。二人とも同じことを思っていた。
「ね、今度2ndステージも続けて見に来ない?」
岡崎は瑤子を誘った。
「それも良いわね。是非今度。」
二人は笑いながら、席を立った。
「送っていくよ。」
「え・・?じゃ・・駅までお願いします。」
「OK!」
ステージの熱気がまだ全然さめない状態の中、2人は興奮したままレジに並んだ。その時はまだ2人とも、このあと、どんな事が待ち受けているかなど、まるで予想もしていなかった。ただ、後ろ髪を引かれながら、熱い熱いライブハウスを後にした。
思いがけず、瑤子は岡崎という探偵と出会う。そして、新しい何かが始まる。果たして2人を待ち受けているものは・・・?