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記憶の町

作者: エンゲブラ

陳腐な表現になるが、それはあり得ない光景だった。

もう記憶の中にしか存在しないはずのそれが、突然、目の前に現れた。


夢か、うつつか。

私は、しばらく、その場に立ち尽くすこととなった。



昔住んでいた街をひさしぶりに歩いた。

もう、今はだれも住んでいない、空き家となっている生家を訪問するために。


街の景色は、大きく様変わりしていた。

中には、懐かしい家屋もあったが、表札に書かれた氏名が変わっていたり、すべては「遠い過去」となっていた。


電気も点かない生家では、懐中電灯を使い、目的の荷物だけ持ち出し、さっさと退散。あとはしばらく、近隣を散策してみることにした。


かつて通った小学校は、マンションに建て替えられ、向かいの文具店は、喫茶店に。そろばん教室は、コンビニエンスストアに代わり、プラモデル屋は、新しい住宅に変わっていた。


(……ほんの二十~三十年で、ここまで景色も変わるものか)


溜息が出た。

思い出の景色が、知らない景色に塗り替えられ、ふるい友人たちの死を告げられたような気分にもなった。


葬儀の帰り道で立ち寄る、また別の葬儀。

葬儀のはしごを続けながら、「お、お前はまだ生きていたのか!」という、昔から古かった乾物屋を見かけた。主人は代替わりしているようだが、今も「過去から繋がる物語」があるその風景は、悪いものではなかった。


―― そして、事件が起こった。

冒頭に戻る。


少し肩を落としながら、歩いていたふるい町。

ふと、視線を上げると、そこに「銭湯」があった。


○○湯。

もちろん、記憶にもある銭湯だが、絶対にありえない。

それはまだ、私がこの町に住んでいた頃に、取り壊されたはずの、記憶の中にしか存在しえない銭湯だったからである。


試しに、のれんをくぐる。

たしかに、記憶そのままの景色だ。

しかし、これはあまりにも「鮮明」に過ぎる。記憶どうこうのレベルではない。


ポケットを確かめる。

先刻、自販機で崩したばかりの小銭が、何枚かある。

料金表を確かめる。

よし、大昔のままの料金だ。


引き戸を開け、番台を見る。

そこには、三十年近く前に亡くなったはずの見覚えのある主人が座っていた。


私は、番台に百円玉を並べた。

主人は、無言でお釣りを差し出した。


私は、呆然としながらも、ゆっくりと脱衣所に歩を進めた。


「あっ、ちょっと、そこのお兄さん!」


番台の方から声がかかり、ギクリと立ち止まる。

ひょっとしたら百円玉の年号を見られたのだろうか?

もしも<令和>の年号なんかが混ざっていたら、硬貨の偽造を疑われるだろうから、入る前に除外したはずだが……。


「手ぶらで来たの?それなら貸しタオルと使い捨ての石鹸があるけど、どうする?」


大量の冷や汗をかきながら、私は作り笑顔で、うなずいた。



湯船につかりながら、考え込む。

ここがいったい何なのかを?

単純にタイムスリップと考えるのは、さすがにファンタジーに過ぎる。私は町の散策途中に事故に遭い、ひょっとすると今、昏睡状態で<過去の夢>でも見ているのではないのか?


ほほをつまむ。

感触はあるが、どうにも朧気おぼろげにも思える。

湯船で向かい合う小さな少年が、こちらを見つめながら、ニコリと笑う。


「おっちゃん、どこからきたひと~?」


なつっこい少年。

よく見ると、アルバムの中で見る昔の……自分?

こどもを放置し、一所懸命に頭を洗っている向こうの男は、ひょっとして十年前に死んだ、うちの親父か?


しばらく呆然と眺めた後、何とも言い難い感情が、一気にこみ上げて来て、私は俯きながら、肩を揺らしながら、湯船で泣いた。



さて、どうしたものか。

問題は、これからだ。


私は、脱衣所で鏡に映る自分を見つめながら、答えの出ない答えを探すこととなった。いったい、この後、私はどこにいけばいいのか?


生家に戻るにしても、あそこにはきっと、そこで走り回っている少年と、死んだときより、少し若い親父が帰るに違いない。


「未来から来た○○です」なんて言葉を鵜呑みにしてくれるような家族ではない。頼るべき相手も思う浮かばない。


ふと思い出し、ポケットからスマホを取り出した。電源を入れようとするも、どうにも反応がない。


「おっちゃん、それなに~?」


少年時代の私が、腰にまとわりつき、スマホを触ろうとする。


私は、私の頭を撫で、愛想笑いをする。


「あー、すみません、何度も。うちの坊主が」


若い親父が、私を引きはがし、頭を下げる。


どうしたものか……事情を話すか?


いや、それは無意味だ。

むしろ、過去が書き換えられてしまう可能性がある。

いや、そもそも、ここは本当に私自身の過去なのか?

いや……。



ゲタ箱から靴を取り出し、のれんから表に出る。

外の景色は ―― 完全に大昔の記憶のそれにまで巻き戻されていた。


……詰んだ。

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― 新着の感想 ―
段々失われていく記憶の大切さを気づかせてくれました! 忘れるからこその物もありますよね。(*´ω`)
こういう話も良いですね~。 私なら親孝行をするかな。 現実で望めなくなった分、父と飲み明かしたいですね〜。 (*´ω`*)
つっ詰んだ!?? 実体験かと思って、ちょっとうるっときていたんですが!!でも実は半分くらいはエンゲブラさまの実体験かなと二角は信じております。 昔の良い思い出は、時に現実より美しいものです。 下手に更…
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