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第14話 王都の小さな部屋

王都で与えられた部屋は、小さかった。


窓は高く、外は見えない。

家具は最低限。

壁には装飾も絵もない。


ここは居室というより、保管庫に近い。


アイリスはそこに“収められた”。


王の命令による再教育は、翌日から始まった。


担当になったのは、ニミッツ女史。


背筋の伸びた中年の女性で、声は低く、笑わない。


「ここでは、貴族としての振る舞いだけを学びます」


最初に告げられた言葉だった。


朝は姿勢訓練から始まる。


立ち方。

歩き方。

椅子の座り方。


スプーンの角度。

視線の高さ。

礼の深さ。


すべてが“規格化”されていた。


間違えれば即座に指摘される。


「顎が上がっています」

「歩幅が広すぎます」

「考える前に動きなさい」


考える前に。


その言葉は、胸に残った。


ニミッツ女史は言う。


「貴族は即応性です。思索は後」


本は、すぐに没収された。


「不要です」


理由の説明はない。


図書館魔法の媒介になり得るものは、すべて遠ざけられた。


アイリスは何も言わなかった。


抵抗しても、ここでは意味がない。


日々は単調だった。


礼法。

舞踏の基礎。

宮廷語の言い回し。


すべてが“外側”の訓練。


内側には、触れさせない。


夜、ベッドに横になると、胸の奥が静かに冷える。


(……これは、矯正だ)


教育ではない。


修正だ。


前世で見た“適応訓練”と同じ構造。


個性を削り、規格に合わせる。


アイリスは整理する。


怒り。

悲しみ。

諦め。


棚に戻す。


泣かない。


泣いても、何も変わらない。


画像

そんなある日、付き人の一人として新しい少年が配属された。


痩せた体。

少し古い制服。

礼は丁寧だが、どこか不器用。


没落貴族の四男。


名はロイド。


最初は視線を交わすだけだった。


だが、ある夕方、アイリスが窓際で黙って外を見ていると、ロイドが小さく声をかけた。


「……本、お好きですか」


アイリスは一瞬迷い、頷いた。


ロイドは周囲を確認してから、制服の内側から薄い冊子を取り出した。


擦り切れた小冊子。


政治経済の入門書だった。


「捨てられる予定のものです」


それだけ言って、そっと渡した。


アイリスは受け取った。


指先が、わずかに震えた。


その夜、布団の中でページをめくる。


久しぶりの活字。


胸の奥で、何かがほどけた。


それから二人は、隙を見て本を回した。


倉庫の陰。

洗濯場の裏。

夜の回廊。


短い時間。


声は出さない。


ページだけが会話だった。


ロイドは労働者階級の窮乏について語り、

アイリスは社会構造の話をした。


彼は真剣に聞いた。


彼女は丁寧に説明した。


それは恋ではなかった。


同志に近い。


同じ場所に押し込められた者同士の、静かな連帯。


そのころ、父レイモンは文部卿に就任していた。


国内だけでなく、属国の教育制度まで任され、王都と各地を行き来する日々。


屋敷に戻ることは、ほとんどない。


領地の経営は長男と正妻マリーに委ねられた。


結果は、惨憺たるものだった。


重税。

小作の締め付け。

使用人の切り捨て。


畑は荒れ、倉は空き、人々の顔から笑みが消えた。


家来たちは不満を溜め、住民は静かに怨嗟を積み上げる。


アイリスの耳にも、断片的な報告が届く。


彼女は整理する。


原因。

構造。

責任の所在。


だが、手は届かない。


王都の小さな部屋から、領地は遠かった。


母アリスの訃報が届いたのは、アイリスが十歳になる直前だった。


短い文面。


「静かに、眠るように」


それだけ。


アイリスは一人で椅子に座り、その紙を見つめた。


泣かなかった。


声も出なかった。


胸の奥に、空白が生まれた。


母は、最後まで娘を案じていたと、侍女が教えてくれた。


それだけで十分だった。


アイリスは夜、窓のない部屋で天井を見つめる。


(……守れなかった)


自責が浮かぶ。


すぐに分類する。


これは感情。


これは現実。


母はもういない。


だが、自分はまだここにいる。


十歳。


本は奪われ、自由もない。


父は遠く、領地は荒れ、母は逝った。


それでも、ロイドがいる。


隠れた読書がある。


思考は、まだ奪われていない。


小さな司書は、胸の奥で静かに誓う。


必ず学びを取り戻す。


必ず、この構造を読み解く。


必ず、棚を組み替える。


王都の小さな部屋で、未来は静かに積み上がっていた。



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