10 『天使』の希望と絶望。
「私に魔法の才能があるとわかれば、地獄が悪化するとわかりきってた。だから、私は死に物狂いで魔塔まで逃げ込んだの」
地獄。そこは『ミューチャー伯爵家』を指しているとわかった。
自嘲的な笑みの『天使様』を見て、言葉を失う。
「物心ついた頃にはもう、妹の方が愛されていると幼子でもハッキリわかってた。両親はひたすら妹を甘やかして可愛がっていたわ。でも妹はそれだけじゃ満足しない貪欲な子でね。両親が私に関心を寄せることすら嫌がっては阻止して、両親と過ごす時間も愛も奪っていった。私に与えられた誕生日プレゼントさえ、”ちょうだい”って言って、拒めば泣いて両親に”おねえさまがイジワルする”と言いつけたの。私が意地悪をしていたわけじゃないって見ていて知っていたくせに、両親は私を叱って”姉なんだから妹にあげなさい”って言ったのよ。理解出来る? 私にはとても理解出来なかったわ。誕生日プレゼントを譲るって何? 私が生まれた祝いの品を、他でもない親が渡せって言うの。意味がわからなかったわ」
オレだって、理解出来ない。でも、『天使様』は明確な答えを求めてなんかいなかった。
「意味のわからない家族を目にして、その瞬間、悟ったわ。”この家族には、私に注ぐ愛情など持ち合わせていないのだと”」
……なんて、残酷。
物心がついたばかりの小さな女の子が、自分の誕生日に思い知ったこと。酷い。
「妹は、なんでもかんでも奪っていった。可愛い娘のために、両親はなんでも与えたわ。私から取り上げては、妹に差し出す。一人ぼっちの私を憐れんで、優しくしてくれる使用人もいたけれど、その度、妹は泣きついては”おねえさまより、ルヴィーにかまって”って気を引くの」
それを聞いて、ビクッと肩を小さく震わせた。
「何?」と、見逃さなかった『天使様』が首を傾げる。
「あ、いえ……その……事件の時…………『あの悪女』が自分を”ルヴィー”と呼んでくれって、言ってた気がしたので……泥酔していて、意識が朦朧としていたので、断言出来ません。エヴェをエスコートしてきたので、当然エヴァだと思って、ずっと呼んでいたら、”エヴァと呼んでいい”って言ってました……」
申し訳なくて、隣のエヴァを見たけれど、気にしなくていいと小さく首を振るエヴァに手を握られた。
……ごめん、ありがとう。
「間違いなく、妹ね。六歳まで、だったかな。一人称は”ルヴィー”だったし、両親や虜にしていた使用人達にはそう呼ばせてた」と、『天使様』が決定打だと頷いた。
オレを襲ったのは紛れもなく『天使様』の妹と確定し、エヴァの手に力がこもった。
痛いよ、エヴァ……。
「シルの愛称は?」と、公爵様が話の流れで、『天使様』の愛称を問う。
「私にはありません。強いていえば、シル? 今はこれで私の名前ですけど。ほら、『シシルヴィア』と『シエルヴィア』で、愛称が『ルヴィー』になるじゃないですか。だから、妹は私には『ルヴィー』呼びを禁じましたね。”おねえさまとおなじになっちゃう”とか言って。誰も呼ばないのに何が同じか、わかりませんが、また難癖付けられても嫌だったので、普通に名前で呼びましたね」
うん。意味がわからない。
「妹の趣味? というか、楽しみだったのでしょうね。私から愛情を奪っていき、自分が得ることに優越感を覚えるという。妹が泣きつき阻止していくから、私の部屋には誰も来なくなった。家庭教師も、使用人も、もちろん、両親さえも。孤立したわ。領地は小さくてね、領民の子達もシエルヴィアが泣いちゃうから、私に構っちゃだめだって避けちゃって。こっそり果物をくれた人を、ご丁寧に目撃者がシエルヴィアの耳に入れて、大泣きしては罰を与えさせたの。変でしょう? お腹を空かせた令嬢に、果物一つ与えただけで、領民を罰した。おかげで、掃除されていない自分の部屋にこもったわ。他の誰かが、犠牲になるのが怖くて」
