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すきがすき

 どきゅん! となりで一目ぼれをする音が聞こえて、ぶちねこはため息を吐きました。

「やめておけよ、君じゃあの子には振り向いてもらえないよ」

 するとぶちねこのしんゆうであるキリンは言いました。

「そんなことないって。ほら、おれってばこんなに背が高いだろ?」

「首が長いだけじゃないか」

 ぶちねこはそんな風に、少し口の悪い猫でした。

 でも彼は、友達思いでもありました。

「だからほら、やめときなって。どうせフラれて悲しむだけさ」

「そうかなぁ」

 キリンは悲しそうな目で、草原の向こうを自由に駆ける美しい牝馬を眺めました。さあっと微風が撫でて波打つ碧い草原の只中を、金色のたてがみを矢のように一筋なびかせてずっと駆けていく牝馬です。彼女を追う黒ずんだ馬体の牡馬も、歌が上手い青い鳥も、風に吹かれる雲の影も、誰も追いつけません。

 ぶちねこはしんゆうのキリンと一緒にアカシアの木の影に座りながら、ちぇっと言いました。

「あんなののどこが良いんだい」

「すごく綺麗じゃないか」

「綺麗なだけじゃないか。みんなを置き去りにして好き勝手に走ってる。きっと性格が悪いよ」

「そうかなぁ」

「そもそも君は、あの子と話したこともないんだろう? 惚れっぽいのも程々にしなよ」

 するとキリンは、長い首をまたぐっと伸ばして牝馬を眺めました。

「そっか、そうだなぁ。じゃあおれあの子は諦めるよ」

「そうするがいいよ」

 それからふたりはおしゃべりをしました。花にまつわるものでしりとりをしたり、風がどこからやってきているのかを考えてみたり、雲の上にはどんな生き物が住んでいるのだろうということを一緒に話したのです。どれも終わらなかったり、はっきりとした答えは出ませんでしたが、それは広大な草原の一つの木陰で綴られた、密やかなひと時でした。

 ただやはり、そんな静寂を打ち破るのは、どきゅん! という音です。

 ぶちねこはその音が尻尾を踏んづけられるよりも嫌いでした。

「やめておけよ、君じゃああの子には振り向いてもらえないよ」

 キリンが眺めていたのは、しなやかで引き締まった肉体の豹でした。頭を低くして草むらの合間を歩くたびに、まだら模様が包む四本の足がきりきりと大地を踏みしめて、肩や腰回りの筋肉が薄い皮膚の下で柔らかくうねっています。

「どうせ食べられておしまいさ」

「でもあんなに美しい豹に食べられるなら、それもいいものじゃないかな。ああ、ちょっと告白してこようかな」

「馬鹿を言うんじゃないよ、痛いだけさ。やめときな」

「そうかなぁ」

「大体あんなのと付き合ったって、どうするのさ」

 するとキリンは思わずにこにこしながら答えました。

「眺めていたいのさ。だって綺麗なんだもん」

「眺めるだけなら今のままで十分じゃないか」

「それは確かに。じゃあおれあの子も諦めるよ」

「そうするがいいよ」

 それからふたりは寄り添いました。会話はありませんでしたが、互いに体温と心臓の鼓動に耳を澄ませて、ふたりは肉体で通じ合っていました。キリンの身体は大きくてゆったりとしており、ぶちねこの身体は小さくてぽかぽかしていました。またぶちねこは自分の肉球でキリンの肩を揉んでやり、キリンは長い舌でぶちねこの毛繕いをしてやったりしました。

 そしてまた、どきゅん! と音がします。

 ぶちねこは気持ちよくて微睡んでいたところを起こされて、ちぇっと言いました。

「やめておけよ、君じゃあの子には振り向いてもらえないよ」

 今回の一目ぼれ相手はカンガルーでした。お腹の袋に子供を入れているお母さんカンガルーです。丁度今ひっさつのパンチでぽかりと悪い蛇を追い払ったところで、怖くて泣いてしまった子供をお母さんカンガルーが優しく宥めていました。

「でもあんな風にさ、蛇を追い払う時はものすごく強くて、子供には優しいんだ。話位は聞いてくれそうじゃないかなぁ。絶対いいひとだよ」

「いいひとだからだよ。本当にいいひとっていうのは、君が見つける前からもう誰かが目を付けているものさ。ほら、子供が居るだろう? お父さんもどこかに居るんだよ」

「そうかなぁ」

「そもそも、君が本当にあのカンガルーを好きだって言うなら、あのカンガルーの幸せを願ってやるべきだろう。そしてきっと、あのカンガルーは今が凄く幸せなんだ。邪魔しちゃいけないよ」

