第11話 教会の白い床
王都郊外の大聖堂は、朝の霧の中に沈んでいた。
白い石壁。
高い尖塔。
重たい扉。
アイリスは馬車を降り、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
八歳。
この国の貴族にとって、選別される年。
ミグリーが隣で小さく言う。
「床は滑ります。歩幅を小さく」
アイリスは頷いた。
もう転ばない。
姿勢は、身体に染みついている。
大聖堂の内部は、音が吸われるように静かだった。
白い床に、色のない光が落ちている。
同じ年頃の子どもたちが、一定の間隔で並ばされていた。
正装。
強張った顔。
泣きそうな目。
アイリスは列の端に立つ。
周囲の魔力の揺らぎが、はっきり分かる。
(……不安定)
多くは未成熟。
回路がまだ固まっていない。
祭壇前に、白衣の聖職者たちが並ぶ。
その中に、ひときわ冷たい視線を持つ男がいた。
高位司祭イグナス。
後に大司教となる人物。
彼は淡々と告げた。
「これより、適性判定を行う」
声に温度はない。
番号で呼ばれ、子どもたちが順に円陣へ進む。
魔力測定。
集中試験。
精神反応。
それは儀式というより、検査だった。
画像
アイリスの番が来た。
白い円陣の中央。
司祭が水晶盤を掲げる。
「名前」
「アイリス・エンゲルス」
「年齢」
「八歳」
水晶が淡く光る。
「集中しなさい」
アイリスは目を閉じた。
呼吸を整える。
ヘルメスの言葉が、内側で静かに展開する。
上なるものは下なるもののごとし。
内なるものは外なるもののごとし。
魔力は放つものではない。
配置するもの。
胸の奥の回路を、そっと開く。
一瞬、空気が変わった。
水晶盤の光が、明らかに強くなる。
司祭たちがざわめいた。
「属性反応が……違う」
「火ではない」
「水でも風でも土でもない」
別の司祭が困惑気味に言う。
「光……でもない。闇でもない」
イグナスが一歩前に出た。
「……思考型だ」
彼の声は低かった。
「純粋魔力ではない。
構造干渉型だ」
続く精神反応試験。
幻影。
炎。
崩壊。
泣き叫ぶ群衆。
多くの子どもは動揺する。
アイリスは動かなかった。
彼女の内側には、すでに棚がある。
恐怖。
悲嘆。
混乱。
一つずつ分類し、戻す。
司祭の一人が呟く。
「感情処理が……早すぎる」
水晶盤に新たな紋様が浮かび上がる。
文字列のような、階層図のような。
王室魔法顧問官が眉をひそめた。
「これは……管理系」
イグナスは不快そうに言った。
「図書館型だな」
その瞬間、空気が変わった。
図書館型魔法。
記録・整理・配分・回路設計。
極めて稀。
戦闘向きではない。
だが、国家運営に直結する属性。
従わせにくく、消しにくい。
扱いづらい。
イグナスの目に、はっきりと警戒が宿る。
判定は短かった。
「高適性。
王都教育枠」
しかしその後、通常なら終わるはずの儀式が続かなかった。
顧問官が低声でイグナスに言う。
「この属性は、王室案件です」
イグナスは頷く。
「カンタベリーへ連絡を」
子どもたちは控室へ下げられた。
アイリスだけが、別室に案内される。
そこには王室魔法顧問官と、教会側の最高位――カンタベリー大司教の代理が待っていた。
短い協議。
結論は早かった。
「これは危険か?」
「いいえ。
ですが“独立思考型”です」
「管理可能か?」
「……困難です」
「なら?」
沈黙。
そして大司教代理が言った。
「国王へ直接報告を」
それで決まった。
夕刻。
レイモンが呼び出され、大聖堂に駆けつけた。
王室魔法顧問官は淡々と説明した。
「お嬢様は、四大属性でも光闇でもありません」
レイモンの表情が固まる。
「図書館魔法と呼ばれる極めて希少な型です」
レイモンは娘を見る。
アイリスは静かに立っていた。
顧問官は続ける。
「国王陛下が、お会いになりたいと」
それは要請ではない。
命令だった。
帰路の馬車。
レイモンは窓の外を見つめたまま言った。
「……王城へ行く」
アイリスは頷く。
もう分かっている。
選別は終わった。
次は運用。
母の顔が浮かぶ。
領地の畑。
図書室の奥。
ヘルメスの頁。
すべてを胸にしまう。
小さな司書は、背筋を伸ばした。
教会は驚き、王室は計算し始めた。
そして彼女は、王の前に立つ。




