第一話 プロローグ
瑤子はため息をついた。どうしてこうも疲れるのだろう。家に帰り着くとほとんど毎日だった。ソファーに深く座り込んだまま、そこからなかなか起き上がれない。何も考えずにぼーっと空中を見つめる。体の力がだんだん抜けていき、心の中が空っぽになる。もう何も聞こえない。何も目に入らない。このまま眠ってしまいたいと思いながらも、頭の真ん中が妙に覚醒している。こんな時は、自分の意思というのが、まるで何の役にも立たないものである。
「おはようございます。」
「おはよう。」
朝の挨拶の時も瑤子は笑顔を忘れない。いつも、誰に対しても、公平に分け隔てなく接した。そんな彼女を嫌う人は、社内に一人もいなかった。特に同僚からは絶大な信頼を得ていた。
「瑤子さんってやさしいわよね。」
「あら、そんなことないわよ。」
「矢崎さんも幸せね、瑤子さんみたいな恋人がいて。」
「そんな風に見える?実際は別にそんなことないのよ。」
瑤子の周りには、いつも人がたくさん集まってきた。彼女は周りに気を使わせないのだ。
「ねえ、ちょっと聞いてよ。部長ったらね・・・・・まったくもう頭にくるったらありゃしないわ!」
そんな文句にも、瑤子は
「うんうん、そうなの、そうなの、それは大変だったわね・・・」
という具合に親身になって耳を傾ける。すると決まって相手の顔に笑顔が戻る。そしてみんな言うのだった。
「瑤子だけよ、私の気持ちわかってくれるの。」
3歳年上の矢崎は、そんな瑤子にいつも言うのだった。
「君はこんな会社さっさと辞めて、カウンセラーにでもなったほうがいいんじゃないか。」
勿論、悪い意味ではない。瑤子の素質を見抜いての、恋人の言葉だった。
「やだな、そんな難しい仕事、私にできるはずないじゃないの。」
瑤子はさらっと答えた。でも、本気でそう思っていた。(こんな私に、そんな難しい仕事できるはずないでしょ・・)
本当の自分。それは恋人の矢崎にさえわかってもらえていない。(本当の私はそんないい人なんかじゃないのよ・・)
時々瑤子は、ため息をついては決まって遠くを見つめる。でもそんな様子も誰にも気づいてはもらえない。勿論、そばにいる矢崎にさえ、まるで気づいてはもらえなかった。