忌々しそうに顔を歪ませては、肩を竦めて見せる『天使様』。
いやそれは怖い。孤立したんだ。そこまで追い込まれたら、幼い子にはもう、それくらいしかない。
「暖炉の火もつけてもらえない寒い冬の日。このまま凍え死ぬか、飢え死ぬか。どっちだろうって、もう死の末路が間近だって思ってた。もうシエルヴィア達の家族団らんの声なんて、遠い世界みたいに関係なかった」
過酷だ。幼い子には、過酷すぎる幼少期だ。普通なら蝶よ花よと大事に育てられるはずの令嬢が……。
すでに『天使様』は、死を覚悟していた時期があった。
いや……生きることを諦めていた時期があったんだ。
目の前が滲みそうになった。戦場で”生き残れ”と言い放った『天使様』。重さが、違ってくる。
「せめて、時間を潰す読書が出来るように、寒さで震えて上手くページが捲れないことを改善したくて、暖炉にちょっぴりだけ火がつけばいいのにって。魔法出ないかなって、試しに念じたら、ポッとついたの。小さな灯火は……希望だった」
魔法の才能の発覚が、これまたすごいエピソードだ。普通は”出ないかな”ってノリでは出ない。本当に才能がある人だけだろう。
でも、ホッとした。過酷な環境下に孤立した女の子が希望を見付けたと。
「同時に絶望だった」
身体を強張らせてしまう。
え? 絶望? 希望であり、絶望?
「妹が知った反応なんて、わかりきっていたから」
「「あっ……」」
エヴァと一緒に小さくか細い声を漏らす。
そうだ。妹は、何もかも奪う。『天使様』から奪わずにはいられないかのように。
「妹なら絶対”ちょーだい”って手を差し出す。もらえるのは当たり前って笑顔でね。そしてもらえないとわかると大泣きするのよ。泣きつかれた両親は私を叱る。魔法の才能をあげるなんて、不可能。だから、シエルヴィアにない才能を持っていることを責める、なんで譲らないのかと無理難題を責める、最終的には”お前が生まれてこなければ、ルヴィーが魔法の才能を持って生まれただろうに”って言い出すところまで想像出来た」
……酷いっ。酷すぎるっ!
他でもない両親がそんな言葉を出すと想像が出来てしまうほどに、追い込まれたなんて!
怒りに震える手を、エヴァが包んでくれる。エヴァも怒りを堪えて、唇を噛んでいた。
「だから、私は賭けに出た。地獄に居続けるか、抜け出すか。魔塔なら、まだ生き残る希望がある。私は思いつく限りで出来る準備をして、家を出て、『ミューチャー伯爵領』から出て、魔塔までがむしゃらに死に物狂いで駆け込んだ。賭けには、この通り、勝って、生きている。『シル』としてだけど」
――――強い。
やはり、この人は、きっと魂から強いんだ。
そんな過酷な幼少期を生き抜いて、希望の光を掴んで、戦場もオレ達を助けてくれて生き抜いた。
尊敬の心が強まったせいか、また『天使様』が眩しく見えた。
「魔塔の扉叩いて、開いた瞬間に”下積みでいいからここにいさせてください!”って言って、倒れたらしい」
「「倒れた!?」」
「とっくに限界は超えていたし、魔塔がゴールみたいなものだったからね。よく覚えてないや。起きたら、若い男性がベッド脇にいて、おかゆを食べさせてくれながら、話を聞いてくれたの。それが魔塔主様だったから、びっくり仰天よね。だって20年は魔塔主を務めているって常識で知っていたから、もっと年上かと思ったのにって」
魔塔主様におかゆを食べさせてもらったことに、目が点。そりゃあびっくり仰天だよね。
「それで、魔塔主様は、魅了の魔法を危惧したの」
「「「「魅了の魔法!?」」」」
そこには、公爵様もずっと黙って聞き手に徹していた補佐官も食いついた。
おとぎ話級の魔法! 人を虜にして操る魔法! 禁忌の魔法じゃないか! でも、それだと、納得か!?
