表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/21

第10話 八歳の門――ヘルメスの頁

魔力の制御は、思っていたよりずっと地味だった。


光も、雷鳴もない。


あるのは呼吸と集中だけ。


ミグリーは椅子に腰かけ、淡々と言った。


「魔力は“出すもの”ではありません。

流れを“感じるもの”です」


アイリスは床に座り、両手を膝に置く。


背骨を立てる。

肩の力を抜く。

息を数える。


父の書斎で叩き込まれた姿勢。

幼いころから続けてきた基礎。


胸の奥に、細い水脈のような感覚が生まれる。


背中。

腕。

指先。


そこを、静かに通す。


紙片が、ほんの一瞬だけ浮いた。


成功と呼べるほどではない。


だが回路はつながった。


ミグリーは小さく頷く。


「十分です」


魔法とは奇跡ではない。


反復だ。


図書館と同じ構造だった。


領地の様子は、相変わらず厳しかった。


帳簿に並ぶ数字は、正直だ。


小作人の納入量は減り、修繕は先送りされ、正妻棟の支出だけが増えている。


マリーは新しいドレスを広げて言った。


「王都では見栄えが大事ですもの」


その“見栄え”のために、何軒の農家が土地を失ったか。


アイリスは知っていた。


だが言えない。


八歳にもならない子どもに、発言権はない。


代わりに記録する。


誰が削られ、誰が守られているか。


兄チャーリーは馬房で苛立ちをぶつける。


ララは母の隣で礼儀作法を磨き続ける。


二人とも、この壊れかけた家の中で、自分の位置を探している。


アイリスには分かっていた。


ここはもう、限界だ。


そして、自分の誕生日が近づいていた。


八歳。


この国の貴族にとっての境界線。


教会での選別の儀式。

王都屋敷でのお披露目。


魔力の質。

適性。

性格。


すべて測られ、進路が決まる。


貴族社会の入口。


準備は淡々と進む。


礼服の採寸。

礼の反復。

基礎魔法の確認。


ミグリーは言った。


「緊張しなくていい。

ただ、あなたでいなさい」


簡単で、難しい言葉だった。


その夜、アイリスは一人で図書室にいた。


高い棚の影。

小さな椅子。


“図書館魔法”の設計書の横に、別の古書を見つけた。


分類もなく、革装丁も擦り切れている。


題名は簡素だった。


《ヘルメスの書》


アイリスは静かに頁を開いた。


そこに書かれていたのは、呪文ではなかった。


世界の写し方だった。


――上なるものは、下なるもののごとし。

――内なるものは、外なるもののごとし。


アイリスの呼吸が止まる。


魔力回路。

知識の階層。

社会の構造。


すべてが同型だと、瞬時に理解した。


貴族と領民。

中央と外縁。

書架と閲覧席。


魔法とは力ではない。


配置だ。


アクセス権だ。


制御とは、遮断ではなく設計。


彼女の中で、何かが完全につながった。


図書館魔法は、魔導体系ではない。


運用理論だ。


世界をどう整理するかの思想だった。


妖精の声が、胸の奥で静かに響く。


“そこまで来たね”


アイリスは本を閉じた。


指先が震えている。


怖さと同時に、確信があった。


(……私は、管理者側の人間だ)


支配ではない。


保守でもない。


循環を設計する側。


画像

前世の記憶が、静かに重なる。


就職活動。

書類選考。

面接。


「今回はご縁がありませんでした」


理由は告げられない。


選別される側だった自分。


今も同じだ。


ここでも選ばれる。


ただ一つ違う。


今回は、構造を知っている。


そして準備がある。


母アリスは病床で細く息をしていた。


アイリスは手を握る。


温度はある。


でも弱い。


「王都へ行くのね……」


母は目を閉じたまま言った。


アイリスは頷く。


「あなたは……大丈夫。

ちゃんと、自分で立てる」


それは祈りだった。


アイリスは母の額にそっと触れる。


(守る)


短く、心の中で誓う。


翌朝。


最後の魔力訓練。


紙片を浮かせる。


一瞬。


だが確実に。


ミグリーは言った。


「あなたはもう、準備完了です」


アイリスは深く息を吸う。


八歳。


選別の年。


王都への道。


怖くないわけではない。


でも、逃げない。


小さな司書は背筋を伸ばした。


棚の外へ出る時が来た。


ヘルメスの頁は、胸の中にある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