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8.祀子のここだけの話

 最後の手段だった。これが通用しなければ、命はあるまい。

 姿を見れば死ぬという相手。ならば説得させるしかないと思ったのだ。

 もっとも、話し合いが通じるかどうか。

 袋ごしにも海難法師は佇んだまま、襲いかかってくる様子はない。――少なくとも、いまのところはだ。

 必死に頭を働かせ、言葉を選んだ。説得させようにも、一歩まちがえれば地雷を踏んでしまう恐れがある。


「渋谷の駅前に、モヤイ像(、、、、)があるの、知ってる? あれって昔、新島の人が贈ったものなの。島にも、コーガ石で彫られたモヤイ像がそこらじゅうにある――」


 ハッタリだった。時間稼ぎするしかなかった。これが正しい答えなのかどうかは、この際どうでもよかった。

 なまじ相手が見えないのだ。どんな反応を示しているか、さっぱりわからない。気が気じゃなかった。 

 海難法師は押し黙り、微動だにしないようだ。

 荒い、喘息気味の息づかいだけが聞こえた。

 ポリエチレンの袋の中で、麻衣の息が跳ね返る。


「ねえ、知ってるかな、豊島代官? 『モヤイ』って言葉。『モヤイ』は島の言葉で、『協力する、助け合う』って意味なの。島の人たちの結束は固い。島じゃ、ライフラインが断たれると、いっぺんに生きていけなくなっちゃう。だからこそ内地の人以上に、人と人とのつながりを大切にするんだとか。年貢がきつくなり、我慢の限界が来たとき、みんなは力を合わせて、代官をどうにかしようと考えたのは仕方のないことだったのかもしれない。25人の若者は島の人たちのために、よかれと思ってやったんじゃないかな。もちろん殺人はいけないことだけど」




 麻衣の、ここ一番のメンタルの強さよ。これでダメなら命を落とすのも致し方ないという潔さ。――まさか豊島 忠松を相手に心理的に揺さぶろうとは、いったい誰が思いつくだろう。

 豊島も成仏できないからこそ、いまだ現世にしがみついているにちがいない。


 400年近く長きにわたり、怪異そのものとなったことを恨めしく思い、同時に恥じているのだとしたら。

 豊島のなかにも、多少なりとも、生前あんなにも島民を虐げるべきではなかったと悔いているとしたら――そこに付け込む隙があるかもしれない。

 ところが、である。

 麻衣のすぐ手の届く目と鼻の先で、突如、割れんばかりの高笑いを放ったのには驚かされた。


「ア――――ッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」


 あまりに場ちがいなほどの大声に、液体窒素を浴びせられたみたいに全身が凍り付いた。 


◆◆◆◆◆


 あれは麻衣が8歳――小学2年生の記憶である。


いつきちゃんは勝巳かつみと一緒に寝るからいいとして」と、祀子まつこは寝室の電灯を消しながら言った。すでに6畳間には二人分の布団が敷いてあった。「麻衣は、今夜と明日だけ、特別におばあちゃんと一緒に寝ましょう。さ、いつまでもマンガ本読んでないで横になりなさい」


 寝室は豆球の小さな光だけとなる。

 雨戸は昨日のうちにすでに閉ざされていた。いつもはカーテンを引くだけでいいのに、厳重に雨戸を閉ざすのは台風のときぐらいだ。物々しいったらない。

 しかも窓枠には、外からトベラの枝がしてあった。魔除けだという。トベラの葉はちぎると、なんとも言えない臭いがする。この臭気は海難法師が嫌がるのだと――。


 外は偏西風が吹き荒れているらしい。手もつけられないほどの風の唸りがした。

 伊豆諸島では毎年、この時期は判で押したように荒天になるのだ。だからこそ漁師が漁を控えるのもわかった。もっとも不思議なことに、この強風も午前0時になったとたん、ピタリとおさまるという。