『天使様』は公爵様と顔を合わせては、落ち着けと掌を見せては首を振る。
「魔塔主様自ら確認したから間違いなく、魅了の魔法ではなかった。むしろ、『ミューチャー伯爵家』には魔法のまの字の気配もないって呆れてたわ。そもそも魅了の魔法の対策は大昔にされているから、普通は周囲が虜にされるという事案は起きない。まぁ、例外はあるからこそ、魔塔主様が自ら調べてくれたんだけど……魔法も使われてないのに、あの環境。魔塔主様は”しっかりイカレている家だな”と露骨に嫌悪で歪んだ顔で言ってくれたわ。シエルヴィアのことも”こえーよ、あんなイカレたガキ”と吐き捨てた。可愛いからしょうがない、ってあの子を許す人ばかり見ていたから、それだけでも胸が空いたわ」
魔塔主様って、そんなガラの悪い口調を……?
でもかえって、はっきりした嫌悪が伝わっただろうから、よかったかもしれない。
「それで選択をくれた。『ミューチャー伯爵家の令嬢』として、魔塔に属して保護を受けるか。または身分を伏せて、保護を受けるか。その二択。私は”もう関わりたくない”から後者を選んだ。主様も、”それがいいかもな。全然探してなかったし、家出の事実は隠してそのうち嘘の死亡届を出すかもしれない”って、捜索だけは警戒したけど全く探そうとしないから、もう放っておいたのよ。三年前までは、ホント、貴族令嬢だった身分だとか義務も、名前とともに捨てたつもりだったの。でも、同僚が『悪女シシルヴィア・ミューチャー伯爵令嬢』の噂を知って教えてくれたのよ」
ゴクリ、と息を呑んだ。本当にとんでもない話だ。娘が失踪したのに、捜索もしなかったのか。
そして姉のあらゆるものを奪い続けた妹は、姉の名まで奪った。社交界デビューをして、そして、好き勝手男を漁る悪女の仮面にした。どこまでもあり得ない家族だ。
「一度、”もう関わらない”と決めたから、とりあえず、探ってはいたけれど、あっちは私の生存に全く気付いていないし、ひたすら婚約破棄騒動やら令嬢同士のキャットファイトやらで、『悪女』を楽しんでいた。推測ですが、私という姉、つまりは愛を奪う相手がいなくなった妹は、欲求不満解消のために、他人の婚約者を奪っては、自分が愛を得たと自慢したのでしょうね。令嬢側には悪いけど、”浮気した男が悪い”ってことで、放置したの。そんな男と結婚しない方がましだろうってね」
愛を奪わないといけない性なのか……?
確かに令嬢側には悪いけれど、『天使様』がその家から出れてよかったと思う。
だって、きっと、『天使様』は奪われ続ける地獄を味わっただろうから。
恐ろしすぎる令嬢だ。それでいて、『悪女の姉』のせいで悲しんでいる心優しい令嬢として注目を集めている。悍ましい。
「でも、伯爵家も裕福じゃない。私の分の養育費が浮いたとしても、延々と慰謝料を払い続けられないから、『悪女』と絶縁するからって支払いを拒否し始めた。そろそろ、暴いてやろうとは思っていたけれど、戦争が始まったからそれどころじゃなかった。手を出されるのは”浮気男”であり、令嬢はそんな男と別れられる。そう考えたのがそもそもの間違いだった」
心痛そうに額を押さえた『天使様』を見て、ハッとした。
「本当に申し訳ない、ブライアン。他でもない、あなたが妹に襲われかけるなんて」
「あっ、うっ! 謝らないでくださいッ! シルさんのせいじゃないです! 加害者側だなんてっ! 言わないでください!」
大恩人の『悪女の妹』に襲われかけた事実に恥ずかしさが押し寄せるけれど、でも、何より『天使様』に謝られるのはこちらが申し訳ないし、絶対に加害者側だと思いたくないし思わない。
だいたい、『天使様』が罪悪感を覚えているのは、あの戦いに繋がっているからだろう。
あの戦いで命を奪われたセヴ。そのあと、婚約者のエヴァを託されて、片想いを叶えて、婚約が成立したのに……『天使様』の『悪女の妹』の事件だ。
もしも、オレが婚約の件を言わなければ……。
「でも、私も手を打たなかったから……ごめんなさい」
招待状を送るって言えるほど、親しくならなければ。
罪を一人で背負うような人が、オレなんかに、こんなにも心が痛まなかっただろうに。
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10話目の執筆動画→ https://youtu.be/T3cSZbZWQsk?si=o6GzNPmHRBjZgr0d
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