 するとキリンはなるほどと頷きました。

「それもそうだな。じゃあおれあの子も諦めるよ」

「そうするがいいよ」

 そうして、キリンは言いました。

「それにしても、ぶちねこは頭が良いなぁ。おれ、そんなに色んなこと考えられないよ」

「そりゃあ、私は苦労をしてきたからね。たくさん辛いことがあったら、頭が良くなるんだ」

「それと優しくもなるね。君がこの草原に来てくれて、おれは嬉しいよ」

 その言葉を聞いて、ぶちねこの心臓がどきゅん! と鳴りました。ただし首の長いキリンには聞こえていません。

 ぶちねこはほっとするような、それでいて少しもどかしいような気持ちを飲み込んで言いました。

「私も望んできたんじゃないんだがね。でも確かに、どうせ捨てられるとしても、騒がしい人の街に捨てられるより、この草原に捨てられた方がいくらかましなのは確かだ」

「おれがいるから?」

「静かだからだよ。君は少しうるさい」

「そうかなぁ」

 いつもどおりまったりと呟くキリンの胸に、ぶちねこは寄り掛かりました。体の大きさの違いもあって、ぶちねこにはよくキリンの心臓の音が聞こえました。それは大海原の潮騒のように大きく穏やかで、心地の良いものでした。

「でもビルを見上げるより、君を見上げていた方が良いのも確かだ」

「ビルって何だい?」

「……ばか。君よりも大きい建物のことだよ」

「へぇ、人の街にはそんなものがあるんだね」

 キリンはぼんやりと言いました。

「それだけ背が高かったら、世界中のものが見えるのかな」

「見えるわけがないよ。世界っていうのはね、君が思っているよりもずっと広いんだから」

「それは素晴らしいなぁ」

「そもそも世界中のものが見えたからってどうなのさ。見たくも無いものまで見えてしまうよ」

「見たくもないものって?」

 ぶちねこは、自分の昔の飼い主が去り際に「今度は犬を飼おう」と言っていたのを思い出し、自分が居たはずの家の中で別のペットが可愛がられている様子を想像しました。

「そんなの自分で考えなよ」

「でもおれ頭悪いからなぁ。やっぱり色々なものを見てみたいよ。そして嫌なものだったら、見ないようにすればいいんだ」

 キリンはぐっと首を下げると、嫌なことを想像して目を瞑ってしまったぶちねこのひたいにキスをしました。ぶちねこはびっくりして目を開きました。

 キリンは言いました。

「大丈夫だよ、ぶちねこ。世界には綺麗なものが沢山あるんだ。だから嫌なものなんて見らずとも、綺麗なものばっかり見てればいいんだよ。世界は広いんでしょ?」

「……そうかな」

「そうだよ。試しにほら、おれの頭に乗ってごらんよ」

 ぶちねこは言われたとおりにキリンの頭に乗ると、振り落とされないように耳にしがみつきました。それをちゃんと待ってからキリンは立ち上がりました。

 するとどうでしょう。アカシアの木なんて簡単に見下ろせるほど背が高くなってしまって、ぶちねこはどきどきしました。怖くて、そしてわくわくもしたのです。

 一面に広がる草原は、かつて家の窓から眺めることが出来た海よりも広く、果てしない地平線の彼方には太陽と遠い青空だけがありました。空に近いせいで風の音も澄み渡り、噴き上げられた草の匂いは軽やかなものばかりです。おまけに丘の合間を矢のように駆ける金色の牝馬はよりありありと躍動しているように見え、草むらに伏せる豹は二対の高貴な瞳の色まではっきりとし、カンガルーの親子に至ってはお父さんらしき姿も離れた所に見えるくらいです。

「みんな綺麗だよね」

 景色に見惚れてしまって、ぶちねこは頷くことしかできませんでした。でもそれだけでキリンは満足でした。二人はしんゆうだからです。

「綺麗なものは綺麗なんだ。だから綺麗であることも、そしてそれを見ることも、何も怖がることはないんだよ」

「そうかもしれないね」

「試しにさ、ぶちねこはこの景色の中で何が一番好きだろう。教えておくれよ」

 ぶちねこは改めてキリンの頭にしがみつきました。彼女の目は、もう下を向いていました。

「教えないとわからないの?」

「もちろん。ちゃんと何が好きかを伝えることも大切だよ。君が何を好きかは、君にしかわからないんだから」

「ふうん。じゃあ教えてあげない」

「ええ、どうして?」

 ぶちねこは、にっこりと笑って言いました。

「私も、眺めているだけで十分だからさ」

「どういうこと?」

 改めてぶちねこは、キリンのことを見下ろします。彼は首は長いですが、キリンの中で特別美しいという訳でもありません。走るのだって遅いし、力も強くはありません。

 ぶちねこは、そっとキリンの額にお返しのキスをしました。

「私だけがわかっていれば、それでいいんだよ。ほら、君は目移りを楽しむといいよ。いつまでだって、付き合ってあげるから」

 それからもふたりは、ずっとしんゆうでした。


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