 1月24日の『親だまり』の夕方であった。


 夕飯を早めに食べ終えて間もなかった。まだ18時にもなっていまい。

 いきなり横になれと言われても、さっき食べたカンパチの刺身とアシタバの天ぷらが逆流しそうだ。

 せっかく観たいテレビアニメがあったのに……と麻衣はこぼしかけたが、祖母の口ぶりには有無を言わせぬものがあった。




 いつもは若郷わかごうの自宅にいる祀子だったが、この『親だまり』『子だまり』について教えるため、わざわざ本村ほんそんの勝巳の家まで来てくれたのだ。


 幼い麻衣は頬を膨らませ、布団にもぐり込んだ。

 羽毛布団はふかふかに乾燥していた。お日さまの匂いがした。

 隣で寝間着姿の祀子も布団に入った。

 天井を見あげたまま、彼女は口を開く。


「いいかい、麻衣。よくお聞き。本来は今夜と明日の晩にかぎり、『海難法師』、『豊島 忠松』と口にするのもはばかられる。いわゆる忌み言葉なの」


「忌み言葉?」


「使っちゃいけない言葉さ。けどね、今夜は麻衣のために特別に教えたげる。一度しか言わないので、寝ないで、しっかり頭の片隅に留めておきなさい」


「なんか怖いけど、ワクワクするような」




 お互い天井の電灯の笠を見ながら会話を重ねた。声をひそめ、まるで内緒話をするかのように。

 そこで語って聞かせてくれたのが、海難法師が生まれたあらましである。

 寛永5(1628)年、豊島 忠松が八丈島に代官として赴任した経緯からはじまり、あまりの圧政ぶりに島民は追いつめられ、やがて大島の若者たちによって殺され、亡霊となって島々をめぐる怪談話だった。


「豊島作十郎(さくじゅうろう)忠松という人は、『江戸幕府代官履歴辞典』という本にも記録が残されているように、実在した人物なの」


「ふーん」


「ただわからないのは、記録によると、赴任した年が寛永5年(、、、、)であって、任期を終えたのは正保2(1645)年となってるわけ。おかしいでしょ? 伝承によれば、寛永5年に死んだはずなのに。この人は17年ものあいだ、伊豆諸島でお仕事してたことがわかる。ちゃんと死因も溺死と記されてたので、まんざら作り話ではないはずなの」


「記憶が捻じ曲げられて、お話が伝わってるってこと?」


「いまとなってはわからない。どっちにしろ豊島代官は死に、それ以来、新島では、豊島代官が海難法師になってやってくると信じられたの」


「なんで大島だと若者がやってくるのに、島によってちがうんだろうね?」


「その点は、おばあちゃんにもわからない。私だって子どものときから親に、親はそのまた親から教わったもんだよ。『親だまり』『子だまり』の日は大人しく家でじっとしておくこと。大声を出すのを控え、夜は外に出ず、さっさと寝ること。とくに海を見ようなどとしたら、こっぴどく叱られたもんさ。外の便所へ行くにも命がけだった。頭からズタ袋をかぶって、手探りで歩いていったほどなの。それだと足もとが危ないんで、その夜にかぎり、特別におまる(、、、)を用意して、家の中で用を足したこともあった」


「そうなの?」


「海を見ちゃいけないのは、沖から豊島代官がやってくるからだよ」と、祀子はゆっくりとした口調で言い、横を向いて麻衣の顔を見た。幼い麻衣も祖母の顔を見つめた。「ただ、ひとつだけハッキリと、私にゃわかることがあるんだ。伊豆の島々にはそんな約束事があり、破った者にはとんでもない罰が当たるってことだよ」


「斎お姉ちゃんが言ってた。眼が見えなくなったり、頭が変になったり、下手すると死んでしまうと――」


「じつはね、この際だから教えてあげるよ。私のもう一人の息子、善明よしあきが――あんたのお父さんの弟よ――、20歳のときに言い付けを破り、24日の夜、私の知らないうちに、海へ肝試しに行ったんだ。明くる日、浜へ行ってみると、変わり果てたあの子が倒れてた……」


「え」

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